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浮島丸が沈没して71年、今年も現場である舞鶴・下佐波賀の殉難者像前で8月24日の11時から・・

2016-07-29 | 日朝韓友好親善のために
戦後71年、祐天寺の朝鮮人遺骨を返還せよ/李一満
強制連行被害者遺族の入国阻む日本政府


1945年8月22日、青森の下北半島大湊港から数千名の朝鮮人を乗せ釜山港に向けて出港した浮島丸(4730トン、定員:841名)が、24日17時20分ごろ舞鶴湾に入り下佐波賀の300m沖で沈没した。

浮島丸が沈没して71年、今年も現場である舞鶴・下佐波賀の殉難者像前で8月24日の正午から、犠牲者の遺骨がある東京・祐天寺では、同日午後6時から「第28回朝鮮人戦争犠牲者追悼会」が開かれる。
   
強制連行被害者遺族の金元鏡さん(平壌で)
「浮島丸事件」に高い関心

昨年末に解散した韓国の「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会」が受け付けた、遺骨に関する真相調査申請は7件だった。6件については報告書を出したが、浮島丸沈没事件は報告書を出せなかった。活動結果報告書は①日本政府の資料の信頼性が疑われるが、正確な乗船者数と死亡者数は分らない、②爆発原因も、決定的な根拠がない現時点では結論を出せない、と結んでいる(59ページ)。

沈没して71年、浮島丸の針路変更の理由と沈没原因、乗船者数と死亡者数は今もって闇の中である。

針路変更の理由の一つは飲料水の補給、今一つは米占領軍が「8月24日午後6時以降は大型(100トン以上)船舶の日本領海航行禁止令を出した」というもの。

沈没原因も、米軍が敷設した機雷に触れて爆発・沈没したという触雷説と日本海軍部による自爆説の2説があるが、触雷説は説得力に欠ける。

それは①機雷に触れたのであれば、爆発音が鳴り水柱が立ち上がる。爆発音が3回鳴ったが水柱は立ち上がらなかった、②機雷に触れたのであれば、船の外側から内側に穴が開くが、穴は外側に空いていた、からである。

舞鶴湾に入るとき海軍の軍人たちがボートに乗って逃げるのを見た、船が湾に入るとき「掃海完了」という信号を受けて入港した、大量の弾薬とコードが船底に積まれていた、という証言もある。

浮島丸事件は朝鮮新報が1965年9月24日に報道したのを皮切りに、NHKが77年8月13日にドキュメンタリー「爆沈」(45分)を、浮島丸殉難者追慕銅像の除幕式(78年8月24日)を挟んで96年8月にはKBSがドキュメンタリー「浮島丸事件」を放映した。裁判は京都地方裁判所に提訴(92年8月25日)後、第1審(京都地裁)は部分勝訴、第2審(大阪高裁)は敗訴、第3審(最高裁)は完全敗訴した。95年8月には「浮島丸爆沈事件50周年平壌国際討論会」が、2015年8月には「浮島丸爆沈事件70周年平壌討論会」が開かれた。

映画は日本で「エイジアン ブルー」が、朝鮮で「生ける霊魂たち」が、南ではミュ―ジカル「浮島丸爆沈事件」が上演され、歌曲・演劇・マンガも多数ある。
勝手に靖国神社に合祀

東京朝鮮人強制連行真相調査団(以下、東京真相調査団)は、結成当初から祐天寺の遺骨問題について深い関心を払ってきた。

2004年12月11日、日本では解放後初となる南北合同追悼会を祐天寺で、12日には「祐天寺の遺骨から、平和と人権を考える」をテーマに、シンポジウムを日本教育会館で開いた。
  
 祐天寺の写真は、日朝協会提供

翌13日、入国できなかった金勇虎氏と金元鏡氏の委任状を持って厚労省に行き金(山)龍均氏と金(城)正表氏の関係書類を受け取った。金(山)龍均氏は旧日本海軍・軍属として連行され1944年9月19日にタラワ島で、金(城)正表氏は旧日本陸軍・軍属として連行され44年12月31日にセレベス島で死亡、と書かれていた。遺骨欄は「無」と記載されていた。一昨日、祐天寺で見た「遺骨のようなもの」は遺骨でもなんでもなかったのである。

