転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



本日は、4月29日から始まった9日間に渡るお休みの最終日だった。
先月の終わりからこのかた、夢のような毎日だった。素晴らしかった。
私は家での自由な時間を、味わい尽くしたと思う。
私は長い間、ずっと、こういうふうにして過ごしたかったのだ。
我が望み叶う9日間であった(笑)。
しかし同時に、さすがに休み足りた(^_^;、とも思うようになった。
これ以上休んだら、仕事に戻る気力体力がなくなりそうだ。

ともあれきょうは最後の自由な一日だと思い、
午前中はまず、キッチンの収納棚を整理した。
いつかみたいに、また何かが爆発したら困るので、
乾物や缶詰、レトルト食品など、保存食の賞味期限を調べて、
切れ過ぎている(^_^;ものは処分した。
中身の食品は、水切りをしたり油の処理パックに入れて生ゴミとし、
缶やボトル、パッケージなど容器のほうは、
洗って資源ゴミ・不燃ゴミとしてまとめたりして、結構手数がかかった。
こういうことだから、忙しい日常では、
なかなか取りかかることが出来なかったのだ。

それから、布団を出して昼寝をした(笑)。
陽の高い時間に気持ちよく寝られるなどという境遇は、
明日からはそうそうあるものではないからだ。極楽だった♪
秋祭りが始まるのに準備がまだ完全には終わっていない、
……という、現実と僅かにリンクしたような夢を見て目覚めたら、
夕方5時になるところだった。…結構寝てしまった(^_^;。

起きて、ネットのニュースを見たら、なんと
西川貴教が体調不良、と出ていた。
西川貴教が体調不良 7日「イエノミ!!」放送休止(日刊スポーツ)
『T.M.Revolutionこと歌手西川貴教(44)が体調不良のため自身がメーンパーソナリティを務めるインターネット生放送番組の7日放送が休止されることがわかった。』『休止となるのはニコニコ生放送で2011年7月より隔週放送されている「西川貴教のイエノミ!!」。番組公式サイトでは7日、同日放送分について「西川貴教の体調不良により、放送を休止させていただくこととなりました」と発表した。』『西川は現在、全国ツアーを開催中で、5日には鹿児島・宝山ホール(鹿児島県文化センター)でのライブを行ったばかり。9日の岡山公演をはじめ以降も各地での公演を控えている。』『さらにテレビ出演なども予定されているが、公式サイトでは「5月8日放送の日本テレビ『スッキリ!!』出演及び、5月9日以降のライブ公演に関しましては、医師の指導のもと、行う予定です」としている。』

西川氏は働き過ぎだ。
Twitterでご本人の書き込みを見ていても、
4月下旬からこのかた、ツアーから東京に戻ってジムへ行って、
帰宅してまた数時間で次の公演地へ行く、などという生活をしていて、
しかも、この連休中の九州公演の最中には1日だけタイでの仕事があり、
「人生最短海外旅行」を決行したりしていたのだ。
昨日の鹿児島公演では西川氏は声の調子が悪く、アンコールも無かった、
と、ライブに行った人が書き込んでいたので、
風邪から声帯炎になっているのではないだろうか。
あるいは、喉頭蓋炎などの心配は無いだろうか?
まずは最善の治療を受けて頂きたいものだ。

……実は私、10日の広島公演のチケットを買ってあるのだが(^_^;。
聴きたいのは当然だが、無茶なライブはして貰いたくない。
『医師の指導のもと』と言っても、やるときは全力のライブになるだろう。
半端にセーブした西川氏、というのは想像できない。
しかしやはり、声は大切だ。
最終的には、何もかも、西川氏ご本人の決定の通りで良いと思っているが、
とにかく、できるだけ、無理はされませんように……。



というわけで、私が日記を毎日書けるほど家での時間があった日々も、
本日をもって終了!



追記(5月8日10:30):今朝の『スッキリ!』に9時半から西川氏が生出演、
とTwitterに出ていたので、観た(こういうときはテレビが家にあって有り難いと、
素直に思うワタクシである)。
やはり声が枯れ気味だったが、テレビ初披露の新曲をちゃんと歌った。
破綻のない歌だった。西川氏のプロ根性には恐れ入った。
西川氏の筋肉がスバラしくて(笑)、胸の谷間がハッキリと見え、
トークではご本人は『女性化している』とご謙遜(爆)だったが、
『雄(お)っぱい!』とTwitterで騒がれていた。

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本日は連休最終日、……と世の中では思われているだろうが、
私は明日もう一日お休みが残っている。すみません(^_^;。
会社は始まるのだが、パートの私の仕事がたまたま入っていないのだ。
実に有り難い偶然だ。

きょうは、カバーリングソファーのカバー6枚を洗濯し、
主人と私のそれぞれのシーツを洗って取り替え、
主人の部屋にイ草のラグを敷いて夏仕様に模様替えし、
来週、クリーニングに出すために冬物とコタツ布団をまとめた。
うちがお世話になっているクリーニング屋さんは、
今月一度だけ、通常の半額で冬物を出せる日を設定しているので、
それに間に合わせて出すために、私はこの連休を
衣類の総入れ替え作業に充てたいと、前々から思っていたのだ。
なんとか目処がついて、良かった。

