転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ポゴレリチは12月16日と18日に、生まれ故郷のベオグラードで
28年ぶりの演奏会を行うことになっている。
16日が協奏曲でショパンの2番、
18日がリサイタルで、プログラムは先だっての東京公演と同様だ。
これらの演奏会のための使用楽器を、11月16日にポゴレリチは、
ドイツ・ハンブルクのSteinway & Sonsの工房を訪れ、試弾の後、決定した。

Ivo Pogorelich Visiting "Steinway & Sons" Factory In Hamburg ..November, 16 ..2017 ..(YouTube)

この世界的ピアニストの帰還を、現地は「歴史的演奏会」と讃え
チケットは即日完売、テレビ取材が行われ特別写真展も開催されている。

Погорелић за РТС: Виђаћемо се поново(セルビア国営放送のインタビュー)
Mira Adanja Polak: Ekskluzivno
(セルビア人ジャーナリストMira Adanja Polakが紹介する、
セルビア国営放送の1970年~80年代のポゴレリチの映像)

ポゴレリチは1958年に当時のユーゴスラヴィアの首都ベオグラードで、
クロアチア人の父とセルビア人の母との間に生まれ、
「チトー大統領のように生きるのが理想」
と発言していたほどの、愛国的な子供として育った。
少年時代から給費生としてモスクワに留学し、10年余りを彼の地で過ごしたが、
1980年10月の第10回ショパン・コンクールにはユーゴ代表として参加した。
その後、不幸なことに、1991年ユーゴスラヴィア紛争が勃発、
彼の祖国は分裂し、美しかった都市の景観も破壊された。
このときポゴレリチはクロアチア国籍を選択し、
以来、ふるさとのベオグラードのあるセルビアは、彼にとっての外国になった。
インタビュー等で、「あなたはセルビア人ですか」と尋ねられ、
ポゴレリチが「いいえ」と答えるのを、私は幾度か聞いたことがある。

しかしポゴレリチは決して、セルビアと決別したのではなかった。
ポゴレリチ本人の言によると、モスクワで演奏しないのは自分の意思だが、
ベオグラードで弾きたい気持ちはずっと以前からあった、とのことだ。
にも関わらず、様々な理由からそれは容易に実現しなかった。
今回の演奏会にこぎつけるまでにも、十年あまりの交渉期間があった。

この演奏会が行われることが正式にアナウンスされたのは、
2017年1月1日だったと思うのだが、
実は今から2年前の春に、ポゴレリチは私的にベオグラードを訪れ、
今回の会場となっているKoloracホールでリハーサル的な演奏もしている。
全くの非公式であったため、報道はされなかったが、
現地のファンがFacebookに投稿しており、
極秘の行動などではなかったことがわかる。
しかしそのときには、一般の人達からはポゴレリチだということは
ほぼ、気づかれなかったとのことだ。
「あの」ポゴレリチがまさかベオグラードに来ているとは、
現地の人達は誰も想像だにしていなかっただろう。

Ivo Pogorelich in Belgrade ..(YouTube)

目下、ベオグラードの会場となるKoloracホールのギャラリーでは、
ポゴレリチの、1977年から2017年までのポートレイトが展示されている。
大半はドキュメント写真に類するものだが、アート作品もあるとのことだ。

Pogorelićevo svraćanje u Beograd

「2008年になったら、50歳の誕生日に、自分の生まれたベオグラードに帰り、
そこで演奏会を開きたいと思っている」
とポゴレリチが発言してから、それが本当に実現するまでに、
10年近くの年月を要することになった。
少年時代を過ごしたベオグラードで、60歳を目前にしたポゴレリチは、
今、何を思うのだろう。
今夕、彼はベオグラードに到着した。
歴史的な演奏会の幕が開くまで、もう、あと60時間ほどだ。

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第一部前半が『実盛物語』、実盛は愛之助。
仁左衛門の若い頃みたいな容姿だとずっと思っていたが、
近年は私の中に、愛之助が誰であるかという感覚が出来上がったので、
「孝夫そっくり…」などといちいち考えることはなくなった。
愛之助は何を演っても端正で巧いが、
実盛に関しては微妙に、私の想定と違う役作りだと感じた。
非現実で大仰な設定だからこそ歌舞伎らしいドラマになるところを、
愛之助はリアリティをもって演り過ぎるのかもしれない。
もし機会があるなら、次は実盛は彦三郎で観てみたいと思った。

