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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



夕方、近くを通りかかったので世界平和記念聖堂を覗いてみたら
教会の庭に、聖家族の人形(イタリア語でプレゼピオと言うらしい?)が飾られていて、
……と言っても、まだクリスマスになっていないので、救い主は降誕されていなかった。
(補足・12月25日記:クリスマス・イブのミサが終わると、このようになった。)
クリスマスに向かう時期の教会の空気は、とても良いと毎年思う。
主の降誕を祝う気持ちや喜びの気分が、普段より更に、
教会周辺を明るくしているという感じがするのだ。

ところできょう、聖堂の近くに出かけた理由は、エリザベト音大で行われていた、
ピティナ・ピアノステップを聴きに行ったからだった。
ピアノを弾く人たちの目標もレベルもそれぞれあるものだが、
この『ステップ』というのは、どのような弾き手にも、
等しく舞台で演奏する場を提供してくれる催しだ。
日頃から専門に学び、試験やコンクールを控えた弾き手もいれば、
全くの趣味で弾くアマチュアもあり、年齢も経験も曲目も様々だったが、
誰にとってもこういう場はひとつの節目であり、
晴れがましい「本番」であることが伝わって来て、
プロやセミプロの行う「リサイタル」とは全く違う聴き応えがあった。
私自身は人前で弾きたいという気持ちはあまり持っていないが、
本番に向けて練習を積み重ねる日常は、私なりに想像できるし、
各自追求するものがあって迎えた、このステージなのだと、
聴きながら共感を覚えるところが多々あった。

今回は更に、ピアノだけでなくチェンバロ体験も組み込まれていて、
このステージでは、同じ曲をチェンバロとピアノの両方で弾かれた方や、
それぞれの楽器で異なる曲目を演奏された参加者もあり、
これまた、なかなかに興味深かった。
大半の弾き手にとってチェンバロは不慣れな楽器であった筈で、
本番で短時間で切り替え、ピアノと両方で弾きこなすことは、
大きなチャレンジであったことと思う。

特に、バッハの『インヴェンション』『シンフォニア』『平均律』などは
もともと演奏楽器の指定が作曲者によってなされていないらしいので
(合ってます?(笑))、
何で弾いても作曲者の意図に反するわけではない、と考えて良いと思うのだが、
そうした曲を、チェンバロで弾いたり、グランドピアノで弾いたりして
それぞれの魅力や可能性を比べたり、体感したりできるのは、
現代の我々ならではの特権ではないだろうか。
プロもアマチュアも、そして私のような近所(笑)の聴き手も、
日常の中でこのような世界に近づく機会があるなんて、
とても恵まれたことだなと、きょうは聴きながら、思った。

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仕事帰りに、カトリック幟町教会のクリスマスミサに行った。
高校生の頃から何かとお世話になっている教会だし、
村野藤吾・設計の貴重な聖堂ではあるし、何より今や御近所だしで、
イブにはやはりミサでお話を聞くのが相応しいだろうと思って、出かけた。

聖堂には、入りきれないほどの大勢の人たちがいて、
聖体拝領のときに見ていたら、祝福だけを受ける人たちもかなり多かったので、
今宵は、(私のように)クリスチャンでも何でも無い人たちも多数、
教会のクリスマスに参加してみたいと考え、集まってきたようだった。
荘厳な聖堂で聖歌を聴いて雰囲気に浸りたい、というくらいの動機だとしても、
クリスマスイブを恋人たちの全国的季節行事の日だと思っているよりは
家族揃って教会に出向くほうが、よほど本来的な姿ではないか……。

……などと考えていたら、ふと、
漫画『聖☆おにいさん』で、イエスが、クリスマスは自分の誕生日なのに、
サンタクロースこと聖ニコラスのほうが、自分以上にちやほやされているので、
このままでは嫉妬のあまり彼を破門してしまうかもしれない、
と教会の告解室で話す場面があったことを思い出して、悶絶してしまった(爆)。

ともあれ、今年も静かなクリスマスイブだ。
聖堂の入り口のところで、小学生くらいの男の子が、
「クリスマス、おめでとうございます(^^)!」
と挨拶していたのが、とても可愛らしかった。