それから、拙サイトのポゴ氏来日関連資料をアップデートし、
CDボックスについていた解説の日本語訳をこのブログにUPした。
できれば来日公演感想文もなんとかしたいと思っていたのだが、
休みが明日だけとなっては、さすがに無理か(^_^;。
あともう数日間、私の自由になる休日が連続していたなら、
きっと果たせたと思うのだが……。

TOEIC関連は、前にもやった『新TOEIC TEST900点特急パート5&6』と
『新TOEIC TESTパート5特急400問ドリル』をここ数日で再度、
一通りやったが、残念ながらあまり前進した感じはしなかった(汗)。
対策本はいずれも素晴らしい内容なのだが、
私の頭の能力のほうに問題があり……。
『新TOEIC TEST出る単特急 金のフレーズ』も、
隙間時間に見るようにしているのだが、もう幾度目かというのに、
最初の600点レベルの語から既に、すぐ出てこないものが結構あった。
私は実のところ、普段の生活においては全然英語が必要でないので、
やってもやってもザルのように頭から知識が抜け落ちてしまうのだ。
しかし、今年前半はTOEICをなんとかする、という目標を掲げたので、
引き続き、できる範囲で努力はしたいと思っている。

娯楽の読書は、青木るえか『定年がやってくる』(ちくま新書)と
五嶋節『「天才」の育て方』(講談社現代新書)を昨日今日で読んだ。
どちらもエッセイで、忍耐の要る読書ではなく、
とりつき易さと内容の面白さとで、気軽に読めた。
時間を気にしてたびたび時計を見たりする必要などなく、
気の済むまで、のんびりと本を読み続けていられるのも
こうした連休ならではで、かなり開放感があった。
布施雅男『蘭花物語―頼山陽と妻梨影』(鳥影社)も読んでいるのだが、
こちらは字が小さめで、いささか目が辛く時間がかかっている。
明日じゅうには読み終えなくては、……と一旦は思ったが、
別に宿題ではないのだし、何も明日を期限にする理由はなかった。
私は、何を焦っているのだろう(^_^;。

それにしても、こうやって連休で家にいると、私はつくづく、
自分は「ひとりで」「家で」過ごすのが合っている、と思った。
私の頭の中には、やりたいこと・やるべきことが並んでいて、
邪魔さえされなければ(そして体調に問題がなければ)、
それらを自分の計画に従って次々と片付けて行くことができる。
素晴らしい手応えと快感ではないか!
……しかしこれも、日頃は「チームで」「外で」働いている、
という面があってこその、反動としての感激なのかもしれない。
結局、ないものねだりをしているということだろうかな。

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翻訳ではなく「日本語になおしなさい」レベルですが、とりあえず載せます(汗)。
英語力が及ばないことに加えて、書き手の芸術的な興味の方向に同意できず、
何が言いたいのか読み取れない箇所が多々ありました。申し訳ありません。
ピアノ批評の分野で有名な批評家による文章ですので、
私の語学力と感性とが駄目過ぎることは明白です(泣)。
もっと良い訳が、どこかほかから出てくれることを願っています(殴)。

**************

2006年にドイツグラモフォンから二枚組CD「The Genius of Pogorelich」が発売されたとき、ついていたのはよくあるブックレットではなく、ある美しい青年のポスターだった。そこには、濃い眉に茶色の髪、ジーンズとトレーナーを身につけ、瞳にかすかに憂いをたたえて無造作に腰掛けた若者の姿が写っていた。これが、若き日のイーヴォ・ポゴレリチの肖像であることを知らない者が見たら、どこかのバンドのメンバーかと思ったかもしれない。同様に、今回のボックスのケース写真からも、現象としてのポゴレリチ、という面が更によく伝わってくるのではないだろうか。1980年、彼はその非凡な演奏で大きな物議を醸して音楽界の一角を占拠したが、それだけでなく、その魅力ある容姿ゆえに、従来のクラシック音楽ファンよりもずっと幅広い層の支持を集めた。彼を、クラシック音楽という天空に現れた新星として歓迎した者もあった一方で、あっという間に燃え尽きる流れ星に過ぎないのではないかと懐疑的だった者たちもいた。しかしポゴレリチは、――1958年10月20日ベオグラード生まれだから今年で56歳になるわけだが、今もなお、かわることなく論議の的となっている。そしてなおかつ、彼の録音の多くは現在「ベンチマーク」的解釈としてのステイタスを欲しいままにしている。かつての若き反逆者は今や一目置かれる存在となり、いつのまにかひとつのプロセスとしての地位を確立したようである。

