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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



通し狂言『雷神不動北山櫻』、海老蔵の五役。
私としては安倍清行が一番好きだった(笑)。
最近の海老蔵に関しては私は、
ひょうひょうとしていて、かつ品が良くチャーミング、
という面に心惹かれる。
以前観た河内山など最高だった。
今回の五役の中でも、美しいのだがとてつもない年寄りで、
かつ、不思議な力を持っている安倍清行が、
最も私の好きな海老蔵の魅力が出ていたと思う。

菊之助の雲の絶間姫は大変美しかったが、
色香で鳴神上人を惑わすところよりも、
自分の帯びてきた使命に忠実、という面のほうが強く感じられ、
声など、妙なる調べのようでかなり良かったけれども、
色っぽさはもうひとつだったかもしれない。

後半は時蔵の『女伊達』。
凜々しく可憐、という意味では今の時蔵は無敵だと思った。
まさに立女形の風格!

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13日(日)昼夜と14日(月)の夜を観てきた。

13日は朝6時19分ののぞみで広島を発ち、
車中でうまく爆睡したつもりだったのだが、
昼の部も夜の部も寝落ちしてしまった。

昼は、話の筋を知っている『毛抜』になると
安堵感からうっかりと寝てしまい、
夜は、旦那さんの『弁天』を力入れて観た反動から、
松緑の『菊畑』の途中で寝入ってしまった。
目が覚めたら、あらしちゃん(松緑)の御主(おしゅう)が
話の初めとは全然違う人になっていた(爆)。

夜の部については、最初から、
13日(日)は3階席で全体像をチェックして、
14日(月)の1階二等席で細部まで観る、という予定だったので、
日曜の段階では、「明日もある」という、
気の緩みが結構あったと反省している(汗)。

14日(月)は、敢えて昼の予定を全く入れず、
目覚ましをかけずにホテルで寝たいだけ寝た。
その意味では今回、私は東京へ静養に行ったと思っている。
広島に居ると、いつ何をしていても必ず用事が追いかけてきて、
私はどうやっても休めない状況なので、
東京に行くことにより、それらがすべて断ち切られ、解放された。

どれほど緊急の用事があろうと、
東京にいる限り、私は現場に急行できない、
帰れないのだから、何もできない、
何もできないのだから、何もしなくていい!!
素晴らしい解放感だった。
携帯も電源を落として、寝まくった。
自然に目覚めたのが昼前で、午後から起き出し、
築地本願寺に参って、帰りにカフェでランチをし、
また部屋に戻って、夜の部まで再度、昼寝をした。

というわけで、14日(月)の夜の部には、
観客としての私は滅多にないベストコンディションで臨めた。
勿論、『菊畑』も今度こそ寝ないで満喫させて貰った。

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12日歌舞伎座、昼の部のメインは菊五郎主演の『裏表先代萩』。
こうして見ると、四月大歌舞伎は、
夜が仁左衛門の悪役二役、昼は菊五郎の悪役二役。
いずれも、時代物の大悪党と、世話物の小悪党の対比なのだが、
仁左衛門がどこまでも昏く陰影深く、艶やかに演じる一方、
菊五郎はどこか愛嬌があって明るく、しかしドスが利いたら怖いぞ、
という硬軟自在の悪者で、そこはやはり音羽屋の持ち味ならでは。

時蔵の乳母政岡は初役だったが、立女形として素晴らしかった。
片外しは合うだろうなとは思っていたが、期待を遙かに上まわった。
時蔵の鋭角的な美貌や声が、政岡の強さによく似合い、
同時に根底には細やかな情が豊かにあることがわかり、大変良かった。
小さい亀三郎が鶴千代君で、お人形さんのようにおっとりと可愛らしく、
しかし高貴なところがよく出ていて、声が通るところは父上譲りか。

菊五郎の仁木弾正の引っ込みのところは圧巻だった。
ほとんど音もない、限られた動きだけの花道引っ込みを
あれほど余裕を持って見せることができるのは、音羽屋の芸あればこそ。
しかし蝋燭の使い方は、成田屋のとは違ったように思うが、
……ここは音羽屋の型というものなのだろうか。
そのうち時間があれば調べてみたい。

松緑が弥十郎で、弁舌爽やかな二枚目、こちらは掛け値無しに素敵(笑)!
小助(菊五郎)との対決は、胸のすく見事さ!
昔から私は、あらしちゃんの声質が好きではあったが、
台詞自体がここまで向上して来ると、今後は本当に楽しみだ。
あらしちゃんは、地道に努力して成果を出す人なのだなと感じ入った。
……亨さん(初代・辰之助)の息子は、あっぱれ、立派になったよと感無量。

