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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



12月31日から1月12日まで、一日たりとも休みの無かった、
私の年末年始の重労働が、ついに終わった。
31日は半徹で神社に詰めており、元旦は隣村の神社の手伝いにまで出向き、
2日からも続けて11日まで毎日、中区のマンションから村に通って、
一般の初詣や厄祓い、会社安全祈願、団体さんの初詣行事の対応をした。
連日朝7時半から夕方5時まで、日によっては朝6時半始まりで(泣)、
「寝てない」「寒い」「自由が全然ない」毎日だった。
会社なら5時に終われば夜だけはフリーになるところだが、
神社だと5時から撤収を始めて終わるのが6時過ぎ、それから中区まで戻って、
夕食は主人と娘がなんとかしてくれたのだが(有り難や有り難や)、
終わって片付けたらただちに寝ないと、翌日がまた早朝始まりだから響く、
という毎日で、事実上「布団で一瞬」と「神社で忙殺」の反復のみだった。

しかしともあれ、この期間の様々を皆勤で務めたのは私だけだったので、
最年少の最下っ端とはいえ、その頑張りは一応、
神社内で認めて戴くことができ、1月10日に副総代長様に、
「12日の片付けは会社があるので休みます。
 13日午後の『とんど』焼きも、すみませんが私は来ることができません」
と申し出たときには、
「どうぞ、ごゆっくりお休み下さい。本当にお疲れ様でした」
と丁重なる許可が出た。

それで12日の会社が夕方終わったあと、お言葉に甘えて家で休息……、
などということはせず、直行で広島駅に行き、一路、東京に向かった。
これ以上やってられるか!の心境だった。
こういう面で極めて理解のある主人に、心から感謝した。
この日は新幹線の中で眠り惚けたあと、夜10時頃に銀座に着き、
定宿のホテルにチェックインし、何もかも放り出して入浴、
そのまま携帯を切って、一切から解放されて朝まで9時間爆睡した。
主観的には、やっと、ようやく、年末休暇が始まった、という気分だった。

翌日13日は、国立劇場で菊五郎劇団の恒例のお正月公演。
菊之助と松緑が夫婦の設定で、しかも各々二役(以上)を務めての豪華版。
菊五郎の孫である寺嶋和史&寺嶋眞秀の二人も揃って出演とあって、
華やかな音羽屋一門勢揃いの舞台となった。
物語のほうは、……白鷺城にオバケが出るのは『天守物語』、
ひもじい若君+幼いお友達、がともに歌うのは『伽羅先代萩』、
若様の首は斬れないから身替わりの子を、というのは『寺子屋』、
狐が人間に化けてあれこれ活躍し恩返しするのは『義経千本桜』、
……と、途中で「その話ってどっかで(^_^;」と思う箇所がいろいろあったが、
それは即ち、歌舞伎の面白さが贅沢に盛り込まれているということでもあり、
お正月に観る菊五郎劇団としては言うことなしの楽しさだったと思う。
時蔵の兵庫之助が目の覚めるような鮮やかさで眼福、
梅枝や右近もますます美しく、橘太郎の殺陣もなかなか見応えがあり、
しかし何より、悪役の菊五郎が格好いいのなんの、
スケール感が段違いで、響き渡る深い声も圧巻!であった。

  

そしてこの日の夜はANAホテルの地下プロミネンスで音羽会新年会。
菊五郎夫妻、菊之助夫妻と和史くん知世ちゃん、寺島しのぶ夫妻と眞秀くん、
そして尾上右近、彼は六代目菊五郎の曾孫なので一族ではあるわけだ(^_^;。
会場の案内等のサポートには、後援会スタッフや菊五郎一門の方々が。
挨拶、乾杯、食事に歓談、写真撮影、ショータイム、
けん玉リレー、じゃんけん大会、等々と進行する中、
音羽屋の旦那さん(菊五郎)がテーブルをまわって下さったので、
近々とお話を伺うことができ、実に素晴らしかった。

やはり今回のような敵役は演じていて楽しいと仰った。
はい、それは観ていても感じました、旦那。
実に生き生きと演っていらっしゃいましたので。
喜寿の記念に何か企画があるのかと尋ねたお客さんがあったが、菊五郎丈は
「賀の祝いなんて、やってしまうと区切りがついちゃうだけで、
何も良いことがないと思うから、全然考えてないんですよ」
と手を振って否定された。
また、私たちの目の前でボーイさんにウィスキーのおかわりを注文されたので、
「お身体はその後いかがですか、大切になさって下さい」
と話しかけたお客さんがあり、数年前の胃潰瘍の事件以来、
私たちも大いに心配しているところではあったが、旦那さんは笑って、
「いんや、あんなの、全然どうってことない。大したこたぁない」
と力強い(汗)お返事だった。
まあ確かに、禁酒禁煙・早寝早起きのひーさま、
……などというのは、想像しづらい姿ではあるが(汗)。

  

