転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



実家の土蔵の外に、へんな物置があることに
私は3年くらい前には既に気付いていたのだが
鍵が見当たらないので、手を下すことができずにいた。
何十年も開けていないと思われる物置など、
このまま破壊して始末しても、何ひとつ困ることはない筈であったが、
しかし、家の持ち主の一人として、私にもやはり一通りの責任はあるし
一度は開けて中身を確認するべきだろうと、かねがね思っていた。

それで、きょう、神社の用事で実家に行ったついでに、
父の字で「かぎ」と書いてある箱をあけて、
どの鍵がこの物置のものか、探してみることにした。
――と書けば簡単に聞こえるだろうが、「かぎ」の箱には何十本もの鍵が
放り込まれていて、容易なことではなかった。

どれがどこの鍵であるかについては、記載のないものもあったが、
「奥」「戸」「物入れ」「倉庫」「蔵」「扉」「階段下」「ガレージ上」
等と、キーホルダーに書き込みされているものも多かった。
しかし、そんな暗号みたいな言葉が具体的に何を意味するのか、
鍵をつけた当事者でない私にわかる筈もなかった。
「奥」とはどこの「奥」なのか、「戸」も「扉」も到底一箇所ではないし、
「物入れ」と「倉庫」の区別は何なのか、
母の字で書かれた「台所ドア」と父の字で書かれた「キッチン扉」の違いは、
ありや、なしや。

手当たり次第にやるには数が多すぎるので、私は吟味を重ね、
「物入れ」「倉庫」「物置」「外の倉庫」「庭の物置」「裏」
あたりの鍵が怪しいと見当を付け、それらを持って、裏庭に行った。
うちの裏庭は、表玄関側から行くと遠回りになり過ぎるので、
家の者だからこそ知っている、裏の竹藪から入る道から行った。

そうして、………もういい、結論だけ言おう。
鍵は、あった(有った・合った)のであった。あな めでたや。
それもなぜか、向かって右の扉の鍵だけ。
左は同じ鍵では開けることができなかったし、ほかの鍵も合わなかった。
しかし、右側が開いただけでも、ひとつの大きな解決であった。
内部は一続きになっているので、片側だけでも開けば全体が見られる。
私は、一片の期待も持たずに、物置の扉を開けた。
大量のムシロ、鋤、鍬、その他の農機具、私の三輪車、私の食事椅子、
玉乗りの獅子、カビた仕上げ馬、サビついたハシゴ、
……等々が、半世紀を超える眠りから覚めた瞬間であった。

 

庭にこのような物置を建て、鍵をかけてまで、とっておいたモノが、これ。
嗚呼、なぜ、捨てなかったのか、父よ!母よ!
いつ、どんなふうに、これらが再び必要になると思ったの!?

私は無言で扉を閉め、元通り鍵をかけた。
思った通り、見ないで捨てても全くなんともない中身であった。
それが確かめられたことが、本日の、進歩であり収穫であった。

――完――

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