それにしても、実は以前から思っているのだが、物語としての仁木弾正、
大上段に構えて登場→威厳を見せつけて花道を去って行ったにしては、
よく見ると鶴千代君暗殺はしくじっているし、
ねずみになったときには床下で男之助に踏まれているし、
年寄りの外記左衛門をしとめるのに手こずるしで、
実に失点が多く、腰砕けなところがあって憎めない。
妖術まで使えるという設定なのに、それでいいのかという(笑)。
大の字で死んで高く抱え上げられての退場は、
(自称)大悪党に相応しく、大変格好良いのだけど(笑)。

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12日は歌舞伎座昼の部、まずは『西郷と勝』。
真山青果の「これでもか!」な台詞劇に真っ向から挑む松緑。

最近は、松緑の舞台を見るたびに、
彼の精進のあとがはっきりと感じられて、私は嬉しくてならない。
今回の西郷隆盛もまた、松緑の研鑽ぶりが手に取るようにわかった。
真山青果の台詞は、細部まで作り込まれていて、凝っているのだが、
役者が、滑舌から解釈、聞かせ方に至るまで首尾一貫したものを持たないと、
観客は、その台詞の量と内容に圧倒されるだけで、ついて行くことができない。
私はこれまで、結構、ほかの真山作品では寝オチしたことがあった(殴)。
しかし、今回、私は松緑の西郷の言葉を聞いていて、
そのひとつひとつが心に食い込み、説得された。
「戦争ほど残酷なものはない」という西郷の台詞など、
明治維新という舞台上の設定のみならず、
昨今の日本の状況を省みても、改めて胸に響く、
……と自然に思わせる重さ・熱さがあった。
全く、観る前には予想だにしていなかったことだった。
踊りが武器の松緑に、真山青果はどうだろうかと危ぶんでいたのだが、
真っ向勝負を挑んで最後まで音を上げず、新たな境地を得たのだなと感じ入った。
あらしちゃん、台詞のみの役で歌舞伎座主演……!!
松緑ファンにとっては歴史的な舞台であった。

(写真は、この作品にちなんで販売されていた「西郷と勝」弁当(笑)。
細工物以外の食べ物を撮影することは、本来の私の趣味ではないので、
写真は包装だけしか残していないが、四月限定品ということで。
劇場に入る前に木挽町広場の売店で買った。実に食べ応えがあった。)

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四月大歌舞伎『通し狂言 絵本合法衢』を11日の夜に観た。
仁左衛門、一世一代にて相勤め申し候、ということで、
逃してはならじと無理して東京に行った。

仁左衛門はそれはそれは見事だった。
時代物の悪役と世話物の悪役を二役で演じ、
それぞれの声の出し方から目つき顔つき、立ち方に至るまで、
仁左衛門はなんと抽出の多い、自由自在の役者なのだろうかと感じ入り、
しかもその何もかもが美しく色気があり、一挙手一投足がしなやかで、
最初から最後まで、ただただ見惚れた。畏れ入りました。

ヤジュじい(坂東彌十郎)、早変わりもあり大活躍だった。
彌十郎の芸風の力強さが発揮され、立ち回りは大迫力、
加えて、亀三郎でなくとも(笑)誰もが抱きつきたくなる温かさがあり、
仁左衛門の悪役ぶりとの対比が大変鮮やかだった。
時蔵の「うんざりお松」は出て来たときの一発目の印象が強烈で、
お松の過去も現在も、すべて観客に伝える隙の無さだった。
まさに至芸!

ときに、仁左衛門は鶴屋南北がお好きなんだと漏れ聞きましたが、
……私もテンポの良い南北は、概して気持ちよく観られるのではありますが、
この話、次から次へと、あまりにも大勢の人が死に過ぎです(逃)。
最後に、仁左衛門を真ん中に、彌十郎・時蔵が並んで挨拶があるが、
あれの御蔭で、ここまでの極悪非道の世界が「御芝居」であったと
ようやく、観客のほうでも折り合いが付けられたのだと思う。

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本日は歌舞伎座昼の部。
私のお目当ては雀右衛門と松緑が踊る『男女道成寺』。

雀右衛門、前半はえも言われぬ、魅力的で優美な、
うねりのある踊りで花子の様々な顔を見せて下さり、
先代のマリー雀右衛門のおじさま(@俳優祭『ばらのよばなし』)
もあの世でさぞや感じ入っておいでだろうと見とれていたのだが、
最後に蛇になって鐘に乗り、その上で見得を切る花子を
オペラグラスで見たら、一転して清姫の狂気そのもののお顔になっており、
これぞ天を衝く清姫の怒り!と息を呑んでしまった。
当代雀右衛門の胸のうちには、深くたぎる「熱」がある!と感じ入った。