最後は旦那さんの発声による「上り(のぼり)締め」。
いわゆる「一本締め」を、最初は両手の人差し指だけでやり、
順に、中指、薬指、小指、と足しながら繰り返し、
五回目となる最後は両掌全体で、という趣向。末広がりで実に良かった。
会場を出る前に菊五郎丈と両手で握手をして、
「きょうの舞台も本当に!素敵でした!お声がほんっっとに素晴らしい!!
明日も拝見します~~!!」
と申し上げ、
「やぁやぁ、それはそれは。いや、本当にありがとうございます」
と満面の笑顔で返して頂いた。至福であった(^^)。

そして、14日に再度、国立劇場で観劇、夕方の新幹線で広島に帰ってきた。
半月ぶりにまともに睡眠を取ることができ、
○時!○時!と追い立てられることなく食事をしたり着替えたりができ、
良い舞台を二度も観て、夢見るように楽しい思いをした二泊三日だった。
これで、ようやく年が明けた!と実感することができた。
道楽の旅を終えて東京を後にするときでさえ、
いつもなら「休暇は終わりか…」と若干、力が抜けるところだが、
今回は「あの神社のご奉仕は既に完了している!」と思うだけで、
その場で踊り出したいほど(爆)の解放感に満たされており、心が軽かった。
文字通り、大変に、めでたいことになった(笑)。

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20日だけで昼夜観てきた。
夜の部はAプロのほう。

玉三郎がもう、別世界だった。
花道を渡って来るだけで、溜息があちこちから漏れるほど。
他の女形とは異なる、酷薄な感じの漂う美しさが玉三郎にはあり、
それゆえに虚構の歌舞伎の美が際立つと、私はいつも思っている。

松緑は、喜兵衛・岩永・権太郎すべて初役。
喜兵衛では、ワルの魅力と色っぽい声音でたっぷり楽しませて貰った。
岩永の人形振りは、舞踊の名手・尾上松緑ならでは。
権太郎は、中車の演技を「受ける」力を発揮して、
これまた、あらしちゃんの面目躍如という舞台だった。
一瞬だが褌一丁のお着替えシーンがあり、ファンには鼻血もの(逃)。

『幸助餅』、松也も中車も東京の人だからか、
私の中では松竹新喜劇や上方歌舞伎とイメージ的に全く繋がらず、
物語の舞台が大阪という手応えも極めて薄く、
以前に翫雀の幸助で観たときほどの感動は、正直言って、無かった。
しかし松也の駄目亭主ぶりはとても良かったし、
何より、中車が歌舞伎役者として本当に良い味が出て来たのがわかり、
個々の役者さんについてはなかなか見応えがあったのも本当だ。

『お染久松』、壱太郎の大奮闘!
表情、声、立ち方まできめ細かく演じ分け、七役の早変わりを勤め上げた。
女形でも和事の立役でも、壱太郎は涼やかに美しかった。
もはや、名実ともに上方のプリンスだな(笑)。

『二人藤娘』は梅枝と児太郎。眼福の一言。
こうして観ると今月は、玉三郎が、自身の築き上げた芸で
未来の看板役者たちを鍛え上げる一ヶ月だったことがわかる。
玉さまの薫陶を受けた彼らの、今後の飛躍が楽しみ(^^)。

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昼の部は『お江戸みやげ』『素襖落』『十六夜清心』。

『お江戸みやげ』は全く初めて観たのだが、
道楽者の私にはズバリ感情移入できるお話で、
時蔵お辻の名演もあり、最後は泣きそうだった。
勿論、御芝居は究極の設定で描かれているので、
実際に私などが、役者さんの私生活のために大金を出すことは無いが、
「見返りなど一切要らない、これこそ私の一世一代のお大尽遊び」
という瞬間が、道楽者であればこそあり得ると承知しているので、
こればっかりはわかる人とわからん人があるよねぇ、
と感慨深いものがあった。
又五郎おゆう、田舎者の気の良い女性なのだが、
大らかでありつつ、ほどを弁えた温かい人柄でなかなか良かった。
東蔵の文字辰の一筋縄で行かない継母ぶりも気に入った。

『素襖落』は、あらしちゃん(松緑)が生き生きと踊っていて、
しかも那須与一の物語の舞踊だけでなく、
最後に素襖を3人でやりとりする愉快な踊りまで、実に見事だった。
團蔵・亀蔵との呼吸もぴったりで、大変楽しませて貰った。
私は大昔、初めてこの踊りを観たとき、
それは誰の太郎冠者だったかは今となっては覚えていないのだが、
記憶に残ったのが那須与一の扇の的の場面だけで、
最後に話としてどうなったのか、結末が、
後になってみると思い出せなかったものだった。
それを考えると、今回の松緑の舞台で、素襖を落とすところを楽しめた、
という手応えがあったのは、我ながら嬉しい発見だった。
それにつけても、笑也の姫御寮の姿の美しかったこと!
次郎冠者の巳之助は、踊りの鮮やかさは勿論だが、
声の明るいのが、やはり大きな魅力だなと思った。

