「縄文のビーナス」と「仮面の女神」に会いに行った*尖石縄文考古館
尖石縄文考古館は長野県の茅野市に位置します
諏訪湖から東北に向かって
八ヶ岳・蓼科山と霧ヶ峰・美ヶ原に囲まれた台地
蓼科山から流れ出る湯川は干上がったことがないと聞きました
豊かで安全な土地だったんだろう
「縄文のビーナス」と「仮面の女神」の2体国宝に指定されています
ひとつ目は昭和61年に発掘された「縄文のビーナス」
かなりデフォルメされています
縄文時代の土偶はシンボルのような使われ方をしていたからか?
弥生式時代になると
埴は当時の生活をかなり模した造りになっていった
それに反して縄文時代の土偶は
お守りのような存在に作られたのか
デフォルメがはなはだしい
悪い意味じゃなく
縄文時代土偶の方がアーティステックなのだ
女性の特徴をよくとらえている
臀部と腿が以上に太い
安産のお守りだったんだろう
産むという行為は
縄文時代では生と死のはざまだったから
実にかわいらしいお尻です
お尻のカーブが美しい
縄文時代の人たちは
現代の人と比べても
感情や知能はそれほど変わらなかったんじゃないか?
むろん工業や化学などない時代なので
文明の利器がないぶん生活道具や
生活様式は違うだろうが
考えや感情や生活習慣は
さほど違わなかったろう
縄文土偶を見ると
目が異常に吊り上がっている
小さな土偶から
このような大きなスペシャルな土偶まで
みな一様に目が吊り上がっている
この時代の土偶は
象徴的にオーバーに造ってあるけど
この時代の人たちは目が吊り上がっていたのだろう
縄文時代は15000年前からあったが
弥生式時代になって
土偶も土器の形も
あっという間に切り替わった
文化そのものも変わったのだろうが
もしかして構成員まで変わった感じがします
「縄文のビーナス」は5000年前の作品とされます
昭和61年に発掘され国宝に指定されています
粘土に雲母を混ぜて作られていて
丁寧な造りなので
個人の土偶じゃなく
部族の大事な土偶だったんじゃないか
土偶は役目が終わると
壊されたそうですが
この「縄文のビーナス」はそのままの姿で出出したそうです
よっぽど大事にされていた土偶なんでしょう
もうひとつが「仮面の女神」
これは2000年8月と最近発見された
「仮面の女神」は33cmと土偶の中では大きい
これも国宝です
仮面をつけていて
ものすごい迫力があります
たぶん安産のシャーマンだったんじゃないか?
衣服は来ているが
ビロウではあるが
パンツは履いていないようだ
足が異常に太いのもデフォルメの結果だろう
縄文時代の土偶は
デフォルメがはなはだしい
弥生式時代の埴輪の人物像は
写実的で生活感が伝わってくるが
縄文時代の土偶は
アーティステックで宇宙観さえ感じるほどです
足も太いなー
女性だったら気にするところですが
この土偶では強調している
足の太さや腹の太さは安産のポイントだったのかな
実にどっしりしている
背中側ですが衣服を着ているようです
頭のバッテンは結った後ろ髪でしょう
横から見ると胸の扁平なのと
足の太さが目につきます
縄文土偶なので
デフォルメがはなはだしいが
女性器まで描かれているということは
やはり安産のお守り土偶なのだろう
頭の左右に貫通した穴があって
ひもでも通して吊り下げられていたか
シャーマンが首から下げていたか
どこかに神棚に吊られて安置されていたか
想像が膨らみます
2000年に発掘さてた時の写真
もしかすると
中空のこの土偶に遺骨を入れられていたかもしれない
この象の持ち主か誰かがお亡くなりになって
その遺骨を「仮面の女神」の中に入れて
神棚に安置されていたかもしれない
その役目が終わってから墓地にまた埋葬されたか?
墓地の中から発掘されたのだから
いろいろ想像が膨らみます
4000年前の「仮面の女神」は迫力があって
当時の名工の作じゃないか!
縄文時代は弥生式時代と現代と合わせた年月の、5倍の長さで安定した平和に暮らしていた。それで土偶や土器などがアートになっていったのかもしれない。ちょうど江戸時代の鎖国をして400年の平和な時代に、日本の文化が花開いたのように。
諏訪神社に伝わる御柱の文化は、縄文時代からの伝承と考えられている。諏訪の土地と出雲の土地の伝承は、縄文人の文化を伝えるものかもしれない。弥生時代になって大陸や朝鮮半島から渡ってきた人々に、争うことなく日本の土地を明け渡した。古来からの縄文人(諏訪と糸魚川、出雲、岡山を中心にする民)は平和主義者だったから。渡来人の代表である日本武尊(荒ぶる大将=ヤマトタケルのミコト)に戦わずして国を譲ったんじゃないか。岡山の鬼退治の話は、岡山と出雲の縄文人をやっつけた話かもしれない。もしかして縄文人には文字がなかったかもしれない。それはアイヌに似ているけど、縄文人の目の吊り上がりが違う。アイヌと縄文人は別なような気がします。すると縄文人は忽然とどこへ消えたんだろう。
すると卑弥呼は九州説がいいかな。ヤマトタケルの元の山と民族=渡来人達は紀伊半島の伊勢に上陸して、熊野古道を通って大和に入った。裏から入られては、その時の大和政権は寝首を取られたようなもの。
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