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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



12月10日(日)と11日(月)で国立劇場・歌舞伎座の両方を観て来た。
歌舞伎座の第一部・第二部・第三部を一日で観るという無茶をしてしまった。
そのように「掻っ込んで」観るのが良いことだとは、毛頭、思っていないが、
現在の私の暮らしぶりではもう、ほかに選択肢がなかったのだ。
12月に5回ある日曜のうち、空いているのがここだけだったので。

音羽屋ファンとしては松緑を観に行ったので、『土蜘蛛』『蘭平物狂』と、
あらしちゃんの充実ぶりを目の当たりにして嬉しく思った。
『土蜘蛛』は四半世紀前に菊五郎の地方公演を追っかけしてまで観た、
私にとっては思い出の演目のひとつだったが、
今回の松緑は平成15年の博多座以来だそうで、東京初役ということだった。
声の凄みは期待通りだったし、舞踊家としても見事に成長した松緑が、
前シテ後シテともに存分に見せてくれて、観に来た甲斐のある舞台だった。
「一生をかけて演じたい」
との、あらしちゃんの言葉を歌舞伎美人で読んでいたので、
こちらとしても、飽くまでも現時点の松緑を味わうという気持ちで観た。
太刀持ちに息子の左近が出ていて、台詞も鮮やかなら立ち居振る舞いも美しく、
りんとした緊張感のある父子対決を見せて貰った。

『蘭平物狂』のほうは、左近襲名の舞台で観て以来だったが、
今回、左近が既に子役というには大きくなってきていて、
年齢的にこの演目での父子共演は、これが最後になるだろうというのが
言われるまでもなく感じられた。
ファンとしては文字通り「見納め」と思い、心して観た。
その左近、『土蜘蛛』の太刀持ちのほうは良かったのに、
一子繁蔵になると子役特有の台詞回しが年齢的に合わないのか、
高い声が出づらい様子であまり響かず、少し気になった。
しかし左近の良いところは、その身のこなしの折り目正しさで、
今はまだ、習った通りにきちんと演るのが第一という時期ではあるが、
それにしてもひとつひとつが端正で、さながら楷書のように筋が良く、
一挙手一投足で、空間を礼儀正しく制して行く雰囲気があり、
私は大変に気に入った。
将来は藤間勘右衞門を継ぐであろうという生まれなので、
左近の舞踊家としての今後にも、大いに期待をしたいと思った。

『蘭平』の前半のみどころは物狂の踊りだが、
私は3年前のより今回のほうが、松緑の踊りが洗練されていて
心地よく観られた。
設定として十分に「物狂い」しているので、
あの場面は即物的に演ってくれるほうが私は観るのが楽しいと思った。
一方、立ち回りの迫力は相変わらずで、固唾を呑むとはまさにあのこと、
呼吸するのも忘れそうになる、畳みかけるような大技の連続で、
そのあと、「父(とと)は…」と息子に呼びかける台詞になるのだが、
これがまた、胸に染みる声で、泣けた。
昨今の松緑には、不思議な味わいの優しさがある。
孤児と呼ばれたあらしちゃんが、親になったのだなと感じ入った、
「父(とと)」の響きだった。

***********

そのほかの演目については、また、いずれ。
多分(汗)。

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今月の国立劇場は『坂崎出羽守』『沓掛時次郎』という、
人の呼び名がそのままタイトルになった芝居の二本立て。
松緑の坂崎出羽守は、題材としては純情な男の恋心が発端なのだが、
行き着きところは濃くて重くて昏くて、見終わって心身ともにぐったり。
こういう独自の暗さを描出できるようになったのは、
松緑が青年でなくなった証しだろうと思った。
何か、80年代終盤のポゴレリチのような、突き詰めた重苦しさで、
私は結局、こういうものに惹きつけられて、寄っていってしまうのだな、
と納得したりも、した。
「見終わって疲労感、後味の悪さを残せれば」
と松緑自身が発言していることを、観劇後に以下の記事で知り、
つくづく、「畏れ入りました」と思った。

