魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

日本の奥

2010年08月04日 | 新鎖国論

No.987

フ暑い~ッ
街を行く人が、お風呂上がりのような顔で歩いている。
湯上がりは親も惚れ・・・と言いたいが、もう完全にくたびれている

夏は暑いのが当たり前だから、文句はないのだが、何か昔の暑さと、景色が違うような気がするのは、気のせいだろうか。

昔は、夏でも着物を着て歩いていた。着物と言っても浴衣ではない。
絽や紗を着ていても、内には襦袢を着ていた。
クーラーも冷蔵庫もない時代。団扇と扇子が必需品だった。
オシャレや、変わった趣味ではなく、誰でもどこでも扇いでいた。

人の集まるところでは一斉に扇ぎ出すから、講演や演芸の壇上から見ると、全体で木の葉が揺らめいているように見える。

扇子が日本で発明されたのは、何よりも高温多湿な風土に加え、日本にはコンパクト指向が、昔からあったということだろう。
おおざっぱな大陸思考では、先ず「必要」を感じない。

日本では結構、膨大なアイデア品が生まれたが、何よりも平和だったからだろう。扇子の形から思い出したが、脱穀農具の「千歯こき」もその一つだ。

扇子が、いかに日本の生活に根ざしているかは、あらゆる儀式や正装の必需品になっているし、与一が射たのも扇子だ。
直接的な接触を好まない日本人には、もってこいのコミュニケーションツールでもあり、舞の振りにして、多様な表現も見せる。

子供の頃、骨董屋の友達のうちに行くと、色々なものがあって面白かったのだが、そこで、初めて、マンガで見た鉄扇の実物を手にした。
ただの鉄の棒ではなく、実際に広げることが出来て、一枚一枚の鉄の羽板に何か解らない漢文が刻されて、ずっしり重かった。
護身、鍛錬、学問ができる、武士の必須アイテムだったのだろうか。

日本人が、普通に使っているものは、禿鷹やオウムには、何でも金になる「宝の島」だ。
確かに、異文化は互いの国で商売のネタになるが、おそらく日本ほど宝が埋もれているところはないだろう。

ところが、日本人はその価値に無自覚だから、(無自覚はお互いだが)何でも気楽に放出してきた。扇子もそうだが、幕末と終戦当時は膨大な日本文化が、物とともに二束三文で出て行った。
まあ、そのおかげで、日本文化への関心は高まったのだが・・・

産業革命パラダイムが終われば、文化そのものの価値がものを言うようになる。知的財産権など、産革パラダイムのまやかしに過ぎない。
一子相伝、門外不出方式の新鎖国主義で、板場を見せずに、おもてなしと技の美しさを、喜んでもらおう。
化粧室まで見せる女優はいない。