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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



・高3の娘にとって、昨日は最後の文化祭だった。
とは言え、娘の学校では高校部3年生はクラス発表もしないし、
部活のあった子たちも既に大半は引退しているしで、
これまでのように忙しい文化祭ではなかった。……はずだった。
娘は、なぜか相変わらず美術部の仕事があった(^_^;。
美術部は高3も絵や立体を出品しているので、娘も静物画を出し(写真)、
それらの展示やオブジェの共同制作やらで、結局あれこれと作業があった。
私のほうは、もはや中学部のようにPTA役員をしているわけではないし、
高3保護者にはお手伝いの義務付けも無いしで、
これこそ本当に初めて、ゆったりと見物をさせて貰うことができた。
帰りに、正門の手前で、中学部の保護者だろうと思われる役員さんが、
「100円くじ、どうですか~。くじ引きやりませんか~」
と鈴を振るような声で呼んでいるのが聞こえた。
すげー雨の中で、100円くじ、叩き売ったよな……、
と、何か私が学生時代を振り返るような、懐かしいものを感じた(^_^;。

・11月になり、多くの大学から出願書類が配付され始めた。
例の『テレメール』を通じて請求すると、自宅に送られて来る仕組みで、
大学案内と出願手続書類一式がセットになって1000円くらいだ。
先日、娘が放り出していたそれらを、何気なく眺めていたら、
某大学では、願書と一緒に提出する写真票の証明写真について、
『カラー』と限定されており、『入学後、学生証に使用します』
と小さい字で書き添えられていた。
出願のとき使った高校時代の写真が、そのまま学生証になるのか!
今時、そういう大学は多いのだろうか?
しかしそれだと、今通っている高校の制服で撮影した写真では、
大学生の持つ学生証としては違和感のあるものになりそうだ。
また、その同じ写真で、大学卒業まで身分証明書の更新は無いのだろうか?
だとすれば、運転免許証みたいなもんで、失敗写真の場合は
向こう何年間もずっと、情けない思いをするということだね。
何より女子学生なんて、入学後、あっちゅーまに別人にならんかね?

・受験生として自覚もプレッシャーもないわけでない娘たちは、学校で、
「そろそろ、『落ちた』の類いは忌み言葉ということにしよう」
と友人同志で話し合い、
「あらやだ、プリントが舞い降りたわ」
などと、やっているそうだ(^_^;。
それで思い出したのだが、大昔、私が受験生だったとき、
某大学の入試の最中に、机間巡視をしていた監督の先生のお尻が、
私の机に触れて、目の前で私の受験票を落とされたことがあった。
ムカついた私は、次の日に別の大学の入試に行ったとき、
セロテープを持って行って、自分の受験票を机に貼り付けてやった。
結果、受験票を舞い降ろされた大学には通って、
受験票をハリツケにした大学はホケツになったものだった(--#)。

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2学期が始まり、娘はとても楽しそうである(爆)。
愉快な友人たちと遊べる場所として、
学校は相変わらず、娘にとって意義深い場所なのだ。
本分は勉学だと思うのだが、そっちはどうなっているのか……。

9月になって、娘の高校では推薦入試の話が具体的になり、
また、AO入試を既に受験したという友人もあるそうで、
早ければ今月中にも、進学先が決まる人達が出て来るようだ。
30年前、私が高校生だった頃には考えられなかった出足の早さだ。
あの頃は、AO入試などという制度は勿論なかったし、
推薦も、限られた学校の、特殊な人達だけの話というイメージだった。
私の母校の高校は、郊外の、しかも新設校だったので
(うちのような村からそこへ通うのは、それでも結構な通学距離だった)、
都会の大学から指定校枠が貰えるような実績がなかったし、
平凡な公立だったから、系列大学への推薦などもあり得なかったのだ。
また、今のように大学が幅広く自己推薦など設けている時代でもなかった。

尤も、うちの娘のようなのは、どちみちあまり関係は無かった。
評定平均値が話にならんうえ、やっぱり東京の共学がイイの、
史学科でないとヤだの、ワケわかめなことばかり言っているので、
そーゆー得手勝手なヒトはもう、ヨソ見せず、腹をくくって、
2月が本番ということでやるしかないのだ。
あんじょう、おきばりやす。