尾上松緑、もがき続ける…十二月大歌舞伎で対照的な2つの大役演じる(スポーツ報知)


順序として後半が『沓掛時次郎』なのは有り難いことだった。
そうでなければ、『坂崎出羽守』の世界のまま、
どんよりと昏いところに沈んだ状態で帰らなければならないところだった。

その梅玉の時次郎、私は不勉強なうえに世情にウトくて、
どういう芝居なのかほぼ知らないまま劇場に行ったのだが、観始めて、
「これって、『赤城の山も今宵限り~』の世界では(^_^;?」
と感じたのは合っており、新国劇の股旅物の代表作と知ったのは、
帰宅してチラシを読んでからだった。
梅玉はそれはもう、いい男で恩義に厚く、腕は冴え、
その懐の深さにも感じ入ったが、あまりにも品格があるので
「渡世人とは世を忍ぶ仮の姿……」
と、壮大な種明かしが用意されているのではないかとさえ、
観ながら期待してしまった(爆)。
私にとっての梅玉はそういうのが多くて、
前に「一力茶屋」の寺岡兵右衛門を演ったときも、
貫禄があり過ぎてただの奴さんには見えず、
どこかで「実ハ」が出るのではないかと心待ちにしてしまったものだった。

魁春の若妻ぶりが、瑞々しくてなかなか良かった。
最近、少なくとも私が観るときの魁春は、
ある程度、年齢の高い女性を演じていることが多かったのだが、
今回は幼子を抱えて夫を失い、支えてくれる時次郎と力を合わせて
生き抜いて行く日々の中、いつしか彼を真摯に慕うようになり、
……という過程が、芯の強さとともに健気さもあって好ましかった。

ときに、松緑の長男・左近は既に、子役ではなくなりつつある。
背も高くなり、芝居の設定よりもっと「お兄ちゃん」に見えた。
子供の成長は早いものだ。
いずれ辰之助襲名の話が出てくるだろうが、
どんな役者になって行くかとても楽しみだ。

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これほど面白い新作歌舞伎は初めて観た。
期待を遙かに上まわる出来映えだった。
どうしてこれを、ポゴレリチのリサイタルの日の昼に
私は観なければならなかったのか!

『マハーバーラタ戦記』は、自分のその日のすべてを投入して
隅々まで味わい尽くし、時間をかけて反芻するに値する作品であったのに、
私は気持ちの半分以上を、夜のリサイタルのほうに持って行かれていて、
舞台を観ながら自分のキャパシティの限界を超えることを感じ、
勿体ない!勿体ない!勿体ない!と100万回(笑)思った。
『マハーバーラタ戦記』とだけ向き合いたかった!!
このような舞台には、そうそう出会えるものではなかったのに!!
まるで、粋を尽くした極上懐石料理の数々が目の前に並べられた途端、
「1時間後にすぐ晩餐会です。最高級シャトーブリアンが出ます」
と言われたくらいの無念さだったぞ(滝泣)。

音楽や視覚的な演出にインド神話の味わいを巧みに取り入れ、
新作ならではの劇的な展開と、歌舞伎らしい重厚な味わいとで、
今の菊五郎劇団・今の歌舞伎座だからこそ実現できる、
最高のエンターテインメントに仕上がっていたと思う。
役者良し、台本良し、演出良し!!
……悔しいことに、このようにしか今は書けないのだ。
なめるように観尽くし、その後に何日も浸っていたかったのに、
それが全く許されなかったのだから。
とにかく面白かった!!これに尽きる。
観ながら「次どうなる!?」とあのようにワクワクし、
その都度、「おおおお!!」と目を見張る展開に心躍らされたのは、
私の観劇歴の中でも稀なほどの経験だった。
心から、強く強く、再演を希望する!!

ちなみに、『マハーバーラタ』のあまりの面白さ美しさ楽しさに、
宝塚歌劇団だって、本当はこういうふうにやりたいのではないか?
と思っていたら、なんと休憩時に、植田紳爾・元理事長をロビーで見た。
……見間違いでなければ(汗)。
歌劇団としても何か感じるところがあってくれると嬉しい。

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夕方、大阪で降りて松竹座へ。
仁左衛門の至芸を堪能。素晴らしい!

