転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



母があまりに情緒不安定なので、一度来て下さいと
某ホームのケアマネジャーさんから電話があったので、
きょうは台風に備えて仕事を入れていなかったのを幸いに、
昼過ぎから出向いた。
午後1時の段階ではまだ、天気は崩れていなかった。
母は昔から、雨の日には体の節々が痛いタイプの人だったが、
きょうも台風が近づいているから調子が変になったのだろうかね(^_^;。

某ホームでは相変わらずコロナ感染予防のため面会禁止なのだが、
緊急だったり重要だったりする用件の場合は、会っても良いことになっている。
到着するとまず、受付で検温され体調チェックをされ、
もとからマスク着用はしていたのだが更にフェイスガードを付けるよう渡され、
介護用の薄いビニール手袋も貰ってつけて、
私はケアマネジャーさんの案内で、面談用に確保された小部屋に通された。
母は既に来て待っていた。
父のほうは昼寝中だったので遅れて来るとのことだった。

久しぶりに直接に対面する母は、いちだんと年を取った様子で、
険しい表情をしており、確かに頭の中はネガティブな妄想で一杯なのだな、
ということが見て取れた。
ケアマネジャーさんの事前のお話では、母は下剤を自分で加減できないのが不満で、
「自分に薬をまかせて欲しい・どれをいつ飲むかは体調を見て自分で決める」
ということを今朝も5時から言い続けていたということだったが、
母は私に会うと、全然別のことを言った。
「このホームは一体、どういう状態になったとき
『もううちでは面倒みきれません、出て行って下さい』と言うんかね」。
状態の変化に応じて看取りまで、ということで契約しているので
『出て行って下さい』は現実には無いのだが、母はそれを恐れていた。
見捨てられ不安、というヤツかい(^_^;。

曰く、
これまでに、同じフロアでも、動けなくなった人を何人も見た、
車椅子で食事の場所に連れてこられても何も食べられず、また部屋に連れ戻され、
何もして貰えず、いつしか姿を見なくなり、追い出されたとしか思えない、
私もいつか、あんな扱いを受けて放り出されるのか、……と母は心配していた。
そのかたが自室でどのようなケアを受けられていたか・いなかったか、
母は食事時間しか会っていないのだから何も知らないに等しいと思うのだが、
母は自分が見ていない部分は空想で「放置されて悲惨だった」ことにしていた。
ケアマネジャーさんも私も、「ここでは介護度に応じたケアが受けられるし、
全介助が必要になった人専用のフロアもあるし、系列病院もあるのだから、
部屋を変わったり、入院したりすることはあるとしても、
ホームから出て行きなさいと言われて困るようなことには、ならない」、
と説明したのだが、母は最初、なかなか納得しなかった。

「その系列病院も果たしてどの程度かね。お父さんが去年入院したけど、
ずっと放っておかれて、ただ寝かされとっただけで、自分の体力でなおったんや」
と、ここでもまた、母は自分の見ていなかった・記憶に残っていない箇所については、
「何もなされず、放置されていた」という前提でものを言うので、
私は父が入院して受けた検査や治療、リハビリの数々を列挙し、
「設備のええ病院や、お父さんも落ち着いて、ようなった」
と当時、ほかならぬ母本人が満足していたことを話すと、これは頭に入ったらしくて、
「ほんま?うわ~、完全に忘れとった」
と驚いていた。また、
「その病院ではどこまでターミナルケアなんかしてくれるもんかどうやら」
と言うので、それについても、入院当日に主治医の先生が、
『年齢的に、万が一病状が悪化した場合、治療が奏功しにくい可能性があるが、
人工呼吸などの積極的な処置をどこまで望むか』を尋ねて下さったこと、
『人工呼吸も心肺蘇生も何も望まない。本人が楽であることを最優先して欲しい』
と私が答えて、了解して貰ったこと、等々
を改めて話して聞かせた。
当時私はほぼ毎日、病院に父を見舞い、母にも電話で経過を知らせ、
母本人も実際に介護タクシーで何度か病室まで出かけたのに、
母はすべてを忘れたそうで、今日あらためて私が話すと
大変驚き、かつ喜んでいた(汗)。