第一部後半は『土蜘蛛』。
平井保昌の團蔵に重厚さと品格とがあり、相乗効果で
頼光(彦三郎)の格も一段と高いものとして感じられた。
侍女の胡蝶は梅枝で、地味な松羽目ものの舞台にこういう人が出ると
華やかな彩りがあって眼福だった。
間狂言には小さい亀三郎が出ていて、声も良く通り、本当に可愛かった。

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第二部は前半に『らくだ』。
これは9月に、染五郎・松緑・亀寿(当時)で観た題材だったが、
今回はそれの上方版だったので、言葉も関西弁だし演出もいろいろ違い、
紙屑屋 久六(中車)が完全な主役に見えて、意外だった。
私はこれは、半次(上方版では熊五郎)と久六と「らくだ」、
の3人を、トライアングルのように楽しむ芝居だと思っていたのだが、
上方版では半次の妹おやすも出ないし、
話の力点の大半が、久六にあるのだろうという感じがした。
中車の演じ方もまた、徹底的で大変印象の強いものだった。
中車の舞台には求心力があると思った。
こちらは熊五郎が愛之助で、実盛とは打って変わって伝法な兄さん、
らくだ役は片岡亀蔵で、背負われた死体としての動きが絶妙、
手足を黄色に塗っているのもいかにも冷たそうで、
これまたシヌほど笑わせて貰った。
9月の岡鬼太郎・作の『らくだ』のときは、
さほど長く「かんかんのう」を歌わなかったような気がするのだが、
今回はそれもちゃんと聴かせて・見せて貰った。
『実盛物語』で九郎助を務めていた松之助が、
『らくだ』では家主女房おさい。
前回観た、東蔵のおさいよりずっと「おかん」的な図太い感じがしたが、
家主の幸兵衛(橘太郎)とのバランスで、上方らしさという意味からも
ほど良く、楽しく観ることができた。

第二部の後半は、『蘭平物狂』。
坂東亀蔵の壬生与茂作がいかにもすっきりと綺麗な男ぶり、
新悟のおりくも品が良く、ただの在所者でない雰囲気が明らかで、
最初から「何かある」感じがちょうど良く出ており、巧いと思った。
行平は愛之助で美しいことこのうえなく、
奥方の水無瀬御前は誰かと思えば児太郎で、
こういう役ができるようになったのだなと感慨深かった
(父上の福助の病状はどうなのだろうか。復帰は難しいのか………)。
この演目はとにかく蘭平と捕手たちの大立ち回りの迫力が、ただごとでない。
千秋楽まで元気に存分に、全うして頂きたいと心から願っている。
『らくだ』で愉快に爆笑し、『蘭平』で息を呑んで展開に見入る、
という第二部が、今月の歌舞伎座では私は一番好きだったかもしれない。

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第三部は、玉三郎と中車の舞台で、
前半が『瞼の母』、後半が舞踊『楊貴妃』。
幼い頃に別れた実の母を追い求める忠太郎を観ていると、つい、
中車自身の、父・猿翁との長い断絶のときを思い出してしまい、
忠太郎の言葉のひとつひとつが、中車本人による独白のように聞こえた。
現実には中車は、こうして父と同じ歌舞伎の世界を手に入れることが叶い、
それは多分、幸せなことだったのだろうと思ったりした。
母おはまは玉三郎で、私の思う玉三郎の魅力のひとつが、
「(良い意味での)酷薄さ」なのだが、それが今回は、
揺れ動くおはまの態度の中にうまく活かされていたと思った。
お登世が梅枝で、玉三郎と並ぶとあまりに美しい母娘だった。

『楊貴妃』は初演以来、玉三郎しか演っていない演目だが、
相手役としての中車は初役。
玉三郎の、静謐な瞬間を丁寧に紡いで繋げて行くような舞踊が、
楊貴妃の魂の世界そのもので、時の経つのを忘れて見入った。
中車には、私はこれで新歌舞伎も大衆ものも舞踊も見せて貰ったので
いずれは時代物で観たい、と思った。
舞台人としての中車は、私なりにある程度わかったが、
歌舞伎役者としてどうなのかというイメージが確立するところまでは、
まだ、自分の中で至っていない。
何しろ見始めたばかりなのだから、今後の中車に注目したいと思った。

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