転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昼夜通しは久しぶりに敢行したが、やはり慌ただしかった。
歌舞伎は上演時間が長いので、昼が終わって入れ替えになると、
すぐさま夜の部の開場時間になってしまう。
食事でもしようものなら、終わった途端に戻らないと間に合わない。
昨日の私もそうだった。遅めの昼食を取って駆け戻ったら、
もう夜の部開演15分前だった。

さてそのように疲れた頭と体で見るには、
いささかツラい演目が、夜の部の最初だった。
菅原伝授手習鑑』から『加茂堤』と『賀の祝』。
苅屋姫をしていた梅枝が、初々しくて好演で、
そういえば昼の部では曾我対面で化粧坂少将もしていたっけと
思って調べてみたら、時蔵の長男だった。道理で。
その苅屋姫のお相手の斎世親王を演じていたのが松江で、
前名の玉太郎から松江を襲名して博多では今回がお披露目だった。
こちらもシモジモとはいかにも世界の違う、おっとりした貴公子で、
その佇まいが、うまく雰囲気に出ていて良かった。

しかし、私の集中力が続いたのは、『賀の祝』の兄弟げんかのあたりまで。
午前中からの疲れが出てきて、徐々に私は脱落し、
ねー、絶対この三人は三つ子じゃないよね、
それにどうして八重(時蔵。綺麗過ぎ)だけ
いつまでもそんな派手な格好しているの、
千代(東蔵)はいくら長男の嫁でも地味過ぎだよ、祝の席だろうに、
それよかこの時代、梅と桜は同じ時期に満開だったのかい?
曾我対面は正月、道成寺は春の桜、髪結新三は梅雨時で、
こんどは春の加茂、次の達陀はお水取りだよ、季節行ったり来たり
・・・等々と、どうでもいいことが頭の中を巡り始めて困った。
文楽だったら私絶対に爆睡コいていたと思います(殴!!)。

舞台の上は、本当に猫にコンバンワな充実ぶりだった。
私にもそれはよくよくわかっていた。
左團次の白太夫なんて、物凄い見どころだったと思う。
切腹するしかない桜丸(梅玉)を受け入れる過程、
最後の旅立ちで一旦、出かかった花道から引き返す呼吸、
左團次は実に実に、見事な役者になったんだということがよくわかった。
昼の部で、金の亡者の家主を演じたあと、夜は白太夫だなんて、
左團次という役者の抽出はどれだけ多彩で奥深いのだろうか。

休憩30分で気合いを入れ直し、次が私のお目当ての『達陀』。
これは歌舞伎舞踊としては大変新しいもののひとつで、
二代目尾上松緑が昭和42年に初演したのが始まりだ。
私は菊五郎が平成8年に初役で再演したのは観ていないが、
その数年後に、大阪松竹座でやったものは観ている。
今回は初演から通して八度目の上演ということだった。

東大寺二月堂の「お水取り」という、宗教色の強い秘技を
舞踊劇に仕立てているというのが画期的で、
途中の、僧・集慶と「青衣の女人」のデュエットダンス(爆)も
幻想的で極めて美しいが、それ以上に、終盤の群舞の迫力が凄まじい。

菊五郎の集慶はすっかり手のうちに入っていて言うことなしだったが、
今回はそのうえに、藤十郎が相手役を務めていたのが豪華だった。
若い頃は菊五郎自身がこれを、松緑の集慶を相手に演じたもので、
近年は息子の菊之助が務めた公演もあったが、今回は藤十郎で、
さすがに、美しいだけでなく凄みのある色気が漂っていた
(娘道成寺もそうだ。藤十郎はこのたびは妖怪モノばかりだった)。

最後は『弁天娘女男白浪』は、時間の関係で観なかった。
弁天が菊之助、南郷が松緑、というコンビで、
昔は菊五郎・辰之助という父親コンビが一世を風靡したもんだと、
オバちゃんにとっては大変切なくなる顔合わせだった。
ふたりの持ち味や、私の観た今回の舞台の充実ぶりからして、
多分、なかなかの出来だったのではないかと想像している。
生舞台は一期一会ではあるけれど、演目は廃れることがなく、
同じ役者が同じ演目を、違う時期に再び演じる姿を
観ることのできるのが歌舞伎の良さだと思うので、
若い弁天と南郷に、近いうちにまた会えることを楽しみに、
今回は残念だが想像(妄想)だけにとどめて、博多座をあとにした。

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