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日本と韓国と朝鮮の友好をすすめます・・日朝協会です。アジアと世界情勢を観る。

日本と韓国と朝鮮の歴史・現在から、
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窃盗犯・占領略奪犯、どっちが悪い。文化交流は相手に対する尊重、誠実さが優先されるべき!

2013-10-01 | 投稿
【取材日記】韓日文化交流の足かせとなる日本の強引なやり方
2013年09月30日 中央日報日本語版]



27日夜、一瞬理解できない東京特派員の記事が編集局に飛び込んできた。この日の午後、光州(クァンジュ)広域市で開かれた韓日文化相の会談で、韓国の劉震竜(ユ・ジンリョン)文化体育観光部長官が「浮石寺(プソクサ)の観世音菩薩坐像を日本に返還する」と明らかにしたという内容だった。1330年に忠清南道瑞山(チュンチョンナムド・ソサン)の浮石寺でつくられたが、日本に渡った後長崎県のある寺院に祭られていて昨年10月、韓国の窃盗犯によって故郷の地に戻った仏像のことだ。

劉長官が日本のカウンターパートである下村博文・文部科学相に会ってそのような話をしたということだ。NHKなど日本の代表的な放送会社はもちろん、もう少し落ち着くべき新聞社までが前後の合わない記事報道に加勢した形だった。記事では明らかにせず、特派員が別に伝えてきた日本国内の状況はさらに悪い。一部の放送会社は専門家を動員して「経済沈滞に陥った韓国が、日本人観光客を引き込むために仏像に前向きな姿勢を取ったようだ」という分析を出しているという。

劉長官が報道内容のとおりに発言したとすれば、彼は長官としては落第点だ。日本が略奪した約8万点の韓国の宝物、仏像の日本への流出経路を確認するまでは日本に返還できないと判断した韓国の司法府や韓日関係の特殊性などを勘案すればそのような発言はできない。少なくとも常識的な政治感覚を持つ長官ならば。

問題の報道はどのようにして出てくることになったのか。予想から大きく外れてはいなかった。文化体育観光部の説明によれば“極右政治家”の下村氏と刺激的なイシューを探している日本メディアの合同作品である可能性が大きい。当初、仏像は公式議題ではなかったという。下村氏はあえて両国政府が出る必要のない“些細な”案件を取り上げ、それとなく仏像の話を出したという。予想できない発言に対する劉長官の返事は「盗難・略奪文化財は返還が基本という国際規約があるので、それに沿わなければならない」という話だったという。これが「仏像返還」に化けたのだ。日本で仏像が違法盗品類ならば、日本にある8万点は略奪された韓国の宝物だ。それにともなうバランス感覚を念頭に置いた発言であったという説明だ。

下村氏は2007年「(韓国人)慰安婦がいたことは事実だが、両親が娘を売ったことがあっただけで日本軍が関与したのではない」と主張したことがある。今回の騒動で彼は、日本国内の少数極右勢力の点数を獲得したのかどうか分からない。

だが中国を含む韓中日の文化相会談が目指す3国間の文化交流拡大に悪影響を及ぼすようで心配だ。文化交流は相手に対する尊重、誠実さが優先されるべきだからだ。

シン・ジュンボン文化スポーツ部門記者

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2013-09-30 | 投稿
国連総会一般討論「平和・地域協力の好例」
ASEANを評価総会議長 韓国外相



 【ニューヨーク=洞口昇幸】

「東南アジア諸国連合(ASEAN)は、(域内の)領土問題で武力の行使によらない平和的解決の公約をつくった」―。マレーシアのナジブ首相は28日、国連総会一般討論で演説しました。他のASEAN加盟国も紛争の平和的解決について述べ、国連総会議長はASEANの取り組みを高く評価。韓国外相もASEANの経験を学ぶ意向を表明しています。

 韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相は27日の一般討論演説で、韓国は北東アジア地域での対話による平和と協力の体制を提案したと述べた上で、「成功した地域機構」の一つにASEAN地域フォーラムをあげて、「価値ある経験から学ぶことに関心を持っている」と語りました。

