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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



初カクラン翌日の昨日、私は指示された通り、
朝イチでいつもの婦人科クリニックに出かけた。
夏に新しく開拓した近所の医院ではなく、
三年前からかかっているほうのクリニックにした。
そちらのほうがここ数年のデータが揃っているので
こういう急激な変化について相談するには良いかと考えたからだ。

先生は私の話と、前夜の総合病院での血液検査結果から、
「アナタの場合は明らかです。筋腫のせいです。
多くの皆さんが辿る道です。繰り返すとなると手術したほうがいい。
でも、おばあさんの介護や子供さんの受験、大変ですよね。尤もです。
今すぐ、アナタが手術を受けることは無理ですね。
ですから内科的に、最強の保存的療法で行きましょう」

それで結局、行き着くところは同じで、
リュープリンの注射をすることになった。
近所の医院でも提案されていた方法で、ただ私が、
せめて娘の受験が済むまでは変わったことをして体調を崩したくない、
などと考えて避けていただけだ。
ふたりの婦人科医が全く同じ診断で同じことを提案しているのだから、
セカンドオピニオンも何もあったもんではなかった。
私の今の状況から言って、治療の第一選択は明らかにコレなのだ。

これも点鼻のスプレキュアと同じで、ホルモン状態を操作して、
体内を更年期以降と同じ状況に仕立てて、
女性ホルモンのひとつエストロゲンの分泌を停止させてしまい、
それによって筋腫や腺筋症の成長をとめる、というものだ。
副作用としては更年期障害同様の不快感や精神的鬱と、
私のような粘膜下筋腫では変性による大出血等も指摘されている。
が、治療しなくてもこうして体調最悪で、大出血しているのだから、
この際同じだ、と私は思った(T.T)。

リュープリンは骨量を低下させる副作用もあり、
四週に一度の投与、使用は最長で半年間となっているので、
順調にいったとしても、夏前にはこれを打ち切らなければならない。
その後はリバウンドもあり得るので、手術を考えるか、
さもなくばスプレキュアか低用量ピルに切り替えてもいい、
と先生は仰っていた。

ということで、昨日は腰にリュープリンを皮下注射して貰い、
そのあと貧血治療の静脈注射も腕にして貰って、
鉄剤と葉酸補充薬を貰って、帰った。
貧血状態は急には改善しないので、へろへろだった(T.T)。
だが、へろへろになったからこそ、リュープリンを受け入れられたのだ。
自覚症状が悪くなかったら、「なるべく薬は避けよう」などと
私はいつまでも姑息な逃げを打っていただろう。
しんどくなると、普段の思考がことごとく停止してしまい、
リュープリンでもなんでもどうぞ、
この際、受験もテキトーでいいです、
みたいな気分になれた(爆)。

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昨夜は、大カクランしてしまった。
筋腫が原因の過多月経がとてつもないことになってしまい、
あまりの大出血で貧血になり、文字通り倒れてしまったのだ(O_O)。
変なもの音で様子がおかしいのではと廊下に出てきた主人が、
私が紙のような顔色で昏倒しているのを見て仰天し、
救急車を呼んでくれて、我が人生二度目の救急搬送を経験してしまった
(初回は28歳のとき。仕事中にいきなり卒倒して職場で大騒動)。

午前一時半だというのに、救急車はすぐ来てくれて、
救急隊員の方々は本当にてきぱきしていて親切だった。
だが、正月休みでいつもの婦人科クリニックは閉まっているし、
初めてのところは日頃診ていない患者に責任とれないと断るし、
私は、意識朦朧ながら
「これがいわゆるたらいまわしか」
と思っていた。
それにつけても、慌ててついて来てくれた主人の髪型は、物凄かった。

結局、某総合病院が親切にも受け入れてくれることになり、そこへ行った。
血液検査をしたら赤血球もヘモグロビン値もかなり低かったが、
女性は男性より貧血に強いので、輸血まではしなくていいだろう、
と若い医師の先生が笑顔で仰って、点滴だけ受けることになった。
「腕や足を切ったというのと違って、月経というのは、
大規模な出血になっても所詮は止まるので、待つしかないです。
産婦人科の先生にもお尋ねしたんですが、そういうご意見でした」
と仰る救急担当の若い先生は、だから内科の方のようだった。

