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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



携帯の「個体番号」決め手 偽計業務妨害で「懲役3年以下」(産経新聞)

『要するに、たかがカンニングでしょ?なのに、警察?』
という主旨の意見を、ブログや掲示板等でいくつか見かけたのだが、
私はこれについては、京大の対処は妥当だったという印象を持っている。
今回は、試験時間中に入試問題を一般に流出させられることと、
広く不特定多数の人たちから解答の手助けを得られることを示した、
社会的に影響の大きい手口だったので、警察が入るのもやむを得なかったと思う。
カンペを隠し持っていた・答案に不審な点があった、などの旧来のカンニングなら、
大学が調査し、結果次第で合格取り消し等の処分をするだけだっただろうが、
このたびの件は、およそ過去に例を見ない方法のカンニングだったし、
追跡のためには、関係各所の持っている個人情報の開示が必要だったのだから、
大学だけで処理できる内容ではなかったと思う。

また、警察云々の件とは別に、私自身は、
『たかがカンニング』と言いきる感覚にも不快なものを感じている。
どういうやり方であれ、カンニングは、
「バレちゃった」的な微笑ましい話などではなく、不正行為そのものだ。
大学に入ってからの試験ではカンニングなど当たり前だった、
と書いている人もいて、私は正直なところ呆れた。
ズルして大学を卒業したことなど、全然自慢するようなことではない。
『たかが』ペーパーテストさえきちんとやって来なかったという、大変恥ずかしいことだ。
真面目に頑張っているほかの人たちに悪い、という以前に、自分自身の問題だろう。
学生時代から、チョロまかしてなんとかすればいいという考えでいるようでは、
将来、平気でその程度の感覚を土台にして、仕事をするということだ(--#)。
カンニングを「よくあること」「むしろ要領の良いこと」と感じる大人が普通なのなら、
もしかしてこれは、小学校で道徳の時間をなくした弊害じゃないのか(爆)。

しかし一方で、この件で、日本の大学の入試業務や管理態勢がいかに甘いか、
ということもはっきりした。
たまたま京大のときだけネット投稿に成功したというのではなく、
これまでの報道が正しいなら、早稲田・同志社・立教でもやれたわけだから、
どの大学でも、試験中に携帯がかなり自由に使える状況だったということになる。
揃いも揃って試験監督者たちが一体何をしていたのか、単純に疑問なのだが、
周囲の受験生たちも皆、本当に全く何も気づかなかったのだとしたら、
この予備校生の携帯操作が、よほど巧みだったのかもしれない。
いずれにせよ本来なら大学側は、入試への携帯電話持ち込みについて、
きちんと規定・規制をしなくてはならなかった、ということだ。

近年、私自身が受けたことのある英検やTOEIC、仏検、通訳案内士試験などでは、
携帯の電源を切っているかどうか、ひとりずつ点検される方式のものが多く、
不正行為どころか、試験中に携帯操作をしたり、着信音が鳴ったりするだけでも、
発覚すれば直ちに、今回の試験の無効・今後の受験資格剥奪など、
具体的なペナルティのあることが示されてもいた。
検定試験でさえそうなのだから、ましてや大学入試ともなれば、
点検も罰則も更に徹底していると私は思い込んでいたのだが、
どうやらこれまでは、携帯に関する規定はせいぜい口頭注意くらいで、
事実上、野放しに近かった大学が大半だったようだ。
便利な道具が世の中に浸透すれば、それを悪用した新しい事件が起こるのも当然で、
海外の大学では過去に既に、携帯使用による入試の不正行為事件があったのに、
未だにこれほど学生を信頼していたの(か?)だとすれば、
そこに日本の大学の落ち度があったと思う。