 アッシュ国連総会議長は26日に行われた会合で、「ASEANは、対等の精神で加わった国々が平和と安定を前進させる地域協力の最も良い例だ」と述べました。

 インドネシアのマルティ外相は27日、平和と安全保障の維持の際に「インドネシアは外交の有効性に強い確信を持っている」と発言。「シリアの化学兵器問題の最近の進展は、外交が力を発揮する明確な証拠」と強調し、「他のASEAN加盟国と共に、人権と民主主義を平和的に促進する地域構造を確実に発展させている」と述べました。

 マレーシアのナジブ首相は、ASEANの設立目的の一つが、領土問題を平和的に解決する場づくりであったことを紹介しました。

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2013-09-29 | 投稿
ASEANの経験を北東アジアに
志位委員長、インドネシア副外相と会談



 【ジャカルタ=面川誠】

 日本共産党の志位和夫委員長は27日、ジャカルタのインドネシア外務省でワルダナ副大臣と会談し、長年にわたって軍事力に頼らない安全保障の取り組みを続けている東南アジア諸国連合(ASEAN)の経験を北東アジアに生かす展望について、広範な問題で意見交換をしました。

両国関係

 ワルダナ氏は会談冒頭、「ニューヨークの国連に行っているマルティ外相の代理として私がお会いします。委員長の訪問によってインドネシアと日本の両国関係がもっと強くなると確信しています」と、志位氏を歓迎しました。志位氏は、「私たちは野党の立場ですが、両国関係の発展を心から喜んでいます。両国関係のいっそうの発展のために私たちも努力したい」と語りました。
平和的アプローチ

 志位氏は、インドネシアが現在すすめている「動的均衡」と呼ばれるアジア・太平洋地域の平和と安定のための構想について、「『軍事力の均衡』や『軍事的な抑止力』という古い考え方ではなく、対話と信頼醸成、紛争の平和的解決によって安全保障を実現するという新しい構想だと理解しています」と語りかけました。

 ワルダナ氏は、アジア・太平洋地域の平和を実現するためには「ASEANの中心的役割」と「動的均衡」という二つの要素があると指摘。「動的均衡」について、(1)特定の国による支配を許さない(2)各国への建設的な関与によって相互の利益をはかる(3)ある国の利益がある国の不利益にならない「ウィンウィン」の関係を築く(4)平和的交渉によって紛争を解決し相互に尊重しあう―ことをあげ、なかでも4番目が最優先だと語りました。

 これに対して志位氏が「大いに共感します。軍事に頼るのでなく、平和的な取り組みに徹することですね」と述べると、ワルダナ氏は「軍事に軍事で対抗するやり方は容認されません。現在の喫緊の課題は、潜在的な紛争を外交と平和的交渉で解決する最善の策を見つけることです」と強調しました。

「外交ビジョン」

 志位氏は、ワルダナ氏が8月のASEAN記念日の演説でASEANの経験をアジア・太平洋地域に広げるという構想を表明していることに触れながら、「私たちは、東南アジア友好協力条約(TAC)のような紛争の平和的解決をはかる国際規範を、北東アジアでも構築することを目指すという政策ビジョンを打ち出しています」と述べて、日本共産党の「外交ビジョン」の英語版を手渡しました。

 ワルダナ氏は「委員長のそのようなイニシアチブを歓迎します」と述べ、「この点でASEANと北東アジア諸国の協力を進めたい。ASEANの経験と教訓を北東アジアに生かしていただきたいと思います。TACのように、北東アジアでも平和と安定につなげてほしい」と語りました。

核兵器廃絶

 志位氏は、2010年に国連本部で行われた核不拡散条約(NPT)再検討会議に参加した際、マルティ・インドネシア外相が、非同盟諸国を代表して行った演説で、核抑止力論を批判し、「核兵器禁止条約(NWC)」の国際交渉開始を求めたことに感銘を受けたと述べ、「15年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けて、『核兵器禁止条約の国際交渉開始』が国際社会の合意になるよう、互いに協力したい」と述べました。