クリスマス、おめでとうございます。

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クリスマス当日のきょう、世界平和記念聖堂の朝10時の
『主の降誕』のミサに行った。
せっかく近所に住んでいるのだし、
仕事仕事で全く余裕のない昨今だからこそ、強引にでも、
こういう時間を持たなくてはならないと思った(汗)。
高校生の頃から、24日の夜半ミサには幾度か行ったことがあったが、
25日の朝になってから日中のミサに行ったのはこれが初めてだった。

世界平和記念聖堂は建築家・村野藤吾の設計で、
門から聖堂までは参道のように、小さな美しい道がついていて、
ステンドグラスの窓は「松竹梅」のデザインになっているし、
高い天井から下がっているランプは蓮の花のかたちをしているしで、
随所に日本的かつ宗教的なモチーフが取り入れられている。
私は昔から、この聖堂の独特の雰囲気が好きなのだが、
クリスマスの時期になると毎年、ここには
いっそう濃やかな空気が満ちてくるような気がする。
やはり、集う人たちの祝福の気分が、教会の中にも外にも
溢れているということなのだろうと思う。

夜半のミサは第一ミサも第二ミサも毎年大変な人出になるのだが、
きょうの日中のミサも、大聖堂の席がほとんど全部埋まっていて、
日頃は来ない人や、それどころか信者でもない(私のような!)人達も
おそらく大勢いたのだろうと思われた。
しかしそれは単純に言って、好ましいことだろう。信仰を持っていなくても、
「クリスマスなのだから、教会というところに行ってみよう」
と多くの人達が考えるというのは、とても本来的で望ましいことだと思う。

世界平和記念聖堂:2013年クリスマスミサ(夜半・司教ミサ)(YouTube)
世界平和記念聖堂:2013年主の降誕(日中のミサ)(YouTube)

ときに、私はカトリックの教会に行くと、
女性信者がベールを被っているかどうか
いつも少し興味を持って眺めているのだが、
広島は相変わらず、割とベール率が高いような気がした。
私の隣の中年女性は、最初はずっとベール無しだったが、
聖体拝領の前になると、バッグからサっとベールを出して被り、
列に並ぶために出て行かれた。
神様や司教様の前に出るときには、特にベールを忘れないように、
というような、何か「礼儀」としての面もあるのだろうか?
と見ていて面白く感じた。

教会の掲示を見たところ、クリスマス25日午前0時には、
この大聖堂で英語ミサがあったことがわかった。
また、クリスマス時期にこだわらなければ、
英語ミサは通常でも、地下聖堂などで行われているということだ。
いつか、そちらにも出てみたいと思った。
日本語でも作法のわからないことが多いのに、英語ミサに出るなんて、
勝手がわからな過ぎてウロウロするかもしれないが(^_^;、
機会に恵まれているのに見過ごすのも、勿体ないという気がするので、
勉強のためにも、いずれは英語ミサにあずかろうと思っている。

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昨日、印刷し終わった年賀状に、きょうは一枚ずつ
自筆でメッセージや近況報告を書いた。
と言っても記入スペースはあまり広くないし、
もともと一枚につき2文か3文くらいしか書けないのだが、
とにかく『印刷だけ』というのではないかたちにしたかった。
家事や用事の空き時間に少しずつでも書くようにしたので、
一日で私の分は50枚ほど完成させることができた。

一方、きょうの主人は午前も午後も外出し、
買って来た漫画や雑誌を、コタツに入って寝そべりながら読み、
晩はフィギュアスケート全日本選手権をテレビで観戦していた。

転妻「年賀状は、もう出来たんかね?」
転夫「いいや。でもま、もうすっかり印刷できたし」
転妻「で………?」
転夫「ほんで、ただ穏やかな気持ちになっとるだけよ(^^)」

まあ、今年は私が自分の都合で、勝手に焦っているわけだが、
まだクリスマスにもなっていないのだから、本来なら、
年賀状ができていないと言って気にするほどの時期ではないのだ。
多分、主人の感覚が正しいのだろう。

