転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日、主人の部屋に行ったらテレビで何やら映画をやっていて、
広いオフィスで、蝶ネクタイ姿のハリソン・フォードが電話していた。
「これなんスか」となりゆきで訊ねたら
「サブリナじゃ」と主人は言った。

転妻「サブリナ・パンツの?」
転夫「の、リメイクね勿論」
転妻「そんなものがあったのか~」
転夫「じゃけど、オリジナルのがええと思うよ、やっぱり」

この話は普通の女の子だったサブリナが、
どれほど目覚ましく花開いたように美しくなるか、
というところに作品の成否がかかっていて、
かつ、一定年齢以上の人間にとっては、既に、
ヘプバーンの華々しさが十分に脳内に刷り込まれているので、
そこに挑戦するリメイクは、確かになかなか厳しかっただろうと思われた。

検索すると、リメイクの『サブリナ』は1995年12月に公開されていて、
物語の骨子は同じで、設定だけ現代に置き換えたものだったそうだが、
当時の記事や映画評などはあまり見つけられなかった。
私はほとんど映画を観ないので、リメイク公開当時のことはわからないが、
多分、オリジナルを超えることは出来なかったのだろう。

それで改めて、主人の持っているDVDを探して、
54年公開のヘプバーンの『麗しのサブリナ』を観てみた。
私の記憶の通り、やはりヘプバーンは溜息の出る美しさで、
どのような衣装も彼女が着るとあまりにも見事によく似合い、
これならララビー家の兄弟が夢中になるのも無理からぬ、
と無条件に思わせるほどの説得力があった。

一方、ハンフリー・ボガートが老けて見えたことは私の記憶以上だった。
ボガートは男性としては素敵だと思うし、役柄上もライナスが、
ヒロインより遙かに大人の男性でなくてはならないこともわかるのだが、
映像的に、このときのボガートはヒロインの父親以上の年齢に見えた。
そして、その更に父親にあたるララビー氏ともなると、
もうヨイヨイなお爺さんそのものみたいで(爆)
身分以前に年齢的な釣り合いが取れなさすぎだろ、と苦笑してしまった。
その点ではリメイク版のハリソン・フォードのほうが若々しいし、
晩婚化が一般的傾向である現代の世相も反映して、
まだずっと許容範囲だと思われた。

・・・と、私が勝手にサブリナの検証をやっていると、
主人が「これ読みんちゃい」と『大女優物語』(中川右介・著)を
本棚から出して、貸してくれた。
それ私が買おうかと思っていたのに、
とっくに主人のほうが買っていたのか(苦笑)。いつの間に。
中川右介:大女優物語 オードリー、マリリン、リズ(新潮社)
中川氏の著作は歌舞伎関連で既に私にはお馴染みだったが、
主人も実は愛読者だったのか~。

そしてもうひとつ、今更知ったのだが、
宝塚大劇場花組公演が、まさに今『麗しのサブリナ』だった。
『麗しのサブリナ』『EXCITER !!』(7月30日(金)~8月30日(月))
考えてみると、男性主役と準主役、それにヒロイン、
という配置は宝塚にはピッタリだ。
ポスターを観る限り、デイヴィッド役のいっぽ(壮 一帆)くんが
とても綺麗な二枚目なので、バランスが良いように思った。
まとぶん(真飛聖)のスター性は私は前から良いと思っているし、
あとはヒロインの蘭乃はなちゃんが、動いて綺麗かどうか、だろうか。

こうやって道楽のワが繋がる瞬間にはいつも感激があるが、
さて自分がこれから、宝塚大劇場まで観に行ってしまうかどうか、
なんだかスリルがあるな(爆)。

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重すぎ。
更新作業不可能に近い。

パソ太も夏バテか?


追記(8月22日):きょうは調子が良いが、
このところパソ太は万全ではない日が続いている。
この日記を書いた晩はとりわけひどかった。
ひとつのページが表示されるまで数分以上かかる有様で、
サイト閲覧すら途方もない時間がかかった。
今のところ原因は不明だ。
ファイルを捨て履歴を削除して、できるだけ軽くしてみても、
昨夜は全く効果がなかった。
今後の更新作業はパソ太の御機嫌次第(^_^;)。

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孤食  


同居人がいても朝食は「1人で」、若い世代に強まる“孤食”傾向(TokyoWalker)

この記事は結論として、
『若い世代の“孤食”傾向や、どの年代も“ながら食べ”が習慣化していることが明らかになった今回の調査結果。1日の活力源である朝食が及ぼす影響を再認識し、今一度、朝の食卓の時間を見直してみたほうが良さそうだ。』
と述べているので、つまり朝食における孤食に賛成していないようだ。
孤食をやめ、ながら食べをやめ、大切な朝食だからこそ家族揃って、
というのが、記者の考える「良いこと」であるらしい。

