goo blog サービス終了のお知らせ 
転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



さきほどTwitterで、
『ジェットストリームいけるくん@go_ikeru:教育実習のとき、「与える」って言葉を使っただけで「偉そう」と言われた。訳が分からなかった。』
というツイートを見かけた。
実習生が指導者の立場で生徒に何かを『与える』、
というのは別に誤りではないだろうと思うのだが、
教育現場では望ましくない響きだと受け取られるのだろうか。

そういえば先日は、某地方自治体のサイトで、
『野良猫にむやみにエサをあげないでください』
というのを見かけた。
『エサ』という以上『あげないで』は滑稽だと私は感じるのだが、
ここでも『与える』という語彙は避けるべきなのだろうか。
目の前のにゃんこに話しかけるのなら、
「さぁ、ごはんだよ、たくさんおあがり(^o^)」
等と声をかけることはあると思うが、
文書で使う言葉は、こういうものとは次元が違うだろう。

その一方で、
『皆さんに夢を与えるようなプレーをしたいと思います』
という運動選手のコメントや、
『御客様に希望を与えられるような舞台ができたら…』
などという役者さんの発言を、結構頻繁に見かけるのだが、
特に問題になってはいないようなので、
相手が観客となると、『偉そう』ではないものになるのだろうか。

こうした例に出会うたびに、私はしばしば、
自分が想定している『与える』という語の守備範囲には、
何か誤解があるのだろうか、と感じている。
私なら、生徒には『与える』、野良猫には『やる』『与える』、
御客様には(ものによるが)『差し上げる』なり『お届けする』なり
したいものなのだが……。


(以上、記述的でなく規範的な見解)

Trackback ( 0 )




広島エルド1試合最多6三振の大ブレーキ(日刊スポーツ)
『<広島5-5DeNA>◇14日◇マツダスタジアム
広島が土壇場で3度粘り、貴重な引き分けをもぎ取った。まずは2点を追う7回、1番天谷の左中間2点三塁打で同点。9回2死一、二塁から2番菊池の中前適時打で再び同点。延長12回は、またも菊池の右前2点打で追いついた。ただ、4番ブラッド・エルドレッドがすべて得点圏に走者を背負った場面で6三振するなど7打数無安打の大ブレーキ。それでも野村監督は「よく粘った。キクも丸も成長している」と評価した。』

昨日は主人が一泊の東京出張で留守だったので、
私は夜、前々からの懸案であった、クローゼットの片付けをした。
長らく、部屋着とブラックフォーマルしか使わない暮らしをして来たが、
去年から勤めに出るようになったので、
最近はジャケットとブラウスとタイトスカート、
という通勤着を多少、セ○ールで買ったのだ。
これらを一番取り出しやすい場所に並べて吊すため、
バブルの前から持っていた(=捨て損なっていた)コートやジャケット類は、
この際、思い切って資源ゴミの日に出すことにして、選り分けた。

それが終わって、スカスカになったクローゼットに満足し、
久々にピアノを練習し、ネットであちこち読み、
そろそろ寝るかと、最後にニュースをひととおりチェックしていたら、
なんと夜11時過ぎだというのに、まだカープVS横浜が試合をしていた。
広島でこんな時間までやっていたら、終電がなくなるぞ(^_^;。
っていうか、もう既に大半のバスは最終が出てしまった後だぞ?

5月上旬から仕事が急に忙しくなった私は、ここ2ヶ月ほどはもう、
シーズン初めほど熱心に野球をチェックしていなくて、
またカープも、最近は景気の良い話を聞くことが少なくなっていたのだが、
それでも、今も2位と3位を行ったり来たりしている、
という程度の把握は私でも一応していた。
半年やれば結局最後には実力相応のところに落ち着く、
…というのが、長年変わらぬ、私のプロ野球に対する印象なので、
昨今のカープは、それにしては案外粘っているほうだと私は評価していたのだが、
大ファンの主人にしてみれば、やはり交流戦以降、何かと不満そうではあった。
4月5月にあれだけ楽しませて貰って、今も3位内にいるなんて今年はイイ年じゃないか、
と私は思うのだが、熱心なファンともなるとそうは行かないものよね(^_^;。