もうひとつ、私は報道のあり方にも大いに疑問を感じている。
一般の注目を集めるのに、格好の題材であったことはわからないではないが、
調査途中の早い段階から詳細を記事にして、大仰に連日トップニュースとして流し、
容疑の予備校生の自宅・出身校・予備校などに取材が殺到したことは、
ジャーナリズムとして、バランス感覚を欠いた行動だったと思うし、
中でも予備校生の家族構成まで繰り返し報道したのは「やり過ぎ」だった。
18歳未満ではないにせよ未成年であることを考慮し、最初の報道からあとは、
逮捕に至るまで意図的に続報を控えるくらいでも良かったのではないか。
警察が無事に予備校生の身柄を保護したから良かったようなものの、
マスコミのせいで、彼は自殺しかねない状況だったと私は思っている。

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回答お礼も試験中、問題文訂正も反映…入試流出(読売新聞)
『京大、早稲田大など4大学で相次いで発覚した試験中の入試内容流出。ハンドルネーム「aicezuki」によるインターネット掲示板への一連の書き込みには試験時間中に多くの「回答」が寄せられており、大学入試の公正さを根底から揺るがしかねない不正行為として、警察も捜査に乗り出す。』

「入試問題の流出」という意味で重大な事件だとは私も思うのだが、
本当に「カンニング」として成功するような話かどうか、私には疑問だ。
やろうと思えばここまで可能だ、ということを誇示した愉快犯だというならわかるが。
仮に複数の協力者がいたと想定しても、
このやり方で回答を受け取り、試験中に答案に反映させることができた、
しかもそれが正解かそれに近いものとして得点になり、実力がないのに合格できた、
という状況は、私がアナログ人間であるせいか、どうも考えにくい。

試験場にいる犯人から写真ファイルなどを送られた、外部の協力者が、
Yahoo!に問題をUPしたりお礼を投稿したりという部分を担当したのだとしても、
答案を書く犯人本人が、その回答をカンニングとして役立てるためには、
携帯メール等で外から送って貰った答の文面を、試験場で密かに開いて読み、
解答用紙に自分の手で書き写す、という作業が必要になるはずだ。
撮影・送信・待機・受信、等々の手間だけでも、
到底ワンタッチ(笑)で出来ることではないし、小一時間はかかる行程だろうに、
更に、来たものを開いて読んで理解し、答案用紙に写すところまで、
監督者に見つからないように、すべて試験時間内にやりおおせるものだろうか。
受かりたいのであれば、当然ほかの問題も解かなくてはならないのに。

数学にしても英語にしても、京大などは一題がまとまった分量なので、
それらは、模範解答例を横に置いて書き写すならともかく、
解けないで困っている者の場合、途中式や英作文例など送って貰っても、
チラ見して暗記できる量ではないだろう。
というか、送信されてきた回答の正否と内容が、一瞬見ただけで理解でき、
即座に自分の解答に反映させられる、という程度の学力が一応あるのであれば、
受験生人生を賭けた綱渡り的携帯作業などに頼らずとも、
普通に自力で解いたほうが、よほど合格しやすいだろうに、と私は思う。
一問一答形式の場合は、答が出なければ全く得点できず捨てるしかなくなるが、
分量のある記述問題なら、完答でなくても、如何様にでも書ける筈だ。
それすら最初から手も足も出ないような学力なら、
携帯で解き方例など教えて貰っても、じっくり読めない以上、合格は無理だろう。

それとも、解答案を細部まで読んでよく検討し、見ながら書き写すようなゆとりが、
入試の最中に、あるような状況なのだろうか。
私ごときの携帯操作技術では想像もできないが、
世の中、なんでも達人の域に達している人は居るものだから、
携帯の画面を、存分に眺めていても他人からわからないような方法があるのか(汗)。
そうでなければ、今の試験監督のやり方自体が、それを許すほど抜けているのか(爆)。