しかし朝御飯の「孤食」はそこまで考え直さないといけないほど悪いことだろうか。
家族がいても三度三度必ず頑なに孤食、というのは問題だと思うが、
毎日一食くらい、ひとりで食べる流れになったって、
別に悪いことはないだろう、と私は思っている。

孤食そのものが罪悪だとかマイナス行為だなどとは、私は全く思わない。
少なくとも私にとっては、中学生くらいからあとは、
誰も視界に居ず、話しかけられることもなく、自分本位にする食事は、
とてもリラックスできる幸福な時間だった。
会話や人との接触は、楽しみにもなるが、疲労の元にもなり得る。
それらから完全に解放される時間は、悪いものではないと私は昔から思っている。
私の育った家が、あまり和気藹々でなかったにもかかわらず、
当初、頑ななまでに家族揃って食事をする習慣になっていて、
私は14歳のときついにキレて、孤食に走ったのだが、
まあ、そのような個人的な背景が、現在の考え方の根源かもしれない(苦笑)。


『■朝ごはんより睡眠? 休日に朝食を「必ず食べる」人の割合は平日よりも14.2ポイント減
休日くらい好きなようにしたって良いだろうと思う。
今は専業主婦だから、家族が食事をする予定なら支度をするが、
独身でフルタイムで仕事をしていたときだったら、
休日まで「必ず朝食を取らねばならない!」と考えるなんて、
私の精神疲労はそれだけで倍増したと思う。
平日は、食事も出勤も仕事も、何もかも時間的にがんじがらめなのだ。
そういうこと一切をしないで良い休日は、天国ではないか。
時計など見ないで、食事なんかしたければするし、したくなければしない。
そんな気ままが許される境遇は、どれほど幸せであることか。
頑張って食べたほうが爽やかで良い朝が迎えられる人は食べれば良いが、
食べない自由を満喫するのが悪いことだとは、私は全然思わない。


『■社会人の約半数は“孤食”傾向、同居人がいても朝食は「1人で」
多くの場合、出勤や登校の時間が各自でバラバラだから、
朝食時間を揃えることは難しいだろうと思う。
各自が自分の予定に合わせて起き来て、
いちばん都合の良い時間に朝食を取るのは、普通のことだと私は思う。
むしろ、必ず全員揃って食べなくてはならない・朝食は○時です!、
と朝から拘束されるようなことがあったら、かえって苦痛だろう。
必然的に、一番早く出る人に合わせた時間設定になるわけだし。


『■テレビ、新聞、パソコンサイト閲覧…、忙しい朝は“ながら食い”が主流?
行儀や消化の点から、積極的に勧めるべきことでないのは同意するが、
「読みながら」「聴きながら」等は、時間を有効に使えて、
非常に得るところが大きい、とも私は体験的に思っている。
実は私は中学から高校時代にかけて、まさに孤食で、
朝のパンを食べながら、英語の教科書のカセットテープを毎日聞いていた。
中2の一学期から始めたので、およそ5年間、私はこれを続けた。
このことが私の今日の、英語の発音と聴解力の基礎になったことは間違いない。
困りましたね(苦笑)。


ただひとつ例外だと私が考えているのは、
およそ小学6年生前後までの年齢の子供がいる場合だ。
親も誰もいなくて子供だけで朝ご飯を食べるのが普通、
というのは、教育という観点から望ましくないと、私でも思っている。
最近は子供の精神年齢が、30年前と比較して3歳程度幼いとの説もあり、
子供によっては中学校卒業くらいまで該当するかもしれない。

朝の挨拶や、食事のマナー、後片付けなど、
ひととおりの「しつけ」に類することはこの時期にすべきだし、
子供の情緒面での安定を考えても、家族のうち大人の誰かが、
最大限、時間的な譲歩をして食事時を一緒に過ごし、
できるだけ楽しい気分で登校できるように工夫してやるのが良い、
と、私は思っている。
そう理想的に行かなくて、「早く、早くしなさい!」の連発になっても、
やはりこの年齢の子供には、保護者の働きかけの中で
食事時間を過ごすことが大切な意味を持つと思う(笑)。

