転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



実はマンションに入居して以来、
和室に置いたチェストの上に仏像と御神札を並べていたのだが、
このほど、舅宅から仏壇をこちらに持って来るにあたり、
和室が仏間になった
ので、神棚も新たに場所を考えなくてはならなくなった。
もともと、神棚と仏像が並んでいるというのは良い置き方ではなく、
それぞれの場所を確保すべきだとはわかっていたのだが、
とりあえずのつもりで最初に仮置きした場所を、
結局その後13年超、変更せず、今年まで来てしまい、
我ながらいい加減なことだったと、深く反省している(汗)。

それでこのたび思いついたのが、リビングダイニングのニッチに
モダン神棚を設置することだった。
今まで、ここは特に使い方が定まっておらず、
額をかけたりアートフラワーを飾ったりしていたのだが、
サイズの点でも床からの高さの点でも、簡易神棚設置にはちょうど良かった。
5月に取り付けた飾り棚の並びになり、
方角としてはおよそ、南向きの神棚になるので、配置も悪くなかった。
もともと神棚は、家族が集う場所に置くのが良いとされており、
神様に太陽の方角を向いて戴くのが理想的と言われているので、
我が家のリビングダイニングはそれに適した場所と言えた。

  

ときに、現時点で私は、実家の両親宅から祖霊舎をこちらに持って来る、
という考えを放棄、あるいは無期延期している。
「祖霊舎(みたまや、それいしゃ)」とは神道版の仏壇みたいなもので、
中にはお位牌にあたる代々の「霊璽(れいじ)」がおさめられている。
神道では、個人の魂が霊璽に宿り、末永く家の守り神となると考えられている。
当初私は、祖霊舎を実家に置いたまま朽ち果てさせてはいけない、
という考えにとりつかれていたのだが、最近はまた別の感覚が芽生えてきた。

それは、実家があまりにも古く、様々な念を吸い込んでいるため、
実家の祖先はあの土地を離れるべきではないのではないか、
という気が、実家に通うほどに、してきたからだ。
両親だけなら私の居場所に来れば良い、と言っても良かったが、
何代も前から連なる祖先たちは、「私」個人より、
あの家、あの土地にこそ、深い愛着を抱いている人たちだろう。
両親にしても、父は特に、生まれたときから暮らした家こそが「我が家」であり、
嫁に行った娘(=私)など、「元気で留守が良い」類いでは(笑)?

実家は、可能であれば減築して維持するつもりで、
このまま計画に変更がなければ、将来的には娘が相続するだろうが、
娘が広島のあのような田舎に住むことはないだろうから、
別荘もどきになるのがせいぜいだろう。
それでも悪いとは言わないが、もしかすると、
以前母が言っていたように、実家の親戚筋の人に買い取って貰うことも、
不可能ではないかもしれない。中身がよく整頓されていれば(汗)。
少なくとも、神棚や祖霊舎は、娘より実家筋の人の手に委ねたほうが良い、
と今のところ私は思っている。

ともあれそれを決定するのは、順当に行って十年は先の話になるだろうから、
あまり前のめりに、祖霊舎をうちのマンションに持って来るのは、
得策ではない、と最近の私は考えるようになっている。
それはすなわち、現時点で娘に「祖霊舎の始末を任せる」ことには、
まだ、決めてしまわないほうが良い、という意味でもある。
マンションではモダン神棚に御神札を祀るかたちにしておいて、
実家の祖霊舎の行く末については、敢えて当面、保留にしておきたい。

仮に将来の娘が、モダン神棚の維持をしない決定をするならば、
祖霊舎と違ってこちらは簡単な話で、
中の御神札を神社に納めて、神棚を処分すれば良いだけだ。
仏壇も、今回お世話になった仏壇屋さんに言えば、
本体を処分して小型仏壇などに変更することが可能だと、既に言われている。
我が家の墓はお寺の境内地にあり、門徒講金を納める人が居なくなれば終わるし、
私の実家墓は霊園に移設済みで、墓じまいまでの道筋もついている。
ここ数年で、結構、終活が進んできたことを私は嬉しく思っている。

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