『十六夜清心』は、私には久しぶりの、菊五郎旦那の清心だった。
二十数年前だと思うが、まだ中年期だった菊五郎が清心を演り、
先代の雀右衛門が十六夜、九代目の三津五郎が白蓮、
……という舞台を、私は前の古い歌舞伎座で繰り返し観た。
一階席で観て、三階席で観て、最後は幕見でも観た。
あのときは、清心の美しさにひたすら惚れ惚れしたものだったが、
今回は、もっと深いところ、菊五郎の美意識そのものに見とれた。
この方は骨の髄まで、正真正銘の「色男」なんだなぁ……と。
清心が、お寺の鐘がひとつ鳴ったあと、
「しかし、待てよ…」と悪に目覚めるところは特に、
菊五郎の声の変化も相まって、こたえられない魅力があった。
梅枝の求女は、さきの『お江戸みやげ』の役者・大和屋のときとは
打って変わって、不思議な艶めかしさがあり、
この舞台の「跳んだ」世界にそれが見事に合致していたと思った。
吉右衛門の白蓮も懐深く、「実ハ」大泥棒なのも納得、
時蔵の十六夜も含めて、最後の「だんまり」で皆が並んだところなど、
もう、あまりにも贅沢な配役でどこを観て良いか困ってしまった。

この演目ではもうひとつ、尾上右近が清元栄寿太夫として出ていて、
伸びやかな高音の清元を披露してくれたところも、聴きどころだった。
父上の清元延寿太夫と並んでの舞台。
右近は今回、昼は『お江戸みやげ』の「お紺」、
夜は『法界坊』の「おくみ」も務めていて、八面六臂の大活躍だった。


***************

夜の部は『楼門五三桐』『文売り』『隅田川続俤』。

『楼門五三桐』は上演時間にしたら短いのだが、
吉右衛門×菊五郎で、いきなり重量級の見応え。
吉右衛門の五右衛門は、いかにも歌舞伎らしい華やかさが満載で、
しかも限られた場面にエッセンスが凝縮された舞台姿だった。
左右に歌昇・種之助を使ってしまうなんて、素晴らしい御馳走(笑)。
ここに馥郁たる色男の菊五郎の久吉が上がって来て、
満開の桜・ときは夕刻、ああなんと美しい、宿命の敵同士の邂逅!!

『文売り』は雀右衛門のお洒落な舞踊。
最近とみに、先代の雀右衛門の面影が当代にかぶるようになった気がするのだが、
やはり襲名による内面的な変化も大きかったということだろうか。
若いときから美しかった当代だが、年齢を経てむしろ愛らしさが際立ってきたような。
演目としては、私が思っていた以上にこれは、「しゃべる」舞踊だった、
というのも発見だった。

最後は『隅田川続俤』、猿之助による法界坊。
悪役なのだが、猿之助の持ち味もあって全く憎めない、
実に可笑しい楽しい法界坊だった。
おくみに迫って転ぶ場面など、アドリブで「また折れたらどうするんだ」
と腕をさすっていて、客席にウケまくり(笑)。
ひょうきんな一瞬のしぐさまで、かたちが決まっているところは
猿之助の、さすがの舞踊の実力だと思った。
更に、猿之助は女形も大変に巧いので、双面になるともう独壇場。
種之助が野分姫で、一途な御姫様ぶりが実にキュートで良かった。
手代要助は隼人、優しげだが品格ある若様ぶりがピッタリ、
ちょっと情けないところまで完璧だった(笑)。
甚三の歌六がまた、要所要所で胸のすくようなイイ男!

私は三十年前、菊五郎が初役で法界坊を演ったのを観ている。
あれは年末の国立劇場だった。
確か菊五郎は、舞踊として『双面』をやりたいと思ったら、
法界坊がついて来てしまった、……と語っていたものだった。
演出の面では当時のとは違うところが、今回はいろいろあったが、
懐かしい記憶をなぞるように観ることができ、
観劇歴を重ねた今の年齢ならではの楽しみ方もできたと思う。

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21日と22日の一泊二日で、歌舞伎座を観て来た。
22日の夕方に仕事が一本あったのだが、
際限なく引き受けていたら私の私生活は無くなる、
と思って「断る力」を発揮し、同僚に替わって貰った。

舞台については後ほど書くつもりだが、
今回は歌舞伎座に昼夜通しで座っていたら、
尾てい骨が痛くなって困った。
新幹線はなんともなかったし、帰宅した今も家の椅子では平気なので、
歌舞伎座のシートの角度かクッションの具合が、
私の尻(爆)には殊更に合わなかった、ということだと思うのだが、
いやはや、トシは取りたくないものだと思った(^_^;。
5年前、今の会社に勤め始めてすぐの頃、
ワゴンに足を取られて尻餅をつくかたちで転んだことがあり、
あれ以来なんとなく、尾てい骨付近が変形したのでは、
という自覚症状が無くもなかったのだが、
今回の観劇では寒さのせいもあったのかかなりキた。
次回はドーナツ座布団を携帯する必要があるかもしれぬ(汗)。

写真は、今月の観劇弁当。『楼門五三桐』の図柄。
どういうわけか21日の夜は、歌舞伎座地下の木挽町広場の売店では
お弁当のめぼしいものが早くから売り切れていて、
それなら、たまには御馳走も良いかと、
入場してから劇場一階の売店で、これを買った。
吉右衛門の五右衛門と、菊五郎の久吉という、
ふたりの人間国宝の共演を堪能し、
その幕間には観劇弁当をひとりで存分に味わい、
全くもって、素晴らしい休日であった(笑)。