ときに、今の我が家は全くクリスマスらしい空気が無い。
ツリーなんか結局、娘に見せるために飾っていたのだな、
と私はこうなってみてわかった。
キリスト教家庭でない我が家では、
飾り付けを喜んでいた娘が家に居ないとなれば、
我々二人には途端に熱意がなくなるようだった。
記念日趣味もプレゼント交換趣味も、我が家にはもともと無いし。

ちなみに21日には娘の母校A中高の学校クリスマスの礼拝があり、
きょう23日にはメサイアが行われた筈だ。
在校生・卒業生・保護者、その他一般市民、誰でも出席できるのだが、
私はこんな近所に住んでいながら、いまだかつて行ったことがない。
行ってみたいなと思わないではないのだが、
ご近所なのでいつでも行ける、というのがアダになっているのだと思う。
世界平和記念聖堂のイブのミサには、何度か行ったことがあるのだが。

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毎年、8月6日の朝8時15分には、広島市内は祈りの時間に包まれるが、
我が家では特に、近くの世界平和記念聖堂の「平和の鐘」が、よく聞こえる。

以前も書いたが、ここの鐘楼に設置されている四つの大きな鐘には、
カトリックの聖油が塗られている。
この油は本来、病人や怪我人の額につけて、
その痛みが和らぐようにと祈るときに使われるものなのだが、
この鐘に塗られていることにより、鐘が鳴らされるとき、
その音に乗って聖油もまた市内の隅々にまで届けられる。
それが、痛みに悩む人を癒やし、彼らの力となるように、
……という祈りが込められているのだ。

世界平和記念聖堂は、もともとあった天主堂が原爆で破壊された跡地へ、
戦後すぐ、平和への祈りを込めて計画、建設された(設計は村野藤吾)。
1950(昭和25)年の原爆忌8月6日に着工、
1954(昭和29)年8月6日に竣工、と記録されているので、
当時は、原爆による傷や病に悩む人々が、市内に実際に大勢いたことだろう。
この鐘は、以来ずっと半世紀を越えて、日々、朝夕の定時に鳴らされてきた。
鐘楼の高さは、塔の上の十字架を含めると地上56メートルあり、
教会の方のお話では、終戦後しばらくの頃の広島では、
市内のどこからでも、この十字架を見ることができたということだ。
世界平和記念聖堂は、廃墟となった広島の復興を、
変わらずに見つめ続け、市民とともに過ごして来た建物なのだ。

今朝、この聖堂の鐘は8時15分になると鳴り始めた。
毎日聞こえている普段の鐘と違い、長く、独特の響きだった。
8月6日には、原爆犠牲者を悼むミサが、この時間に合わせて行われるのだ。
私は高校生の頃から、世界平和記念聖堂にはなぜだか縁があり、
信者でもないのに、この教会で随分と様々な時間を過ごしてきて、
今やとうとう、「平和の鐘」の音が直接聞こえる場所で生活するようになった。
思えば、67年前に、ここから1キロ半ほど南の地点で被爆した父は、
翌8月7日に、この近くをひとりで歩いて通過し、山のむこうの村まで帰った。
その途上で見たものについて、父は未だに、多くを語ってはいない。
私は決して積極的に望んだわけではないのに、他県から広島に戻ってきて、
この地に家を持つことになったのは、何かに呼ばれたからなのかな、
という説明のつかない気持ちに、今朝もなった。

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午後、昨日の友人が東京に帰る前に、もう一度、
幟町教会の聖堂を見て写真を撮りたいと言ったので、
私も、友人を見送りがてら、一緒に見学しようと思って出かけた。

そうしたら、教会でご奉仕をなさっていた信者の方が、
聖堂内を案内しましょうかと声をかけて下さったので、
御言葉に甘えて見せて頂くことになった。
私は四年前にも一度、内部に入らせて貰ったことがあったが、
友人は勿論初めてだった。

