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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「ネコ解剖、人間でも」=同級生殺害の女子生徒―遺体腹部にも大きな傷・長崎県警(時事通信)
『長崎県佐世保市のマンションで、県立高校1年の松尾愛和さん(15)を殺害したとして逮捕された同級生の女子生徒(16)が、県警捜査1課の調べに、「ネコを解剖したことがあり、人間でもやってみたかった」という趣旨の供述をしていることが29日、捜査関係者の話で分かった。松尾さんの遺体は一部が切断された他に、腹部に大きな傷があったことも判明した。』

思い返してみると、私は子供の頃には、かなりの殺生をしたと思う。
何しろ田舎で、暇さえあれば子供同志で神社や畑に行っていたので、
そのへんにいる昆虫は日常的に私達の犠牲になった。
特にアリは手近で、虫眼鏡でアリを焼いたり、
細い木の枝を突っ込んでアリの巣を掘り返したり、
巣穴に水を注いでアリたちの右往左往を見たりするのは、
誰でもやった遊びだった。
軒下に蟻地獄の巣があれば、通りすがりのアリをつまんで落としたり、
ときには自分で巣そのものをフーフーして砂を飛ばし、
家主の蟻地獄(^_^;を捕まえることを楽しんだりもした。
バッタやカマキリも、触り方によってはすぐに死んだが、
命をもてあそぶ、というような畏れを持ったことはなく、
ただ、「こうするとどうなるのかな」という興味があっただけだった。
『みなしごハッチ』とか観てたのに、情操面ではこのザマでしたよ(^_^;。

夏休みに従兄弟たちが、アブラゼミに爆竹を背負わせて飛ばすことに
熱中していた時期もあった
(一応書いておくと、割と不発に終わった。
華々しく散る(←殴!)ようなものを想像していたが、現実は違った)。
小学生のときには昆虫採集もやったし、カエルをサツガイしたこともあった。
都会育ちの人は、きっと「ひどい」「野蛮」とお思いになるだろうけれども、
あの頃、田舎の日常では蚊でもアブでもたくさんいてしょっちゅう叩いていたし、
県道にはカエルの轢死体が普通に落ちていて見慣れていたので、
このレベルの生き物には、子供時代の私は繊細な感情移入などしなかったのだ。
また、納戸には鼠とり器がしかけてあり、ヘビがかかったこともあったし(!)、
放し飼い同然の我が家の猫が、網戸にとまったハエを食べたり、
鼠や鳥、モグラをいたぶったりするところも目の当たりにしていたので、
生きているとゆーのは、そういうもん、…みたいな納得が私にはあった。

更に、私は解剖に興味があった。
もともと、血を見ても割と平気で(それは今も変わっていない)、
図鑑の人体解剖図や、理科室にある内臓模型などを
飽くことなく眺める子供だった。
イラストやつくりものでなく、できれば本物に触れたいとよく思っていた。
だから、理科の教科書に出ていた「フナの解剖」の単元は
学年の初めからとても楽しみで、幾度か解剖図をノートに写しては
自分なりに検討(?)していたものだった。
だのに、待ちに待って実際にその単元になってみたら、
解剖そのものは、担任の先生が一体だけを模範として行い、
私たち児童はそれを眺めるだけだったので、本当に失望した(爆)。

自分のそういう過去を振り返ってみるならば、私は今回の事件の女子生徒が、
猫を解剖したと語っているあたりまでは、なんとか理解できないことはない。
現実には、子供の頃の私は、生まれたときから猫と一緒に暮らしていたので、
猫とは情緒的なつながりがあり、猫をヤろうという発想はあり得なかったが、
私が虫やカエルに対して抱いていた興味の方向性を思うと、
この女子生徒の感覚は、それの拡大版ではないかという気がする。

しかし、それと同時に、自分が何歳でどんな殺生をし、それがいつまで続いたか、
等々を考えてみると、昆虫レベルの生き物が絶命する様を直接見ているうちに、
徐々に、自分の中に形成されていった新しい価値観があったことがわかるし、
害虫駆除のような事情があるのでもないときに、
興味本位に生き物を死なせるのは、良いことではないという感覚が、
年々、着実に出来上がって行ったことも、今、思い出すことができる。
一般的に言って、生き物に手を出したいという原始的な興味や衝動は、
年齢に従って、社会的に妥当性のあるレベルにまで、
ごく自然に抑制され、適切な設定がなされるとともに、
観念の面での成長も追いついて来るものだと思う。

ちなみに主人は都会育ちのうえ仏教徒なので、蚊を叩くことさえ良しとしない。
蚊に血をやったくらいでは人間はなんともない、というのが彼の持論だ。
彼は、子供の頃から、私のような殺生はしたことがないそうである。
今でも、家にゴキやムカデが出ても、この人は手を出さない。
そういったものに遭遇すると大声で私を呼び立てておいて、
私がそいつらを駆除するのを傍で眺めながら、
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」
と呟く彼は、つまり偽善者というものであろうと思う(--#)。

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