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10日に名古屋・御園座顔見世の昼夜を観て、
その夜に東京に移動、11日に歌舞伎座昼の部を観劇、
11日夜はポリーニを聴く予定だったが、公演延期になったため、
空いた時間にシアターサンモールでスタジオライフを観てきた。
半死半生というくらい忙しいときに何をやっているのか、
という二泊三日だったが、広島から離れたほうがよほど休めるので
結果論だが休息になった。

新装相成った御園座だが、昼の部に一階席を奮発したのが失敗で、
客席の勾配が緩やか過ぎる上、席が縦にも横にも直線的に配置され、
前列の席の間から見るようになっていないため、
私のように上背のない者にとっては、舞台のほぼ中央が
完全に前の人の後頭部に遮られ、大変観づらかった。
二度と、御園座の一階席は買うまいと心に誓った。

夜の部は二階席の後ろのほうだったのだが、こちらは大変良かった。
はっきりと傾斜がついていたので、全景を見下ろすことができ、
列と列の間も思った以上にゆったりと空けてあった。
今後御園座で見ることがまたあったら、私は二階後方の一択だ。
これは私の個人的な趣味の問題でもあって、
私は「近い」ことより「全体が見える」ことのほうが重要なのだ。
あちこちの劇場でいろいろ試して、結局、そのあたりに落ち着いた。
歌舞伎座なら一階の二等席は「近い」うえに「全体が見える」ので
両方を満たした、かなり良い場所だと私は常々感じており、
「これぞ」という演目のときには気合いを入れて買っていたのだが、
同じことは御園座には言えないと、このたび知った。

演目は御園座・歌舞伎座、どれも大変良かった。
行った甲斐があったと思っている。
ポリーニが演奏会を延期したために、11日夜の時間ができ、
スタジオライフの『はみだしっ子』を見ることも叶った。
原作を知っていて、大変興味を持っていたのだが、
今回の日程では観られないと思って諦めていたのが、
思いがけず、機会が得られて、これまた大変良かった。

マウリツィオ・ポリーニは、御本人の腕の疲労のためとかで
11日の演奏会が21日に延期されたのだが、
これと併せて、18日のリサイタルのプログラム変更も発表された。
私はもともと、18日のほうで当初予定されていた、
ベートーヴェンの『ハンマークラヴィーア』が大変聴きたくて、
自分の行く予定だった11日の演奏会には、これが入っていないことを、
とても残念に思っていたのだが、今回の延期と曲目変更の発表により、
どちらの演奏会に行っても結局、べートーヴェンは演奏されないとわかり、
予期していなかったことだが、すっぱりと未練がなくなった。
行ける筈だった演奏会が、自分の行けない日へと延期され、
しかも、それなりに執着を感じていたハンマークラヴィーアそのものが、
残りの来日公演プログラムから完全に姿を消してしまった。
今回のポリーニの来日公演と自分とを繋いでいたものが全部なくなり、
つまり、私はポリーニとは縁が全く無かったのだ、
という、大変はっきりした納得感が得られた。
巡り合わせというのは、そういうものかもしれないな(^_^;。

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紀尾井町夜話の翌日は、帰り道に大阪で途中下車して
大阪松竹座にて、高麗屋御披露目の夜の部観劇。
7月の松竹座は毎年のように行っていて、私にとって夏の風物詩。
(詳細は後ほど。多分)



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7月8日夜、歌舞伎座ギャラリーにて、
尾上松緑トークショー『紀尾井町夜話 第三夜』が行われた。
6月30日にチケットが発売されたとき、3分くらいで完売したのだが、
私はチケットWeb松竹に10時ジャストに入り、からくも手に入れることができた。
これの『第一夜』のときは、旅行先の釧路空港からアクセスしたが、
繋がった途端に目の前で画面が「完売」になった記憶があり、
今回は、ちょっと気合いを入れて臨んだのだった。

しかし、首尾良くチケットを手に入れて喜んだのも束の間、
7月6日夜からの西日本豪雨で、広島・岡山そのほかの地域が大変なことになり、
幸いにも我が家の界隈は直接の被害には遭わなかったものの、
JR在来線も新幹線も飛行機もバスも何もかもが軒並み運休になってしまい、
「このままでは出発できないかも」と悶々とすることになった。
チケットは当日、歌舞伎座の発券機で受け取るようにしてあったので、
出発できても期限内(開演時間まで)に出せないという事態も心配だった。
それで、思いあまって7日夕方、松竹歌舞伎会に電話をかけ、
「当日、現地に遅れて辿り着いた場合、チケット引き取りができないが、
開演後でも入れて貰える方法がありますか」
と尋ねてみたところ、先方は私の事情を聞いて下さり、
氏名や会員番号、購入番号等を申し出ることにより、
当日遅刻した場合、会場受付のところで上記番号等を確認することで入場可能、
との便宜を図って下さることになった。
なんでも言ってみるもんだ。ありがとうございました(T_T)。