1980年夏まではポゴレリチの経歴はさして華々しいものではなかった。父親はクロアチア人のコントラバス奏者で、ポゴレリチは7歳でピアノを習い始めた。その5年後に給費生としてモスクワへの留学が認められ、16歳で中央音楽学校からチャイコフスキー音楽院へと進み、この間、エフゲーニ・ティマーキン、ヴェラ・ゴルノスタエヴァ、エフゲーニ・マリーニンらに師事した。しかしポゴレリチが、彼に決定的な新しい指針を与えることになるピアニストと出会ったのは、1977年になってからである。彼女は以後ほぼ二十年に渡り、彼の音楽家生活に多大な影響を及ぼした。彼女こそアリス・ケジュラッゼ(1937-96)である。ケジュラッゼ自身の師事したピアニストは、リストの高弟アレクサンドル・ジロティの直弟子であった。ポゴレリチとケジュラッゼはモスクワのとあるパーティで出会ったという。マティアス・ネーターが2014年1月にベルリン・モルゲンポストで行ったインタビューによると、ポゴレリチは以下のように述懐している。
「彼女がやってきたとき、私はほんの少しピアノを弾いていただけだったのに、彼女は私に、手の位置を変えたほうが良いと言いました。私は言葉もないほど驚いて彼女を見つめました。」
ネーターによると、ポゴレリチはそのとき、この女性からなら、自分がモスクワの著名な教師たちからこの六年間学べずにいたものをきっと学び取れる、とすぐに感じたという。
「私が自分の手のポジションを変えようと思ったのは四回目のことでした。数ヶ月後に初めて、彼女と私は並んで座り、ベートーヴェンのソナタから勉強を開始しました。四小節をやっと終えるのに、三時間かかりましたよ。」

21歳年上のアリス・ケジュラッゼは、弟子となったこの青年と1980年に結婚し、彼を成功へと導いた。彼は1978年に既に、イタリアの都市テルニで行われたアレッサンドロ・カサグランデ・コンクールで優勝し、その二年後、モントリオール国際音楽コンクールをも制したが、彼を本当に国際的に有名にしたのは、落選したコンクールのほうだった。それは、1980年にワルシャワで開催された、ショパン国際ピアノコンクールだった。批評家から「エキセントリック」として否定された特異なショパン解釈ゆえに、ポゴレリチは本選に残ることさえできず、協奏曲を演奏する場を得られなかった。自身もピアノ界での偶像的存在であるマルタ・アルゲリッチはこれに対し、「彼は天才よ!」の言葉を残して審査員を辞任した。間違いなく、この出来事のお蔭でポゴレリチは、コンクールで普通に優勝するより遙かに広く、その名を知られることになったのだ。誰もが「音楽の革命」を聴きたがり、ポゴレリチはそれから世界中に招聘されて協奏曲やリサイタルの演奏を行った。更に、ドイツ・グラモフォンが、伝統的には、ポリーニ、アルゲリッチ、ツィメルマンなど歴代のショパンコンクール優勝者と契約してきたにも関わらず、これを機に、コンクールで落選したために最も有名なピアニストとなった、この若い男に賭けることを決断した。

当然のことながら、ドイツ・グラモフォンはこの新星をオール・ショパン・プログラムで世に送り出した。たった二日間のレコーディング期間で、ポゴレリチは、前奏曲、夜想曲、3つの練習曲、スケルツォ作品39、そしてリサイタル最大眼目としてショパンのソナタ変ロ短調作品35を録音した。収録はミュンヘン・レジデンツのヘルクレスザールで、1981年2月7日と8日に行われた。この録音に対して批評家たちの陣営は真っ二つに分かれた。ポゴレリチの、変ロ短調ソナタの解釈は彼の個性的なショパン奏法の好例であろう。第一楽章は驚くべき独自の演奏方法に成功している。第一主題と第二主題のコントラストをポゴレリチほど力強く描き出したピアニストはおそらく他にいまい。彼はアジタートの箇所で途方も無い技巧の高さを披露している。右手の八分音符は休符で区切られているが、ポゴレリチはほかのいかなる弾き手よりもこれを短く演奏する。ポゴレリチの登場以前には、誰も、この主題がかくも悩ましく、息つく暇もないほど表情豊かな方法で演奏されるのを聴いたことがなかった。そして、ポゴレリチがそのようにとてつもない技巧を見せつけるのは第一楽章にとどまらず、第二楽章スケルツォでのオクターブや和音にも彼の目覚ましいテクニックのエッセンスを聴くことができる。終楽章プレストの無窮動においては、ポゴレリチは旋律線の展開を追求し、三連符オクターブを処理するスピードの点で妥協することなく、どこに照準を合わせるかを示してみせる。ポゴレリチのショパンはその究極のテクニックと崇高な響きと、そして何より演奏者の壮大なまでの音楽的想像力において、他の追随を許さない。彼は原典版の微細な部分への関心に捕らわれることなく、結果としてこのソナタの反復指定をすべて意図的に回避したけでなく、ショパンによる強弱表示を見事なほど黙殺している。