で、昨夜はその11時をまわった時点で延長11回、広島3-3DeNA
主人がいたらどれだけ悪態をついただろうかと思うので、留守で本当に良かった。
経過を見ると、0-2から7回裏で2-2に追いつき、9回表に2-3と勝ち越されたあと、
その裏で再度追い上げ延長戦に持ち込んだということだったので、
必ず一矢報いるようになったのは今年のカープの良いところではあったが、
でも迫りながらも結局勝てないのがカープクォリティ(^_^;、と思いながら、
またTwitterをひとあたり回って戻って来て、速報をクリックしたら、
12回の表で、広島3-5DeNA
ははは、やっぱり決まったかー、そうだろうなー、
と苦笑し布団を敷いてから再度覗きに行ったら、12回裏、広島5-5DeNA(O_O)。
なんちゅう泥試合、……じゃない、大熱戦ドロー(^_^;。

試合終了後、ネットに出ていた総括を各種読んだところ、
堂林がトンネル開通したあと自ら二塁打を出して泣いて、
丸は0安打5出塁4死球、菊池が度重なる神プレー、
エルドレッドは巨大な人間扇風機と化して6三振という記録樹立、
大瀬良が先発だったことを最後には誰も覚えていなかった、
……という一戦であったことがわかった。
広島VS横浜、は私の中ではいつも「セ・リーグBクラス頂上決戦」、
「天王山ならぬ天保山(標高4メートル半)の戦い」、というものなのだが、
この一戦もその名に恥じぬ素晴らしい展開であった(爆)。
オールスター前の最後の三連戦初日、いきなりの熱戦だった(^_^;。
きょうからまた、仕切り直して両者、頑張って頂きたい。

球団オフィシャルグッズとして『堂林の涙Tシャツ』が発売されたそうだ(笑)。

Trackback ( 0 )




文句を言いながらも、途切れることなく聴いては、いる。

フランス語の入門編は、限りなく丁寧な発音練習の場と考え、
テキストはあまり見ないようにしてやっている。
まだ、今のところは聴き取りに苦労するような内容ではない。
しかし聴いただけでスキットが細部まですぐ暗記できるわけではないから、
『えくてびあ~ん、え、れぺて』をやるときには、
やはりテキストはあったほうが良い。

応用編は今月から、前回放送時に私としては結構好きだった、
福島祥行先生の『Bon voyage, Manon!~大阪・京都・奈良~』
の再放送が始まったので、とても良くなった(笑)。
内容的に、現時点の私が楽しくやるのにちょうど良い難易度で、
テーマとしても、通訳案内士のフランス語版という感じで、
聴いていてとても面白い。
先生が関西人でいらっしゃるので、関西弁も私には嬉しいところだ。

福島先生の文法の説明方法は少し個性的で、
図解の内容が自分の感覚に合うかどうかで、
聴き手にとって、わかりやすさに関する印象も変わって来ると思うのだが、
私は概ね、ポイントがとらえやすいと感じて、気に入っている。
欲を言えば、放送時間内にExercisesまでやって頂けると嬉しいのだが、
現状の15分間の講座では、それは無理のようだ。

スペイン語は、変わりなく元気よく(笑)勉強している。
江澤先生の授業はいつも勢いがあって楽しいので、
朝いちばんに聴くにはピッタリだ。
私はスペイン語は本当に娯楽としてしかやっていなくて、
学習態度については、フランス語よりも更に力が抜けているのだが、
それでもここ何年か続けて聴いているので、
基本的な動詞の活用などはもう迷わなくなり、
チリも積もれば…的な達成感を感じることが、最近は多くなった。
今季くらいのゆっくりとした進み方は、
私はフランス語については些か不満も感じているのだが、
スペイン語に関しては、まことに都合が良かったと言うべきだろう。

…そうこうしているうちに、今月も既に半ばとなった。
次の8月号テキストが、そろそろ発売される頃だ。

Trackback ( 0 )




昨日は朝10時半から夕方5時半までほぼ休憩無しで働いたうえ、
夜は某カナダ人男性が転勤で引越するので送別会があり、出かけた。
彼には何年も前からお世話になっていたし、
今の仕事を紹介してくれた人でもあったので、
御礼も言いたいし名残を惜しみたいと思ったのだ。