大聖堂、小聖堂、地下聖堂などのほか、
パイプオルガンの演奏席や、洗礼室など、
設計に様々な工夫が凝らされていることを、
改めて説明を受けながら見学させて頂くことが出来た。
平和の鐘は、日常はタイマーがセットされていて、
定時に機械で鳴らされているが、
結婚式やミサのときは手動だそうだ。

鐘には、カトリックの聖油が塗られているということだった。
この油は、病気の人の額につけて、痛みが和らぐようにと
祈るときに使うものなのだそうだが、
この鐘に塗られていることにより、鐘の音が届くとき、
その聖油もまた市内の隅々に届けられ、
痛みに悩む人を癒やし、その力となるようにとの、
祈りが込められているとのことだった。

私が初めてこの聖堂に来たのは高校生のときだったが、
あれから月日が流れて、今、毎朝毎夕、
この鐘の音が聞こえる場所で暮らすようになったとは、
実に不思議な縁だと思った。
そして、信者の方が私たちを見つけて声をかけて下さり、
ご奉仕中にも関わらず親身に案内して下さったのには
本当に頭が下がった。
こちらは信者どころか、完全に行きずりの者に過ぎなかったのに、
実に温かく、丁寧な、心のこもった説明をして下さり、
貴重な時間を私たちのために使って下さった。
心よりお礼を申し上げます。

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東京から来た友人に誘われて、
村野藤吾研究会のシンポジウムを聴きに、
午後からカトリック幟町教会に出かけた。

世界平和記念聖堂のそこかしこに、
村野藤吾の思いが託されていたことを学ばせて貰うと同時に、
この聖堂や平和の鐘が市民の間でよく知られ、
多くの人から、綺麗な教会だと、ごく自然に愛されている現状は、
本当に素晴らしいと改めて感じた。

建築物というのは、傑出した才能との出会いと
幾多の人々の尽力があって完成するわけだが、
一旦、建築が実現したあかつきには、
今度は補修と維持が大きな課題となるのだということも
今回の講演でよくわかった。
そうした努力が無ければ、建築物の寿命は案外と短いものなのだ。
ひとつの建物が、長年変わらずに同じ場所にあるというのは、
実は奇跡のように見事なことなのだと思った。

************

夕方から、その友人と、マツダ・スタジアムに行った。
広島カープ×中日ドラゴンズ。
カープは、先日来の巨人戦で勝てなかったことで、
もうクライマックス・シリーズに行く夢はほぼ途絶えた、
という気分だったが、それでも9月のこの時期になっても、
最後まで目の離せない展開で、今年のカープはエライと思った。

しかし、3点先制されたあと、3ランで3-3に追いついて、
一度は場内のカープファン全員、泣きそうなほど喜んだのに、
それから意味のない盗塁を繰り返し、挙げ句の永川劇場で逆転され
(永川投手の30セーブという記録は球団史上に残るものだと思うが、
逆転2ランだの3ランだのを、大事な一番に限って浴びるのだ)、
最後はどうも変な展開で終わってしまった試合だった。

今夜は『ピースナイター2009』というイベントのある日で
原爆ドームと同じ高さ25メートル付近の客席の人たちが、
予め緑のTシャツを着用してピースラインを描くようになっていて、
5回裏終了後には、平和をテーマにしたジョン・レノンの曲などが流れ、
我々皆で緑色のポスターを掲げて、スタンドを緑色一色にした。
私の頭の中は、清志郎の歌う日本語版『イマジン』が
流れていた(苦笑)。

帰宅したら、主人がカープのテイタラクに怒っていて、
「ほんな、イベントにウツツを抜かしよるから負けるんよ!」
とピースナイターにヤツ当たりをしていた。

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(写真は某ホールのイルミネーション)

朝、ポゴレリチの来日中止の件がカジモト・イープラスのサイトに載り、
今年は本当にさんざんなクリスマス・プレゼントを貰った気分だった。
しかしこれもまた神様のご計画であろう、と思い直して
(↑ポゴレリチ本人はカトリック教徒だし)
午後から、姑がお世話になっている特養T園に行った。