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昨夕東京に来て、定宿で一泊、今朝は国立劇場で菊之助。
大播磨の御指導あればこそ、という大蔵卿。

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5月3日の初日から5日の昼の部まで、團菊祭の幕開きを二日半楽しんできた。
このように素晴らしい舞台を早々と観ることができただけでなく、
観終わって広島に戻って来てもなお、休日が続いていたというのが
今回の道楽旅行に関して、最も素晴らしかった点だった(笑)。
出発前から、「いつもとは違う、遠征の後もまだ休み…」と思うだけで、
感激と解放感で踊り出しそうだったものだ(^_^;。
私が常に渇望しているもの――それは休日!それは自由時間!
道楽と自由のそれぞれが、短いながらも満たされた今年の連休は、天国であった。

*************

今年の團菊祭は尾上梅幸二十三回忌・市村羽左衛門十七回忌の追善興行で、
かつ、羽左衛門長男一家の襲名披露興行でもあった。
これまでの坂東彦三郎が初代坂東楽善に、その長男が九代目彦三郎に、
次男は三代目亀蔵に、そして孫息子が六代目亀三郎に。
更には、菊五郎の孫息子の寺嶋眞秀(まほろ)くんの初お目見得もあった。
つまり梅幸・羽左衛門それぞれの曾孫が出演する公演でもあったのだ。



昼の部は『石切梶原』『吉野山』『魚屋宗五郎』
夜の部は『曽我の対面~口上』『先代萩』『弥生の花浅草祭』、
今回は二泊三日の間に、昼の部を三回、夜の部を二回観たので、
気づいたことや感想も膨大にあり、
それらを逐一ここに記録しておくことは時間的に到底できそうもないが、
とにもかくにも、彦三郎の美声に惚れ惚れしたこと、
新・亀三郎である倅マンのしっかりした舞台姿に感心したこと
(大叔父にあたる権十郎が保父さん状態でお世話していて微笑ましかった)、
楽善の懐の深い、力強い芝居に感銘を受けたこと、を記録しておきたいと思う。

また、松緑×亀蔵の変化舞踊が、あまりにも目覚ましい内容であったことも、
私にとって印象強く、かつ大変嬉しいことだった。
松緑と亀蔵の踊りの凄さは、昨年の『討ち入り』の立ち回りでも堪能させて貰ったが、
今回の『弥生の花浅草祭』は、現在の、この年齢の二人だからこそ、
心・技・体のすべてが高度に研ぎ澄まされ、実現できた舞踊であったと思った。
これまた、あの踊りのココと書き出すことは大変難しいのだが、
随所に、松緑と亀蔵それぞれの工夫や懲り方を感じて、大変に興味深かった。
今の二人の組み合わせでなければ到底、これほどの舞台にならなかっただろうし、
互いに、またとない相手役を得たということだろうなと、観ていて強く感じた。



海老蔵は、先代萩の仁木弾正が良かった。
特に序幕第二場、仁木弾正が無言で花道を去って行くに従って、
蝋燭の灯りに照らし出された影が、背後に黒々と大きく伸びて行くところなど、
海老蔵の凄みのある表情と相まって圧巻だった。
菊之助は全体的に安定感が抜群で、何を演っても破綻がなく見事だったが、
やはり先代萩の政岡が、最も強く印象に残っている。
まま炊きの場面は省かれていて、さぞかし賛否のあるところだろうが、
私は現代的なテンポの中で納得感を出す試みとして、支持したいと思った。
幼い主君を守る乳母としての気高さ厳しさ、我が子千松を思う母としての慟哭、
菊之助は細部まで丁寧に、かつ心情面では深く熱く、見せてくれたと思う。