宝塚大劇場などでは、開演直前から開演中に至る時間帯は、
一時的に携帯の電波が届かない状況を、劇場側が設定しているのだが、
大学くらいの規模になれば、ああいう設備をすれば良いのではないかと思ったりもする。
あとは韓国の大学のように、試験前に携帯提出・金属探知機による持ち物検査、などを
実行していくほかはなくなるだろう。
いずれにせよ、いつだって一部の不心得者が、常識を蹴飛ばすようなことをして、
そのせいで、残りの大半のまともな人たちが迷惑を被り、
世の中全体が、余計な費用や手間をかけさせられるようになるのだ。

Yahoo!知恵袋のIDは、誰でも何か入力しさえすれば簡単に取れるのか?
ログインパスワードがあれば他人でも同じIDを共有できるとは言え、
最初にIDを取得した人の情報はYahoo!が持っているのではないのだろうか。
私のような、おばさんサイト管理者でも、自分のつけているアクセス解析から、
相手の使用端末のOSやブラウザ、地域、ホスト名など見ることができるのだから、
警察が踏み込むとなれば、Yahoo!の登録関連情報やアクセスログから、
犯人特定に繋がる、もっと具体的な手掛かりが割り出せるのではないか。


追記:遅まきながら、Yahoo!知恵袋で問題の投稿と回答を読んでみた。
京大関連と思われる英作文が二題投稿されており、回答もそれぞれついていたが、
いずれも、噴飯モノの、とんでもない英語だった。
あれをそのまま、あるいは大部分写して解答としたのであれば、
白紙よりはマシ、という程度の得点にしかなっていないだろうし、
大学側は解答用紙を検証することで、犯人をかなり絞り込めるだろう。
そうではなく、ああした回答を参考にしてでも、自分なりの英作文が出来たのなら、
犯人は、どのみち京大英語では合格点が取れる力のある人だろう(苦笑)。

追記2:ベストアンサーの英語がヒド過ぎるので、
もしやと思って、上記二題をGoogle翻訳にやらせてみたら、案の定だった。
あれはどちらも機械翻訳の英語だったのだ。道理で。

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センター入試、難易度別に2種類 16年導入を検討(朝日新聞)
『大学入試センター試験を難易度別に2種類にする検討を、独立行政法人「大学入試センター」が始める。新しい学習指導要領で学んだ高校3年生(現在の中1)が受験する2016年1月実施が目標になる。えり好みさえしなければ誰でも大学に入れる「全入時代」が迫り、受験生の学力の幅が広がったことなどから、1回1種類のセンター試験で学力をつかむのが難しくなったためだ。』『現段階で想定されているのは、試験科目を主に国公立大(一部の私大も含む)の志願者向けのものと、私立大向けの基礎科目型に分ける2種類の試験。大学が二つのうちどちらかを選び、志願者が受験する仕組みが考えられる。両試験とも一定量は同じ問題を出し、それぞれの得点を換算できる仕組みにするという。』

うちの場合、娘が3浪だか4浪だかしない限りは(爆)関係ないが、
基礎科目型センター試験を受けることになる、などというのは、
受験生にとって屈辱的ではないのだろうか。
ハッキリ言って、「センター試験が2種類設けられる」というのは、
「受験前に偏差値的に『上半分』『下半分』に分類される」のに等しいだろう。
受験生の憧れるような、難関大やブランド私大と言われる大学が、
わざわざ「基礎科目型」のほうを選んで指定して来るとは思われない。

学校現場や受験生、保護者は、こういう方針を歓迎するのだろうか?
大学入試センター自らが「学力較差」を設定してきて、
その枠内で受験させられるなんて、私には良い印象が持てない。
1回1種類のセンター試験で学力をつかむのが難しくなった、
というのが本当だとしたら、それは試験制度が悪いのではなくて、
そもそもセンター試験の出題内容のほうに、欠陥があるのではないか?
また、二次試験の実施には事実上、制限がないはずだし、
推薦入試やAO入試など、大学独自の選抜方法も維持されているのだから、
センター試験が、厳密に万能であることを期待する必要もないと思う。
私には、これは要らない改革のように思われるが。