……のは、本当に良かったのだが、会場が某居酒屋のフロア貸切で、
何十人も関係者がいたので、賑やかというよりあまりにも騒々しく、
隣の人との会話どころか、自分の声さえも自分で聞こえづらく閉口した。
音響面で、とてもじゃないが名残を惜しめる状況ではなかった。
テーブルの向こう側の人に話しかけるのは、もう絶叫に近かった(爆)。

某氏「ヨシコ!きょうは!メガネじゃないんだね!?」
転妻「コンタクトレンズですよ!でも私もう老眼だから!
 コンタクトレンズは!近くが見えなくてツラいっスよ!!」
某氏「ボクも目悪いから!コンタクトしてみたいけど!なかなか!」
友人「ねえ!ヨシコさん!きょうそれ裸眼!?」
転妻「コンタクト!ですよ!」
友人「私のは!遠近両用コンタクトなんですよ!」
転妻「へえ!どうですか!」
友人「近くは!見えるけど!遠くがちょっと見えにくい!ですよ!」

みたいな話を、なんで腹の底から声を出してせねばならんか(--#)。

そんな中、フロリダ出身の某嬢だけがヘーキで喋っていた。
「貴女の声は!響き渡っている!」
と私が指摘したら、彼女は胸を張って、
「マイアミの人間は、声が大きいのよ~(^o^)!」
と言った。
そうなのか。知らなかった。
…しかしなんでなんだ?マイアミが海のそばだから??
もうちょっと尋ねたかったが、部屋じゅうウルサすぎて、会話断念。

開始後30分でへとへとになり、スバラしく消耗したので、
飲んでもいないのに昨夜は酩酊状態になり、
帰宅後、爆睡し今朝まで目覚めなかった。
睡眠障害は、だから、なおった(爆)。

Trackback ( 0 )




会社に出なくて良い日だったので、朝から用事を片付けた。
郵便局の用件を済ませ、花屋で仏花を買って墓掃除・墓参りに出かけ、
市街地まで戻って、本屋で振袖のムック本を覗き(娘の成人式の予習)、
午後になっていたので喫茶店で昼食をとり、
それから頼山陽史跡資料館に行き、
スーパーで晩の買い物をしパン屋に寄り、
最後に家の近所の美容室で髪を切って貰った。
これだけやるのに、昼前から夕方まで費やしたorz。

このところ、墓には十日に一度は行くようにしているのだが、
最近は暑くなったのでもう花がモたなくなった。
きょう供えた菊も、いつまでピンとしていてくれることか…。

頼山陽関連は、書の展示が9月まで続くことになっているのだが、
7月13日で前期の『旅を詠む』の特集展が終わってしまうので
きょうは些か、焦って見に行った。
強風のため表門が閉まっていて、初めて通用門から入った。
以前も見たことのある『泊天草洋』の軸装が今回も出ていて、
漢詩をかじっている者として私はこの詩がそもそも好きなのだが、
同時に、このあたりの山陽の書にはのびやかな力があるなと改めて思った。
後期『詠史詩を中心に』の展示は7月20日から。
受付で尋ねたら、内容はすべて入れ替わるとのことだった。

娘の成人式に関しては、娘は目下、横浜で一人暮らしの身だし、
後期試験と重なる1月の式典への出席は時期的に無理なのだが、
そうは言っても、二度とはない二十歳の記念なので、
振袖で写真を撮るくらいはしようかと本人が前に言っていた。
私自身は成人式をやっていないし振袖も着たことがないので
このあたりの事情がよくわからないのだが、
写真だけなら別に何月に撮影しても良いのだよね(^_^;??
実家母に「どういう振袖がいいかね」とメールで話をフったら、
俄然、楽しみになった様子だったので、
ばーさま孝行にもなるし、やはり娘には頑張って着て貰おう(^_^;。

Trackback ( 0 )




昨日は私の誕生日だった。50歳になった。
2分の1世紀も生きてきたなんて、我ながら凄いと思った(笑)。
尤も、主人も私も誕生会をするような趣味は全くないので、
別に我が家は変わったことなどなく、普段通りの一日だった。

一方、実家の父は割とこういうことを忘れないヒトで、
昨日の朝、携帯からメールをくれた。
『誕生日おめでとう東京オリンピックの年でしたから年齢がすぐカントできます』
句読点がない上に、やや惜しい内容だった(殴)が、
私は勿論、覚えていてくれたことに感謝した。