 これに対してワルダナ氏は、「完全に理解します。インドネシアはこのフォーラム(NPT再検討会議)での活動に努力しています。この点で前進させていきたい」と応じました。

 志位氏ら日本共産党代表団は27日、戦略国際問題研究センター(CSIS)のフィリップ・ベルモンテ政治・国際関係部長、マフィズ・ブロトディングラト国防相顧問と懇談しました。


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2013-09-25 | 投稿
核兵器廃絶と東アジアの平和構築で協力確認
志位委員長、ベトナム書記長と会談
両党関係のいっそうの発展で合意


 【ハノイ=面川誠】

 日本共産党の志位和夫委員長は23日、ハノイのベトナム共産党本部でグエン・フー・チョン書記長と会談し、両党関係のいっそうの発展で合意し、核兵器廃絶と東アジアの平和構築に向けて協力を進めることを確認しました。旧知の2人は再会を喜び合い、会談は夕食会も含め3時間近くに及び、双方が関心をもつ幅広い問題について、率直で突っ込んだ意見交換となりました。


(写真)会談後に握手を交わす志位委員長(左)とチョン書記長=23日、ハノイ(松本眞志撮影)
両党関係

 志位氏は、前回2007年の訪問で、両党が世界とアジアの平和のための協力、理論交流の実施に合意して以後の両党関係の発展に触れ、「この関係をさらに発展させることを希望しています」と述べました。

 チョン氏は、「市場経済を通じて社会主義へ進むという点で日本の同志から良いヒントをもらってきました」とこの間の4回の理論交流の成果を評価。世界とアジアの平和のための協力にも触れつつ、今回の訪問が両党関係を「新しい時代に新しい高みに引き上げることを確信しています」と述べました。
核兵器廃絶

 志位氏は世界とアジアの平和のための課題として、核兵器廃絶について、現在の焦点が「核兵器禁止条約(NWC)の交渉開始」にあると指摘し、「2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けて『核兵器禁止条約の交渉開始』が国際社会の合意になるよう両党の協力を図りたい」と提案。チョン氏は、「一貫して核兵器に反対するということがベトナムの立場です」と語り、この問題での協力を確認しました。
東アジアの平和

 志位氏は東アジアの平和構築について、東南アジア諸国連合(ASEAN)で、東南アジア友好協力条約(TAC)、東南アジア非核地帯条約、ASEAN地域フォーラム(ARF)、南シナ海行動宣言(DOC)など重層的な平和の枠組みが発展していることに注目していると語り、「その精神は『武力不行使、紛争の平和的解決』に徹するということにあると思います。この流れを北東アジアにも広げたい。TACのような多国間の対話の枠組みを北東アジアにもつくることを展望したい」と表明しました。

 そのために、北朝鮮の核兵器問題、東シナ海の領有権問題、日本の歴史問題での逆流などを解決することが必要となっていると指摘し、「東アジアの平和構築という課題でも両党間の協力を願っています」と述べました。

 チョン氏は、「武力不行使、紛争の平和的解決という同志の意見に賛成します」「ベトナムはASEANの積極的なメンバーとして、ASEANの合意を実施するために責任ある行動を取っています。東南アジアは躍動的に発展し、地政学的に重要な地域になっています。国際法と相互尊重に基づく紛争の平和解決に取り組んでいます。海洋紛争は国連海洋法条約に基づいて解決すべきと考えています」と表明しました。

 この問題にかかわって志位氏は、尖閣諸島問題について、日本の領有は正当なものと主張していること、解決にあたっては物理的・軍事的対応でなく、冷静な外交交渉が必要だという立場を紹介しました。チョン氏は、南シナ海の紛争問題について、時間はかかっても粘り強い外交交渉で解決を図るとの立場を説明しました。
ドイモイ