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昨日の夜、広島に戻ってきた。
滞在中のホテルだけは涼しかったが、外は連日、猛暑だったし、
広島に帰ってきたら家の中も灼熱で、ウンザリだった。
とにかく今年の暑さは尋常ではない、と改めて思った。

*************

今回、主人だけは7月30日(金)の晩から一足先に東京へ行き、
例によって下町グルメを満喫し、翌31日(土)は朝から、
文京区の電動アシスト付き自転車レンタルを利用して
根津あたりをサイクリングしていた。
文京区は坂が多いので、電動の有り難みを実感したと言っていたが、
昼過ぎに品川で我々母娘と合流したときには、
主人は滝の汗で、とっくにバテていた(爆)。
当たり前だ、こんなシヌほど暑い季節にサイクリングするか普通(--#)。

31日(土)のオープン・キャンパスは、かつて私が受験して、
ホケツ→入学許可、という途を辿り結局入学しなかった某大学だった。
この大学と我が家の因縁は結構深くて、大昔、高校生だった父が
硬式テニスでインターハイ(の前身の全国高校選手権)に出たとき
推薦入学の話をくれたのもこの大学で、しかし実家は極貧だったため、
長男とはいえ、東京に出してやるほどの経済力が全くなく、
父の父(私の祖父。パンスーの祖母の、夫だ)は一言のもとに却下、
父は一瞬だけ東京の学生生活を夢見て終わった、という逸話があった。
だから父は、かわりに私を行かせてやりたい、と思ったようなのだが、
不孝者の私は、運動は話にならない無能さで推薦など有り得ず、
勉強はホケツ(爆)、先に合格していた某女子大に行ってしまった。
なので、もし今度、転娘が受験すれば、さて三度目の正直になるのか、
二度あることは三度ある、になるのか(汗)。

私の受験時代には、オープンキャンパスは無かったと思うし、
ついでに言うなら推薦入試や特別入試なども、一般的ではなかった。
受験生は、大学名と入試科目だけで選ぶことも珍しくなく、
公開イベントと言えるものは、大学祭くらいしか機会がなかった。
今回こうして実際に学内に入り、学部案内などの話を聞いてみると、
それなりに歴史も特色もあって、初めて知ることが多かった。
特にここの文学部は、娘のやりたい歴史関係もよく充実していて、
文学部とは言え、専門過程は社会学系もカバーする学際的な内容で、
美学美術史や、考古学民俗学の専攻があり、娘は心惹かれたようだった。
つまるところ、お絵かきもミイラ趣味も満足できそう、というワケだが
まあ、惹かれただけで入学できるなら、苦労は、せんわね(--#)。

8月1日(日)に行った大学は、また雰囲気が全然違っていて、
国際化と語学教育に特化した教育方針であるという印象だった。
この大学は私は全く受験しなかったので、建物に入ったのも
今回が完全に初めてで、どういう特色があるかも知らなかったのだが、
副学長先生のお話によると、とにかく学生には勉強をさせる、
積極的に年単位の留学を勧める、学内は大変国際的である、
実戦的な語学力の育成に力を入れている、とのことだった。
・・・という説明を聞いたのは私だけで、主人と娘は、
この時間、国文科公開講座の「三国志」を聴講しに行っていた(^_^;)。

私自身は非常に小規模な単科の女子大の出なので、これまで、
いわゆる総合大学がどのような世界なのか想像するほかなかったが、
確かに、規模の大きな共学の大学は、教授や講座の数も多く、
学生の個性も様々で、「出会い」に恵まれているという点では
大変魅力があるということを感じた。
娘が実際にどこを受験することになるか、まだわからないが、
単にサークルやバイトで充実していた、というだけではなくて、
研究者の卵として「これを学んだ」という喜びの得られるような大学に
御縁があればいいなと、私は願っている。