もちろん、ごく自然に家族が笑顔で食卓に集まり、
愉快な朝食が取れるなら、それは素晴らしい家庭環境だと私も思うし、
その和やかな毎日ができるだけ長い間つづくのが幸福というものだろう。
要は、配慮の必要な年代の幼い子供が家族内にいないのであれば、
時間的な無理をせず、各自のペースのほうを尊重して過ごす、
というのが、最も私の感覚に合う考え方だ。特に、朝食に関しては。
家族で一緒に朝食を取れるなら大いに結構、
別々のほうが都合が良いなら、孤食もまた良いではないか、と思う。

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いよいよ来月の9月号で前期講座は修了だ。
今季はどちらの講座もなかなか楽しかった。

スペイン語は、文型や構文の観点から毎回解説されて
私にとってはポイントがわかりやすく、
積み重ねて理解して行く手応えもあって、良かった。
例によって、動詞の活用などをその場でしか覚えないので、
記憶に定着せず、スペイン語会話も全然上達などしていないが、
基礎的な文法事項をおさらいできた、という満足感はあった。

フランス語初級編も、清岡先生とレナさんの愉快なやりとりが健在で、
一昨年に続いてとても楽しく聴かせて貰った。
単に笑えるだけでなく、説明にも工夫が凝らされ、
『ややこしく見えるが、要はこういうこと』
と現実的なまとめ方をされていた箇所が随所にあって良かった。
中級編は私には難しかったが、実に幅広い文学作品が紹介され、
自分でも読んでみたい(私の仏語力では、とりあえずは和訳で・汗)、
と感じるものが次々とあった。
大勢の魅力的な『ヒーロー&ヒロイン』に引き合わせて下さって、
澤田先生とリリアンヌさんにはお礼を申し上げたい。

***********************

ということで、来月いっぱいは、まだ今の講座は続くのだが、
10月からは、どの外国語も後期の新講座が開講する。
フランス語初級編は、昨年度前期の小野潮先生の番組の再放送だ。
これは初級とはいえ、現実には入門段階は既に終わっている人が
復習として聴くのに適した速さの講座なので、
私は当時から気に入っていたし、この秋から再度聴けることを
とても有り難く思っている。
私の学習がいくらかでもあれから進んでいるなら、
さらに余裕をもって理解できるのではないか、と期待している(汗)。

一方、10月からのスペイン語はこれまた既に知っている番組で、
2009年前期の福嶌教隆先生の講座の再放送だ。
こちらは、今回は止めておこうかと今、思っている。
先生もゲストのお二人も文句なく明るく楽しく、
テンポも良く、素晴らしい講座であることは間違いないのだが、
毎回新たに会話表現をひとつ取り上げて、一回ごとに完結するので、
「積み上げる」ことの好きな私には、やや合わないのだ。
私のような入門者よりも、スペイン語の基礎のある人が、
語彙や会話表現を復習したり磨いたりするのに、最適な内容だと思う。

それでかわりに、『まいにち中国語』を聴いてみようかと考え中だ。
漢詩の会で平仄(ひょうそく)について習ったりすると、
現代中国語は、漢詩の時代とは既に違っているとはわかっていても、
音声的な面から中国語を味わう体験をしてみたいと思うことが多いのだ。
まあ、私のやっていることはいつも道楽なので、
これから本気で中国語をマスターして何かしよう、というには程遠く、
とりあえず、漢詩と、フー・ツォンに関係のある言語を、
このあたりでかじってみるのも楽しいのではないかな、
という程度の気持ちだ(笑)。

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16日の朝、札幌のホテルから出した宅急便が、
きょうの午後到着した。
と言っても、別にイイものではなくて、
中身はつまり、私達が旅行中に着た衣類だ。
なんしろ五泊六日もいたもんだから、たまった洗濯物も大量だった。

それで私は、早速、それらをシヌほど洗濯した。
そして、洗濯物を干すために、私はさきほどベランダに出た。
夏の晴天は、洗濯に関してはまことに有り難い。
午後から干しても、夜までに十分乾くからだ。

が。

正午頃よりもずっと傾いてきた日が、今まさに私の顔の右上にあり、
その陽射しは、過去にもちょっと経験がないくらい強烈だった。
あまりの熱と眩しさとで、私は燃やされているような気分になった。

もしや、これは。
雲の上に巨大な宇宙人の学童がいて、彼ら仕様の天眼鏡で日光を集めて
私を焼こうとしているのではないか。

宇宙人の子供「こいつ、デカっ。動きもニブっ。焼いたろ♪」

暑い。本当にタダゴトではない暑さだった。
暑いを通り越して、なんだか全身が「痛い」ような苦痛さえ感じた。
このままでは背中から煙が立つと思い、
私は早々に洗濯物を並べて、ベランダから退散した。