対する松緑、前半は「白拍子 桜子」としての女性の踊りで、
あまりにも、あまりにも可愛くて俄には松緑とは信じられず(殴)、
私はオペラグラスをあげて二度観をした。
身のこなしのひとつひとつに愛らしさと品格があり、
一分の隙もなく、さすが藤間流六世家元の面目躍如。
後半の、「狂言師 左近」としての踊りも、軽やか、かつ鮮やか。
お化粧も、眉は違うが基本形が桜子のままなので、
左近になってもやはりかなり可愛くてお人形さんのよう、
見ながら幾度も、こちらの頬が緩んでしまった。
……この方、来月は西郷さんなんですよね(^_^;??

名手ふたりが、静かに、かつ真っ向から技を競い合う共演に加え、
今回の舞台は、所化も超豪華な「イケメン祭り」状態で、
並ぶのは、歌昇、竹松、壱太郎、廣太郎、米吉、橋之助、男寅、福之助。
満開の桜に相応しく、そこかしこに馥郁(ふくいく)とした香り漂う、
華やか・賑やかな一幕を見せて貰った。

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(写真は、歌舞伎座タワー5階のギャラリーに展示されている『鰹』。
『髪結新三』では、この初鰹が舞台の空気を決定づける小道具となる)

昨日、国立劇場で菊之助の『髪結新三』を観た。
畏れ入りました!!

菊之助は近年、充実しすぎて「ヤバい」(笑)。
すらりとした立ち姿、妖しい眼差し、まろやかな声音、
それに程よく丸みの出て来た脚線美になんとも言えぬ色気があって、
ちょっとこれまで観たこともないほど美しい新三だった。

最初に新三が髪結の小道具を下げて舞台下手から出て来たとき
菊之助の目つきが、今までの彼にはなかった、
「美貌の小悪党」然としたものであることに、まず強く感心させられたが、
その次に、朝湯帰りという設定で新三が手拭い・浴衣姿で花道に登場した場面、
私はその、匂い立つ全身の美しさに心射貫かれた思いがした。
更に、閻魔堂の場で、侠客となった姿で舞台上手から姿を現したときの菊之助も
その体じゅうから発散される空気に、昏い紅色が漂うような印象があり、
ひとつひとつ、研鑽を積んだ菊之助が身につけてきたものが
こういうかたちになったのかと、強く打たれ、目を見張った。

役と向かい合う際の菊之助の、妥協を許さぬ徹底的な姿勢と、
限りなく謙虚な学び取り方を、目の当たりにした思いだった。
常に音羽屋としての正しさを高め、追求し続け、
丁寧に厳格に積み重ねてきたものが、今や豊かに実って、
いよいよ、瑞々しい大輪の花になろうとしている、と思った。
そして、我々は今ここで「芸の継承」を現在進行形で目撃している!
という手応えをひしひしと感じた。
私は長く菊五郎のファンであり続けているのだが、
息子の菊之助が、菊五郎の新三をまさに超えんとしていることを
心から嬉しく、感慨深く思っている。
菊五郎は、なんと見事な後継者を育ててくれたのだろうか!

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18・19日で東京に行き、国立劇場の日本舞踊協会公演と、
歌舞伎座の二月大歌舞伎を観てきた。

18日の歌舞伎座夜の部で、久しぶりに幕見席を買い、
『芝居前』と『七段目』の二幕を続けて観たのだが、
座席のすぐ後ろではなく、座席と座席の間にある通路の真後ろにあたる、
壁際の「お立ち台」に上がって観てみたら、これが大正解で、
遮るものが何ひとつない100パーセントの視界が得られ驚嘆した。
これぞ、パーフェクトなグランド・ビュー!!!だった。
そしてこれが、実は今回の歌舞伎座での最大の収穫になった。
大切なのは、
「座席エリアのブロック間通路 真後ろ突き当たり・壁際お立ち台」
という点だ。
「お立ち台」でも、自分の前方に座席列のある場所では、
その座席背後とお立ち台の間のスペースに立ち見客が立つ可能性が高いので、
必ずしもこの壮観を楽しむことはできない。

一幕見席について(松竹)

