ランシモ

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終戦のエンペラー、映画

2013-10-01 22:33:41 | 映画

これは絶対に見たいと思っていた。
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田原総一郎記
http://www.taharasoichiro.com/cms/?p=1057
日本が降伏して太平洋戦争が終わり、連合国軍最高司令官としてマッカーサーが日本に降り立つ。アメリカによる日本占領の始まりだ。そのマッカーサーが部下に命じたのは、戦争責任者の追及だった。そこに聖域はない。当然、昭和天皇、皇室も含まれたのだ。

昭和天皇に戦争責任はあるのか? 
マッカーサーはどう判断を下すのか?
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この辺りがこの映画の主要テーマです。
結局、天皇陛下の責任について明確な判断はしていない。どこまで開戦に天皇陛下がかかわったか、また止められる地位にあったか。ポツダム宣言受諾の御前会議においては天皇陛下の意思が尊重されたと描いている。
また、実際の史実かどうか表の歴史に出てこないので知りませんが、玉音放送(降伏放送)(終戦じゃない降伏です。この辺りの言葉を今の日本は故意に間違えて使っている)の録音を破棄しようとした陸軍決起隊1000人の話など、まったく国民には知られていません。このくだりはフィクションなのかもしれないし、記録に無い衝撃の事実なのか。降伏に反対する軍勢力があっても当然ですが。
記録が無くなっている歴史が多く、あまりにもタブーが多すぎます。
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終戦のエンペラーのプロデューサーは奈良橋陽子さん
http://mantan-web.jp/2013/07/27/20130727dog00m200031000c.html
毎日デジタルWEB
伝えたいのは「再建と復興のエネルギー」です。実は映画の中の廃虚の場面には、東日本大震災の写真もベースに使っています。カメラマンが現地に行き、スチール写真を撮りました。終戦後、どん底の中でも頑張れた日本だから、3.11の震災のあとも、我々日本人はもう一度頑張れるはずだという思いを込めました。
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狼魔人日記
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/1a9e4d171b112d1b396bb74a004b9554
「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は私の任命する所だから、彼等に責任はない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委ねする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」

奥村通訳の会見録には上記の責任発言が記載されていない。 東京裁判を控えて発言の重要性から削除したようである。

マッカーサーは、昭和天皇が別の会見で皇室財産を差し出すので食糧を緊急輸入して国民を飢餓から救ってくれと申し出たのを聞き「私は初めて神のごとき帝王を見た」と感動している。
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マッカーサーと天皇陛下が1945年9月27日に第一回目の会見が行われた時の言葉として有名ですが、事実は違ったと言う方もいらっしゃる。戦争責任を東条英機に被せるような言葉だったと言う。それも確かなことじゃないだろうし、真実は闇の中。
ただ時代は、アメリカにとって終戦を迎えても楽になったわけじゃなく、ロシアと中国の共産党革命の台頭に悩んでいた。天皇の戦争責任を追求して死刑にでもしたら、日本が路頭に迷い込み、復興の活力が失われ、共産思想が蔓延すると心配したのだ。内乱に近い状態に日本がなったら、その後に起きた朝鮮動乱も、金門島の国民軍どころじゃなくなる。日本を早く復興させてアメリカの友好国にしなきゃアメリカ自体が危なかったのだ。
実際に戦争責任があったもの達を処罰しないでいたのは、日本が共産国家にならないよう処置したのだろう。その後のレッドパージが吹き荒れたのもむべなるかな。それが結果的に大学の全共闘運動を呼び起こした。さらに赤軍の逮捕で全共闘は終焉を迎え、東京の大学の郊外移転で学生の社会運動に対する骨抜きをよんだ。その結果、日本国民は政治を語ることを避けるようになった。弾圧ああるわけじゃないのに政治話はダサイということになった。おそらく、日本の若者をスポイルしたのはときの政権と米国の圧力であったのだろう。

歴史上でも映画でも、天皇陛下がマッカーサーに「私の身をあなたにあずけにきた」と言うことになっている。そもそもポツダム宣言を受け入れて、敗戦を受け入れた段階で天皇陛下は自分の「処刑=死刑」を覚悟したのだと思います。天皇陛下の捨て身の会見が、皇室温存を決定させたのだと思います。それが、真実であって欲しいと思うのが日本国民でしょ。

ただ、この時に天皇制を維持したわけですが宮様を廃止した。その結果や未来は男系による皇位継承をそのままにした為、いつか途切れるという運命を持っている。後回しにして、ついに途切れそうになった時に動くのではなく、皇位継承を議論するのはいい事だと思う。後回しが日本の特徴だとしたら、私はがっかりだ。昭和天皇を処罰しなかったが、その代わりに皇室存続の時限爆弾を仕掛けたのかもしれない。