『宗五郎』の菊五郎はもう、ただただ感動した。
三度観て、音羽屋の台詞は三度とも、細かいところでニュアンスが違っていた。
意味内容は同じでも言い回しの異なっていた回もあった。
それは平たく言えば「一瞬のミスをした」箇所もあったのかもしれないが、
しかし最早、今の菊五郎にとっては、どの言葉も全て宗五郎が言った、
ということなのだろう、とも感じた。
『宗五郎』二幕の間、私の中で、宗五郎は菊五郎と完全に一心同体だった。
音羽屋の宗五郎に出会えたことを、私は改めて嬉しく思った。

*************

前も書いたが、自分がこうして中年・初老になるまで歌舞伎を観てきて、
年齢を経たファンならではの楽しみ方があるのだなと、最近はわかるようになった。
すなわち、名優たちの役者人生後半から晩年の舞台に導かれて歌舞伎に出会い、
その息子世代が壮年期を迎え、更に孫の世代が花形歌舞伎で活躍するようになると、
やがては曾孫世代の初お目見得を見守る日が来る、という……。
これは年取った(笑)ファンでなければ知ることのできない喜びだ。

歌舞伎が世襲であることの面白さを、私は近年ひしひしと感じるようになった。
勿論、芸養子や研修生からの出世も実に良いことだと思うのだが、
それらと同時に、「家」や「血筋」を大切に守っていく面は、
どのような時代になっても、なくして欲しくないと思った。
「お祖父さんのファン」「曾お祖父さんの舞台をたくさん観た」
という思いでミニ音羽屋たちを迎えるのは、
観客としてなんと恵まれたことなのだろうかと、
私は過去の舞台と現在の公演とに、心から感謝した。
倅マンとマホロン、ほか、それぞれの家の小さな名優ちゃんたちが、
将来きっと立派になって、この同じ歌舞伎座の舞台で、
大活躍してくれることだろう、……と、幸せな想像に浸った三日間だった。

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初お目見得のマホロン。4歳。
初日、花道を一人で歩いて登場する姿は
まだよちよち歩きにケの生えた程度(笑)の幼さで
ああ、菊五郎の、お孫さんが、ついに、自分で、舞台に……と
そのいたいけな様子に涙が出たが(←身内か(笑))
張りのある良い声で堂々と台詞を言うのを聞いていたら
さすが、しのぶちゃんの息子!と内心で膝を打ってしまった(笑)。
客席を見渡す視線も落ち着いていてどこか楽しそうでさえあり
なかなか見事な舞台姿だった。
小さなマホロンの心に、この團菊祭はこれから
どんな思い出として残ってゆくのだろうか。

**************

後日記:(5月6日)
マホロンの丁稚を、初日から三回連続観たのだが、
初回は緊張していて最初の一声が出にくかったのだろうと、あとになって思った。
一回目はやはり固かった。
それが二日目三日目と、どんどんのびのびしてきて、
「そりゃあ灘の生一本だから、よ~くキきますよ~?」
「酒が好きだから、酒屋に奉公しているんだ(ドヤ顔)」
のあたりでは、客席の反応を感じながら演っている様子になり、大変頼もしかった。
「……おやかましゅうございました(ぺこり)」
の呼吸も、実に巧かった。

マホロンは、客席の空気をわかっている、という感じだった。
初日第一声が緊張感で固かったのも、
自分のやることの重大さが、幼いながら、よく理解できており、
覚悟を決めて臨んだからこそだったろう。
自分の場所や他人の視線の意味が「わかって」初めて、
それに相応しい緊張もするのだ。
初役で最初に観客の前に出て、稽古して来たことのすべてで初日をやり遂げ、
二日目以降にその経験が生きて、日に日に、演技に血が通って来る。
毎回違う、自分の作る舞台、自分の演じる役!
まさに正しいではないか!
4歳にして、既にやはり音羽屋だな、マホロン(^^)。

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5月3日朝6時台の新幹線で広島を発って、品川から東銀座直行、
歌舞伎座初日昼の部・夜の部を連続観劇。
4日もまた昼の部・夜の部と観続け、
ついに5日本日の昼の部が私には最後。
初日から二日半で私の團菊祭が終わるという(爆)。
楽しすぎてあっという間!
五枚あった切符が、もう手元に残り一枚!