すると、天の神様は私をお見捨てにならなかったようで、
7日の夜中から新幹線のみ動き始め、8日朝には一応、通常ダイヤに戻った。
それでも在来線は依然として運転見合わせのままだったし、
JR広島駅は大混乱で、みどりの窓口も自動券売機も、
列の最後尾がコンコースからはみ出して外に出るほど、人が並んでいたが、
とにもかくにも、私は自分の乗車券と指定席特急券を手に入れることが叶い、
8日昼前の新幹線で、東京に向かうことができたのだった。
この非常時に何やってるんだ自分、とも思ったが、
私が家で自粛して泣いていたところで、何の役にも立たない、
と思い直して、道楽の神様の仰せのまま、出かけた。
心配した遅延もほぼなく、余裕で東京に到着し、定宿にチェックインし、
……これがまた年間最安値の5000円余りの宿泊費であった(^_^;。
結果オーライ。

***************

さて、トークショーの松緑は、ひげ面に赤いフレームのメガネ、
髑髏のアクセに指輪・ブレスじゃらじゃら状態で、服は柄on柄、
知らない人には到底、歌舞伎役者には見えないだろうという出で立ちで登場した(笑)。
金屏風を背に、中央に尾上松緑、向かって右側に山崎咲十郎、左に司会の戸部和久氏。
以下、記憶にある話題のうちのいくつかを記録しておく。順不同。
(記憶のみを辿っての再現ですので、内容に関して誤解等ありました場合も含め、
文責はすべて「転妻よしこ」にありますことをお断りしておきます<(_ _)>。)

・12月の歌舞伎座「蘭平」で、松緑が立ち回りの最中にセットから転落する事故があった。
立ち上がって舞台は続行したのだが、終わってお弟子さんらが楽屋に駆けつけたとき、
既に中には松竹の人達が集まって「大丈夫ですか!」と口々に言っており、
それに対して松緑は外まで聞こえる大声で、
「大丈夫じゃなかったら、明日から誰か、かわってくれるのかよ!!!」
と怒鳴っていたそうだ。夜話司会の松竹の戸部さんが、
「ではああいうとき、どのように言いましたらよろしいのでしょうか(^_^;?」
と尋ねると、松緑は急に、テヘっという感じで笑って、
「……『明日も頑張ってね』?」。

・踊りも立ち回りも体を酷使するので、脚も腰も痛くなる。
サポーターをつけて出来たらどんなに良いだろうと思うが、
体を見せることが多いので、湿布も何も貼れない、貼るべきでないと感じるそうだ。
松緑の母上が相撲をご覧になっていてテーピングの多い力士が出てくると
「粋じゃないわね」と仰るそうで、やはり舞台に立ったら、
素肌で演る・痛いところなど見せられない、と松緑は思うそうだ。

・平成28年正月は、松緑は歌舞伎座で「茨木」に出ていて、
菊五郎劇団は国立劇場で「小狐礼三」をやっていた。
息子の左近が両方を観たと言うので、
「お前だったら、どっちやりたい?」と訊いたら「小狐礼三」と言いやがった。
「あーそーですか!勝手にやっとけ」。(笑)
この発言により、1月20日の左近の誕生日プレゼントは、無しに(笑)。

・松緑は、「蘭平」をやるには咲十郎と組むのでなければ嫌だ、と。
「俺が蘭平なら、棒はサク」が条件で、松竹にもそう明言したとのこと。
しかし「蘭平」で次の世代を育てなくてはという思いもあり、
あまり自分の色がつくのは良くないと考えてもいる。
坂東巳之助は絶対やる人だと松緑は思っており、巳之助の蘭平が楽しみ、と。
自分に咲十郎ややゑ亮たちがいてくれたように、
巳之助のカンパニーが将来大きく育ち、実っていくよう支えたい。
「左近さんにいずれ譲るのでは」との戸部さんの発言に、
「左近…(笑)?…やだ」と松緑は照れ笑いともなんとも言えない表情。

・蘭平はまたやるかどうかわからないが、丸橋忠弥は是非やりたい、とのこと。

・松緑は、咲十郎との殺陣なら息が合っていて、
目を見ただけで、小さな動きまで次の瞬間どうするのかわかる。
咲十郎もまた、松緑の一瞬の呼吸を読んで、
「今日は、こっちか!」と反応することができる、と。
殺陣の面々の稽古が始まると最初から松緑は稽古場に見に行く。
各々の顔を見て、どう来るかどう動くかを覚えるためだそう。
ただ、音二郎だけは、彼が来るとどういう訳か
「必ず何かが、わからなくなる」という特徴があるそうで実に不思議な存在。
「だから彼には居てほしい」とも(笑)。

・咲十郎によると、松緑は殺陣を覚えるのがめちゃくちゃ早い。
百何十手あっても三日で頭と体に入る。
咲十郎から見て「若旦那は、やたらと跳ねるのが欠点」(笑)。
「こいつだけだよ、こんな、欠点を言ってくれるヤツ」と松緑。

・4月は真山青果の西郷を演ったし、6月の宵宮雨も台詞の応酬で喋りまくり。
咲十郎によると、4月に西郷を演っていたとき、松緑はとても機嫌が悪く、
いつもなら「おはようございます!」「おはようっ!」と返してくれるのに、
四月は「……おぅ…」と朝から暗くて困ったそうだ。