娘は更に、『テレメール願書請求カタログ』というものも
学校から貰って来た。
全国学校案内資料管理事務センター、
などというものが出来ていたとは、私は今年まで知らなかった。
ここが作っている指定サイトにアクセスして、
国公私立大学・専門学校、どこでも、希望する学校の請求コードを選び、
必要事項を入力して送信すると、数日後に資料が送られてくる、
という便利なシステムに、いつのまにか、なっていたのだ。
ったく、今時受験生は、どんだけラクをしているのか。
私達は、願書やパンフを探して書店を歩きまわったり、
志望する大学宛てに資料請求の手紙を書いたりしたものだったのに。

折しも、『センター試験申し込みが始まるようで…』と
拙サイトBBSに書いて下さった道楽仲間、兼、母仲間の某氏がいらして、
私は今朝それを見て「そうだったのか!」と驚き、娘に、
「センター試験の申し込み、もうじきあるんだって?」
と訊いたら、娘はきょとんとして、
「そうなん?」
と言った。大丈夫か、オマエ。
センターも受けるって言ってなかったっけか???
頼むでホンマ。気づいたら出願が終わっとった、じゃ済まんよ!?

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昨日は、東京大学主催『主要大学説明会2012』という催しが、
平和公園内の広島国際会議場で行われていたので、午後から行ってみた。
こんなイベントに顔を出せるのも、家に受験生がいればこそなので
どういうものなのかちょっと覗いてみたかったのだ。
と言っても出かけたのは私だけで、肝心の娘は、高校の始業礼拝のあと、
相も変わらず中高生絵画教室のほうに行っていて、留守だった(--#)。

この説明会は、全国7箇所で行われており、広島はその最終開催地だった。
40以上の国公私立大学が参加しており、
会場内に大学ごとのブースを設けて、個別相談に応じたり、
大学案内のパンフレットや入試資料を無料で配布したり、
またそれらと同時進行で、各大学の進学担当の方が、
割り当ての別室で大学説明のプレゼンを行ったりもしていた。
会場にはたくさんの受験生と保護者がいて、
どの大学の相談ブースも順番待ち状態になっていた。

しかし昨日の私は、実のところ、何大学が目当てというのも、
あまりはっきりしていなかった。
東京と関西の有名私大と言われるところが来ていたので、
一応、それらの資料を貰って来ようと思ってはいたのだが、
ほかには、例えば私の母校の大学なんかはマイナー過ぎて、
こんなところに来ないし(--#)、娘が現実的に受験しそうな大学が、
必ずしもここに参加しているというわけではなかった。

それにしても、今時はどの大学も、とても美麗なカラーパンフレットを
受験生用に制作するようになったことを、私は改めて知った。
特に、国公立大学の大学案内冊子の充実ぶりには感心させられた。
私自身が受験生だった30年前は、私大こそ宣伝に熱心だったが、
国公立大学は、受験案内と言っても薄いものが多く、
中身も、統計資料と受験要項が中心で、味も素っ気もないものが大半だった。
それが今は、国公立大も私立大も差が無く、いずれもカラーの豪華パンフで、
学校の魅力や強みを伝えることに熱心な宣伝内容になっていた。
大学進学率が上がっている上に少子化なので、
どこも学生確保のためには積極的に動いているのだという印象だった。

ものは試しと、私は某大学の大学説明も聞きに行ってみた。
会場には長机と椅子がずらりと並べられ、プロジェクターが設置されていて、
大学の沿革や学部の実際、学費や奨学金の案内、就職実績、
等々に関するプレゼンが、該当大学の入試センター担当者により、行われた。
数ある大学説明の中からここを選んだのは、時間的な都合もあったが、
さらに、ここは大昔、私がホケツになった例の大学だったからだ。
結局縁の無かった大学だったが、今はどうなっているのかな、
という興味が、ややあった(^_^;。

内容的には、私がだいたい知っている話が多かったが、
現在は更に新しい学部ができたり、AO入試が導入されたりして、
やはり、いろいろと時代に応じた変化を続けていることが感じられた。
同時に、在学中の学生さんの下宿生活実例や、生活費の内容の具体例、
東京でのアルバイトの種類、大学独自の奨学金制度、等々、
生活や経済的な問題について、幾通りもの説明と提案が聞けたことは、
子供を地方から送り出そうと考えている保護者として、有り難かった。