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やっと時間ができたので、改めて、4月19日のこんぴら歌舞伎の感想を。

今年の席は、第一部・第二部とも、二階の後ろの「後舟」にしてみた。
舞台から遠いという意味では、全体としては一番安い設定の場所だが、
ベンチ席で後壁にもたれて観るのは脚も背中も楽で、私は大変気に入った。
元来、私は「かぶりつき」よりも後ろから全景を観るほうが好きなのだ。
特に、上手下手の一番端の席は、片腕を手すりにもたせかけることもでき、
肘掛けのないベンチ椅子としては、最も安楽な場所ではないかと、座ってみて思った。
ベンチ椅子の前の座布団の列も後舟の扱いで、入場順に好みの場所に座って良く、
金丸座は小屋として小さいので、ヘリでも舞台の中心から大きく離れてはおらず、
端っこしか見えない、などという状況では全くなかったし、
邪魔になるような柱も目の前に無かったから、
後舟最後列の端を、私はむしろ積極的に選んで座った。

今年は雀右衛門の襲名お披露目で、仁左衛門が久々の出演、演目は、
第一部が『神霊矢口渡』『忍夜恋曲者』『お祭り』、
第二部が『葛の葉』『雀右衛門 襲名披露口上』『身替座禅』。

『神霊矢口渡』は孝太郎が素晴らしかった。
お舟が、初めて心奪われる男性と巡り会ったときの恥じらいは瑞々しく、
恋に恋する乙女といった風情は、滑稽さもあり愛らしさもあった。
女らしい嫉妬の感情にも、おどろおどろしさは無く感情移入できたし、
彼女がやがて、愛する男性のためにその身を犠牲にする様からは、
最初の少女のような彼女が女性として目覚めたことが伝わり、
ひとつの芝居の中で、お舟の女としての燃焼を見せて貰ったと思った。
女の一念、岩をも通す!という……。

『忍夜恋曲者』は雀右衛門のお披露目の演目でもあったのだが、
せり上がってきたときの滝夜叉姫が、先代にそっくりだったので驚愕した。
亡きジャッキーが乗り移ったかと思いましたね(^_^;。
相手役の光圀が松緑で、これはもう相変わらずキレッキレ(笑)。
あらしちゃんの踊りは冴え渡っていて、周辺の空気がぴしぴしと
音を立てそうな感じさえした。

『お祭り』は仁左衛門の独壇場。
仁左衛門は、本当に、本当に物凄い役者なのだと思い知った。
あたりを圧倒する美しさと存在感、ふわりと匂うような色気、
そして客席を心底楽しい気分にさせてくれる明るさ。
襲名を祝う舞台に華を添えた仁左衛門の踊りは最高だった。

二部の『葛の葉』、これは前に金丸座に来たときも時蔵で上演されたので、
私は心の片隅で「地方公演用のセットがあって便利な演目だったと…」と
宝塚の全国ツアーを観るときのようなことを、チラと思った。
保名の友右衛門には、以前の松也で観たときのマザコン芸は感じなかったが、
そのぶんノーマルに(爆)葛の葉を愛している夫としての気持ちが感じられ、
雀右衛門の健康的なお色気と相まって、正統派の手応えが大きかった。

『口上』は、襲名お披露目の雀右衛門を真ん中に、
上手から中央に向かって彌十郎・廣太郎・孝太郎・仁左衛門、
下手から中央に向かって友右衛門・廣松・松緑。
仁左衛門は、先代が素顔は大変ダンディでサングラスの似合う男性だったこと、
ハーレーにまたがった写真があること等の逸話を披露し、
「その面影を当代の雀右衛門さんに求めるのは無理でございます」(笑)、
しかし、「襲名以来、日ごとに大きくなられている雀右衛門さんが
必ずやお父上に追いつき、追い越す役者さんになられますように」と激励、
松緑は「先代は私を陰になり日向になりかばって下さった大恩人」、
彌十郎は「こう見えましても私のほうが、雀右衛門さんよりひとつ年下でございます」、
「サウナというところに私を初めて連れて行って下さいましたのが、
この雀右衛門さんでございます」、
「当時は、なんという暑いところで我慢をするものだろうかと思いましたが、
御陰様で今は私も、大のサウナ好きでございます」、
等々、皆、それぞれに心温まる口上を述べて襲名披露を祝った。