・松緑は実は西郷隆盛はあまり好みではないそう。
維新の重要な存在だったことに異論はないが、
美学として、散り際の見事な人がいい。桐野利秋が好き、と。

・今の歌舞伎座の照明は明る過ぎる、
という意見が上の世代の役者さんから出ることがある。
初演時にはもっと暗い舞台を想定していたのだろう、と松緑が感じる芝居もある。
羽左衛門の化粧は、当時の松緑から見て「どうもちょっと茶色」くて、
「もっと白くてもいいのでは」と思うことが多かったが、
それも恐らく、昔の歌舞伎座の照明に合う塗り方だったのだろう、とのこと。

・松緑は、やはり「古典」が好き。落語も聞くが「古典落語がいい」。
寄席によく行く。六月の歌舞伎の『巷談宵宮雨』は宇野信夫の芝居で、
「巷の話」のほうの「こうだん」であり、講談作品からの翻案ではないのだが、
逆輸入で講談でやったら良いのではないかと感じるそう。松之丞さんが好き。

・9月の秀山祭の玉三郎の幽玄の立師は咲十郎が務めることになっている。
そのため、咲十郎はこれから鼓童の本拠地、佐渡に行く予定。

・最後に、「このあとは、新橋の中華屋さんで打ち上げする」と。
「新十郎にもメールしたのに返事がない。俺、ガラケーなんで。LINEじゃ無いんで」と。
咲十郎が「じゃ、このあと電話してみましょう」。
松緑は客席に向かい、「店見つけた人は、来ていいよ」。

***************

開演前に会場では、咲十郎撮影の『蘭平物狂』の立ち回りの映像が流され、
トークショーの最後に、司会の戸部さんが、
「あの映像は可能なら今後、なんらかのかたちで一般に公開できるようにしたい」
と発言、会場、拍手。
肖像権等の問題も、松緑は「俺は全然いいよ」とのことで快諾。
私は生の舞台が一番好きではあるが、松緑の映像作品ができることも歓迎する。
咲十郎の作品とあっては、尚更だ。期待しよう(^^)。

……ということで、無事に『紀尾井町夜話 第三夜』を聞くことができた。
会場は客席もアルコールあり、おかわりも自由で、
あらしちゃん達の飲み屋トークを生で聴かせて戴いているという雰囲気だった。
松緑の、咲十郎への篤い信頼を、言葉の端々にひしひしと感じた。
客席の我々は、各自、質問用紙に訊きたいことを書くことができたのだが、
私は、割と平凡なことを書いてしまい、今になって、
研修発表会『すし屋』のことを書けば良かったかも、と少々後悔している。
咲十郎が権太を演ったあの舞台を私は観ているのに、
あのときの稽古や、咲十郎の思い、松緑の関わり方など、
尋ねてみなかったのは失敗だった。
『紀尾井町夜話』は好評で、不定期だがシリーズ化される予定、
ということなので、またの機会があればと願っている。
本当に、行けて良かった(^_^;。

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(ネタバレあります)

17日(日)と18日(月)の一泊二日で、六月大歌舞伎を観て来た。
今回はもう、松緑ファンとしての最大の見どころは
夜の部最後の『巷談宵宮雨(こうだんよみやのあめ)』!!
観たことのない演目で、期待するような内容なのかどうかも、
最初は全然わからなかったのだが、初日にTwitterで見ていると
紀尾井町(=松緑)マニアたちの反応が尋常でなく(笑)、
「ファンなら絶対に一階席で観るべき!!」
との書き込みがあり、こ・れ・は!と迷わず一等席を奮発した(爆)。

松緑演じる「虎鰒の太十」の、色っぽい目つき、味のある声にナマ脚、
成る程こいつぁファンなら震えの来る色悪ぶり、と冒頭から納得の出来映えで、
しかも龍達(芝翫)との掛け合いに迫力があり、アドリブも満載で、
松緑の面目躍如である破滅型の結末に行き着くまで、
まさに美味しいところだらけの二幕だった。
龍達に「でっかい目しやがって」と言われて、
太十が「オヤジ譲りだ!」と応えるところも、古いファンには二重の楽しさ。
これは日によって、父譲りと祖父譲りの2バージョンあるらしい(笑)。

また17日のときは、奉公先から逃げ帰ってきた従妹おとら(児太郎)に、
太十が、早く勤めに戻るようにと言って聞かせる場面で、
松緑は間違えて、相手を妻おいち(雀右衛門)の名で呼んでしまい、
「(艶のある良い声で)おいち、…………おいちじゃねぇや(^_^;、おとら(^_^;」
と言い直したのだが、これが素ともアドリブともつかぬ可笑しさがあり、
客席にオオウケしていた。
脚本の中で明確に書かれている訳ではないが、設定から言って多分、
太十は妻おいちに内緒で若い従妹おとらにも手出しをしている筈で、
うっかりと2人の女の名前を間違えて呼んでしまうところに、
妙なリアリティがあり、巧まずして秀逸な呼び間違いになっていた。
顔を覆って泣いていたおとらの児太郎、本当は笑っていたかも(笑)。