もっと驚いたのは「靖国神社 (昭和)34.7.31 合祀手続 済」という丸いゴム印と、「34.10.17 靖国神社 合祀 済」と書かれた金(山)龍均氏の書類である。(注:昭和34年=1959年)

日本政府は名簿と書類を作成・保管しながらも半世紀以上、朝鮮に引き渡さなかったばかりか遺族にも遺骨が祐天寺にあることを知らせなかったのである。遺族に知らせず遺族の承諾もなしに勝手に靖国神社に合祀! 天をも恐れぬ所業である。

金勇虎氏のオモニは生前、夫の帰国を固く信じ祭祀をしなかったという。金勇虎氏は祐天寺でアボジの「遺骨のようなもの」すら確認できず、「アボジの遺骨を自分の墓に入れてほしい」と言ったオモニの遺言も果たせず、靖国神社に合祀されたアボジの名を外せないまま、2010年12月、ハン(恨)多い73歳の生涯を閉じられた。現在、靖国神社には2万1千181名の朝鮮人が「創氏名」で合祀されている。

08年1月現在、祐天寺には1125体の遺骨があったが、4回(08年1月~10年5月)にかけて無縁仏219体を含む423体が南に返還された。16年7月現在、祐天寺にある700体の朝鮮人遺骨中、425体(61%)は朝鮮出身者、275体(39%)は南の浮島丸事件関係者である。北出身者425体中5体は浮島丸事件、4体がB・C級「戦犯」刑死者である。

    
    祐天寺の写真は、日朝協会提供

(注:朝鮮人B・C級「戦犯」は148名、刑死者は23名。泰緬鉄道第5分所の監視員時代が罪に問われ1947年2月25日、シンガポールのチャンギ刑務所で絞首刑(26歳)に処された趙文相(平原守矩)氏は黄海道開城出身である。内海愛子「金はなぜ処刑されたのか」-朝鮮人B・C級戦犯の軌跡-朝日新聞出版 08.10.25 6ページ・202~204ページ)。
過去の清算急ぐべき

東京真相調査団の今年の最重要課題は、アボジ(金正表:創氏名・金城正表)の遺骨がある祐天寺に、朝鮮の金元鏡氏(74)を含む遺族たちを招請することである。

遺骨問題は日本の朝鮮侵略と植民地支配の直接的産物である。祐天寺に遺骨がある朝鮮の遺族たちの日本入国は、ただの一人も叶っていない。日本政府の不作為は明々白々である。

祐天寺の遺骨と遺族問題は次の5点に尽きる。

日本政府は即刻、無条件で、すべての名簿と関係書類を朝鮮側に引き渡し、遺族調査を依頼し、加害国としての「遺骨返還」義務を果たすべきである。
日本政府は判明した遺族を訪ねてゆきDNA鑑定は言うまでもなく、その間の事情を説明、謝罪したうえで、遺骨を直接遺族に手渡し、補償もすべきである。
遺族が望むなら日本政府の負担で一日も早く招請し、遺族が遺骨と対面できるようにすべきである。
下佐波賀沖のヘドロの底に沈んでいる浮島丸事件犠牲者たちの遺骨を、すべて引き上げるべきである。(注:スクラップ目的で船体を引揚げ、50年は103体、54年は300余体の遺骨を収集した)
タラワ島とセレベス島を含む戦跡地現地調査と遺骨収集に共和国の遺族と関係機関を参加させるべきである。

遺骨にも人格がある。歴史は否定も修正もできないし、侵略と植民地支配には時効がない。祐天寺の遺骨は語らぬが、日本と日本人の国家モラルとプライドを問うている。日本は過去をきれいに清算することによってのみ、「国際社会で名誉ある地位を」(日本国憲法・前文)占めることができる。

「I SAW YOU. I KNOW YOU」日本の過去清算を求める国際連帯協議会 ピョンヤン・ソウル大会会場のポスター標語から。

(東京真相調査団事務局長)


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