 志位氏は、ベトナムが進めている経済・政治でのドイモイ(刷新)政策の成功を期待していると表明。チョン氏が昨年キューバで行った演説で、ドイモイの諸成果は「社会主義志向に沿った発展」が「同じ発展水準にある資本主義諸国に比べて、経済発展、所得の増加、貧困削減、社会保障など、社会諸問題をより良く解決できることを証明している」とした点に注目していると語りました。

 これに対してチョン氏は、「社会主義志向」は政治、経済、社会・文化、国際などあらゆる分野に及ぶと指摘。「市場経済を通じた社会主義へ」の模索の中では、「社会主義志向と市場経済の発展をどう両立させるか」など未解明の課題が当然あり、「政策を現実の中で検証しながら総括し、前進するという立場を取っています」と述べました。

 志位氏はまた、原発ゼロと原発輸出反対、環太平洋連携協定(TPP)反対という日本共産党の立場を説明。チョン氏は、志位氏の説明が連帯と友情を表しているものと謝意を表しました。

 双方は、今回の日本共産党代表団の訪問が両党間の信頼と友好をいっそう深める契機になったことを喜び合いました。

 終始、真剣かつ温かい雰囲気の中で行われた会談には、日本側から緒方靖夫副委員長(国際委員会責任者)、笠井亮衆院議員(党政策委員会副責任者)、森原公敏幹部会委員(国際委員会事務局長)、ベトナム側からホアン・ビン・クアン中央対外委員長、ブー・ズン書記長補佐官(元駐日大使)らが参加しました。

日本の侵略戦争の発端となった柳条湖事件(1931年)の日に行われ、今年で33回目

2013-09-19 | 投稿
平和への誓い新たに 本願寺派が全戦没者法要

佐々木議員参列



(写真)全戦没者追悼法要で焼香する日本共産党の佐々木衆院議員(中央の立っている人)=18日、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑


 浄土真宗本願寺派教団(本山=西本願寺)は18日、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で全戦没者追悼法要を行い、全国から約1300人が参加しました。法要は、日本の侵略戦争の発端となった柳条湖事件(1931年)の日に行われ、今年で33回目です。

 法要は、「戦没者墓苑で追悼法要を修行することは、日本の侵略戦争に協力した私たちの宗門の過ちを反省し、ざんきの思いを持って、戦争のない世界を築くという願いのもと、平和への誓いを新たにする」(同法要委員会)という立場で取り組んできました。

 日本共産党を代表して佐々木憲昭衆院議員が参列しました。




日本と韓国・北朝鮮との友好すすめる「日朝協会」にお入りください。

アメリカの横暴・死の商人・悪の枢軸、世界の世論でアメリカを包囲しよう。

2013-09-14 | 投稿
廃棄手順の合意探る

シリア化学兵器 米ロ外相が会談



 【パリ=浅田信幸】シリアの化学兵器を国際管理下に置く提案について、ケリー米国務長官とラブロフ・ロシア外相の会議が12日、スイスのジュネーブで始まりました。会議は13日も続けられ、シリアが保有する化学兵器を最終的に解体・廃棄するまでの手順について合意を探ります。

 会議に先立つ共同記者会見で、ケリー長官は「提案をテストするためにジュネーブに来た」「言葉だけでは満足しない。それが実現可能かどうかを見る」と発言。ラブロフ外相は、この問題の解決は「シリアに対する爆撃を不要にする」「情勢の発展はジュネーブ2(第2回シリア国際会議)の開催に新たなチャンスをもたらすだろう」と述べました。

 シリアの化学兵器問題の解決には、(1)シリアの化学兵器禁止機関への加盟(禁止条約の批准と同じ法的効果を持つ)(2)製造・貯蔵施設の公表(3)査察官の立ち入り(4)国外への搬出(5)最終的な解体・廃棄―などの手順が必要だと考えられています。シリアのアサド大統領は12日、ロシア国営テレビのインタビューで化学兵器禁止条約への参加要請を国連に送ると表明。しばらくたって国連側もこれを受け取ったことを明らかにしました。