ちなみに娘は、私の母校は多分、受けないだろうと言っている。
英文学・英語学もさほど興味がないし、
近代史や国際関係学をやりたいわけでもないから、
私の出身大学では娘のやりたい方面の学科がないのだそうだ。
また、中高が女子校なので大学まで女子大というのは変化がないし、
何より、23区内でなく市外局番が03でないような場所は、
東京とは認めがたい・遠すぎる、とも言っていた(殴)。

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昨日今日は東京にて大学オープンキャンパス見学。
昨日は私の思い出のホケツ大学に行った。
娘が受けるかどうかはわからないが、
とりあえず知っているところから行ってみようかと。

ちなみに娘は私の母校を受験する気はないのだそうだ。
ハハとしては残念かも(笑)。

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娘の進路をどうしたものか。
高校部に上がり、学校でもいよいよ卒業後どうするかの話が出てきたし、
来週からは担任と本人の個人面接も始まるようだ。
本人は今のところ、考古学趣味から史学科を考えていて、
同時に、絵のほうも捨て難いと思っている様子だ。

最後に選ぶのは本人だとはわかっているが、
本人の望みでも、ありとあらゆるものを支援できるわけではないし、
未成年の子にどういう教育環境を与えるかを決めるのは
親の特権でもあると思う。
学費生活すべての面で、全く親に頼らずに進学することは、
普通の子の場合、まずあり得ないのだから。

私は別に、○○大学に行って貰わねば、という類の希望はないのだが、
そこに行くことで、親なしで本人が社会的に自立できるようになって貰いたい、
ということは強く願っている。
好きなことしかできないニートやフリーターの娘を死ぬまで養えるほど
我が家には経済的な余裕はないし、
親の寿命だって長いかどうかなんてアテにできるものではない。
夢を追えるなら、最後は誰からも省みられずノタレ死んでも本懐だろう、
とまでは、我々、平凡な親としては悟れない。

私の親世代なら、女の子はどうせ嫁に行って旦那に食べさせて貰うのだから、
若いときくらい、何をやっていようが縁談に差し支えなければ良い、
と考えることが、まだ出来ていただろうと思う。
しかし今時は、男女とも、家庭を持つ持たないに関係なく、
自分の生活は自分で成り立たせる社会的経済的自立が不可欠だ。

私は別に、自分の、無職の専業主婦としてのルサンチマンから
娘に是非キャリアを持たせたい・女も働いて一人前、
などと言っているのではない。
誰かと一緒になるなら、状況によって自分が仕事を辞めて家庭に入る、
と考えるような、柔軟性や合理性も必要だと思っている。
しかしそれはパートナーとの話し合いや選択の結果であるべきで、
それしかできないから仕方なく、というのでは危険だと思うのだ。

高校生の娘にとっての現実的な話として、一般の大学を志すのなら、
大学受験予備校に近いうちに通い始めなくてはならないだろうし、
美大を希望するなら、芸大美大受験科のある予備校のほうに、
放課後通ってデッサンやデザインを学ばなくてはならないだろう。
残念ながらそれらは同時進行でやって二兎を追えるものではないし、
学年が上がるほどに、方向転換は不利になり難しくなると思う。

主人のほうは、以前から美術系の進路には賛成できないと言っていて、
それは娘が将来、生活のできないヲタク崩れで終わることを
ひとえに心配してのことだと思われる。
確かに、娘があまりにも前衛的な顔のカレシを連れて帰ってきたりしたら、
私も、まさか「ハデな海ボウズね♪」と面白がることはできないと思う(爆)。
だいたい、娘には絵の才能なんか、ないんぢゃないか(汗)?
かと言って、大昔の墓を掘るほうの話も、アブナいといえば、まあそうなのだが。

