魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

現場体験

2009年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

現実を体験したことがない人間は過激になる。

格闘技の達人のほとんどが、できれば喧嘩はしたくない。中には、喧嘩になったら逃げると言う人もいる。相手を怪我させてもまずいが、絶対に勝てるとは限らない。喧嘩をするのは格闘の怖さを知らない者のすることだと言う。

スポーツでも、第一線でやってきた選手は他の選手の失策を批判しないが、ファンは無責任な批判をする。
選手をボロクソに言って、自分ならできるような気になっている。選手になったつもりで観戦しているから、現実を忘れるのだろう。

どんなことでも、自分が実際に経験したことがなければ、妄想が無限にふくらみ、どんどん過激になる。

戦争も、戦場の経験がなければ過激になる。
司馬遼太郎は、戦前の日本軍部は、実際には辛勝の日清・日露戦争の伝説に酔って、現場を直視しなかったと言っていた。

ブッシュもクリントンも戦場には行っていない。
イラク戦に消極的だった国務長官コリン・パウエルは、ベトナム戦争を体験し、二度も負傷した。
そのパウエルが、国連安保理でブッシュの代弁をさせられたのは、見ていても気の毒だった。

中国も、革命実戦世代がいなくなったことが心配だ。
実戦経験のない軍事国家が、経済力をつけてどんどん武器を強化し、潜水艦で力を誇示したり、ついには空母まで建設する。
軍人にとって、実戦経験がないことは、童貞コンプレックスだ。
やってみたくてしかたがない。妄想が極限までふくれる。
どこの国でも、野戦経験のない参謀部は、現場を無視した戦略戦術に走る。

戦後生まれの田母神元航空幕僚長は、航空自衛隊では、高射運用が専門だったそうだが、戦闘機を操縦してスクランブル発進をしたことはあるのだろうか。

現実力