 同時にアサド氏は、ロシア提案の実行については、米国による対シリア軍事脅迫政策の中止を要求しました。

 攻撃態勢を整えた米仏では軍事脅迫こそがアサド政権を動かせるとの発想があり、この要求を受け入れる可能性は極めて低いとみられています。また貯蔵施設の場所を明らかにする件でアサド氏は30日以内とすることを要求していますが、米国はこれを拒否し、15日以内を主張していると伝えられます。

前日掲載分の後半です。

2013-09-08 | 投稿
4、2013年7・25日東京都台東区民会館でシンポジウム

2013년 7・25일   도쿄도 타이토구민회관에서 심포지엄


NO.2



次に、1950年の朝鮮戦争がなぜ起こったのか、その後の変化と今後のアジアの平和について 私の考えを述べたいと思います。

다음에, 1950년의 조선 전쟁이 왜 일어났는지, 그 후의 변화와 향후의 아시아의 헤이와에 대해 나의 생각을 말하고 싶습니다.

まず朝鮮が北と南に分かれている原因です。私は日本とアメリカに重大責任があると思っています。

우선 조선이 북쪽과 남쪽으로 나누어져 있는 원인입니다. 나는 일본과 미국에 중대책임이 있다고 생각합니다.

第一の理由は、日本の第二次世界大戦の終わり方に大問題がありました。
歴史を見るときに、もし・・という仮定は通用しませんが、日本の戦争推進勢力の終戦を決める経過における犯罪は、どのような重罰を与えても償えるものではないと思っています。

제일의 이유는, 일본의 제이차 세계대전의 끝나는 방법에 대문제가 있었습니다.
역사를 볼 때, 만약・・그렇다고 하는 가정은 통용되지 않습니다만, 일본의 전쟁 추진 세력의 종전을 결정하는 경과에 있어서의 범죄는, 어떠한 중벌을 주어도 갚을 수 있는 것은 아니라고 생각합니다.

具体的には、日本の終戦は、連合軍が日本に「終戦」の条件を示してきた「ポツダム宣言」です。(資料3)その日付は1945年7月26日です。連合軍は「吾等ハ日本国政府ガ直ニ無条件降伏ヲ宣言シ右以外ノ日本国ノ選択ハ壊滅アルノミトス。右ニ代ル条件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ
とあり、無条件降伏の決断には一刻の猶予も許せないと迫ってきたのです。

구체적으로는, 일본의 종전은, 연합군이 일본에 「종전」의 조건을 나타내 온 「포츠담 선언」입니다. (자료 3) 그 일자는 1945년 7월 26일입니다. 연합군은 「오등 하 일본 정부가 곧 니 무조건 항복선언시 오른쪽 이외 노 일본노 선택하 괴멸 알노 뮈토스. 오른쪽니대르 조건 존재 세즈오등 하 지연인무르이득즈
(와)과 있어, 무조건 항복의 결단에는 일각의 유예도 허락할 수 없으면 박은 왔습니다.    

ところが天皇と日本帝国政府は8月15日まで回答を延ばしました。
この延長された期間に何が起こったのでしょうか?

그런데 천황과 일본 제국 정부는 8월 15일까지 회답을 늘렸습니다.
이 연장된 기간에 무엇이 일어났는지요?

第一は、天皇の戦争責任がとわれ、戦争犯罪人として処刑するのか、しないのか、連合軍と「談合」が行われ、「天皇を残す」ということで戦争終結が決断されたのです。

제일은, 천황의 전쟁 책임이 물어져 전쟁범죄인으로서 처형하는지, 하지 않는 것인지, 연합군과 「담합」을 해 「천황을 남긴다」라고 하는 것으로 전쟁 종결이 결단되었습니다.