宇宙人の子供「あ。巣に入った。ちっっ」

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少年よ

娘は背が高く体格が良く、かつ髪が短いので、
シャツとスキニーなどというスタイルだと
かなりの確率で男の子と間違えられる。
今回も、函館で乗ったタクシーの運転手さんから、
「息子さん」「息子さん」
と娘はずっと言われていたのだが、
もはや本人も主人も私も、誰も訂正しなかった。

また、JR札幌駅からホテルへ行くのにタクシーに乗ったとき、
荷物が多くて娘が助手席に座ったのだが、娘の話によれば、
運転手さんは乗務記録の「乗客内訳」の欄に、
男 2 女 1」
と書き入れていたそうだ。
勿論、娘でなく私が「男」としてカウントされていた、
という可能性についても検討する余地があるが、
会話中、私は幾度か「奥さん」と呼ばれていたので、
やはりここでの「男 2」の内訳は「主人と娘」だと思われた。


携帯電話のご使用は

函館から札幌へ行くのにJRの特急北斗に乗ったのだが、
車内で堂々と携帯電話に出て話をする女性を見た。
私の斜め前の席にいた人で、発車してすぐ彼女の携帯が鳴り、
鳴ったということはマナーモードにしていなかったわけだが、
彼女は平然とそれに出て、「もしもし?ああ、今ね・・・」
とごく普通のリラックスした会話を始めた。

話は数分で終わったが、しばらくしてまた彼女の携帯が鳴った。
彼女は再び、特に焦った様子もなくバッグから携帯を出して応答した。
こういうことが、札幌に着くまで四度ほど繰り返された。
常に、彼女は席についたまま、落ち着いた態度で電話に出て、
急いで話を切り上げる様子もなく、呼び出し音もそのままだった。

それで考えてみると、私は北斗に乗車してからは、あのいつもの、
『携帯電話はマナーモードで』『ご使用はデッキで』
の注意事項を、アナウンスで聞いた記憶が無いような気がした。
東海道山陽新幹線だと、駅を出るたびに携帯に関する注意が
日本語でも英語でも放送されるのだが、
少なくとも北斗車内では、そこまで徹底したアナウンスは無かった。
もしかして、JR北海道では、車内での携帯の使用は
個人の判断の範疇だったのだろうか。
それとも単なる私の聞き漏らしであり、
あの女性のしていたことは、やはりマナー違反だったのだろうか。
敢えて確認はしなかったので、この件は謎のままだ。

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今回、北海道の道南を旅行していてつくづく思ったのが、
北海道にはあまり冷房がない、ということだった。

西日本の灼熱地獄に較べたら、北海道の夏は確かに天国だ。
着いたとき、新千歳空港の外に出たら、
道路に表示されている外気温が、雨のせいもあってか「19.9度」で、
それでも現地の人たちは、湿度が高いからきょうは蒸し暑い、
と言っていた。
西日本などとはもう明らかに気候帯が違う、という感じだった。

だから外を歩いているぶんには、私達は全く暑いと思わず、
それどころか、晴れた日に陽射しの中に立っていても、
日光の質そのものが全然違ってとても穏やかで、
日傘や帽子はあったほうが良いが、無くても困らず、
「夏にコレって天国だなあ」と幾度も思った。
炎天下でヘトヘトになって命の危険を感じるような、
広島の日常の暑さが、北海道には全くなかった。

しかしそのためか、北海道は全体的にあまり冷房されていないのだった。
勿論、設備としてのエアコンは備え付けられているし、
デパートやホテルなど、それなりに冷やしてはあるのだが、
その冷やし方は、本州の大部分とは比較にならないほどヌルかった。
外を歩いてきて建物の中に入ったときなど、こちらは反射的に、
キュウ!と冷えた空気に包まれることを期待するのに、
北海道には、それが無かった。

札幌―函館の列車内は、表示では27度だったが汗ばむほど暑かったし、
JR札幌駅の構内では冷房していない場所も多く、
函館ベイエリアのオープンカフェに至っては扇風機しかなかった。
だから、いくら冷え性の私といえど、北海道にいる間は、
冷房対策のカーディガンなど、全く必要なかった。

思うに、北海道は基本的に夏の気候自体が暑くないので、
現地の人たちは暑さ対策に、もとから関心も熱意もないのではないか。
少なくとも、西日本の私たちほど神経をとがらせることはないように思う。
前に友人某氏から、ロシアの人たちは気温の低さには敏感だが、
夏の暑さに対しては無策に等しい、と教えて頂いたことがあったが、
北海道の冷房の体制に関しても、私はそれに通じるものを感じた。