米軍が戦犯探しをしている時に、木戸幸一に映画では東南アジア侵略に対しての見解を述べさせている。確かに第二次世界大戦では日本が東南アジアを席巻して植民地にしたが、それは欧米諸国をお手本にしただけ。フィリピンはスペインとアメリカに、マレーシアはイギリスに、インドネシアはオランダに、カンボジアとラオスはフランスに、ビルマとパキスタンとインドはイギリスに支配されていて、戦後解放されたがどこの国が植民地支配していたことを処罰されたか。日本はそれら欧米諸国をただお手本にしただけです。なんの罪があろうかと、すばらしい詭弁で反論した。面白いいきさつです。

映像の中で、マッカーサー一行が厚木基地から丸腰で東京へ向かった時に、沿道には日本兵が銃剣を捧げてずらーと並んでいた。マッカーサーの車が通ると、兵士は車道の中を向くのではなく外側を向いていた。このシーンは私の終戦直後の写真、映像と同じです。戦前神格化された天皇がお通りになる時に、こうべを垂れ見ないようにするのと同じです。それは江戸時代の参勤交代の時の庶民がひれ伏し見ないようにするのと一緒です。外国人にはこのような習慣がないから、とても奇異な沿道警備と歓迎に見えただろう。懐かしくもあるシーンです。映画の中で「これが、この国の最大級の敬意の表し方だ」と言っていたのが印象的だった。

プロデューサーの奈良橋陽子さんは東北大震災の映像を、東京大空襲の映像として一部使った。それは全国が焼け野原から力強く立ち上がってきたかっての日本を見て、これからも頑張りましょうというメッセージでもある。この映画が企画されたのも、ちょうど震災のあたりでしたから。

 

焼け野原になった日本、当時の窮困が良く表されている。それから立ち上がったのだから日本はスゴい国だと今さらながら感じ入った。

面白くて痛快な映画じゃないけど、日本のオリジンを表現しようと試みたもので、ぜひ見て欲しい。

終戦のエンペラー 公式ホームページ
http://www.emperor-movie.jp/

 

2019年7月 天気の子、新海監督アニメ

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/5685b1b79fa0e8705ae25a538d42f227

 

2018年11月 万引き家族

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/fcc056e531a6daf8e06c97334948c2a6

 

2018年10月 カメラを止めるな

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/77e3df90890be3921c12ccdd60160292

 

2018年5月 コスタリカの奇跡

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/678fee15719f71929bb4c1a00db65ea6

 

2018年3月 シェイブオブウオーター、アカデミー受賞

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/df65b405417b214116972485477b12d2

 

2018年2月 スリービルボード

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/5133ea89931a4b362a6a702210ecc39e

 

2017年12月 オリエント急行殺人事件

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/0e95ea094223f41489e6ce6f5d33be25

 

2017年11月 ブレードランナー2049

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/67fb5004864e2fe621cc135af9eefacd

 

2017年7月 忍びの国

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/597da5163453c1f070b440582bb9a68f

 

2017年5月 低開発の記録、星の記憶

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/c468ab40189550ae7bade5012886a78f

 

2017年1月 海賊と呼ばれた男、出光石油の話

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/47127e6bde8b0c887181c09e2b361089

 

2016年11月 湾生回家、台湾生まれの日本人

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/bce9059d2941cf69dd680e12a11e02dd

 

2016年10月 君の名は、新海監督アニメ

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/249335630d0fce72b6e559487efd18fa

 

2016年9月 帰ってきたヒットラー

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/28ded9edf6c75f2f171890815fb04a02

 

2015年5月 図書館戦争

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/baec55689a0ccf6cfde4a09f27885a90

 

2014年10月 バンフーマウンテイン映画祭

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/4d31b48f444015fd1b5a678b11f9becf

 

2014年1月 永遠のゼロ

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/9c2acd1979c600a54f0d675a9b81eb05

 

2013年10月 終戦のエンペラー

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/5c9121e9cb7a7ec7c8f25ef16bfbce9c

 

2011年8月 大鹿村騒動

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/f76c3c6fcbd8a294585b37602b08cbdd

 

2010年5月 第9地区

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/50871496bfbc37299c0c9bbdfe311cb7

 

2010年3月 アバター

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/f48f5b1b2870d1bbd1037b954f034824

 

2009年12月 泣きながら生きて

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/665f991435e822c9137dafa291d822ee

 

2009年6月 剣岳点の記

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/419cda4270609856d3b173b93afb3caf

 

2209年5月 天使と悪魔

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/88270d35b7c299565a8a6b9fd59a646f

 

2209年3月 おくりびと

 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/c1a0455d293f62d41ba8560e7496cbf4


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