第二は、8月6日の広島・9日の長崎への原爆投下、8月14日の大阪大空襲を含め15日まで空襲が続いたのです。すぐに降伏していれば、原爆被爆者は生まれなかったのです。大阪大空襲はじめ、7月26日から8月15日までの大空襲はなかったのです。

제2는, 8월 6일의 히로시마・9일의 나가사키에의 원폭 투하, 8월 14일의 오사카대학교 공습을 포함해라 15일까지 공습이 계속 되었습니다. 곧바로 항복하고 있으면, 원폭 피폭자는 태어나지 않았습니다. 오사카대학교 공습 시작해 7월 26일부터 8월 15일까지의 대공습은 없었습니다.

第三は、8月9日にソ連が参戦し、旧満州、サハリン、千島列島へと進みました。8月12日には、海上を通じて北朝鮮の羅津(ナジン)や清津から朝鮮半島北部に上陸し、やがて8月29日までに北部全域を掌握しました。
もし7月26日に無条件降伏を受諾しておれば、ソ連の参戦はなく、その原因で多くの犠牲を出した、中国東北(旧満州)地域から民間人の「逃避行」の悲劇や、中国残留孤児問題も、シベリア抑留も生まれませんでした。

제3는, 8월 9일에 소련이 참전해, 구만주, 사할린, 쿠릴 열도로 진행되었습니다. 8월 12일에는, 해상을 통해서 북조선의 나진(나진)이나 기요쓰에서조선반도 북부에 상륙해, 이윽고 8월 29일까지 북부 전역을 장악 했습니다.
만약 7월 26일에 무조건 항복을 수락하고 있으면, 소련의 참전은 없고, 그 원인으로 많은 희생을 낸, 중국 토호쿠( 구만주) 지역으로부터 민간인의 「도피행」의 비극이나, 중국잔류고아 문제도, 시베리아 억류도 태어나지 않았습니다.

第四は、アメリカ軍は8月15日、まだ朝鮮南部に上陸していませんでした。
一番近くにいた米軍は沖縄の部隊で、本土上陸作戦を立てており、朝鮮南部に送る部隊は、まだ到着していませんでした。
これらの事実から7月26日に降参していれば、南北分断朝鮮もなかったのです。

제4는, 미군은 8월 15일, 아직 조선 남부에 상륙하고 있었었습니다.
제일 근처에 있던 미군은 오키나와의 부대에서, 본토 상륙 작전을 세우고 있어 조선 남부에 보내는 부대는, 아직 도착하고 있지 않았습니다.
이러한 사실로부터 7월 26일에 항복하고 있으면, 남북 분단 조선도 없었습니다.

終戦直前の国民の悲劇は「天皇の生命と天皇制」と引き替えに起こされたものだったのです。現在の天皇制は、このように国民多数を犠牲にして、続けられているのです。
天皇終戦の詔書(資料4)と同時に「国体は護持されました」「天皇制は守られました」と何度も、何度も繰り返し放送されたのでしたが、国民への謝罪は何もありませんでした。これが日本政府の本心だったのです。
종전 직전의 국민의 비극은 「천황의 생명과 천황제」라고 교환때문에 일어난 것이었다 것입니다. 현재의 천황제는, 이와 같이 국민 다수를 희생하고, 계속되고 있습니다.
천황종전의 조서(자료4)과 동시에 「국체는 수호되었습니다」 「천황제는 지켜졌습니다」라고 몇번이나, 몇번이나 되풀이 방송된 것이었습니다만, 국민에의 사죄는 아무 것도 없었습니다. 이것이 일본정부의 본심이었던 것입니다.

次に、第二の理由は、朝鮮が南北分断国家になったためですが、その直接の原因は、連合国軍(主に米軍)の「一般命令第1号」でした。 
1945年9月2日、第二次世界大戦・日本の降伏文書の調印式が行われた、同日、連合国軍の「一般命令第1号」が出されました。  これはアジア・太平洋地域における戦線全域の連合国軍への命令ですが、その中に日本軍の武装解除は、朝鮮半島地域での38度線で分割し、北部はソ連軍・南部は米軍に責任を持たせたのでした。このことが、朝鮮・韓国分断国家の直接原因となりました。