ときに、私の席の近くには、高校生と思われる男の子三人組がいて、
熱心に説明を聞いていたが、途中で資料配布が始まったとき、
ふと、彼らが前のほうを指して、互いに小声で、
「おぉ…意識が高い……」「さすがだ……」
と囁き合い始めたので、私も何の気なしに彼らの指しているほうを見た。
するとそこには、どう見ても中学生くらいにしかなっていないだろう、
と思われる小さい男の子がいて、保護者と二人で大学説明を聞いており、
資料の部数が足りなかったときには、
自分から積極的に手を挙げて、意思表示したりしていた。
うむ。確かに意識が高い。あんな早い段階から動機付けが十分だなんて。
結局はねぇ、先手必勝かもしれないよね、受験って。
うちの受験生なんか、今、静物画を描きに行ってはるんですよ?
だから母親の私だけがこんなところに来て。悲し過ぎるぢゃないの(T_T)。


後日記:私がここで取ってきた大学案内資料は、娘がその後、
学校に持って行き、実際にそうした大学を受験する友人に進呈した(爆)。
うちでは眺めただけだった。

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娘の夏休みが、いよいよ今日で終わりだ。
娘の高校は相変わらず三学期制のままで、
しかも土曜は通年で普通に学校のある日なので、
二学期の開始は9月1日からなのだ。

それで、きょうは娘が、秋用のカーディガンが欲しいと言い、
確かに、学校が始まると忙しくなるから今のうちかと思って、
午後から二人でユニクロに行った。
今はまだ残暑の季節だが、すぐに涼しくなるだろうし、
羽織りモノを仕入れたい、というのが娘の希望だった。

お値段的に気軽で良い、という理由から娘はユニクロが好きで、
ここ何年も、服を買うというと彼女にはユニクロが第一選択なのだが、
実のところ、必ずしも常に思い通りの買い物ができるわけではなかった。
というのも、ユニクロのオンラインストアではサイズ設定が多彩だが、
うちから近い店舗だと、女性用はSMLの三種類しかないことが結構あり、
ガタイの良い娘と肥満体の私には、厳しいことも多かったのだ(^_^;。
それでも、身長のある娘のほうは、モノによっては
シャツなどメンズのMやLのほうが似合ったりしたが、
私は背が低いのに幅だけあり過ぎる体型なものだから、
はっきり言ってユニクロ自体が無理(爆)という状態だった。

しかし今年は、ニーズがあったのか流行になったのか知らないが、
Aラインやラグラン袖のデザインがたくさん出てきて、
あまり体型を厳密に選ばないトップスが多く、有り難いことだった。
娘はイメージした通りのニットとパーカを、
いくつか試着した中から案外容易に見つけることができたし、
私もラクそうなチュニックを一点、買った。

そして、
「こういう店に来ると、痩せんといかんなと思うよ」
と語り合いつつ、帰途には某カフェに寄って、
ケーキセットを平らげた我々であった(殴)。

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・娘は、きょうから学校の後期補習が始まった。
理系数学は先週から既に開講されていたが、娘たちは今朝からだった。
受験対策とは言え、日本史などは普段の授業とほとんど同じことで、
二学期の中間考査範囲に含まれる箇所をやるのだそうで、
早くも、午前中だけ学校が始まった、というのに等しかった。
夏休みはだらだら過ごしていたのだから、適切なウォームアップだろう。
早起きの日々がまた戻って来てしまったと、娘はぶつぶつ言っていたが、
その反面、お友達と会えるのは、やはり嬉しくてならず、
昼前に帰宅した娘は、かなりご機嫌になっていた(笑)。


・さらに娘は午後からは、いつもの予備校に行き、その帰りに、
歯医者さんへ(今度こそひとりで・笑)寄ることになっている。
「歯医者、か……」
と、さきほど娘はうなだれて、出て行った。
娘は生まれてこのかた、「歯痛」というものを経験したことがなく、
彼女にとって歯科とは、自覚としては全くなんともない歯をいじられ、
ときに痛い思いさえさせられる、理不尽な場所であるとのことだ。
私が彼女くらいの年齢のときには、歯医者さんと言えば、
放置した虫歯が痛くて我慢できなくなったとき、最後になんとかしてくれる、
駆け込み寺みたいなもんだったがな(殴)。

追記:夕食前、帰宅して言うには、
次回は六ヶ月後くらいに検診しましょう、と歯医者さんで指示されたそうだ。
虫歯は小さかったので、治療はきょう一日で終わったということだった。