最後の『身替座禅』、仁左衛門の右京はもう、絶品!!
どの角度から見ても完璧に美しく品格のある、そして遊び人の、
天下の二枚目・山蔭右京!!
こんな夫を持ってしまったら、奥方は気が気ではありません。
そりゃどんな女だって迷う迷う。
花子も、どんだけイイ女であることか。
その山の神・玉の井の彌十郎がまた、驚異的なデカさ(笑)!!
怖いの怖くないのって、でもやはり健気で、
お嬢様育ちの奥様でもあるところが、なんとも微笑ましい。
そこに可愛い松緑の太郎冠者が絡み、
千枝・小枝はスッキリ美しい新悟と廣松が務めていたのだから、
過去最高のキャストではないかという見応えだった。
松緑は、台詞を意識して舌足らずっぽく発音していたのではないだろうか。
右京にも玉の井にも、さぞや可愛がられているのだろう、
という様子が、大変よくわかった。

……以上、観劇してから既に半月近く経ってしまったので、
印象が多少、変わってしまったところもあるかとは思うが、覚え書きとして。

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歌舞伎美人(かぶきびと)』に六月大歌舞伎@歌舞伎座の予定が発表され、
ちょっとこれが、今の私にとっては大変な内容だとわかったものだから
きょうは午後から、とりあえず急いで6月の宿泊の手配をした。
この月は東京で何かほかに大きな行事でもあるのか、
普段5000円台で泊まれる定宿の平日料金が、なんと9000円台になっていたが、
背に腹は代えられないと思い、二泊で予約した。
そう、六月歌舞伎座の昼の部、これは私ならば二度は観なくてはなるまい。
なんたって、松緑×笑也で『名月八幡祭』!!

実は、私はこの公演予定を4月1日に見知らぬ人のtweetで偶然知り、
ええええっ、あらしちゃんが『名月八幡祭』!?と色めき立った。
しかしその日は偶然というか、エイプリル・フールだったものだから、
書いた人も周辺も盛り上がってはいたけれども、私はまだ用心していた。
あらしちゃんの新助なんて、あまりに出来すぎた配役ではないか?
そのように私の観たいものがおいそれと実現するだろうか?と。
それが本日、こうして公式サイトに公演情報としてUPされたのだから、
もう間違いなかった。
しかも美代吉が笑也だと(O_O)!!観ずにおらりょうかっっ!!

実直で、メンタル面が徐々に崩壊してクライマックスになだれこむ新吉、
あらしちゃんが演ったらハマり過ぎて私は気を失うのではないだろうか。
本水と人死に(爆)の、こんな暗い演目を、昼の部の冒頭に出すなんて!
んなものをいきなり観てしまったら、その後に弁当なんか食えるかっっ。
そもそも幕間30分程度では、私は自分を立て直せないのでは(汗)!?
だが次が猿之助の『浮世風呂』、これはまたこれできっと絶品だろう。
そして最後が吉右衛門の『弁慶上使』ですと!???
観る側の私は、天国→地獄のあと突然に極楽に突き上げられて、
最後は飛び散って終わりそうな構成だ。

ちなみにこの6月の東京2泊3日は、滞在初日に歌舞伎座昼夜を通しで観て、
翌2日目に再度、歌舞伎座の昼の部を観て、
その日の夜は紀尾井ホールでハオチェン・チャンのリサイタルを聴こう、
という日程である(爆)。
オマケに東京3日目は会社のある日だから、
始発で発ってまっしぐらに帰って来ないと、仕事に間に合わない(泣)。
ご馳走出されておかわりまでして(^_^;かっこんで、
「戴きだちではございますが」と言い捨て、とんぼ返りするような。
6月は新派花形公演『黒蜥蜴』@三越劇場も観たいのだが、時間的に無理。

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