しかし本人が「やりたい」と言い出すものは、
少なくとも「向いて」はいるのだと思うので、
頭ごなしに否定するのもいけないだろう。
私の感じとしては、英語や国語などの学科で行く大学のほうが簡単、
というか、時間をかけたぶんだけ努力の成果が現れやすいと思う。
「時間をかける」ことに最低限、耐えられなければ話にならないが。
一方、美術のほうは、最初から根幹のところは才能で決定されいて、
技術の研鑽はそこに上乗せする部分に過ぎないのではなかろうか。

なので、これは例えばなのだが、もし娘が決めかねるなら、
現役時には、まず全力で美大を目指してみて、不合格なら諦め、
一浪して普通の大学の文学部史学科に入れるよう受験勉強をする、
ということでどうだろうかと思っている。
あるいは、まず一般の大学または美大のどちらかに進学してみて、
卒業まで頑張ったあと、なおかつ諦めきれなければ、
再度、もう一方の方面に編入や学士入学のかたちで入り直す、
ということも、可能かもしれない。
成功の保障はないし、他人のしない努力が要るが、「縁」の有無もあろうし、
こうした数年の回り道が、人生を誤るほどのマイナスにはなるまいと思う。

そしてここでまた、曾野綾子の名言、
「思いがすべて叶うというのは、美しいことではない」
を思い出すワタクシなのだった(^_^;)。
現時点で「思い通りにならなかった」ことが
かえって結果として実り多い人生につながる、
という可能性もまた、否定できないのだ。
だから選ぶことも、粘ることも、諦めることも、本当に大切で、難しい。

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娘は今日明日と一泊二日でA高の「高1合宿」に行っている。
自分の進路と将来について考える、みたいな主旨で、
内容は宿泊棟での討議や発表がほとんどであるようだ。
今朝はかなりの雨で、せっかくの行事なのにと思ったが、
とりあえず登山やキャンプでなかったのは良かった。

***************

”引きこもり”へまっしぐら どうする?わが子が「4ナイ生」だ
という記事がゲンダイネットに出ていた。
『アルバイトをしない』『サークルに入らない』
『大学の講義やゼミで発言しない』『恋愛をしない』
大学生のことを「4ナイ生」と呼ぶのだそうだ。
社会性が育たず、引きこもりにつながる悪い兆候だと書いてある。
これを読んで私は、自分が「3ナイ生」であったことがわかった。
バイトとサークルと恋愛、この三つは学生時代、原則やらなかった。

ちょっとだけ過去の自分を擁護してみるならば、
今とは時代が違ったことが、大きかったと思う。
学生はパソコンも携帯も持っていなかったし、海外旅行もしなかった。
しかも超地味な女子大だったので化粧もせず服にもかまわなかった
(=出会いも皆無だった)。
だから今の若い人のようにはお金が要らなかった。
エアコンも風呂もなくトイレ共同の、一間きりの下宿にいて、
私は学業と、それに某バンドファンとしての活動(殴)に忙しかった。
そのふたつで手一杯だったのだ。そのためサークルも入らなかった。
でも交友関係だけは狭くはなかった。ファン関係とかで(殴)。

主人なんか、多分、典型的な「4ナイ生」だったと私は思っている。
舅の人生哲学は非常に独特で、
「大学にまで行くのなら学業こそが本分だ。
アルバイトする暇があるのは、おかしい。
苦学生は仕方がないが、働きながらする学問は、本来ではない。
働きたいのなら大学をやめて、早くきちんと就職すべきだ」
ということを、晩年になっても繰り返し、言っていた。
しかし主人はそもそも、大学自体にちゃんと行っていなかったらしい。
前も書いたが、彼は「学食を専攻」することに熱意があっただけで、
父親の高邁な理想とは懸け離れた「引きこもり」のハシリだったと思われる。
しかも留年して就職浪人を続け、この間、トータル十年ほど。
彼が下宿に籠もって何をしていたのかは未だに私にとって謎だ。
謎過ぎるので、訊くのが怖いくらいだ(逃)。

