神社の帰りに某老人ホームに寄り、
……と言っても面会は引き続き禁止になっているので、
受付のところで和菓子2点とチョコレートを預けて、家に帰ったら、
久々に母から私の携帯に電話が入った。
菓子の礼と近況報告くらいかな?と思った私は甘かったのであって、
母は例の如くうち沈んだ声で、
「わたしゃ、いよいよダメんなって、なんにもできんようになって、
私に誰かつけて貰わんと、どないしたらええかと思うて、もう……」
とワケのわからぬことを語り始めた。
いよいよダメんなった、のは今に始まったことではないし、
具体的内容のない「なんにもできんようになった」のもお馴染みの訴えだ。
また、「誰かつける」のはここ何年かの母のお気に入りのフレーズではあるが、
費用を度外視するとしても、24時間、見守りの人がべったりついていたら、
さぞかし息が詰まるのではないかと思うのだが、母は何を想定しているのか。
とりあえず、今、何で困っているのかと尋ねてみたが、
「あんたに電話もかけられへんようんなって、いよいよ私もダメんなって」
と言うのだが、自分で電話してきて「電話がかけられない」とは、コレ如何に。
結果としてこうやって通話はできたワケだが、もしかして、
かけかたを思い出すのに時間を取ったか?間違い電話を連発したか?
母はいつものように同じ話を際限なくリピートしつつ、
とても困っている、何も自分で思うようにできない、誰か助けて欲しい、
と訴えた。
「誰か」って、そういうときのために詰所に職員さんがいらっしゃるのだし、
今だって、本当に携帯電話の扱い方が思い出せなくて混乱したのなら、
それを持って詰所に行き、
「娘に電話かけたいんやけど、やり方がわからへん」
と言えば、かわりに発信をやって貰えたのである。
現に父は以前、そうやって私に電話して来た。
更に、実は外部のヘルパーさんにも週1回、入って戴いている。
家にいた頃に、調理や掃除のために来てくださっていた方が、
今も、有料で、ホームを訪問し、買い物をしたり模様替えを手伝ったりして、
母の相手をしてくださっているのだ。
「ヘルパーさん?来てもろとるけど、特に用事もないし、
なんのため来とんのやろて、いつも思うてはるやろし……」
と母は言うのだが、週1回1時間のヘルパーさんでもそれなら、
『誰かつけて』貰ったところで、結局ほとんど何の用事もないのでは(^_^;?
話を聞くと、母の究極の願いは、つまるところ、
「誰か」ではなくこの私に、24時間そばにいて貰い、
常に母の話を聞いて貰い、慰めて貰い、困ったときはそれを解決して貰いたい、
ということなのだった。
一種の退行現象であるようだが、そんなこと私は絶対にやりたくないし、
そもそもが、ほかならぬ両親のせいで私は今、
実家と神社をなんとかせねばならず忙殺されているので、
仮にやる気があったとしても不可能なのである。
それに、母は何か都合の良い夢を見ているようだが、
私は電話で話すだけだから、今、一応優しいのであって、
24時間一緒にいたら鬼になるであろうよ(^_^;。
こんな出口のないネガティブな繰り言を24時間受け止めて
なお上機嫌でいるとしたら、その人間のほうが狂っていると思うぞ。
ということで、母には、
「電話できないというが、現に自分で電話してきている。できている。
それが記憶に残らないので、混乱しているだけだ」
「困ったことはまずはそこの職員さんに言えばいい。何とかして貰える」
「私は明後日(20日)の神社の春祭りのあとで寄るから、
テレビ電話(=オンライン面会)で話をしよう」
と、強引にまとめて、話を終わらせた。
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