続いて母からは昼前にやはり携帯宛てにメールが来た。
『五十歳?になられたんですね。おめでとうございます』
東京オリンピックを基準にした父と異なり、直球だった。
というか、私の年齢にもうひとつ自信がなさそうなところを見ると、
どうもその点について夫婦の会話はなかったらしかった(^_^;。

何であれ、ありがとうございます<(_ _)>。
私が今日あるのは、おふたりのお蔭でございます。
まがりなりにも健康で、揃ってこんな年齢まで頑張ってくれて、
しかもそれぞれ携帯でメールが打てるとは、見上げた老親ではないか。

夜になって、今度は横浜の娘からメールが来た。
お母様お誕生日おめでとうございますわ♪
まあ、ありがとう、嬉しくてよ、ひ○み(爆)。

深夜には、高1以来の友人である某からもメールが来た。
『半世紀、よくぞ生きて来たものです!!
そのうち30年以上ご一緒させて頂いていることに感謝(^^)』
まったくだ、知り合って34年。こちらこそ感謝感謝だ。
我々は、それぞれの夫たちより長い仲じゃないか(爆)。

この友人某は現役の高校教諭なのだが、長年のポゴ仲間でもあり、
12月14日の東京公演はなんとしても聴きたい、とも書かれてあった。
『第一志望は、…じゃなくて、ポゴレリッチは、ゆずれない。
よし、その意気だ。
こうなったらお互いシヌ気でやりくりするしかないだろう。
そして師走の日曜日、怒濤の忙しさの真っ直中、
なんで、私が溜池山王に!?
としらばっくれようではないか\(^O^)/。

Trackback ( 0 )




玄関の掃除に出たら、外の床と排水溝の境目にカブトムシが居た(^_^;。
私は目が悪いので、最初は「ゴキ男(の死体)?でかっ!」と思ったのだが、
人違い、いやムシ違いで、角があった。失礼しました。

野生かね???
近所の公園あたりにつれて行くことはやぶさかではないが、
もしかして、マンションのどっかの部屋のペットだったヤツが
逃げてきたんじゃあるまいね(^_^;。

折しも、我が家のベランダ側では数日前から、
緑色のカメムシが物干し竿にすがりついている。
うっかりいじって怒らせるとニオイで凄いことになると思い、
放置しているのだが、もうここ何日間か動く様子がないので、
あの姿勢で天寿を全うなさったのかもしれない。
そろそろ剥がして(爆)どこかに埋葬してやって良いだろうか。

そういえば去年も、セミファイナル状態になったアブラゼミが
やはりベランダで過ごしていたことがあったが……

うちは、近所のムシたちの間で老いを養う場所として認識されとるのかね(--#)。
私はムシを見て「キャー!」と言うような可憐な女性とは育ちが違うが、
だからと言って、別に昆虫を愛しているわけではない。
っていうか、生き物の世話全般、当分イヤなんだってば(--#)。


追記(7月9日08時):今朝出てみたら、カブトムシは居なくなっていた。
昨日は夕方まで、少しずつ移動しながらもうちの前にいたが、
夜のうちに飛び立ったのだろうと思われる。良かった(^_^;。

Trackback ( 0 )




この一週間ほど、私は久々に睡眠障害に近い状態に陥っている。
寝付きは相変わらず素晴らしく良いのだが、
寝て2時間くらいすると決まって目が覚める。
それで時計を見て、まだ○時か、と思ってまた寝入るのだが、
ここからあとはもう、ほとんど1時間ごとに覚醒してしまう。
昨夜など、夜10時半頃に就寝して、
午前1時、2時、3時半、と三回も起きた。
その都度またすぐ寝入るので、睡眠効率としては別に悪くないし、
特に夢を見ていた記憶もないのだが、
授乳でもないのに(爆)こんなにたびたび起きるなんてと
私本人としてはいささか不満に思っている(--#)。