上のリンク先『幕見席へのご案内』に出ている右側の写真の、
グレーの部分が私の言う「お立ち台」なのだが、
実際にはここも、床と同じ朱色の絨毯が貼られている。
幕見席では、座席のすぐ後ろからすべてが立ち見エリアなのだが、
座席エリアのブロック間の通路を塞いで立つことと、
通路階段部分に座って観ることは禁止されているので、
私は混雑気味の立ち見席に入ったとき、直感的に
「前に誰も来ない。……なら、ここ一択だな」
と思ってお立ち台に上がり、
自分の前方が座席エリア内の通路にあたる場所に陣取った。
そうしたら、これが冒頭に書いた通り、
私にとっては、予想を遙かに上まわる大成功だったのだ。

私の前に人が立つことは禁止されている(^_^;のだから、
誰も、何も、私の視界を遮るものはなかった。
私は身長153センチで、上背がないので、普通の席にいると、
視界の下三分の一に前の席の人達の頭部のシルエットが入って、
どうしても舞台のどこかが欠けた状態で観ることが多かったのだが、
お立ち台に上がってみたら、そのようなストレスが一切無かった。
前の客が前のめりだとか、動きすぎる等の問題とも無縁(T_T)。

似たような視界は、座席列のすぐ後ろに立つことでも得られるが、
私にとっては、お立ち台の魅力のほうが勝った。
お立ち台なら、前にいる人達と完全に離れられるし、
後ろが壁で、寄りかかって立つこともできるからだ。
また、自分にとって重要でない(爆)場面のときは、
お立ち台であればこそ、そこに腰を下ろすことも可能で、
更に、座席のように区切られていないお蔭で、隣に立つ人が居ないときは、
左右の空間を広々と独占できるのも快適だった。

何より、お立ち台だと劇場全体の天井に近いところから見下ろすかたちになり、
舞台の床がほぼ全部見えて、奥行きの表現が大変よくわかった。
一階席などにいると、役者さんが前に出たり後ろに引いたりするのが、
一応それなりには感じられるが、上から観たらもう全然その比ではなく、
舞台を完全に立体的に把握でき、発見が多々あった。

昔の幕見では花道は見えなかったと思うのだが、
今は、勾配が急になったため、すっぽんまで余裕で見えた。
二階・三階でも「東」以外では、花道全体を観ることは到底かなわないし、
私にとっては今回の見え具合なら普段の三階席と変わらず、不満はなかった。
強いて言えば、『木挽町芝居前』のときの花道の松緑は、
「声はすれども姿が見えず」状態ではあったが(^_^;。
その、『木挽町芝居前』は幕見券を買った段階から立ち見だったのだが、
私は、この「通路真後ろ・お立ち台」からの眺めにあまりにも心打たれ、
通しで買った次の幕の『七段目』のときは、
座席への案内があったのを断ってここに居座った。

昔の歌舞伎座のとき、結構、幕見は利用したつもりだったのだが、
大抵、席を確保するようにしていたし、
また、いかに賢く席を勝ち取るかのほうに熱中していたりもして、
立ち見のお立ち台がこれほど素晴らしいものだとは考えたことがなかった。
次回から、じっくり細部まで観たい演目のときには、
むしろ「幕見・お立ち台」を積極的に使うことにしようと思った。
私は割と、立っていることや歩くことが平気なほうではあるが、
それでも、こういう楽しみ方をするには、
年齢的にいずれ限界が来るだろうから、今が最後のチャンスだと思う。
今後は、ちょっと積極的に「お立ち台観劇」を続けるつもりだ。

唯一と言って良い欠点は、「幕見」は前売りで買えないということだ(爆)。

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1月21日(日)の公演を観た。
菊五郎劇団の国立劇場を観ないことには、
私の正月が来たことにならない!

全四幕の中に時代物あり・世話物あり・曲芸あり・ドリフあり(笑)、
仕掛けも大がかりで総花的に楽しく、
例年以上にスケールの大きな娯楽作品になっていた。
冒頭、音羽屋の旦那さん(菊五郎)の登場の第一声が、
低く昏く深くて、聴いた瞬間に魂抜かれた。

更に、あらしちゃん(松緑)が、声も姿も動きも、
足先指先、目線の先まで、実に実に格好良かった(感涙)!!!
新年早々、私好みの松緑をふんだんに観ることができ、最高だった!!!

