魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

団塊は中国人!?

2006年10月13日 | 占いばなし

団塊世代は天王星・カニ座時代の産物だ。カニ座の象徴は中国だが、中国と団塊の共通性はあるのだろうか。
何より、「人海戦術」のイメージは誰が見ても明らかな共通点だが、双方の共通性を前提に考えれば、団塊も中国も意外な側面が見えてくる。
中国は大人口だから、一つのグループでも大集団となる。ほんの一部の集団が気勢を上げても中国全土が騒いでいるような光景になる。同じようなことは団塊にもあって、学園紛争世代とひとくくりにされるが、実際にデモやバリケードに参加していたのは、最大でも大学生の1割程度だった。進学率は現在と比較して半分ほどだから、全体的な比率はわかろうというものだ。確かに世相的なインパクトはあったかも知れないが、全ての団塊がデモをしながら就職をしたわけではない。
カニ座とは、生命力、生活、食うこと、生きることを表す。中国人のあいさつは「めしくったか」だそうだ。主義主張より懸命に生活する庶民こそがカニ座だ。つまり、団塊の本質は庶民性にある。
したがって、本来、団塊は天下国家を論じるのは苦手で、矛盾するようだが、何より秩序と平和を望んでいる。では、70年の大騒ぎは何だったのかといえば、政権や革命を目標にしたものではなく、言語はマルクス語でも、平和運動と、定見のない庶民的爆発だったのではなかろうか。一揆や「ええじゃないか」が話題になり、「お上にたてつく」健さんの唐獅子牡丹が人気した。権威に対するムード的な反感もカニ座のものだ。やたらセクトが乱立し(身内主義)、全国全共闘ができたとたん崩壊したのも中国の軍閥政治と似ているし、燃え上がったわりに、あっさりと消えてしまったのも、中国の暴動と似ている。
団塊がカニ座だとすれば、市民運動はできても政治はできない世代と言うことになるだろう。だから、中国にはいまだに民主主義政治が生まれない。


団塊三兄弟

2006年10月13日 | 占いばなし

1947~49年生まれの団塊には、兄弟関係のような性格の違いがある。長子、中間児、末っ子といったタイプ。実際には個々は違う兄弟関係を持っているが、総体としてはこんな傾向が現れる。
1947年は地味で独善的。1948年は優しいが抜け目ない。1949年は大げさな愛嬌者。
兄弟関係については章をあらためたいが、団塊のイメージはこの三兄弟の誰を見るかで違ってくる。地味な1947、48年と比べ、声の大きい末っ子的な1949年が、後続の世代には団塊として目立つのかもしれない。
1949年の有名人をあげようとしたら、意外にも顕著な女性が見あたらない。団塊としては古風な結婚観のせいだろうか。
村上春樹、高橋真梨子、江畑謙介、伊武雅刀、武田鉄矢、酒井和歌子、川藤幸三、高橋伴明、大竹まこと、ガッツ石松、上田正樹、崔洋一、矢沢永吉、松田優作、やしきたかじん、テリー伊藤・・・
こういう面々と比べると、1947、48年は大勢いるのにトーンが低く印象に残らない。目立たない理由は、政治やステージのような華やかな場所を表す獅子座に、萎縮や責任の星、土星がいるからだ。歌手なども目立ちたがりと言うよりビジネス優先の印象がある。
ところが、1949年は、山羊座の木星が天王星と180゜で爆発状態になる。これは誇大妄想で、躁鬱的な興奮と落胆を繰り返すのだが、乙女座の土星と良い角度で、そのエネルギーをうまく利用できる。
強いインパクトと粘っこさが特徴だ。
ただ、末っ子的特徴は、親分子分の関係が好きなので、1947、48年の上の子が独善的だが不干渉主義なのに比べ、あたり構わず説教をする。このあたりが、かなり団塊のイメージに貢献?しているのではなかろうか。


団塊の境界

2006年10月13日 | 占いばなし

初めて見た時。団魂世代と勘違いして「ダンコン」だと思った。最初に口にした相手が友人でセーフ? バカ受けしたことは言うまでもない。今でも、「ダンカイ」より「ダンコン」の方がカッコイイのではと思う。何んとなく、魂やパワーがありそうだ。
団塊世代とは、1947~49年生まれを指すそうだが、文化的にはもう少し広い期間だ。感覚的には1946~52年ぐらいが入る。さらに影響期間まで入れると1954年ぐらいまで入りそうだから、ほぼ、昭和20年代生まれということになる。
これは、天王星「カニ座世代」だ(1947年は既に影響圏)。しかし一方では、1946~48年は土星が獅子座に入っており、1948~50年の土星が乙女座の年とはタイプが別れる。Photo_2

昭和20年代全体としては「家庭観」に革命をもたらす世代だが、不幸の土星でみると、土星・獅子座の前半生まれは地味でステージや娯楽に不幸。芸能も、フォークのような暗さや使命がテーマになる。ところが、後の土星・乙女座になるとむしろ明るくなるが、仕事には問題が生ずる。
「神田川」の作詞は喜多条忠で1947年、作曲と歌の南こうせつは1949年。二つの感性が融合して団塊の象徴的な歌が生まれた。