ポゴレリチのディスコグラフィーにおいては、ショパンが中心的な役割を果たしており、彼の三枚目のアルバムは1983年、クラウディオ・アバド率いるシカゴ交響楽団との共演で録音され、このショパン・ピアノ協奏曲第2番においてポゴレリチは、極端に幅広いルバートを駆使した演奏で再び聴き手の注目を集めることになった。ドイツグラモフォンでの彼の最後の録音となっているCDは、ショパンの四つのスケルツォへの彼の解釈に、不朽の名声を与えるものとなっている。フォノ・フォーラムに寄稿しているミカエル・ステンゲルによれば、この四つのスケルツォは「演奏者の手と詩情とが理想的な組み合わせとなって、同時代のいかなる演奏家をも凌駕し、文字通り聴く者の心を奮い立たせる解釈」を構成しているということだ。しかしポゴレリチの最も有名な録音は1989年のショパンの作品28『24の前奏曲』で、この曲からポゴレリチほど多彩な切り口と色合いを引き出すことのできたピアニストはおそらく他にはあり得ないだろうと思われる。ポゴレリチにこのようなことが可能であるのは、枠に捕らわれないテンポ設定と、アーティキュレーションの細かな部分において驚くべき自由さを確立する、高度に個性的なアプローチによってである。

ポゴレリチのドイツグラモフォンへの録音は数多いものではないかもしれないが、それらは確実に様式的な幅広さを持ち、バッハやスカルラッティからモーツァルト、ハイドンへ、そしてベートーベンからシューマン、リスト、チャイコフスキー、スクリャービンへと広がりを見せている。いずれも81年から95年までの間の録音であるが、どのディスクも未だに熱い議論の対象となり得るものばかりだ。聴き手を興奮させない録音はひとつとして無い。そして、世の中に無数にある没個性的で名も無い音楽を尻目に、彼のディスクは一枚残らず際立っている。無論、これはポゴレリチのピアニズムが群を抜いたものであるがゆえである。ピアニシモは夏のそよ風のように優しく、他方フォルティシモは威力と音量を誇っている。ディナーミクやアーティキュレーションという観点でのポゴレリチの、いくつもの名状しがたい独自性を考えると、鋭利なスタッカートから見事に深く描かれるポルタート、歌うレガートを持つ彼の演奏は、レコーディングの限界を知らぬように思われる。

こうした資質はすべて、バッハやスカルラッティの音楽の、見事に計算された録音において極めて効果的に現れている。彼のスカルラッティは――あるときは明るく陽気で、またあるときは憂鬱に病み衰えた顔を見せるのだが――いかなる点においても、ホロヴィッツの有名な解釈と並ぶ価値を持っている。ちなみに付け加えるなら、ポゴレリチの見解では、ホロヴィッツは学ぶべきもののある数少ないピアニストのひとりだということだ。また、ポゴレリチのバッハの批評において、評論家のクラウス・ベネルトは以下のように的確に言い当てている。
「高度に様式化された踊りと、表現力に富む動きと、感情とを兼ね備えたバッハの組曲の世界は、明らかにポゴレリチに適している。ポゴレリチの本領といえる箇所においてだけでなく、ピアノと解釈上の能力の、まさに頂点においても。」

心地よく鳴り響き、ときに強く心酔わせてくれる、ポゴレリチのラヴェルの録音もまた同様に繰り返し聴くに値する。プロコフィエフのソナタ6番でも、このピアニストは真骨頂を発揮している。ポゴレリチは、1940年2月に完成されたこの作品の中にある強烈なコントラストを決して軽視せず、なおかつ、野蛮な響きをあとかたもなく断ち切っている。作品中、最も曰く言い難い部分の響きを描き出す彼の能力は、ブラームスにおける詩的かつ歌の流れるような解釈にも見られる通り、圧倒的である。

ムソルグスキーの『展覧会の絵』では、ポゴレリチが、信じられないほどのゆっくりとしたテンポを採り、楽譜を無数の色合いで音にしながら限りなく自由な演奏をしていることがわかる。そして、リストのロ短調ソナタという偉大な作品からは、このクロアチアの巨人の手にかかると内心の惑いなどほとんど聞こえてきたことがない。遅いパッセージと速いパッセージの両方でポゴレリチの採用している極端なテンポでさえも、このピアニスト特有の印象を生み出している。

著書『Great Pianists of Our Time(1982年版)』でヨアヒム・カイザーは、イーヴォ・ポゴレリチについて次のように書いている。
「重要なのは、彼に何ができるか、ではない。これはほんの始まりに過ぎないのだから。大切なことは、彼がアイディアをいくつ思いつくか、音楽と自分自身に対してどれほどのことを要求するか、なのだ。つまり、我々は本気で彼に注目しなくてはならない。彼は尋常でない魅力を発散する、途方も無い才能を持ったピアニストである。要するにポゴレリチは、面白くてたまらない存在、ということだ。」
ここに集められた録音に照らして考えてみれば、このカイザーの言葉に付け足すことは何もない。


グレゴール・ウィルムス
(英訳:スチュワート・スペンサー、仏訳:ダニエル・フェスケ)

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頼山陽史跡資料館が今月から広島県の直営になり、
県立歴史博物館の分館という扱いになった。
そのリニューアルオープンがつい先日の5月1日で、
きょうは午後から、学芸員の方による展示解説会があったので行ってみたら、
これまでと較べて、展示室の構成や展示のコンセプトが若干新しくなっており、
展示室1が「頼山陽のふるさと「広島」と頼家の暮らし」、
展示室2が常設展「頼山陽の生涯」とスポット展「頼春風」、
となっていることがわかった。
展示室2は7月5日までこの構成で、7・8月は特別展に変わるそうだ。
ちなみに入場券のデザインもリニューアルされ、耶馬溪図がお目見えしていた。