・高校を卒業してしまうと、娘は「制服」という便利なものを失うので、
フォーマルウェアを持っていないことになる、と私は最近、気がついた。
ここ数年、身内の結婚式も葬儀も法事も、娘は何かというと制服で、
これひとつで完全な正装になるうえ、日頃から着慣れていて準備も要らず、
実に重宝していたのだが、大学生・社会人になれば、そうは行かないのだ。
それで私が以前着ていたブラックフォーマルを、娘に試着させてみた。
そうしたら、問題なく入った(^_^;。というより、緩いくらいだった。
娘は私より身長が10センチは高いが、若いだけあって胴体は私より細かった。
良かった、ともあれ娘にも着られるフォーマルがひとつは確保できた。
あとは折りを見て、黒ストッキングや黒パンプス、喪バッグ、ふくさなど、
葬儀や法事関連の小物を、いざというときのために揃えておけば良いだろう
(慶事は、普通一ヵ月以上前には予定がわかるから、さほど焦らなくても)。
まったく、本当にちょうど良かった。
娘が私のブラックフォーマルを活用してくれるなんて、私も助かった。
実は私は年々、肥満しているので、もう普通のフォーマルは着られないのだ。
360度ストレッチが謳い文句の、「らくのび~」とゆーヤツでないと(逃)。

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私文
娘は高3になってからは「私大文系」受験用の授業を取っていて、
このコースのことを学校では、「私文」(しぶん)と呼んでいる。
そのことには、とりたてて疑問を持っていなかったのだが、
娘は最近になって、今更なことに、「私大理系」コースは
一体なんと略されるのだろう、と考えるようになった。
それで、某予備校の夏期講習で毎日のように顔を合わせている、
同じ高校の私大理系志望の友人たちに、昨日とうとう質問してみたそうだ。
すると彼女ら、答えて曰く――。
「略さん。」
娘の期待した答えは、得られなかった(^_^;。

三科目
その私文、つまり究極的には、たった三科目のみが入試科目なわけで、
かつて共通一次試験のために五教科七科目が必須であった我々から見れば、
英国社だけなんて天国だろう、と私はハナからナメていたのだが(殴)、
案に相違して、娘はなかなかシンドそうだった。
考えてみたら、たった三科目しかないということは、
悪かった科目をほかで挽回、というチャンスは全く無く、
どれひとつ失敗できないという意味で、それなりな大変さがあるのだった。
しかもこの三科目は全部得意科目、という受験生が世の中、普通にいる(--#)。
娘のように、英単語が覚えられなくて苦心していたら、日本史で遅れをとり、
しばらく日本史にかまけていたら、今度は国語のカンが完全に鈍って、
……というモグラ叩きみたいな人間には、これはこれで厳しい闘いなのだった。

天王山
大学入試の場合、夏休みが「受験の天王山」であると、よく言われている。
天王山とは、ここが勝負を決するところ、という意味だが、
もとはといえば歴女の娘なら大好きな話で、
天正10(1582)年6月に明智光秀と羽柴秀吉が戦った「山崎の合戦」において、
『この山を制した方が天下を取る』
と言われた場所だった。
現在の京都府乙訓郡大山崎町にある、標高270メートルの山だ。
しかし娘の現状は、とてもそんな切迫した天下分け目の日々には見えない。
何もやっていないことは無いのだろうが、緊張感がなく、のどかだし、
「四当五落」にはほど遠く、毎日、昼近くまで起きてこない。
無理矢理起こしたって、眠いとなると机についたままでも寝るヤツだ。
娘のは「天王山」どころか「天保山」(標高4.53メートル)だ。
それもすぐ下山しとるし(--#)。

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来年の今頃は、娘の大学が決まっていると有り難いのだが、
と3月も半分終わったカレンダーを見ながらつくづく思った。
娘は私大文系を第一志望にする予定なので、後期試験はないから、
この時期には、浪人でなければどこかに決まっている筈だ(汗)。
……いや、もしかしてどっかでホケツになって、祈りながら待っている、
という展開も、3月にはまだアリなのか。ああ。