T園でも、きょうはちょうどクリスマス・パーティだった。
車椅子で動けるおじいちゃん・おばあちゃん方が集会室に集まり、
面会の家族も一緒に座って、ケーキを食べて、
職員さんの余興で楽しませて頂き、最後は皆で、
手話つき『赤鼻のトナカイ』を歌った。
うちのおばーちゃんも、リクライニングになった車椅子に寝て、
端っこのほうから参加させて貰った。
きょうは平熱で気分はすっきりしている様子だったが、
痰が多く、途中で咳き込んだりして、ちょっと心配だった。

パーティのあと、おばーちゃんはベッドに戻り、
私も職員さんに挨拶してから、中区に帰るバスに乗った。
それからバスセンターで娘と待ち合わせ、夕食の買い物をした。
今夜は一応クリスマスのメニューらしくということで、
鶏の唐揚げとサラダをつくることに決めて、その材料と、
それからクリスマス・ケーキも買った。

家に帰って鶏をつけ込んだあたりで、主人からメールが入り、
帰宅は8時頃になるとのことで、まだ2時間ほどあると判明したので、
私はそれからまた家を出て、世界平和記念聖堂のクリスマス・ミサに行った。
娘も誘ったが彼女はあまり乗り気でなく、家で留守番すると言った。

グレゴリオ聖歌を聴いて、聖書朗読と司教様のお話を聞いて、
聖歌隊と一緒に「来たれ友よ」を歌った。
クリスマスは買い物する日でもなければケーキを食べる日でもなく、
本当はこうして、主の降誕を祝い讃え、感謝の祈りを捧げる日なのだ。
この教会は近所なので私は日常よく通りかかっているし、
日曜のミサに来たこともあったのだが、
今夜の聖堂内には、普段では考えられないほど大勢の人たちがいた。
「教会のクリスマス・ミサとはどんなものか見てみたい」
という関心だけでやって来た人たちもそれなりにいたようだった。
雰囲気に浸って満足していた私も、勿論、同類だった(苦笑)。

8時前に家に戻って、鶏を揚げていたら主人が予定通り帰宅した。
家族揃って夕食を取ることができ、
特に鶏の和風から揚げは主人にも娘にも大好評で、
静かだが、なかなか良いクリスマス・イブだった。
とてもとても、ありがたいことだった。

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ゾラン・ヤコブチッチというヴァイオリニストが、
エリザベト音楽大学ザビエル・ホールで演奏会をするというので、
夜7時から聴きに行った。

余談だが、エリザベト音大と世界平和記念聖堂と幟中学は、
私にとって、幾度も行っているのに行くたびに道に迷うという、
いわば、魔のトライアングル、広島のバミューダだ。
きょうも聖母幼稚園の脇まで来ながら途方にくれてしまった。
と、そこに、花束を持った男性が通りかかったので、
『おお!!!こいつは客だ!!違いない!!』
と色めき立って尾行したのだが(違)、その人は、
同じエリザベト音大でもセシリア・ホールのほうに行く人で、
私は彼に従ったせいで一旦、違う会場に入ってしまった(--#)。

さて名前からわかる通り、ヤコブチッチはクロアチア出身だ
(クロアチアのクは100メートル先からでも聞き逃さない私(嘘))。
だが東欧出身でも、この人はシンシナティ大学で学んだ後、
ジュリアードでドロシー・ディレイの薫陶を受けたという、
ほとんどアメリカの演奏家に等しい経歴を持っている。
果たして、ステージに現れた彼は、いかにもアメリカ人!
という雰囲気の演奏家だった。

プログラムは、ベートーヴェンのソナタ第5番『春』と、
バッハ『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番』
それにブラームスのソナタ第1番『雨の歌』
ピアノは桐朋出身の米田栄子氏(彼女がまたとても良かった。
室内楽のプロフェッショナル、という味わいの演奏で余裕があり、
ソリストとの呼吸の合わせ方や駆け引きも素晴らしかった)。

ヤコブチッチのヴァイオリンは、艶やかな音色で、
そのうえどこか溌剌とした陽気さがあって、
特にベートーヴェンでそれがよく活かされていたと思う。
バッハはシャコンヌだけでなく全曲版で、まさに入魂の演奏。
この二曲のあと、休憩を挟んでブラームスだったのだが、
この順に並べられると、実に多彩で、
聴き応えのある構成だなと、実際に聴いてみてよくわかった。