しかし、芝翫との応酬やアドリブなど含めて可笑しい場面でも
アチャラカにならず、笑いに走りすぎないようよく配慮されていて、
そこはやはり、何事も丁寧にやる松緑なので、
どの場面についても、全体を見渡し芝居が最後にどこに行くかを
過不足なく計算して演っていたのだなと、あとで見終わったとき思った。

おとら(児太郎)は、太十に後ろから抱かれて、
奉公先に戻ることを恍惚とした表情で承諾する場面が印象的だった。
このときから、既におとらの魂はこの世を離れつつあった。
実際に太十と言葉を交わすところは、さほど長い遣り取りではなかったのに、
おとらが、おそらくは初めての男であった太十に執着を持ちつつ、
奉公先の高齢の医者に弄ばれる境遇でもあるということが、
児太郎の、うっとりとした、しかし絶望的な眼差しから、伝わった。

一方、妻おいち(雀右衛門)がまたなんとも男好きのする可愛らしさ、
そんなに純な女ではないのだが、性根のところで素直さがあり、
太十を愛していることも言葉や態度の端々にあって、大変良かった。
そもそもが、太十・おいち夫婦は、龍達の百両を掘り出したときも、
黙って持って逃げることをせず、そっくりそのまま龍達に渡したりして、
小狡いのかと思えば、案外、人の道に外れぬ行動をするところもあり、
汚れた部分と好ましい部分とのバランスが絶妙だった。

隣家の妻おとま(梅花)もまた、年齢はある程度行っているけれども、
太十を男として見ている面があり、色の道のほうは抑えようもなく健在、
おとらへの行き届いた言動からも、彼女が隙の無い女であることが感じられ、
脇にありつつ要所で印象を残す、巧い演じ方だなと思った。
おとまの夫・徳兵衛(松江)は台詞はほとんど無いのだが、
早桶屋(はやおけや=死人が出ると早急に棺桶を作る葬儀屋)という
仕事がそこはかとなく不気味で、黙々と作業する姿から
彼の人生や彼の作った棺桶に入る人のことなど、様々に連想をさせられた。
薬売り勝蔵(橘太郎)の「ヨイヨイ」のかたちはたいそう面白くて、
この人が不自由な足で滑り落ちるように登場する場面では客席がドっと沸いた。

勝蔵のような昔の仲間に、温かい言葉をかけ親切にする一方で、
龍達を毒殺しようと思いつくあたり、太十の不思議さというか、
人間の複雑さというものだろうかと、考えさせられた。
太十は、松緑の演り方であれば、先天的にか後天的にか知らないが元々、
闇を抱え破滅を求める気質があった、ということなのだろう。
それらは彼の魅力や包容力と、矛盾せずに同居していたのだが、
徐々に時間をかけてあぶり出され、殺鼠剤を前にして一気に開花した、
というふうに、観ていて思われた。
あのあたりの、松緑の目つきの変化は、今も思い出せる(^_^;。

龍達の芝翫は大活躍で、喜劇としての呼吸が素晴らしかったのは勿論、
太十・おいち夫婦を手玉に取る百戦錬磨ぶりも見事、
終盤で一転して怪談咄になるところも、息を呑む変貌ぶり、
しかし決して唐突だったり、ちぐはぐだったりする印象はなく、
芝翫の芸域の広さゆえの成功で、さすがはと唸らされた。
私の趣味としては、芝翫はこういう、
汚れ役でも表情豊かな存在感を示してくれる役が、断然良い。
あの橋の上で、きょうも、明日も、いつまでも、
おとらと龍達の霊魂は、変わらずにあの場所に現れ続け、
太十の霊もまた、叫び声をあげて川に落ちていくことを
来る夜も来る夜も、果てしも無く繰り返しているに違いない、
……と思わせる、納涼歌舞伎(違)にピッタリの(^_^;幕切れだった。

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藤間流の紫紅会公演の昼の部を観てきた。
六世家元の藤間勘右衞門、つまり、あらしちゃん(松緑)が
長男の三代目尾上左近と、『連獅子』を踊るというので、行ったのだ。

前シテの狂言師右近・左近の完成度には目覚ましいものがあった。
私はおよそどのような分野でも、「美」に関する限り、
『一点一画もゆるがせにしない』といった趣のものが好きで、
歌舞伎の松緑に惚れたのも、そういう面が大変大きいのだが、
きょう、息子の左近の踊りを見ていて、
彼の筋の良さ・正しさに改めて心打たれ、畏れ入った。
さすが、当代松緑の息子、初代辰之助の孫!
その健気で一徹な少年が、父の松緑、いや家元・藤間勘右衞門と
真正面から向き合って踊るのだから、それはもう、
空気の端々まで、シンシンと張り詰め澄み渡るような緊張感だった。

