魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

口には出せない

2006年10月06日 | 星の流れに

世相史観><星の流れに>で話しているように、時代は星に染められている。毎日のニュースには、星の照らし出すサインがちりばめられている。今なら魚座の示す「」、「」、「」、「」、「早春」、「ペット」、「」、「境界」、「抜け道」、「インチキ」、「不正」・・・に関する事件や、実際にそういう名前の人物が渦中の人になっていたり、地名にも組織名にも現れる。

一日のニュースの中にいくつも現れることもある。具体的にどれがと聞かれれば答えはあるが、ほとんどのニュースは悲惨なもので、とても口には出せない。後世になって、人々の感情が冷めてからなら歴史的事件として語れるかも知れないが、今現在起こったことについては公言がはばかられるというものだ。

社会的な名前だけ言うと、「パロマ」は鳩で、ペットの分野にはいる。「岐阜」は東西の境界で魚座。この前の天王星が水瓶座時代には「雪印」「拓銀」などは水瓶の「北海道」」にピッタリ符合していた。
関心のある向きは、始めにあげた魚座のキーワードや<星の流れに>を参考にしてニュースを見ていてもらいたい。事件の関係者名、現場の名前、組織の名前など、昔(他の時代)にはこんなに出ていたかなと思うほど、その時点で出現する名前には偏りがある。

「そんなことが何の意味があるのか」と言われるだろうが、念頭にあれば役に立つ。
例えばこの時期、取引相手や近寄る人や場所に、魚座の意味する名前があれば、避けないまでも注意する必要はある。
もちろん自分がそうである人は、何かと変動に巻き込まれやすいので用心しなければならない。むしろ調子の良い時の方が危険だということも忘れずに。


もの言えば

2006年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

阪神大震災の時、「東京でなくて良かった」と言った地震学者が、やり場のない感情から総攻撃を受けた。結局は「学者バカ」と笑い者にされ収まった。
ただ、彼を弁護したくなるのは、泣き叫びこそしないが、『本当に大変なことだ』と思ったからこそ、学者として思わず出た言葉であって(それが学者バカなのだが)、口だけ慇懃無礼に哀悼を述べる者よりはるかに誠意があるのではなかろうか。
直情的に泣き叫ぶことの裏返しには、コリアタウンでの大歓声もあるわけだが、その一方で、震災当時の神戸の人々の冷静さには世界が驚いた。日本人として誇りを感じ、思わず目頭が熱くなる。

地学者や歴史学者、あるいは全ての学者は、人間の情緒的な営みから一歩離れた、次元の違う客観的な世界でものを考えている。だから、どうしても、世間の喜怒哀楽とはズレてしまう。着眼点がズレているために、いくら神妙な気持ちを口にしても、世間では「あってはならない」言葉になってしまう。
重大事件が起きると、人間の思考は一時停止する。この「猫だまし」状態では、チョットしたことで理屈抜きの盲動が起きる。911でイラク攻撃に走った米国だけではない、どこでもスケープゴート探しが始まる。こういう時は、少しでも「ふさわしくない」言葉を口にしたものが槍玉にあがるから、世慣れた人間は沈黙を守る。

占い師も元来、尋常な観点でものを考えていない。生老病死、喜怒哀楽を事柄として考える。でなければ、運命などという冷酷なものを前に、涙の海で溺れてしまうだろう。
毎日起こる悲惨な事件に、「なんと言うことだ」と、一人の人間として心痛めると同時に、占い師としては「ああ、やっぱり」と、何とも言えない無力感を味わう。どんな悲惨な事件であっても、星は冷酷に告げているからだ。