12月31日から1日たりとも休みのなかった、12連勤@神社、
ようやく、ようやく!!本日午後に!!終了した~~!!!
あの、大晦日の夜のゼツボー的な気分も、今はただ懐かしいばかりだ。
毎朝8時に社務所・授与所での仕事を開始しようと思ったら、
中区の私は、タクシー利用ですら5時半起きだった。
文字通り、朝、暗いうちに家を出て、すっかり夜になってから帰宅する日々。
カレンダー通りに年末年始休暇のあった転夫ころもんが、
毎日、洗濯をし、夕食の手配をしてくれた
(注:彼は、掃除と調理は、しない。食事はデリバリー他)。
帰宅したら洗濯物が仕上がっていて、
自分で考えなくても夕食が整う。こんな極楽は無かった。
ころもんの御蔭で務められた。ありがとうございました<(_ _)>!!
夫婦ふたり暮らしで、幼児も要介護老人も同居していないからこそ
可能だったことでもあった。
12月31日から一度も休まない勤務日程もなかなかキツかったが、
それ以上に、こういう御時世なので、絶対に体調を崩せないという、
心理的な圧迫もなかなかのものがあった。
数年前までは、熱が出てもお腹を壊しても、
解熱剤や止瀉薬を飲んで出勤すればいいだけだと思っていたが、
今は、単なる咽喉痛や頭痛でも、もしそれが新型コロナだったら、
ここから大惨事が始まってしまう恐れがあるので、欠勤するしかなく、
そうなると、たちまち正月行事が滞ってしまうのだ。
これが秋祭だったら、神社ごとに例祭の日が異なっているので、
よその神社と、お互いに助け合うことが可能な場合が、まだしも多いが、
正月は全国一斉に正月なので、すべての神社が同時に超多忙になる。
とてもじゃないが手伝い合う余裕などないのだ。
誰かが倒れたら、…どころか、鼻水を出してもヤバいし、
家族が発病して濃厚接触者になっても全てがアウト!みたいな状況で、
期間中、今日も無事だった、とりあえずここまでできた、
と綱渡りをするような強いストレスがあった。
加えて、私は両親が90歳超なので、
もう、いつどちらが天寿を全うしても全くなんの不思議もなく、
それが大晦日とか正月三が日とかに当たったらオシマイだ、
という恐怖もあった。
神社神道では死の穢れを特に嫌うので、身内が亡くなった場合、
最低限、五十日祭(仏教でいう四十九日)が過ぎるまで、
境内に入ってはいけないのだ。
だがもう、何もかもが無事に終わった。
新型コロナに罹ろうが、誰かの濃厚接触者になろうが、
親が死のうが(爆爆)、もう大丈夫(違)、
すべてが個人の問題で済むなんて、
なんと、なんと、なんと心が解放される極楽であることか!!!
私は何かを間違っているのかもしれないが、
今、そういう方向の安堵が最も大きい。
私の令和4年は、ここに既に、無事に終わった、という心境だ。
正月労働の過酷さに較べたら、残りの神社仕事は、何とでもなる。
やり遂げました!!今年も終了!!
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