という話の途中で父が面会室に遅れて現れたのだが、
これがまた、両手に杖をつき、外見的にいっそう老化していて、
91歳と90歳の組み合わせだもんなorz、と私は内心で脱力していた(^_^;。
しかし父のほうは、案外と頭がしっかりしていて、母の話を聞くと、
「わしは、何も心配しとらん。しても仕様が無いし、どうにもできんじゃない。
わしは、強いて言うなら現状維持よ。今のままでおるだけよ」
となかなか悟ったことを言っていた(^_^;。母はそれを聞くと、
「現状維持て言うけどあんた、私ら果たしてこのまま変わらずにおれると思う?」
と詰問調になったが、父は、
「そんな先のことはわからんし、頑張っても、自分で決められるもんでもない。
なるようになるだけよね」
と取り合わなかった。母は溜息をつき、
「お父さんはいっつもこれや。こういうて手足投げだしとりゃ、
私がなんとかしてくれる思うて」
と呆れたように言っていた。
まあ、自分が夫の面倒を見ていると考える、その気概は買うがね……(^_^;。

ともあれ、何がどう解決した訳でもないと私は思ったのだが、
母はそれでも、私と話していろいろなことがわかり、安心できたと言い、
「あんたが何もかも一人でせんなんから、これからどうなることかと思うて」
などとも、まだ言っていたが、
「確かに、基本的に私が何でも一人でしとるが、それは、
私以外の者には一切、手出しをさせとらんということでもあるで。
全部、私が決めるんやから、何にも心配せんでもええ」
と言ったら、「ホンマや!変なきょうだいも親戚もおらんし!」と
と笑顔になり、深く深く頷いて、納得していた。
母なりに得心したというか、私と喋ってガス抜きできたというか(^_^;。
部屋で最初に見たときは、表情も険しく顔が平行四辺形(爆)に
なって見えたのだが、最後のほうではふっくらと丸い卵形の顔に変わっていた。
ケアマネジャーさんも入って来て一目見るなり、
「ああ、表情が全然違うね(^^)!良かったね!」
と喜んで下さった。

1時間ほど話して、母の機嫌が良くなったところで今日は終わったのだが、
さて、そのいい気分がいつまで続くかね(^_^;。
せめて明日くらいまではモってくれることを祈るよ(^_^;。
明日は台風が本格的だからよ(^_^;。

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昨日の朝、唐突に洗濯機が壊れた。
前日まで普通に洗濯ができていたのに、突然、給水ができなくなった。
洗濯開始のボタンを押しても、まるでガス漏れかというような、
しゅ~~しゅ~~という音だけがして、水滴が微妙に落ちて来るだけ、
という状態になり、取説を見てあちこち掃除したが、改善しなかった。

この日記を辿ると、今の洗濯機は2009年6月17日に買ったものだった。
あれから11年。病気ひとつせず、健気に働いてくれた。
これの前の洗濯機は、確か1997年3月に購入した。
なぜ覚えているかというと、松江から神戸への転勤の直前だったからだ。
だいたい10年を超えると不具合が出ても不思議はない状態になるようだ。
脱水ができなくなったり、クズ取りフィルターが壊れたり、
それぞれ最後はいろいろな症状を呈したものだが、今回は給水が不能に。
なんにしても寿命だったのだろうな。お疲れさん。
そう思って本体をナデナデしたのち、中途半端に濡れた中身の洗濯ものを
仮に外に干しておいて、主人と二人で家電量販店さんに出かけた。

取説も持参して外形寸法を確認しながら店頭にあるものを見たのだが、
10年以上も経つと、同じ容量でも一回り小さくなっており、
交換・設置するにはサイズの問題はほとんど無いことがわかった。
また、家電は家具ではないので、デザインに凝るにも限界があるから、
私は洗濯機に関しては、特にあれこれ選び抜くというほどのことはなく、
配達が迅速であること、サイズ・容量・価格が許容範囲であること、
という点でサッサと決めた。

その品がきょうの昼過ぎ、早速我が家に配達され、
先代の洗濯機は引き取られ、交換が相成った。
昨日の朝、やりかけた洗濯物と、それ以後に出た昨日分の洗濯物があり、
新入り洗濯機は、到着する早々、2サイクル連続で働かされることになった。
「なんと人使いの荒い(洗濯機使いの荒い)家に来てしまったのか」
とビビっているといけないので、さきほど、
「明日からは毎朝1回だからね(^_^;」
と言い聞かせておいた。

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