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昨日は、娘の学校で中3生徒と保護者を対象に、
高校からの文理選択についての説明会があった。
うちの娘の場合、数学は二度としたくない・物理は論外、
という消去法により、理系でないことは決定しているので(殴)
今更、何を迷うこともなかった。

A中高の場合、中3の年度末頃に、
高校からのおおまかな文理別を決定することになっているが、
まだ進路が決まっていない生徒もいることなので、
高1では、文理どちらにも行ける総合コースも設定されている。
ここに所属した生徒は高1の終わりに最終的な決定をする。
つまり、全員がはっきりと進路別に授業内容が分かれるのは
高2からということだ。
高2からは、センター試験での理社の選択科目に合わせて、
文理それぞれの中で、さらに細かいコースに分かれる。

娘が考えているのは、文系か芸術系で、
やりたいものは、史学か文化研究、でなければ絵画制作、だそうだ。
それで将来自立できるのか、という問題は残るが、
昨日の説明会でも先生が仰っていたように、
最近は、世の中の価値観やトレンドが激しく流動的なのであり、
『今から君たちの大学入試や大学卒業の頃のことなんて
予想できません』とのことだから、考え過ぎても仕方がない。
ちょっと前は、理系、とくに医歯薬系が花形だったが、
今は不況なので、公務員試験に有利な感じのする法学系が人気だそうだ。

「この前、入試が終わったばっかりだと思っていたのに・・・」
と私の周囲のお母さんがたが嘆息していらした。
本当に私もそう思う。中学入試で、どんだけシンドい思いをしたことか。
やっと合格して、晴れて入学し、さあこれで6年間は解放される、
と思っていたのに、もう大学入試の話が具体的になって来るとは。

「ご質問が、おありでしたら、どうぞ」
と、ひととおり説明が終わったところで、進行の先生が仰った。
私は、実は、訊きたいことが、あった。
しかし、誰も挙手していないし、こんなところで、もし、
ハイっ!と勢いよく言ったら、絶対に注目を集めるに決まっている。
『あれ誰?』『誰のお母さん?』『みーちゃんだって』『みーちゃん』
と騒がれて、娘だってツラい思いをするに違いない。

ゆえに、私は、辛抱した。
私の質問の中身も、そもそも、およそ、褒められたものではなかった。
私が訊きたかったのは、

必修科目なのに履修漏れって、ないですか
これでホントに、ダイジョブなんでしょうか


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三者懇談があり、午後からA中に行った。
美術部活動中の娘と校舎を入ったところで待ち合わせて、
担任の先生が待っていらっしゃる教室に向かった。
懇談は完璧に時間通りに進んでいて、全く待つことがなかった。

中3一学期の成績は、娘の言う通り「えんとつ」は無かった(爆)。
「生物地学」の期末考査の点数が、学年下位から何番目、
という物凄さで、グラフを見せられたときゲっと思ったが、
中間考査が平均点ちょっとあった御陰で、
五段階評価のほうは、「あひる」で済んでいた。
二度とやるなよ、こんなこと。心臓にわる~~~

先生からは、「『ま、いっか』で適当に終わるのではなく、
もっと欲を持って頑張ること」と言われた。
定期考査前の勉強は当然のことで、皆がしているのだから、
そこで成績を上げようと思うなら、人がしない勉強をするしかない。
宿題は誰だってやって来ているのだから、そのうえに、
宿題でないところ・先生に言われていないところも、自分でやる。
そういう工夫とスタイルを身につければ、成績が格段に違って来る、と。

具体的には、
『夏休みの宿題、とくに英語・数学は、二度ずつやること
と先生は仰った。これは既に、クラスで皆にお話されたことだそうだ。
一回目は9月の提出用に、まず全体を通してする。
これを遅くとも8月10日までには仕上げる。
そして二度目は、休み明けテストを目標に、
出来ないところが無いように、丁寧に穴を埋めていく。