私の頼山陽趣味も結構これで長くなってきたので、
概論的な解説のほとんどは既に知っている話題だったが、
やはり専門の学芸員の方から要点をまとめて聞かせて頂くのは
大変わかりやすくて勉強になったし、いくつかの新しい発見もあった。
私が最も心躍る思いになったのは、頼家の間取りや屋根の図面から、
当時の頼家各室の復元が可能であると思われる、
という話を聞いたときだった。
春水(山陽の父)の書斎・嶺松盧やその庭、家祭が営まれた詞堂などを
空間として感じることができたら、どんなに素晴らしいだろう、
と、私の夢が広がった。
完全再現が無理なら、ドールハウス的な小さい模型でも良いから、
頼家の三次元復元を見てみたいものだ。

スポット展で取り上げられている頼春風は山陽の叔父で、
山陽の父・春水のすぐ下の弟にあたる人だが、
私は竹原の春風館も見に行ったりしたので、
(会ったこともないのに・爆)結構この方とはお馴染みという気分だった(笑)。
私にとって春風の書は、山陽や、ましてや聿庵(山陽長男)のように
強烈な魅力を放つものには見えなかったが、きょう改めて眺めて、
そのまろやかで懐の深い、温かい書体に感じ入った。
とりわけ、春水・春風・杏坪の三兄弟による合筆には驚嘆した。
頼家の人々が能書家揃いなのは以前から知っていたが、それにしても、
青少年時代の三兄弟の書は、あまりにも、あまりにも見事だった。
やはり、栴檀は双葉より芳し、蛇は寸にしてその気を表す(汗)。

五年前、漢詩の会頼山陽の詩を続けて読んだのがきっかけで、
以来、私はこうして、ずっと頼一族に関心を持ち続けているのだが、
最近ではもう、誰かの名前が出るだけで、
その人の生涯やいくつかの逸話がすぐ思い浮かぶようになり、
ろくに顔も知らないのに、何か親戚みたいな(汗)感覚になって来た。
これからも見逃せない、頼山陽史跡資料館、……と思った(笑)。

***************

きょうはそのほか、家では、日頃はできないプリンターの手入れをした。
ノズルのチェックをすると、イエローとライトマゼンタが擦れていたので、
幾度かクリーニングとテストを繰り返し、やっと調子が良くなった。
そのあと、夕方から主人と一緒にソフ○ップ広島に出向き、
以前使っていたパソコン3台を持ち込んで、処理と引き取りを依頼した。
既に、電話で問い合わせて説明を受けていた通り、
ハードディスクの破壊+本体のゼロ円買取(1台あたり約1500円)、
というかたちでスムーズに処分して貰うことができた。
長い間、懸案になっていたことだったので、解決できて良かった。

出てきたついでに回転寿司で食事を済ませ、これで夕食も終わったので
私にとっては本日は、何もかも順調で素晴らしい休日だった。
ああ、本当に休みの日はものごとが捗(はかど)る(感涙)!
天気も良く、カープも快勝して、市街地は夕暮れになっても活気があり、
私たちが入った回転寿司のお店でも「カープ四貫盛り」なるセットが
景気よく次々とオーダーされていた。

【広島】マエケン画伯「こいのぼり」に新井がツッコミ「サメにしか見えない」(スポーツ報知)
『◆広島13-1巨人(5日・マツダスタジアム)
広島の前田健太投手(27)が7回4安打無失点の好投で3勝目(2敗)を挙げた。お立ち台では、恒例となったイラスト入りTシャツを着て登場。こどもの日にちなんで「こいのぼり」を書いたが、先制打を放った新井貴浩内野手(38)から「サメに見える」とツッコミを受けた。』

↑私は、イルカかと思いましたね(逃)。

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今年はカープがさっぱり勝てないので、主人は朝から機嫌が悪かった。
今季の面子で、皆の期待を集めた挙げ句に最下位になるなら、
市内に暴動が起きるだろう、という話だった(マジすか・汗)。
しかしまあ、どこの球団ファンだって贔屓チームに対しては悲観的になるものだ。
転妻「○○(←他球団)ファンの某さんが、もう○○は焼け野原だって言ってたよ」
転夫「ふん!甘いわ!○○が焼け野原なら、カープは砂漠じゃ」
転妻「最初から焼けるものもないってか(^_^;」
転夫「じゃないわ、カープは月よ、月のクレーターじゃろ!」
転妻「穴が空いてるうえに、地球環境じゃないという」
転夫「あ、違った、冥王星冥王星!」
転妻「太陽系の果てで、既に惑星とさえ見なされなくなった……(^_^;」

