14日、大阪松竹座で、七月大歌舞伎の夜の部だけを観てきた。
友人がどうしても孝夫(仁左衛門)が観たいと言うので、
それなら萬壽・時蔵の襲名披露もあるからこの機会にと私が提案し、
6月初旬、チケ松の松竹歌舞伎会会員先行発売の日に切符を取った。
私ひとりだったら、まず絶対にやらない、一等席での観劇であった。
果たして、友人は大変満足してくれた。
花道のよく見える、センターブロック前方席、かつ通路沿い。
良かった(^_^;。
夜の部最初は、仁左衛門の「いがみの権太」。
私は上方の「権太」を初めて観たかもしれない。
これまで歌舞伎座で観た、菊五郎や松緑の「権太」とは
台詞や人物像の細かいところで異なる点がいろいろあった。
また、仁左衛門は『木の実』『小金吾討死』から通して『すし屋』まで
出すことにこだわっているというのも、舞台を観てよくわかった。
やはり権太・小せん夫婦の情愛をしっかりと感じてこそ、
権太がどういう男であるかもよく伝わって来るし、
最後の、「もどり」の味わいも深まるというものだった。
『すし屋』の冒頭で弥左衛門がいきなり生首持って帰ってくるという
ギョーテンものの登場場面も、『小金吾討死』を直接観ていれば
全然唐突でなくなり、観客としても頭で了解しただけの観方とは
比べものにならない納得感があった。
しかし何より仁左衛門が若々しく覇気に満ちていることには
改めて感嘆させられた。
本当に仁左衛門は50歳くらいからあと、トシを取った気がしない。
これは決して、私の脳内修正ではない。
冴え冴えとスキのない動き、キレのある台詞、磨き立てた所作!
萬壽の弥助はこれまた美しく、しかも正統派の二枚目、
そしてこちらも、なんとも身のこなしが軽くて自由自在で、
年齢を全く感じさせなかった。
吉弥の小せんが実に「イイ女」で、粗末な暮らしの中にも
廓の女だった色っぽい雰囲気が確かにあって、はまり役だった。
『すし屋』だけの上演では、小せんの周辺は想像で補うしかないが、
権太とどのような夫婦であったかを今回は実際に観たあとなので、
最後に、今生の別れと花道で権太を振り返る姿も心に染みた。
壱太郎のお里ちゃんは本当に愛らしかった。
お里は『すし屋』の芝居の中で、初々しいお嬢ちゃんから一人の女へと
見事に成長し、それゆえに痛々しいのでもあるが、
若葉の内侍との無言のやりとりにも
お里の揺れ動く内心が伝わって来て、こまやかであった。
その、若葉の内侍は孝太郎、過去イチで品格のある若葉の内侍であった。
これまでに観た若葉の内侍は、どこか怖い感じの残るものが多かったが、
孝太郎は、人の心の綾を慮る女性として演じていたように思った。
次は舞踊で『汐汲』、扇雀の苅藻(みるめ)に萬太郎の此兵衛。
進行を損なうほどのものでは全くなかったが
小道具の微妙なアクシデントが複数あった。
汐汲桶の竿が扇雀の思っている位置に来ていなかったらしい瞬間とか、
立ち廻りのときの縄を萬太郎が取り落としかけたりとか(汗)。
しかしそのようなことはともかくとして、扇雀の柔らかな踊りを
久方ぶりに堪能できたのが良かった。
苅藻、本当に行平どのを愛しているのだねぇ、…としみじみ感じた。
萬太郎は勢いというか、エネルギーを解放する力強さが良かった。
しかしこの舞踊、私はよく知っているとは言えないのだが、
結局立ち廻りになるのね……(^_^;???
最後が中村時蔵襲名披露狂言で『嫗山姥(こもちやまんば)』。
先月、歌舞伎座で観たのは、息子・怪童丸(梅枝)の旅立ちを見送る、
母としての山姥(萬壽)だったが、今回のはその怪童丸がどうして生まれたか、
という、『山姥』に至る前の段階の物語。
八重桐(時蔵)は、恋文の代筆を生業としながら、
行方知れずの夫・坂田蔵人時行(菊之助)を探し探して、
とある館で偶然に見つけるのだが、
『アナタ!?よりによって、こんなところで何やってるんですか!』
と言わんばかり、つかみかかるポーズで、再会の最初から強いのなんの、
さすがに、かつて廓で太夫を張った女は根性が違うのであった。
八重桐は質素なナリなのだが極めて美しく、身に備わった威厳があり
しかも「漢」(笑)、男性の演じる女形だからこその、
低い、深い声音の台詞が、要所要所で実に効果的に響き渡り、
堪えられられない味わいがあった。
特に、後の怪童丸をその身に宿してからは、八重桐に「男の血」が入り、
超人的な力を得、これぞキワメツキ「母は強し」!
そして、ぶっ返りからはもう、八重桐本人が怪人そのもの(笑)!
……なのだが、これがまた、男でもあり女でもあり、
でもやはり女、とてつもなく美しい!!!
ということで、5年ぶり?の大阪松竹座であった。
記憶にあるより松竹座はこじんまりとしていて、舞台と客席が近く、
一体感もひとしおで、上方歌舞伎の灯を消さぬよう支援したいものと
改めて心から思った。
私も、道頓堀に中座があった頃から観てきた世代の端くれである。
上方歌舞伎には、上方ならではの人情や柔らかみがあるので、
その機微を大切に味わいつつ、これからも応援して行きたいと思った。
萬壽・時蔵・梅枝の襲名幕は、松竹座にも来ていた。
歌舞伎座より舞台が小さいので、文字は入っていなかったが、
いかにも道頓堀の夏に相応しい絵柄で、
小川家三代の関西御披露目を観客として寿ぎつつ、存分に楽しく観劇させて貰った。
いや~、しみじみと良い舞台であった!行って良かった!
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