主人も私も学生時代から一人暮らしを始めたので、
娘も家を出て行くのは一向に構わないのだが、
当初は、漠然と学校の数が多いというイメージだけで、
首都圏か関西どちらでも、という大まかなくくりで私は考えていた。
しかし娘は、もう東京を第一に考えたいと言う。
わかっとるわ(--#)。そのほうが西川貴教のライブに行きやすいし、
コミケもあるし、付加価値が多大であるから、というのだろう。
私も同じような理由で東京に出たので、気持ちは理解できる。
母としての私も、いっそそのほうが、道楽とか道楽とか道楽の都合上、
東京に足がかりが出来て良いかもしれない(殴)。

私が東京に進学先を決めようとしていた頃、
我が両親は、「東京だけは大地震が来るから駄目だ」と言った。
なんと主人も同じようなことを母親から言われたそうなので、
どこの親も、子供を手放すにあたって、
一番心配なのは災害のたぐいだったようだ。
結局、主人も私も、親の言うことに耳を貸さずに家を出て、
東京での一人暮らしの間、大地震その他災害には見舞われなかったが、
勿論それは完全に単なる偶然だった。

あれから30年経った今も、まだ同じようなことが問題になっている、
と思うと、地質年代のスパンの長さにため息が出るが(^_^;、
人生、ゼロリスクで生きていくことは出来ないのだから、
何かを選べば何かを諦めるしかないだろう。
活断層も火山も全国にあるから、ここなら安全などというのは幻想だし、
どのみち、親は子より先に寿命が尽きる(のでなければ不幸だ)から
大切に抱え込んで守り育てようとしたって、自ずと限界がある。
本人が出て行く気になったのなら、どこへなりと、
もう、送り出してやるべきだと私は思っている。

それはともかくとして、先日、友人と話していて思ったのだが、
首都圏から距離のある地方の街は、その性格によって、
子供を中央に出すことそのものを、ある種の誇りだととらえる土地柄と、
故郷を捨てて都会に行くのは裏切り者、と考える土地柄があるように思う。
この判断には、進学先の偏差値的なランクはほとんど関係がない。
私の観察では、広島は後者の雰囲気があるように思うのだが、どうだろうか。
決して、県外に出ることをあからさまに嫌うわけではないにしても、
地元にいくつもの大学があるのに、わざわざヨソへ行こうとする者を、
土地の大人たちは必ずしも、心からは祝福しない。
県外の大学を卒業した後に戻ってきても、故郷に錦を飾ったことにはならず、
広島で育ち広島で学業を終えた者ほどには、地元では愛されない。
……と言ったら言い過ぎですか(汗)。

肯定的にとらえるなら、そういう土地柄の場合は、
つまりそれだけ郷土愛が強いということだと思う。
まずは、地元が自ら育てた若者のほうを重く用いる気分があるのだ
(注:広島カープの方針は全然違う。地元球団だけどあそこだけは例外)。
身内が大事なのは、個人レベルでも当然のことなので、
私はそういう郷土愛が全面的に間違っているとは思わない。
ただ、娘は県外に出たいと考えている以上、本当にそれが叶ったなら、
就職のときには、広島に帰ることをあまり望まない方が良いかもしれない。
やはり、広島に関しては、地元大学の同窓会との交流を持っているほうが、
幸せな思いをする機会が多いように私は思うからだ。
まあ、そんなことより、今の娘にとっては、
まずは希望の大学に合格できるかどうかが先決なのだけど(^_^;。

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一年後には、娘がいよいよ大学入試を受けるんだよなぁ……、
という思いから、なんとなく自分の受験時代が懐かしくなり、
先日、本屋に行ったときに、大学入試参考書の棚を見ていたら、
未だに『英文標準問題精講』(原仙作)が山積みになっていることを知り、
ロングセラーなのだなと感心した。
これと『英文法標準問題精講』との二冊は、今から30年前、
私が高校2年生でその存在を知ったとき、既に受験生のバイブルだった。

尤も、私は『新々英文解釈研究』(山崎貞)に惚れ込んでいたので、
『英標』は通過儀礼として、やるにはやったが大して熱中しなかった。
理由としては、原仙は構文別にまとめて解説する方法をとっていないので、
私にしてみれば、まさに「とっちらかって頭に入らない」タイプの本だったのだ。
私は昔から、はっきりと単元や課題が決まっていて、
ひとつひとつマスターしながら積み重ねて行く方式でないと、
やった気がしなかった(ツェルニー30番への愛着と同様だ)。
しかしそれは、大いに好みの分かれるところだろうから、
私が山貞を崇拝しているように、原仙こそ生涯の恩人だという人がいても
全く不思議はないと思うし、今もこれだけ支持があるところ見ると
やはり歴史に残る名著であるのは間違いないだろう。