北海道の夏は、外が涼しく、室内は特に涼しいわけではない(汗)。

そしてこれはきっと、冬になると逆の現象が起きるのだと思う。
すなわち、北海道では外気温が昼間でも0度に達しないほど寒いから、
暖房に関してはどんな場所も行き届いているに違いない。
分厚い外套が必要であるかわりに、下に着るものは軽い薄着でも
北海道の室内では十分なのだろうと私は想像している。

西日本などはその点、冬のほうが無防備で、設備もない。
公共の場は暖房されているが、暑いほどの室温はあり得ないし、
一般家庭になるとコタツひとつとか、石油ストーブだけで、
室内でも厚いセーターや、綿入れ袢纏を着込んだりしている。
なぜもっと部屋自体を温めないのかと、北海道や北国の人なら、
疑問に思われるのではないだろうか。

私のこれまでの経験では、福岡から東京まで移動しても、
別段、気候の違いは感じなかった。
経度が増す分だけ、9月頃になると東京のほうが
西日本より日の暮れが早い、と感じた程度だった。
しかし東京から仙台の市街地に行くと、夏は明らかに涼しかった。
東北以北は、緯度があがるほどに冷帯気候に近づいて行く、
ということが肌で感じられた。

やっぱり、私としては、夏は北海道、冬は広島、で暮らしたいな(殴)。
なんのかんの言っても、エアコンの要らない気温が体には一番ラクだ。

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旅行中で留守にしていた間に、仏検事務局から
仏検準2級の最終結果通知と合格証明書が来ていた。
7月18日に受けた二次試験は、30点満点中28点で合格だった。

実際にフランス語を話す試験は全く初めて受けたが、
素材となっていたフランス語文章も、そのあとの問いも、
比較的短文が多くてわかりやすかったのが良かった。
仏検準2級については、私にとってはむしろ一次試験のほうが
動詞の時制や態などのあやふやなところを突かれて
難しかったと感じた。

ともあれ、仏検資格をひとつアップグレードできた♪

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10時半頃、新千歳空港で現地の友人と待ち合わせ、
出発までお喋りと昼食を楽しんだ
(主人と娘は、買い物&食事で別行動)。
この友人は昨年、円山動物園を案内してくれた地元在住の人で、
きょうもまた私のお土産の算段に打てば響くの助言をくれて
空港内で適切な店舗に次々と案内してくれた。
ありがとうございました(涙)。

さて、来るときの飛行機は、広島―新千歳の直行便だったが、
帰りはお盆で混んでいたせいで羽田乗り継ぎになってしまった。
昨年までANAが臨時直行便を出して増便していた筈なのだが、
今年はどうもそれがなかったようだった。

12:30発の新千歳―羽田のJAL514便はほぼ予定通り着いたが、
空港が混雑していたのか、機体のドアが開くまでに少し時間がかかった。
ボーイング777-200のうちでも、尾翼を緑色に塗装した機体で、
JALではこれ一機だけという、ちょっと貴重な航空機に当たったのだが、
羽田到着20分後に広島行きが出ることになっていたので、
写真など撮る暇もなく、私達三人は大いに焦って
乗り継ぎの7番搭乗口まで走りに走った。これがまた遠かった。
『自分の乗った飛行機が遅れる場合、乗継機は必ず定時に離陸する』
というマーフィーの法則が、一瞬、脳裏を過(よ)ぎった(笑)。

しかし、有り難いことに、というべきか、
次の広島行きは、搭乗機の整備点検に時間がかかったとのことで、
結果的には搭乗口に着いてみたら、優先搭乗案内が始まったばかりで、
私たちには、まだまだ待つ時間さえ十分にあることがわかった。
羽田―広島のJAL1611便は一回り小さいエアバスA300で、
チェックイン時に「窓側」を指定したら、
私の席は右翼の真横というか上だった。
御陰で、主翼のフラップの動きや雲の下の風景などを
久しぶりに堪能できて、フライト中は飽きなかった。

広島に降りてみると、・・・・・・暑かった(汗)。
そうだ、まだ夏だったんだ、と思い知った。
ただ、家に着いてみたら、窓の外でツクツクボウシが鳴いていた。
私にとって、この夏初めて聞く、ツクツクボウシの声だった。
季節は、確実に移っているのだった。

ただいま帰りました♪

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今夜、札幌に戻って来た。
ご飯も終わり、あとはお風呂入って寝るだけだ。
明日、広島に帰る。楽しかった北海道の旅もついに終盤。

…DVDを見ながら携帯打ちながら読書する、忙しい転娘。

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