娘は夏休み前に配られた生活記録ノートみたいなものの冒頭に、
『目標:お盆までに宿題を終わらせることができたらいいなと思います』
と呑気なことを書いていたが、
そーゆー感覚では、これまでのズンドコ生活からは
永遠に抜け出せない、ということがよくわかった(汗)。

進路について「私大文系」あるいは「美大」と言ったら、先生は、
『いずれにせよ、最低限、英語・国語が出来ないと合格しませんので、
今できることは結局、教科の勉強です。美大は例年、とても難しいです』
と仰った。
そのうえで、美大に進路を絞ると決めるのであれば、
高2以降の選択授業は、入試で要る科目をメインにして時間を空け、
放課後、美大芸大受験実技の予備校に毎日行かなくてはならない、
とのことだった。


……まずカイより始めよ、ということで(汗)。

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A中高は一貫教育なので、途中でクビにされなければ(爆)、
娘はこのまま、入試なしで高校に上がれる見込みだ。
なので、中3の今、そろそろ考えなくてはならないことは、
ダイレクトに、高校卒業後にどうするか、という問題だ。
学校では既に、文理選択のおおよその説明や、
卒業生による受験体験談を聞く時間などが幾度かあった。

そうした中で、最近、娘に少し変化が出てきたのは、
「きちんとデッサンを習いに行こうかと思う」
と言い出したことだ。
中1から美術部に入っているのは良いのだが、
部活としては自由で、系統だった指導も特別には受けていないので、
今、娘は自分なりに、ある種の壁を意識するようになった。
気の向くままに描いているだけでは、思うような絵にならない、
という現実を、どうにかしたいと考えるようになったのだ。

もともと娘は、小さい頃から絵が好きだったので、
『中学入試も済んだことだし、時間が出来たのだから、
近所の中高生絵画教室に行って、基本的な技術を勉強してはどうか』
と私は以前言ってみたことがあったのだが、そのときの彼女の答えは、
「好きなように描きたいだけ。『勉強』ってほどでは・・・」
というものだった。
その時点では、思いつきで好きな絵を描くだけで満足だったわけだ。
それが最近になって、娘なりに、欲が出てきた。
「将来は、美大とか、芸術系も、いいかなって」
と言うようにもなった。

絵は、誰が強制したこともないのに、娘が自分で始めたものだし、
それが本当に好きで、きちんと学びたいと望み、
そのための努力もいとわないと言うのなら、やってみたら良いと思う。
美大が良いのか、それとも美学や芸術学などという学問系、
あるいは教育学の中の美術造形教育方面が良いのか、
それとも専門学校のほうが娘の希望には合っているだろうか。
「絵」というだけでなく、水彩か油絵か、日本画か、デザインか、等々の、
もう少し細分化された進路についても考えてみなくてはならないだろう。

ただ、私は自分が全く芸術系の進路に縁がなかったので、
絵をやる、というのが現実にどういうことなのか、よくわからない。
どんな準備が必要なのか、娘の適性でなんとかなるものなのか、
大学なり専門学校なりを出たあとの進路は、どうなるのか。
机の上の勉強ならひとりでやっていても点さえ取れれば良いわけだが、
実技系となると、ある程度、徒弟制みたいな面があるだろうから、
行きたい学校や、つきたい先生に合わせた流儀とか人脈とかが
受験段階から必要になって来るのではないのだろうか。

ときに、もうひとつ、絵のほかに娘が結構執着しているのは英語だ。
学校の科目の中でも英語は良い成績を取りたい気持ちが強いらしい。
芸術系以外の進路なら、イギリス文化研究みたいな方面も良いかも、
と興味を示していた。
いっそ、アレだ、いいトコ取りってことで、
「英語のわかる絵描きさん」または「絵が描ける英語屋さん」
あたりを、目指してみたらどうかね(汗)。

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