そんなことより、この本で「意味わからん」と私が未だに思っているのは、
『初期10日間』『中期10日間』『後期10日間』というタイトルの付け方だ。
ここだけ見たら、一ヶ月でやるように構成された本かと誤解する。しませんか。
とんでもないことだ。
このことは、今まで誰もツッコんでいないのか、
……いや、とてもそうは思われないから、
私が受験生になるまでに、往年の受験生たちが飽きるほどツッコんで、
とっくに無言になってしまっていた(しかもその頃には著者の原仙は
もうこの世にいなかった)、……ということだろうかと想像しているのだが、
とにかく、言いたいことはだ、一体全体、何が『○期10日間』なのだ!
この本の各章を本当に10日ずつでやろうと思ったら、
問題数から言って毎日5題ずつくらい訳さないといけない
(逐語訳までは書かないとしても、最低限、その題数の英文を読まなくてはならない)。
それだけでも「英語だけやっとんじゃないわ!」と言いたくなる量なのだが、
更にこの本は、各章の本編のあと、同じ題数の「練習問題」がついているのだ。
これら含めてなお各章10日ずつでやろうと思ったら、毎日10題ずつ×30日間 無休
……死にますって(^_^;。

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学期末になり、高2の娘が学校で受けた模試を返して貰って来た。
やはり娘は、私大文系で行くしかない。……と結果を見て思った(汗)。
数学と理科は、あじゃぱ~過ぎて、あるだけで足を引っ張っていた(大汗)。
英語・国語・日本史に関しては、どれもどっこいどっこいで強みは無いが、
それでも数学や理科ほどの巨大な穴が空かないだけ、マシだった。

そして、昨年までと違い、今年度後半からは志望校登録があり、
志望大学別の判定や順位が出ていて、私には懐かしかった(爆)。
模試と本番は全然違う試験問題だとはわかっていても、
やはり良い判定が出れば合格に近づいた気がして嬉しいし、
ヒドい判定が出れば、……奮起する材料になるか、諦めるきっかけになるか。
自分にも覚えがあるが、娘もこれから実際の入試まで、
結構、浮き沈みを経験するのではないだろうか。

娘の学校は進研模試を1年生の頃から継続して受けさせていて、
同じ会社の試験を続けていけば、長い目で見たときの、
学力や学習習慣の変遷が反映されてデータとしては良いのだが、
反面、進研というのは浪人生がほとんど参入して来ないので、
成績としては、ほかの業者模試に較べて偏差値や順位が甘いと聞いたことがある
(これでも「甘い」のか(^_^;、という問題はさておき)。
大手予備校の模試も、いずれは受けてみなくてはならないだろう。

そういえば思い出したのだが、私が高校生の頃は、
広島の学校は「中国ブロック実力テスト」というものに参加していた。
高1から実施される模擬試験なのだが、参加校は中国地方に限られていたようだ。
だから高3になって志望校判定が出るようになっても、
母集団が、広島界隈の現役高校生のみで2万人弱だったために、
県外の大学を希望する場合には、順位がかなり大笑いだった。
私が結果的に入学することになった、東京の西のほうにある某女子大など、
いつも「7人中 5位」みたいな、どう読んでよいかわからない席次だったし、
あるときなど、「聖心女子大学」を登録してみたら、
1人中 1位」だったこともあった(爆爆)。
美智子さまのご出身大学を、模試だけでもいいから一度志望してみたかったのだが、
そんな恐れ多い(?)ところを受ける人は、近所には居なかったようだった。

もっと大笑いだったのは、同じクラスだった某男子で、
彼はそのとき自分が夢中になっていた、アイドル・タレント某子ちゃんの、
出身女子短大を志望校欄に書いてみたことがあった。
男が女子短大を志望しても、順位も判定もちゃんと出ていて、
それだけでも可笑しいのに、彼はその結果を見ながら、
「わしでもA判定じゃ。かわいそうに、某子ちゃんて、おバカだったんだね」
としみじみ言っていたものだった。

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先週末、娘の学校で来年度の高3からの科目登録に関する説明があった。
娘の高校は、進路希望に合わせて各種選択科目が設定されてはいるのだが、
放ったらかしにされていた自分の高校時代のことを考えると、
この至れり尽くせりの学校の指導が、かえって重荷になる面もあるように感じた。