昼過ぎには、娘の振袖写真を届けに、私だけ実家に行った。
孫娘の成人記念だなんて、四捨五入したら90に手が届くジジババには
もうもう嬉しいばかりで、いたく感動していた。
父は主治医から糖尿病の悪化を指摘されて以来、少し反省したそうで、
きょうはお菓子類は食べず、オヤツにリンゴを自分でむいて食べていた。
果糖も摂り過ぎは良くないから半個にしなよ、と言おうかと思ったが、
急にあれもこれも駄目では長続きしないか、と考え直してやめた。
母は座骨神経痛は痛いが、「乳腺症」はなおったので、機嫌良くしていた。

夕方遅くに帰宅しすぐに食事の支度を始めたが、
主人は、カープが先制されたとき早々とテレビを消していたので、
試合経過を知らないまま、晩ご飯が終わってやおらテレビをつけてみたら、
なんと8時半を待たずに、カープが勝って終了していた。
おお、良かったじゃないか、大瀬良の今季初勝利だ(^^)。
それにしても、映っているスコアによるとサヨナラ勝ちだったようなのに、
なぜか画面では、六回裏でタイムリーヒットを放ったという梵が、
インタビューをされていた。
なんだこれ??サヨナラの場面はどーなった???
…と思ったら、しばらくして実に変わった勝ち方だったことがわかった。
広島“インフィールドフライ”でサヨナラ(デイリースポーツ)
カープ中継は放送時間が余ったらしく、それから延々と試合をおさらいし、
挙げ句に新庄高校出身の田口投手の投球内容まで振り返っていた。
広島の者には違いないが、そりゃ相手(巨人)の先発ピッチャーだ(^_^;。

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グラモフォンから出たポゴレリチの全集CDボックスに、
長々とした(殴)解説が英語・ドイツ語・フランス語でついていたので、
連休で時間があるし、ひとつ訳して拙サイトにUPするかと取りかかり、
きょう半日で大半はできたのだが、
集中してキーボードを打っていたら手首が疲れた。
英語を読んで手が痛くなるなんて話を、私の若い頃に聞いたなら、
まさに、風が吹けば桶屋が儲かる的な意味のわからなさだっただろう。

原文がドイツ語で、私が参照したのは主に英訳版だったが、
事実関係を記した箇所が平易に感じられたのに比べて、
芸術論や解釈の話題の部分は、かなり読みにくかった。
第一には私の英語力が足りていないことが理由ではあるのだが、
それにしても、抽象的な話を主観をもとに語られた外国語は
本当に意味不明だと思った。
ポゴレリチの演奏を聴く者としての私自身は、
この書き手が力説している箇所には
実のところ、ほとんど関心がないように思われた(汗)。
CDの解説だから、主旨としては一貫して褒めているわけなのだが、
私にはピンと来ないところが大変多かったのだ。
というか、私はなぜか以前から、ポゴレリチをケナしている文章のほうが
言っている意味がよくわかるんだよね、褒めている文章よりもずっと(逃)。

そもそも、ポゴレリチの演奏や解釈が、
benchmarkとして価値があるとは、これ如何に!?
それに、sicklied over with melancholy、
ってどないな言葉使いか、シェイクスピアかっっ(--#)。
私は昔から、英米文学は本当に嫌いなんだっ(殴)。

フランス語訳を参照すると、また違った言い回しで書かれているので、
ドイツ語原文→英訳→和訳、という作業を経るとなると、
最終的に、かなり原文から離れてしまいそうだなと思ったり……。

そのような中でも最終段落で引用されていた、
ヨアヒム・カイザーの言葉だけは、観念的な話題でも格段にわかりやすく、
やはりさすがにドイツ批評界の帝王の文章は大したものだと感心した。


ともあれ、訳文を書き出していないのは、残り2段落ほど。

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続いて午後3時半開演の第二部は、
『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』から。
時蔵の至芸を堪能できる舞台だった。
安倍保名(松也)の妻の葛の葉(=実は白狐)と
本物の葛の葉姫を時蔵がひとり二役・早替りで演じるところと、
保名との別れを覚悟して、障子に歌を書き残す場面での曲書き
(筆を口にくわえて書いたり、裏文字で書いたり等々)の場面とが、
いずれもケレン味たっぷりで、見応えがあった。

葛の葉姫は赤姫のこしらえで、本当に瑞々しい御姫様なのだが、
白狐の葛の葉は保名の妻として子も成していて、女ざかりの美しさ。
それをあっという間に演じ分けるのが見事だった。
信田庄司(松太郎)の訪いに葛の葉として応える場面など、
顔だけしか見せない芝居だったのに、葛の葉姫とは全く雰囲気が違った。
そして、ここでも私は松也のある種の「マザコン」役者ぶりに
打たれることになるのだった(汗)。
狐の葛の葉が歌を残して森へ帰ってしまったあと、真相を知った保名が、
『狐を妻に持ったからといって、ちっとも恥ずかしくなどない』
という意味のことを言って、あとを追うのだが、
あのときの松也の声には、私はドキリとした。
男性として妻を追い求める言葉というより、
どこか、母を恋い慕うような声音に聞こえたからだ。
私はマザコン芸が根底にある役者に、昔からことのほか弱いのだ(汗)。
参ったな(爆)。

さて、第二部後半、最後の演目が『御所五郎蔵』。
五郎蔵(菊之助)と土右衛門(松緑)が正面から対決する、
私にとって今回の最大眼目とも言える演しものだ。
菊之助が純然たる立役というか、いわゆる男伊達で出るのは、
もしかしたらほとんど初めてではなかっただろうか?
冴え冴えと響き渡る声音、すっきりと粋な立ち姿、
未来の八代目菊五郎が垣間見えた五郎蔵だった。
そこに松緑の覇気に満ちた星影土右衛門が相対すると、
両花道の効果も相まって、まさに火花の散るような見事さだった。
これだ、これを観に来たんだっっ(感涙)!
更に亀三郎の甲屋与五郎が加わると、もう美声の三乗!!