後シテは有名な白頭と赤頭の親仔獅子だが、
花道に藤間勘右衞門の親獅子が出て来たとき、私は、思いがけず
国立劇場にある六代目菊五郎の鏡獅子の像が重なって見え、
理屈を超えて感動してしまい、次の瞬間、我に返って、
いや、これはファンとしてのイタい妄想かっ、と反省しつつも、
今まで誰の連獅子を見ても、否、鏡獅子を見てさえ、
このような連想は私はしたことがなかったと思い、
六代目菊五郎―二代目松緑―初代辰之助―四代目松緑と、
芸の上で受け継がれた有形無形のものが、
やはりあるのではなかろうかと、心から嬉しく思った。
あらしちゃんが以前、「僕の武器は、舞踊」と言っていたが、
その通り、いや、それ以上の舞台姿だった。

息子の左近のほうは、真摯に懸命に父について行った、
文字通り「親仔獅子」としての踊りではあったと思うが、
もはや子役や少年としてではなく、ひとりの踊り手として、
左近が舞台に存在していたこともまた、間違いなかった。
その舞台姿には、清々しいまでの研鑽のあとがあり、
豪快な毛振りだけでなく、瞬間的な足の引き方・体の返し方に至るまで、
親獅子との間に寸部の呼吸の乱れも見せまいと
全身を研ぎ澄ませて務めた、仔獅子の踊りだったと思った。

父子2人で真正面から組み合って踊るのは、最も近しい者同士の舞台ではあるが、
役者人生として見ると、実はそれほど機会の多いものではないと思う。
成長期の多感な時期に、左近が父親と連獅子を踊ることができたのは、
本当に幸せなことだっただろうと思う。
父の勘右衞門にとっても格別に深い感慨のある一幕であったに違いない。
そして私は、53歳の今まで歌舞伎を観てきて本当に良かったと思った。
その御蔭で、二代目松緑や初代辰之助の遺したものを、きょう、
このようなかたちで、自分の記憶に焼き付けることができたのだ。
世襲の面白さ、それを見守る観客としての感慨を、
また新たに味わった一日だった。



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旦那さんの弁天小僧菊之助。
一世一代とは銘打っていないけれども、今回の弁天は、
菊五郎の年齢を考えると、最後か、それに近いかもしれない、
と思って、心して観た。
役者としての菊五郎は、まだ「老齢」という感じまではしないが、
弁天は少年だから、どんな年齢になってもできる訳ではない。
特にこのたびは「立腹」まで出しているので、菊五郎の若い頃を思えば、
屋根の上の立ち回りは、やはり緩慢な感じはした。
しかし、その他の場面は本当に素晴らしかった。
硬軟自由自在、まさに兼ネル役者・菊五郎の面目躍如!
私は菊五郎の台詞、特に日本語の発音を破格に愛していて、
あれほど美しい言語音はほかにないと思うほど惚れ込んでいるのだが、
弁天でそれを味わい尽くせたことは、ファンとして幸せだった。

そこに、孫の眞秀くんが丁稚で出ていて、
私は、例えば今のあらしちゃん(松緑)が小さい頃に務めたのを
観たこともある世代なものだから、
菊五郎が、弁天で、とうとう孫と共演している…!
と感慨にふけってしまった。
初お目見えのときより格段に余裕が出て来たマホロン、
声の張りも素晴らしく、舞台姿も骨太な感じで、頼もしいことだった。

殺陣は山崎咲十郎。
菊五郎劇団で私がずっと注目している役者さんのひとりなのだが、
咲十郎は演じ手としてだけでなく、
舞台構成をするセンスに卓越したものがあり、素晴らしい。
最後に按摩さんの役で登場したときは、
逃さずオペラグラスで観察させて貰った(^^)。

ちなみに、旦那さんの弁天で私が忘れられないのは、
平成4年の「黙阿弥没後百年記念」のときの通し上演だ。
当時、私は独身だったのもあって通い倒し、
最後はお金がなくなった(爆)ので幕見でも観倒したものだった。
はや26年前のことだ。旦那さんは四十代の終わり。
あのときは、男→女→男と入れ替わり、咽喉を酷使したためか、
後半では旦那さんの声が枯れていてハラハラしたものだったが、
今回の浜松屋~勢揃い~屋根に至る上演では、全く問題なく、
舞台の隅々まで、艶やかな声が響き渡って、聴き惚れた。
観ながら、昔の古い歌舞伎座の、
幕見から舞台を見下ろしたときの角度まで、瞼の裏にまざまざと蘇った。

*************

あらしちゃん(松緑)の『菊畑』。
奴さん姿で「ねい、ねい」言うとなれば、
当代松緑の右に出る者はありません(笑)。
それだけでも大変なご馳走なのに、
芝居としてのあらしちゃんの位取りがまた良くて、
こういうアンサンブルが一段と巧くなったのだなと感じ入った。
時蔵はここでも大活躍で、今回、出ずっぱり(^_^;。
團蔵さんは年々、渋さと重みが増してきて、これまた味わい深かった。

最後はカズくん(菊之助)の『喜撰』だったのだが、もう感無量。
カズくんは着々と、音羽屋御曹司としての道を歩み、
次代の菊五郎となるべく課題をひとつひとつ、こなし続けている。
しかもその成果が目を見張るばかり。
柔らかくユーモラスでありながら、ぽっと花開いたような明るさがあり、
春爛漫の喜撰法師そのものの存在感だった。

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