たとえば、前にも書いたが娘の高校では、文系の生徒は、
高1のときは「日本史」「世界史」併修となっているのだが、
高2以降は「日本史」または「世界史」のいずれかを選択することになっており、
最終的に「地歴二科目」の大学を希望することになった場合には、
そのうち一科目は必ず「地理」にするように、と学校が先に決めている。
この高校の「地理」には補習もついていて、大変きめ細かな授業が組まれている。
大学のほうは「日本史・世界史」で受験することを認めていても、
高校の授業の関係で、事実上、それは出来ないことにされているのだ。
「日本史・世界史の二科目は、量が多く、組み合わせるのは効率が良くないから」
というのが学校側の説明だった。

また、高3からの選択科目に関しては、もし生徒が私大第一志望だと言えば、
最初から、国公立併願はしないようにと指導される。
たとえば私立大学の文学部などを第一志望に決めると、
担任の先生から「それなら授業は私大文系コースですね」と言われ、
そこに入ると数学や理科は最低限の時間数となり、
センター試験に対しては国英社三科目以外、対応しなくなる。
私大入試の三科目に絞って勉強したほうがラクで効率が良い、というわけだ。
うちの娘など、理数科目がいずれも不得意なので、
「早いところ私立か国公立、どちらかに決めないと駄目ですよ」
と、今年の高2の保護者面談で既に言われている。
理数を諦めずに国公立にするなら、私大のチャレンジは無し・滑り止めのみ可、
苦手科目を避けて私大で勝負するなら国公立併願はいけません、というわけだ。

時代が違うと言われればそれまでだが、私自身は高校のとき、
英語と国語だけが点数の取れる科目だったので、本命は私大だったが、
共通一次試験五教科七科目も普通に受けた。
どんな点数でもいいから受験さえしておけば、国公立大学に出願できたからだ。
勿論、私のような受験生の場合は、国公立が第二志望になるわけだから、
一次で足きりにかかりそうな難関国立大はハナから考えていなかったが、
国公立だって偏差値的に言えばピンからキリまであったし(今は無いのか?)、
私大用に準備している科目は一次でも通用するのだから、やりようはあった。

学校からもああしろこうしろとなどとは一切言われなかったし、
どの大学を受けろとか、そこは受けるなとか、その組み合わせは駄目だとか、
何かを命じたり禁じたりするような意見を先生から言われることなど、全くなかった
(生徒全体に対し「できるなら広島大学を受けて貰いたい」という雰囲気は感じたが)。
だいたい、高3になって初めて文系理系に別れるだけのカリキュラムで、
理系でも日本史・世界史・地理・倫理社会・政経の全部をやっていたし、
文系でも物理・化学・生物・地学すべてを全員が履修していたので、
「習っていないからできない」という組み合わせは、生徒側にはなかった。
入試の際の、自分の選択科目は自分で決めたものだった。
私は文系で、日本史と倫社だったが、日本史・世界史で行った友人も、何人もいた。
要は、自分で点数が取れると思う科目を選択すれば良いだけのことだった。
だからお前の学校は、開校以来、東大合格がたった1名しかおらんかったのだ、
と、今時の進学校からは笑われるんだろうけども(^_^;。

今は、もはや違うのだ。全部、高校が決めてくれる。
点がとりやすいとされている社会科の組み合わせ方を、高2のときから学校が指定し、
入りたい大学に入るためだけの、選択科目の取り方を、学校で選んでくれる。
生徒は、何通りの組み合わせが可能で、そのうち自分にどれが合っているか、
などについて、自分で考えたり迷ったりしなくていい。
その反面、その細やかな学校指定から外れることは、許されない。
学校が良いと見なしていない科目の組み合わせは、できないようになっているし、
私大が第一志望だと決めたら、国公立併願をしないように方向付けをされる。

確かに、無駄なことはしない・虻蜂取らずにならない、賢いやり方なのだろうと思う。
有り難い指導だ、恵まれた環境だと感謝しなくてはならないのだろう。
しかし、一般論として失敗の少ない方法を最初から提示して貰えるかわりに、
型にはめられ、それ以上の可能性が広がることも期待できなくなっている。
私が高校生だったときのほうが、自由でストレスが無かったよなあと、
ついつい思ってしまうのだった(^_^;。

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