思い返せば、突然にこうなったわけではなくて、
もう何年も前から、私は割と夜中に目が覚めることは経験していて、
一時期は、寝入って1時間で一度起き、そのあとは4時間後に起きる、
というパターンにハマっていたことがあったし、
ここ1年くらいは、3時間で一度起きるのを2セットで合計6時間、
という寝方する日が、割と多くあったものだった。
しかしさすがに1時間ごとに時計を見ると、嬉しくない気がする(^_^;。

内科での説明では、人間の睡眠はレム睡眠とノンレム睡眠があり、
誰でも80~90分(場合によっては、その倍数)ごとに
眠りが浅くなったり深くなったりを反復しており、
私の場合は更年期で自律神経が不安定になっているせいか、
その浅くなった時間帯に、その都度、覚醒まで行っている、という説明だった。
瞬間的に覚醒して、またすぐ次の眠りのサイクルに入るのを繰り返している、
ということになり、そのせいで体調が悪いとか、昼間に眠くて仕方が無い、
等の問題がなければ、そのまま様子を見ていて良い、とも言われた。
ちなみに、よく言われる「中途覚醒」というのは、
真夜中に目覚めた後、そこから寝付けず悶々とする場合を言い、
睡眠障害は、眠りの質が悪く日中に心身が不調になる場合を言うので、
私のは厳密には、そのいずれにも当てはまらないとのことだった。

自分で考えてみて、多少なりとも原因になっていると思うのは、
もちろん更年期もあるが、それに加えて最近の仕事の忙しさだ。
日中、常にスケジュールに追い立てられて動いているので、
脳が興奮状態に陥っていて、夜になってもそれが完全には解消されず、
すぐに戦闘態勢に入れるスタンバイ状態のまま、寝ているのではないか、
という気がするのだ。

それともうひとつ、こういう寝方になった遠因として、
最近の主人の、度を超した(笑)早起きも関係があるように思う。
かつて、娘が家から学校に通っていた頃は、私は、
夜11時頃に寝て朝6時過ぎに起床する、というのを習慣にしていて、
その時間帯が睡眠時間という感覚が、長らく自分の基本であったのに、
最近、主人が午前4時台に起きて5時には活動を開始する、
という睡眠パターンに変わったものだから、私の中で、
「(自分本来の起床時間でないときに)起きなくてはならない」
という感覚が俄に芽生えて来た。
これが私の頭の奥深いところを支配するようになり、
真夜中でもたびたび起きて、「まだ寝ていても良いかどうか」を
確認するようになってしまった、というイメージがあるのだ。

……って、結局ヒトのせいにしているという(殴)。

一般的に、女性は50歳前後で急に睡眠に対する不満が増えるものだそうで
更年期ストレスで不眠…効果的な対処法は?(All About))
私ももう50歳だし、つまるところ、典型的なオバさんであるワケね。
やれやれ。トシは取りたくないものよ ┐(-。ー;)┌

Trackback ( 0 )




7月4日は、アメリカの建国記念日(独立記念日)だ。
私は別にアメリカ建国の歴史にさほどの思い入れがあるわけではないのだが、
確か小学校六年生だった1976年に、郊外にあったちょっと大きめのスーパーで、
『アメリカ建国200年記念!』
というセールをやっていて、これを私は頻繁に眺めていたので、
アメリカの建国記念日を覚えたのだ。
当時の店頭には、星条旗のデザインのチョコレートとか文房具などが
いろいろと並んでいたような記憶がある。
固定相場制が終わって変動相場制に移行した直後の時期だったが、
1ドル=300円くらいの時代で、田舎の小学生だった私にとって、
アメリカから来たものは何でも上等で格好良く思えたものだった(^_^;。

……などという思い出話をしていたら、同業者のカナダ人が、
1976年に誕生した赤ん坊はアメリカでは『a bicentennial baby』と呼ばれて、
当時はこの考え方や言い回しがとても持てはやされたものだ、と言った。
今ではあまり言う人などいないだろうけど、とも。
なるほど、確かに100年に一度のお祭りなのだから、
その年に生まれたというのは、大いに記念すべきことだったのだろう。
私は次の建国300年記念やtricentennial babiesたちを、
見ることはないだろうしな(^_^;。

