魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

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2009年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム

著作権のこと
著作権には批判的だ。「創造」を大切だと思うから著作権が嫌いだ。こう言うと不思議に思われるかもしれない。

夢を言えば、人類全体が創造を理解し尊重し、創造的なものや創造的な人を大切にする。そうあって欲しいと思う。

人類はおそらくサルの頃から、知恵や創造は「自然現象」「天の恵み」と思っていたのだろう。神や先祖を崇拝したり、リーダーを尊敬することで、暗に、英知の恩恵に感謝していた。

ところが、産業革命によって人工物が量産され始めると、人間はエデンの園を捨てて出て行った。
人の手でつくられた(かのように見える)ものに、貨幣価値という人工の「宝」が発見され、世界中の海賊が「創造」という宝島の地図を手に入れようとした。これが知的財産権だ。

神の恵みの「創造」が知的財産権という、「金のリンゴ」になった時、人間は神への感謝、「創造」への敬意を失った。
「創造」は金を生む道具となり、およそ想像力とは無縁な人間が群がってきた。

実際、特許権や意匠権などの現場は「泥棒や追い剥ぎ」の巣窟になっている。特許申請の大半が、誰でも思いつくような物の認定であり、他人のアイデアの、盗用先願であったりする。
「特許をとれば儲かる」と、無い知恵を絞って、涙ぐましくも滑稽な「発明」をする人もいる。

逆に、すばらしい天の恵みの発明であっても、海賊が押さえているために、人類すべてが享受することができないのも現実だ。

医療技術などは深刻な問題だが、映画や音楽、著述など、人類の精神を高め、幸せにする「天の恵み」も、初めから、金のために生まれてくる。また、金のためでなくても、無防備だと海賊に奪われる。

産業革命後の世界は、際限のない欲が物を生んだ。芸術さえも例外ではない。
それを、進歩と豊かな暮らしだと信じてきた。
だが、積み上げた物の山が、ガラガラと崩れ落ちて初めて気がつく。
こんな物が本当に必要だったんだろうかと。

大戦争の後の焦土で、物が買えない大不況で・・・
人類は何度か、欲望の熱から目ざめた。
欲望の熱からさめたほんの一瞬。無欲の創造が目を覚ます。
作っても買い手がない時代にこそ、本当に必要な物が生まれてくる。

金儲けのために無理に作り出すような爛熟ではない、荒削りな創造が始まる。そうして始まる新しい息吹も、やがて世相が安定するとすべて金儲けのシステムに組み込まれていく。

これまではそうだった。
しかし、産業革命のパラダイムが大転換していく今、創造は金から離れ、敬意と感謝のために記憶されて欲しい。
フリーソフトや、動画サイトなどに、その可能性を期待する。
著作権は金の亡者達を閉め出すためにも機能する。