転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



9月16日の夜の部のうち、『勧進帳』『幸助餅』を、
19日昼の部のうち『悪太郎』『若き日の信長』を観た。
ほかの用事の合間を縫って、海老蔵見たさに無理矢理に出かけた(笑)。

今回、久しぶりに『勧進帳』を観ながら思ったのは、
弁慶は何歳くらいなのだろう、ということだった。
私が初めて『勧進帳』を観たのは子供の頃だったので、
武蔵坊弁慶というと、おじいさんではないにしても、かなりオジさん、
という印象をなんとなく最初に持ってしまったのだが
(『牛若丸』の童謡からも、義経より弁慶はずっと年齢が上という前提が自分の中にあった)、
今回、若々しい海老蔵が演じるのを観ながら、弁慶は、
現代の基準で考えたら、そんなに年齢が行っていなかったのだろうなと思い至った。
そもそもお芝居なのだから、何歳だと考えても悪いわけではないし、
多分、もともとの設定としても三十代前半くらいではないだろうか。
あの当時としては「青年」ではないが、現代なら十分に「若い人」で、
海老蔵の実年齢でちょうど良い人物と思って良いのではないか。

つまるところ、今回の弁慶は、私がもともと持っていた弁慶のイメージより
かなり「若い」感じはした。しかし、それが失敗には見えなかった。
海老蔵の演じる弁慶を観て、これは大いに「あり」だろうと思えたのだ。
義経(翫雀)のほうが年齢が高く見えたのには、ちょっと困ったが、
しかし一団の中の誰よりも義経に品格のあることは、無理なくわかったので、
弁慶とのバランスも含めて、こちらも全く悪いとは感じなかった。
富樫の團十郎が、なんだか声が割れている箇所があちこちにあって、
私の感触では「体調がもうひとつ?」という気がしたのだが、どうだろうか。
勢いの止まらぬような血気盛んな弁慶を、深い包容力で肯定する富樫、
という配置自体は、とてもバランスが見事で、興味深いと思った。

それにしても、私は歌舞伎を観る者として申し訳ないことに、
何度聞いても「山伏問答」の箇所は何の話なのか、わけわかめ(殴)。


……と、今回はとにかく『勧進帳』のために行ったような松竹座だったので、
ほかの演目については、時間が許せば観たい、という程度にしか考えていなくて、
『幸助餅』についても、最初は「こーすけもち?何それ?」という気分だった。
そんな歌舞伎があったのか?音羽屋もよくやる復活狂言みたいなもん?と
さっぱりわかっていない状態で、劇場に行ってから番附を買って読んでみたら、
これは松竹新喜劇から来た演目だとわかった。つまり藤山寛美の系統だ。
そしてこれが、歌舞伎として、なんとも見事な世話物になっていたのには驚いた。
演しものとしては結局、『勧進帳』よりこちらのほうが見応えがあった(ように思う)。
なんでも観てみないとわからないものだと思った。

話としては、関取の雷(右近)にタニマチとして入れあげた幸助(翫雀)が、
大阪でも指折りの餅米問屋だった家業をつぶしてしまい、
ほとんど無一文から心入れ替えて出直すことになるというのが前半で、
その後、幾多の苦労を乗り越え、新たに起こした餅屋が繁盛し、
家族ともどもようやく立ち直ることが出来た、というのが後半だ。
有力なタニマチだった幸助が無一文になったと知ったとき、
雷は幸助をすげなく見限り、その手のひらを返したような態度に幸助は歯噛みするのだが、
もちろんそれは雷の深い思いがあってのことで、
幸助がそれから様々なことを辛抱して、餅屋として成り立つところまで来られたのも、
実は、雷の陰での支えが、大きな力を貸してくれていたお蔭だったことが、
結末で明らかになる。
このあたりはいかにも松竹新喜劇なのだが、わかっていてもなかなか感動的で、
私の周囲ではハンカチで涙をぬぐう人もたくさんあった。

私自身、様々な芸人や芸術家や舞台人に貢いできょうまで来て(笑)、
桁は違うが幸助の気持ちがよく理解できるので、とても身につまされた(苦笑)。
翫雀も行き届いた芝居で申し分なく、幸助には本当に感情移入させられた。
それに加えて、右近があまりに巧いので私は本当に驚いてしまった。
私にとって右近というと、どうしても猿之助のところのナンバー2、
という印象で長年来ていたのだが、もはやすっかり独りで立てる役者になった、
と、よくよくわかった。
関取・雷は、幸助のみならず、観客に向かっても、
最後の場面に来るまで本心は見せない役だが、右近の芝居には奥行きがあり、
脚本には描かれない部分の雷のドラマまでも、十分に感じられた。

幸助の女房おきみ(猿弥)がまた、素晴らしかった。
たおやかな美女ではなく、きわめて庶民的で愛嬌のある女性であり、
あかんたれの幸助を陰になり日向になり支えた、愛情細やかな妻だということが
観客によく伝わり、幸助と実に良い夫婦である様子が、心温まるものだった。
彼女が、幸助のあとを追うとき花道で立ち止まって、大事な櫛をはずして襟元にしまう、
というのは、『魚屋宗五郎』の女房おはまなども見せる「女のたしなみ」の場面だ。
おきみは、しっかり者だが本質的な女性らしさも忘れない妻なのだ。
作者の曾我廼家五郎が、歌舞伎出身という出自の喜劇役者であったことが
こういうところにも活かされていたのだろうなと思ったりした。


……何かまだ書くことがあったような気もするのだが、とりあえず夜の部ここまで。

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