傾城皐月は梅枝、傾城逢州が右近
こんなに美しくて匂い立つような若い女形が二人もいるなんて、
菊五郎劇団はなんと充実しているのだろう、と嬉しかった。
『伊勢音頭恋寝刃』の油屋の場面と同様、遊女たちは座った場面が多く、
動きがなくとも、男達の台詞の展開に従って内面の芝居が進行するのだが
ここでの皐月・逢州も、それぞれの思いが観る者によく伝わった。
一方、この芝居の男達は、福岡貢のように耐える人は居なくて、
誰も彼も最初から煮え切っている(笑)ような人間ばかりなのだが、
結末はというと、これまた私の感覚では若干相容れない悲劇、
…というか、何よりわからないのは、土右衛門が妖術使い…??
土右衛門が、いいところで姿を消してしまい、
最後にまた出てきて五郎蔵と正対する、という展開が、
何度観てもよくわからないワタクシなのだった(爆)。

と、それはともかく、第二部は私は二階桟敷席から観ることができたので、
第一幕など花道の松緑が目の前にいて、臨場感が素晴らしかった。
五郎蔵と土右衛門が盃のかわりに白扇を投げ合う場面では、
ふたりの手元から白粉がぱっと巻き上がるのまで見え、
それはもう、素晴らしい迫力だった。
明かり窓の開閉が照明のように機能する様もよく観察できた。
なお二階桟敷席の観客は、もしセットなどの陰になって舞台が見えにくければ、
一階最後部に設けられている「青田組」という腰掛け席へ、
移動することも可能である由、案内の方々が言われていた。
「青田組」というのは販売されずに常に空けてある場所なのだそうで、
江戸時代には世話役や検閲の人が、ここから観ていたということだった。

**********

その他、
・小屋は涼しく、明かり窓が全開になっていると、結構、風が通った。
 外気温によっては、足下など冷えを感じるかもしれない環境だった。
・トイレは外にしかなく休憩時は混雑する(が、観客の年齢層が高いせいか、
 宝塚大劇場・東京宝塚劇場のトイレほどには客の出足は早くない。
 宝塚で慣らした人なら、少し急ぐだけで楽勝)。
・二階への階段はかなり急勾配なので、脚に不安のある場合は、
 時間の余裕を見て上り下りは慎重にしたほうが良い。
・車椅子で観劇できるスペースも、一階平場後方に少しあった。
・席はマスごとに指定されているだけで、その中でどこに座るかは
 早い者順だった。そのため、開場前から並ぶ人も多数。
・敷地内露店で、お弁当やお菓子、飲み物、アイスクリーム、
 等々を買うことができたが、お弁当は第二部前半で売り切れていた。
 トンボ玉などのお土産品もあった。自販機、コインロッカーの設置もあった。

以上、十数年ぶり二度目の金丸座での、覚え書き。

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こんぴら歌舞伎での芝居の感想を書いておきたいと思っていたのに、
あれから、果たせないまま忙しく毎日が過ぎてしまった。
連休に入って、今ようやく時間が取れるようになったので、
遅まきながら記録してみようと思うが、既に観劇直後とは違うので、
断片的になってしまうかもしれない。
とりあえず、思い出せる範囲で――。

まず11時からの最初の演しものが『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』。
去年の十月に名古屋で観たが、今回は一部配役も変わっての再演だった。
野道追駆けから始まり、のっけから仮花道まで駆使しての客席降りが楽しく、
杉山大蔵(橘太郎)と桑原丈四郎(咲十郎)の掛け合いも愉快で、
客席が大いに沸いた(外国人観光客は禁じられている写真撮影までしていた)。
奴の林平(亀寿)を間近で見ることができて、私には眼福だった(笑)。
福岡貢(菊之助)は登場時、声がかすかに割れているように聞こえて、
「お疲れ?」と心配になったが、舞台姿は全く危なげのないものだった。
伊勢の夫婦岩の向こうに朝日が昇る演出で、一幕目は終わり。
そうだ、伊勢の話だった、二見浦だな、……と今更思った私だった(殴)。