11月の血液検査でヘモグロビン値は12.9もあったのに、
今回は8まで下がっていた。いったい数時間でどれだけ出血したのか。
更に、くらくらするだけあって、血圧が90 / 50くらいに下がっていた。
「いつも低いですか?」
と先生が仰るので、
「いえ、いつもは高いです。下が90くらい平気であります」
と言ったら、ほほう!とまた笑われた。

真夜中の救急病棟は、しかし修羅場だった。
結果的に私みたいな緊急性のないのが来て申し訳なかった。
糖尿病がベースにあって脳梗塞発作で運ばれてきた人とか、
何かわからないが意識不明みたいに唸り続ける人とかがいて、
先生も看護師さんも八面六臂の大活躍だった。
私のヨコに来た高熱の女性は、もう何ヶ月も体調不良だ、
という話を先生に訴えていて、先生は、
「一度、大きな病院にいったほうが良いですね」
と仰っていた。
『大きな病院、ってだからココでは?』
と私は内心でツッコんでいた。
いや、わかるよ、こんな夜中じゃなくて昼のうちに来いってことね。

点滴が終わって、一応、起き上がっても大丈夫だったので、
検査結果を貰って帰宅することになった。
いつものクリニックが4日から診察開始だと判明したので、
必ず受診するようにと言われて、支払いを済ませ、
我々は、さあタクシーで帰ろ・・・と思ったら、
家から運ばれてきた私は、靴を持ってきていなかった(爆)。
看護師さんが、靴下の上から履くようにシューズカバーを下さった。

ああ。
本当に皆さん、すみませんでした。ありがとうございました。
お陰様で、どうにか人心地がつきました(T.T)。
仕事始めを控えていた主人にはとりわけ申し訳なかった。
ありがとうございます。貴男がいたから助けて頂くことが出来ました。
帰宅した主人は、玄関の鏡を見て自分の頭にショックを受けていたが。

しかし何より凄かったのは、この一連の大騒ぎに全く気づかず、
夜中は勿論、朝8時まで大寝をコき続けた娘だった(爆)。

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新年、初帰宅だ。
昼に姑を特養に送り届け、午後から舅宅で洗濯と掃除をして、
夕方、マンションに帰ってきた。

ああ、家は、いいな~~(T.T)。


今回、姑は体力的にはとても安定していて、
何事もない、落ち着いたお正月を過ごすことが出来た。

会話のほうは相当難しい状態になってしまったので、
あまり、オモシロいオチのついた話はできなかったのだが、
元日に、姑の部屋のテレビでBSを観ていたとき、
宝塚宙組『Never Say Goodbye』の音楽に合わせて、
姑まで「ん~んん~~♪」と歌っていたのが面白かった。
勿論、主題歌も何も知っている筈がないのだが、
なんとなく、一緒に歌いたい気分になったようだった。

そして、某生徒さん(特に名を秘す)のソロが始まった途端、
姑の歌がピタリ!とやんだのには畏れ入った。
確かに、この生徒さんの歌は危険だと私も常々思っていたのだが、
予断も偏見も予備知識も何もない姑でさえ、
どう頑張っても一緒に歌えそうにない歌だと思った様子だった(逃)。

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あけましておめでとうございます。

昨日、娘と一緒に買ったチョコボールを今朝開封したら
《銀のエンゼル》が出てきた。
今年の初当たりだ。
そろそろ出るかなと思っていたところだった。

実は私は昔から銀のエンゼルには縁がある。
非常によく当たるのだ。
《おもちゃの缶詰》はもう何度も貰ったことがある。

私は長い間、銀のエンゼルなんて
十回に一回くらい誰でも出るものだと思っていた。
そうではないらしいことを知ったのは成人したあとのことで
バラエティ番組で、一枚でもエンゼルを当てるために
チョコボールを箱買いする企画を見てからだ。

私は誓ってクジ運の良い人間ではない。
それどころか本来、非常に運のないほうだ。
どうやら私の運は、《銀のエンゼル》に特化したもののようだ。
ちなみに《金のエンゼル》のほうは
いまだかつて、見たことがない。

こいつぁ春から縁起がいい、と喜ぶべきか、
こんなことで運を使いたくなかったと憂うべきか。

ともあれ、今年もよろしくお願い致します。

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