ちなみに私が当時どうしてそのスーパーに足繁く行っていたかというと、
雑誌コーナーにあった『花とゆめ』で
『ガラスの仮面』を立ち読みするためだった。
あの頃、マヤちゃんは中学生で、『若草物語』のベスを演っていたと思う。
あれ以来ずっと、『ガラスの仮面』と『アメリカ建国200年記念!』は
私の中でしっかりとリンクしているのだが、
まさか建国から238年経った年にもまだ連載しているとは思いもよらなかった。
今や、建国300年記念になっても終わってない感じのする漫画だな(爆)。

Trackback ( 0 )




ずっと仕事が忙しすぎてキレそうだったのが、先週は多少ラクになった。
それでゆったりとシアワセに過ごせたかというと、
意外なことに、期待していたほどの解放感がなぜか得られず、
それどころか、まだやるべきことが残っているのではというような
変な焦燥感にかられて、我ながらおかしな精神状態になった。
私はこんな繊細な人間ではなかった筈なのだが、
これってやはり心が疲れているということ……??

などと思い暮らしているうち、ある程度予測していた通り血圧が上がった。
実は、勤め始めてからは降圧剤ディオバンを真面目に飲んでいて
(いろいろ報道された薬剤だが、私は降圧剤としては気に入っている)、
朝晩の家庭血圧は素晴らしく成績が良く、
毎日、適当な計り方をしても必ず120台/80前後に維持できていたのに、
先週、その妙なイライラを自覚するようになってから、
しばしば、下の血圧が100前後に上がるようになった。
上はそれでも120台か130台が続いていたので、良いかと思っていたら、
昨夜はとうとう、就寝直前の血圧が160/100になった。
何度測っても、上がせいぜい150になっただけだった。

ひええええ~~
久しぶりに見たぞ、こんな血圧値(O_O)!!

それできょうはビビって、仕事の合間に、
いつも血圧を診て貰っている循環器内科に飛んで行った。
薬はまだ十日分くらい残っていたのだが、
こういうとき、気にすればするほど血圧が上がることは
経験的にわかっていたので、これ以上、私は耐えられないと思ったのだ。

だが、しかし。
「けけっ、血圧がっっ!!」
と駆け込んだ診察室で、看護師さんに手動式で測定して貰った値は、
有り難いことにというか恥ずかしいことにというか、146/80だった。
「んな筈が無い。低すぎる」
と私が信じないので両方の腕で測って貰ったが、
同じような値だとのことだった。
収縮期140以上は世間的には高血圧だから、『低すぎる』も無いものだが、
160/100で震え上がってやってきた私には、
診察室なら170/100くらい出さないと竜頭蛇尾っていうか(爆)。
実際、そういう値は今まで何度も叩き出した実績があるし。

「そりゃ、ときどき高いことは誰でもありますよ~」
と先生はちょっと困った顔で仰った。
「ですが、150とか突出した値が出ないように降圧剤を使うとすると、
普段が下がりすぎて危ないですからね」
日常生活の中でさしたる理由なく精神状態が不安定になり、
その結果、血圧が上がったり乱高下したりして、
ある日とんでもない値を見て驚き、診察室に駆け込んでくる、
……というのは、中年女性に多いパターンだそうだ(恥)。
ハッキリ言って、更年期の自律神経失調症そのもの(恥恥)。
「ま、血圧は『月』単位で推移を見て行くものですから。
ずっと高いとか低いとかがあるかどうかをね。月末にまた診ましょう」

血圧手帳を渡され、なだめられてクリニックを後にした私は、
帰宅してすぐまた懲りずに血圧を測った。
134/92だった。
ちなみに家庭血圧のくせに緊張が取れていないらしく、脈拍110(汗)。
いやもう、高血圧の私としては満足すべき値だとはわかっているのだが…。
とにもかくにも測定の誘惑の罠から、意識的に逃れなくては、
……ということだな。


追記(7月3日17時):あれから、昨夜の血圧が134/83、今朝は121/88、
ということで一応、マシにはなった。

追記2(7月4日07時):本日起床後1時間の血圧は、初回測定が141/79、
10分後に再度測ったら125/81だった。そろそろここから離れなくては(^_^;。

追記3(7月8日08時):今朝は1回目が125/83、2回目が120/74だった。
一時的に上がってもまた下がる、というのを今後の教訓にしなくては。
わかっているのだが、高い値が数日続くと焦る(^_^;。

Trackback ( 0 )



   次ページ »