二幕目から油屋の店に場面が移ったが、
私は性格的に、こういう「嫌がらせを辛抱する」たぐいの芝居には
あまり思い入れができないので(^_^;、
貢の最後の爆発をひたすら楽しみに、頑張って観た。
万野(時蔵)のイジワルぶりは相変わらず似合いすぎていて、笑えた。
役替わりの部分では、油屋お鹿は松也(去年は亀三郎だった・笑)。
3月の南座でも声がつらそうだったが、このたびも、
やはり女形としての発声はしわがれ声だった。
しかし芝居は、笑いの要素の中にも切なさがふんだんにあって、
ああ、醜女だというだけで可哀想なお鹿ちゃん、と肩入れしてしまった。
松也は、……もしかしたら私の好きな「マザコン役者」系か……。

秋に松緑がしていた料理人喜助を、今回は亀三郎が務めており、
ほかの登場人物の多くが「腹に一物」あるような存在である中で、
とてもまっすぐで洗練された役作りになっていたと思った。
こういうセンスの良さは、亀三郎ならではかと……。
そして、怒りを爆発させた貢が、妖刀に操られるように
悪者たちを次々と斬り倒して成敗するのがクライマックスだが、
しかしこの芝居、あのように物凄い殺人事件を展開しておいて、
貢も返り血で真っ赤になったのに、最後に我に返ったら、
結局、残った者たちでメデタシメデタシになってしまうというのが、
21世紀に生きる私には、どうも感覚的に納得できないところです(逃)。

昼の部の後半が、舞踊で『道行初音旅(みちゆきはつねのたび)』。
待ってました、松緑の狐忠信!
私が、去年からこれまで以上に歌舞伎に熱中するようになった一番の理由は、
自分の中で、松緑の存在が大きくなったからだと感じていたが、
今回、金丸座で踊る松緑を観て、私はその思いを新たにした。
私が松緑に夢中になっているのは、かつて望んだように、
亡き父・辰之助の面影を見つけたからでは決してなく、むしろ、
当代松緑でなければ表現できない、力漲る舞台姿に心惹かれるからで、
今回の狐忠信も、松緑が登場した途端、「こ、これだ(^_^;!」と
心の中で思わず拳を握る思いになった。

この日も、休憩時に、全然知らないマダムたちが、
「ちょっと、松緑、びっくりしたわ、凄かったわね」
「巧いわね~あの人!」
「巧くなりはったのよ!」
などと会話してらして、私は内心、
そうでございましょ(^^)?と我が意を得たりの心境だった。

静御前は、梅枝。これがまた綺麗で綺麗で、目を見張ってしまった。
十年くらい前、大きな役がつき始めた頃の、
私の梅枝の印象には、据わりの良さが足りないというか、
もうひとつピッタリはまっていないという憾みがしばしばあったが、
昨今は、生来の美貌に、しっとりとした余裕が加わって、
だんだん文句のつけようがなくなってきた。
掛け値なしに、梅枝は美しいなと思った。
金丸座は本当に客席が近いので、静の花道からの登場時には、
踊りの振りによっては、優雅な衣装が客席のほうに垂れて、
その裳裾の描くラインにまで余韻があり、
「への2番」(笑)あたりの観客は手を伸ばして触れなくても、
顔の真ん前に打ち掛けの裾が降りてくる、という状態だった。
あれは至福の瞬間だろうな、と遠くから眺めていて少々羨ましかった。

(続)

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(写真は先週撮影。娘の母校A女子中高の藤棚)

家で過ごす休暇二日目、ああ素晴らしい(T_T)。
きょうもまた、様々な用事がはかどった。
掃除洗濯を焦らないでやれる、というだけでも、
私にとっては、常日頃とは比べものにならない幸せな時間なのだが、
更にそのあと、気の済むまで片付けものをしていても、
出勤時間を気にしなくて良いなんて、もう、
筆舌に尽くしがたい安らぎである…!と思った(笑)。

そして今朝は、以前から懸案になっていた古いパソコンの処理について、
ソ○マップに電話をしていろいろな方法があることを教えて貰い、
プリンターやキーボード、その他いくつかの大型ゴミについては、
市役所に電話をして収集に来てくれるよう申込をした。
それからブッ○オフに電話をかけて、読まなくなった書籍300冊の、
訪問買取の日取りを決めた。
これらはすべて、心身ともに私が「空いて」いないと出来ないことなので、
今年の連休中、私が家で存分に過ごせる予定になっていたことに、
改めて、心から感謝した。

それから外に出て、郵便局と銀行の用事を済ませてから、
2月に撮った娘の振袖記念写真を受け取りに、某写真館へ行った。
娘は成人式には出ていないし、着物も撮影時だけのレンタルで、
振袖・着付・ヘアメイク・写真2ポーズがパックで税込○万円、
というような、ごくシンプルなコースにしたのだが、
それでも、きちんと写真を撮っておいてやはり良かったと思った。
二度とはない、二十歳の記念になった(^^)。
実家の両親用に、見開き2ポーズの台紙を焼き増しして貰ってあるので、
この連休中に、御礼と報告かたがた届けようと思っている。

自分は休みで世の中は平日、という巧い巡り合わせを活用しようと、
きょうは用事を優先したが、明日はひとつ、私も文字通りの意味で、
一日を休養か遊びに充てようと思っている。
主人は絵画鑑賞とグルメのため、ひとりで関西方面に出かける予定なので、
私は家かその界隈で、静かな昼下がりを満喫したいものだ。

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