転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



某・介護付有料老人ホームから生活相談員の方が二人来られて、
両親宅で朝から面談があった。
父母それぞれに対し、生活歴・病歴、食事や薬の禁忌事項の有無、
人付き合いや趣味について、施設生活で期待すること心配なこと、
等々の聴き取りがあった。
父は、10分前の話でもすぐ忘れて3回でも4回でも同じことを訊くので、
さすがに90歳近くなると頭が壊れるものだなと、私は常々思っているのだが、
一方で、「話し方」そのものは別におかしくはなく、
訊かれたことに、概ね過不足無く答えていた。
基準となる年月日については事実誤認が結構あり、
現役で働いていた頃のことと現在のこととが、
しばしば混ざり合ったものが返答になっていたりもしたが、
支離滅裂というほどでもなかった。

母のほうは、発話量が多く滑らかに話す割には大半が要らない情報で、
訊かれたことにきちんと答えられていなかった。
例えば、「奥さんから見られて御主人はどういう性格の方ですか」
という問いに対して、「真面目」「頑固」などと答えれば済むところを、
「若い頃から忙しい毎日を送っていて、仕事は何々と何々をしてきて、
私は神戸から嫁いできたものだから様子がわからず、それはそれは苦労をして、
それを今は、一人娘がほとんど肩代わりしてやってくれるようになり、
私は本当に娘には申し訳ないと日々、思っており、
娘が体を壊すのではないかと私は心配しているのだが、
ありがたいことに、これまでのところ、なんとか続いていて云々」
と、母の話は長く長く続き、二度と父の性格の話題に戻ることはなかった。

面談の主な目的は、内容もさることながら、
本人たちの話す様子や、耳の遠さの程度、
及び「過去・現在に関する本人達の認識」を確認することだったので、
私は、話がおかしくてもいちいち訂正はせず、両親から求められたときだけ、
「(母がヘルニアで寝込んだのは)2013年の1月」
「(母の目に関する眼科主治医の)診断は加齢黄斑変性」
「(父が)右足を骨折したのは、1996年夏に崖の草を刈っていて転落したから」
などと、最低限の訂正や補足をした。
相談員さんたちは帰り際、私からも聴き取りをしたいと言われたので、
夕方、改めて私の自宅に電話をして貰い、
私の覚えていることや知っていることについては、そこで話をした。

今後、施設のほうでは、父母それぞれの主治医が書いて下さった紹介状と、
きょうの聴き取りの内容とをまとめて、次回の検討会議に出し、
追加の確認が必要になった場合や、入居に関する進展があったときに、
また私あてに連絡をする、とのことだった。
私の見るところ、二人は家庭での生活が不可能ではないにしても、
そろそろ限界なので、最低限の協調性や柔軟性が残っている今のうちに、
身を寄せる施設を確保しておくべきだと思われる。
父は、自覚としては「何も不自由はない」つもりらしいが、
ろくに入浴できていないし入れ歯の管理も悪いし、
いろいろと粗相も増えてきたので、このままでは、
また、いつ「尿路感染症」で救急搬送されるかわからないし、
母は母で、朝起きたときから体が動きにくく、常に介助を欲しがり、
「一日いてくれる付き添いさんを雇いたい」
などと言うようになっているので、
こうなると、職員さんが24時間いて下さる施設生活のほうが、
両親どちらにとっても結局は安心だと思う。

とりあえず、こちらでできることは現段階としてはここまでだ。
あとは、施設からの次の連絡を待つのみ。

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