そしてアンコールはクライスラー『美しきロスマリン』
小品ながらこれもなかなかに良かった。
昔、十代だった頃のヴァディム・レーピンが、
この曲をあまりにも敏捷に軽々と弾いてしまったことがあって、
私は、その演奏を見事だと思いながらも物足りなかった。
きょうのヤコブチッチはその点、大人のクライスラーだった。
良い意味での勿体つけた演奏で、充分に旋律を歌わせていて、
その味わいがとても私好みで嬉しかった。

素晴らしい演奏内容と意欲的な曲目に比して、
客層のほうは、結構、初心者が多かったようだった。
ベートーヴェンの一楽章が終わったところで拍手が起き、
私は内心、『あちゃ~(^^ゞ』と思ったが、
ヤコブチッチは余裕の微笑でそれをかわして二楽章に移った。
さすがに12歳からプロで弾いている人は違うのだった(^_^;)。

あと、演奏とは関係ないが会場が暑かったのには閉口した。
とくにザビエル・ホールの客席は講堂のように段差のないつくりで、
人と人に挟まれた席にいると、熱気で死にそうだった。
それで私は休憩時に席を立ち(自由席だったので)、
後ろのほうで空いた席を探して移動したのだが、
I列から後ろが一段高くなっていて、
I列の通路沿いは視界が遮られず空気が綺麗で(^_^;)、
このあたりがベストの席だったかと初めて知った。

次回からこの教訓を生かそう。
っていうか、次回があったら今度こそ道に迷わず早く来なければ。

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そもそもはほかの用事で外出したのだが、その途中、
懐かしさから(高校生の頃私はキリスト教に傾倒していたので)、
カトリック幟町教会の世界平和記念聖堂に立ち寄ったら、
偶然、信者のボランティア活動による施設案内が行われていて、
私はふらふらと申し出に乗って、建物を案内して貰うことになった。

布教先の国の特色や習慣を柔軟に取り入れるのは、
もともとカトリックの特徴だとは聞いていたが、
なるほど、この聖堂には随所に日本的な工夫があり、
たとえば門から聖堂までは神社の参道のように道がついているし
聖堂内の窓のかたちには「松竹梅」がデザインされているし、
ランプは仏教的な蓮の花のスタイルになっていたりするのだ、
ということを、私は初めて知った。

また、祭壇正面のキリストは、普通よくある十字架上の主ではなく、
イエスの復活を象徴する図案のモザイクになっているとか、
被爆地広島に世界平和を祈念する聖堂を建設する、ということで、
地元のみならず、世界各国、他宗教からの協力も得て、
この日本でも有数の大聖堂が建てられたのだ、
等々という説明を聞きながら、告悔室や地下聖堂まで案内して頂き、
最後に、写真左側の塔のてっぺんまで、延々と続く螺旋階段を上った。

階段の途中途中には、神父様が祈りのために籠もられる小部屋や
聖堂のパイプオルガンの演奏席に通じる通路があり、
ノートルダムのなんとか男はもちろん居なくて(^_^;)、
四つある巨大な「平和の鐘」は定時に機械で鳴らされることなど
至れり尽くせりの説明を聞きながらひたすら登った。

建設当時、広島市内のどこにいても見えるようにと、
市内で最も高い位置に設置された十字架が、屋上にあった。
そこから市内が一望できた。
三方を山に囲まれ、残る一方は瀬戸内海で、
広島は美しい街だと改めて思った。

期せずして、素晴らしい午後のひとときを過ごすことが出来た。
もし神の御旨に叶うものであれば、私にもいつか、
天国への道が示されるかもしれない。
これだけの機会を提供して下さったボランティアの方に、
心から感謝している。
キリスト教的に言えば、これもまた神の御計らいであるのだろう。
きょう巡り会ったすべての人、すべての出来事に感謝の祈りを。

この筋肉痛では、明日は脚がワラワラで、歩けないかもしれません。
アーメン。

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