菊之助はもう、どの角度から見ても音羽屋のプリンスの面目躍如。
こんな匂い立つような跡継ぎとして、見事に生い立たれようとは、
長年の音羽屋ファンとして感無量でございます。よよよ(T_T)。

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第一部前半が『実盛物語』、実盛は愛之助。
仁左衛門の若い頃みたいな容姿だとずっと思っていたが、
近年は私の中に、愛之助が誰であるかという感覚が出来上がったので、
「孝夫そっくり…」などといちいち考えることはなくなった。
愛之助は何を演っても端正で巧いが、
実盛に関しては微妙に、私の想定と違う役作りだと感じた。
非現実で大仰な設定だからこそ歌舞伎らしいドラマになるところを、
愛之助はリアリティをもって演り過ぎるのかもしれない。
もし機会があるなら、次は実盛は彦三郎で観てみたいと思った。

第一部後半は『土蜘蛛』。
平井保昌の團蔵に重厚さと品格とがあり、相乗効果で
頼光(彦三郎)の格も一段と高いものとして感じられた。
侍女の胡蝶は梅枝で、地味な松羽目ものの舞台にこういう人が出ると
華やかな彩りがあって眼福だった。
間狂言には小さい亀三郎が出ていて、声も良く通り、本当に可愛かった。

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第二部は前半に『らくだ』。
これは9月に、染五郎・松緑・亀寿(当時)で観た題材だったが、
今回はそれの上方版だったので、言葉も関西弁だし演出もいろいろ違い、
紙屑屋 久六(中車)が完全な主役に見えて、意外だった。
私はこれは、半次(上方版では熊五郎)と久六と「らくだ」、
の3人を、トライアングルのように楽しむ芝居だと思っていたのだが、
上方版では半次の妹おやすも出ないし、
話の力点の大半が、久六にあるのだろうという感じがした。
中車の演じ方もまた、徹底的で大変印象の強いものだった。
中車の舞台には求心力があると思った。
こちらは熊五郎が愛之助で、実盛とは打って変わって伝法な兄さん、
らくだ役は片岡亀蔵で、背負われた死体としての動きが絶妙、
手足を黄色に塗っているのもいかにも冷たそうで、
これまたシヌほど笑わせて貰った。
9月の岡鬼太郎・作の『らくだ』のときは、
さほど長く「かんかんのう」を歌わなかったような気がするのだが、
今回はそれもちゃんと聴かせて・見せて貰った。
『実盛物語』で九郎助を務めていた松之助が、
『らくだ』では家主女房おさい。
前回観た、東蔵のおさいよりずっと「おかん」的な図太い感じがしたが、
家主の幸兵衛(橘太郎)とのバランスで、上方らしさという意味からも
ほど良く、楽しく観ることができた。

第二部の後半は、『蘭平物狂』。
坂東亀蔵の壬生与茂作がいかにもすっきりと綺麗な男ぶり、
新悟のおりくも品が良く、ただの在所者でない雰囲気が明らかで、
最初から「何かある」感じがちょうど良く出ており、巧いと思った。
行平は愛之助で美しいことこのうえなく、
奥方の水無瀬御前は誰かと思えば児太郎で、
こういう役ができるようになったのだなと感慨深かった
(父上の福助の病状はどうなのだろうか。復帰は難しいのか………)。
この演目はとにかく蘭平と捕手たちの大立ち回りの迫力が、ただごとでない。
千秋楽まで元気に存分に、全うして頂きたいと心から願っている。
『らくだ』で愉快に爆笑し、『蘭平』で息を呑んで展開に見入る、
という第二部が、今月の歌舞伎座では私は一番好きだったかもしれない。

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第三部は、玉三郎と中車の舞台で、
前半が『瞼の母』、後半が舞踊『楊貴妃』。
幼い頃に別れた実の母を追い求める忠太郎を観ていると、つい、
中車自身の、父・猿翁との長い断絶のときを思い出してしまい、
忠太郎の言葉のひとつひとつが、中車本人による独白のように聞こえた。
現実には中車は、こうして父と同じ歌舞伎の世界を手に入れることが叶い、
それは多分、幸せなことだったのだろうと思ったりした。
母おはまは玉三郎で、私の思う玉三郎の魅力のひとつが、
「(良い意味での)酷薄さ」なのだが、それが今回は、
揺れ動くおはまの態度の中にうまく活かされていたと思った。
お登世が梅枝で、玉三郎と並ぶとあまりに美しい母娘だった。

『楊貴妃』は初演以来、玉三郎しか演っていない演目だが、
相手役としての中車は初役。
玉三郎の、静謐な瞬間を丁寧に紡いで繋げて行くような舞踊が、
楊貴妃の魂の世界そのもので、時の経つのを忘れて見入った。
中車には、私はこれで新歌舞伎も大衆ものも舞踊も見せて貰ったので
いずれは時代物で観たい、と思った。
舞台人としての中車は、私なりにある程度わかったが、
歌舞伎役者としてどうなのかというイメージが確立するところまでは、
まだ、自分の中で至っていない。
何しろ見始めたばかりなのだから、今後の中車に注目したいと思った。

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