毎年、8月6日の朝8時15分には、広島市内は祈りの時間に包まれるが、
我が家では特に、近くの世界平和記念聖堂の「平和の鐘」が、よく聞こえる。
以前も書いたが、ここの鐘楼に設置されている四つの大きな鐘には、
カトリックの聖油が塗られている。
この油は本来、病人や怪我人の額につけて、
その痛みが和らぐようにと祈るときに使われるものなのだが、
この鐘に塗られていることにより、鐘が鳴らされるとき、
その音に乗って聖油もまた市内の隅々にまで届けられる。
それが、痛みに悩む人を癒やし、彼らの力となるように、
……という祈りが込められているのだ。
世界平和記念聖堂は、もともとあった天主堂が原爆で破壊された跡地へ、
戦後すぐ、平和への祈りを込めて計画、建設された(設計は村野藤吾)。
1950(昭和25)年の原爆忌8月6日に着工、
1954(昭和29)年8月6日に竣工、と記録されているので、
当時は、原爆による傷や病に悩む人々が、市内に実際に大勢いたことだろう。
この鐘は、以来ずっと半世紀を越えて、日々、朝夕の定時に鳴らされてきた。
鐘楼の高さは、塔の上の十字架を含めると地上56メートルあり、
教会の方のお話では、終戦後しばらくの頃の広島では、
市内のどこからでも、この十字架を見ることができたということだ。
世界平和記念聖堂は、廃墟となった広島の復興を、
変わらずに見つめ続け、市民とともに過ごして来た建物なのだ。
今朝、この聖堂の鐘は8時15分になると鳴り始めた。
毎日聞こえている普段の鐘と違い、長く、独特の響きだった。
8月6日には、原爆犠牲者を悼むミサが、この時間に合わせて行われるのだ。
私は高校生の頃から、世界平和記念聖堂にはなぜだか縁があり、
信者でもないのに、この教会で随分と様々な時間を過ごしてきて、
今やとうとう、「平和の鐘」の音が直接聞こえる場所で生活するようになった。
思えば、67年前に、ここから1キロ半ほど南の地点で被爆した父は、
翌8月7日に、この近くをひとりで歩いて通過し、山のむこうの村まで帰った。
その途上で見たものについて、父は未だに、多くを語ってはいない。
私は決して積極的に望んだわけではないのに、他県から広島に戻ってきて、
この地に家を持つことになったのは、何かに呼ばれたからなのかな、
という説明のつかない気持ちに、今朝もなった。
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