다음에, 제2의 이유는, 조선이 남북 분단 국가가 되었기 때문에입니다만, 그 직접적인 원인은, 연합국군(주로 미군)의 「일반 명령 제 1호」였습니다.
1945년 9월 2일, 제이차 세계대전・일본의 항복문서의 조인식이 거행된, 같은 날, 연합국군의 「일반 명령 제 1호」가 나왔습니다. 이것은 아시아・태평양 지역에 있어서의 전선 전역의 연합국군에의 명령입니다만, 그 중에 일본군의 무장해제는, 한반도 지역에서의 38 도선에서 분할해, 북부는 소련군・남부는 미군에 책임을 갖게했던 것입니다. 이것이, 조선・한국 분단 국가의 직접 원인이 되었습니다. 

朝鮮では終戦前から、国連の動きとは別に、朝鮮人による統一国家・独立朝鮮を目指して、米軍や親米派・親日派勢力と戦いながら、たゆまぬ努力が続けられていたのでした。1945年9月6日、「朝鮮人民共和国」(45・9・6~9・11)という名前の一つの国として「樹立宣言」が行われました。主席は、李承晩 副主席は呂運亨(ヨ ウニョン)でした。しかし 米・ソは、これを認めませんでした。民族自決権を蹂躙したのです。しかし、この人々は繰り返し統一国家への努力を続けました。

조선에서는 종전 전부터, 유엔의 움직임과는 별도로, 조선인에 의한 통일 국가・독립 조선을 목표로 하고, 미군이나 친미파・친일파 세력과 싸우면서, 끊임 없는 노력이 계속되고 있었던 것입니다. 1945년 9월 6일, 「조선인민 공화국」(45・9・6~9・11)이라는 이름의 하나의 나라로서 「수립 선언」을 했습니다. 주석은, 이승만부주석은 여운형(요우놀)이었습니다. 그러나 미・소는, 이것을 인정하지 않았습니다. 민족 자결권을 유린했습니다. 그러나, 이 사람들은 반복해 통일 국가에의 노력을 계속했습니다.

米軍は、朝鮮の独立と統一国家を認めず、ソ連・中国の勢力を止める防共ラインを造るために、政治の防波堤として、米国言いなりの朝鮮南部政権の樹立を至上命令として、1948年5月10日、米軍監視の下で「韓国単独選挙」を強行しました。そして、1948年8月15日、大韓民国が建国され、北朝鮮でも9月9日、朝鮮民主主義人民共和国が建国されました。

미군은, 조선의 독립과 통일 국가를 인정하지 않고, 소련・중국의 세력을 멈추는 방공 라인을 만들기 위해서, 정치의 방파제로서 미국 말하는대로의 조선 남부 정권의 수립을 지상 명령으로서 1948년 5월 10일, 미군 감시아래에서 「한국 단독 선거」를 강행했습니다. 그리고, 1948년 8월 15일, 대한민국이 건국되어 북조선에서도 9월 9일, 조선민주주의 인민공화국이 건국되었습니다.
 
1946年アメリカは日本に対しては、憲法9条で軍隊を持たせませんでした。しかし大韓民国における最初の憲法「制憲憲法」第6条は、「大韓民国はあらゆる侵略的な戦争を否認する。国防軍は国土防衛の神聖な義務を遂行することを使命とする。」とあり「軍隊を認め」ました。

1946년 미국은 일본에 대해서는, 헌법 9조로 군대를 갖게하지 않았습니다. 그러나 대한민국에 있어서의 최초의 헌법 「제헌헌법」 제6조는, 「대한민국은 모든 침략적인 전쟁을 부인한다. 국방군은 국토 방위의 신성한 의무를 수행하는 것을 사명으로 한다. 」라고 있어 「군대를 인정해」마 했다.

朝鮮民主主義人民共和国憲法は、第8章 民族保衛 第100条で、「朝鮮民主主義人民共和国を保衛するために朝鮮人民軍を組織する。朝鮮人民軍の使命は、祖国の自主権及び人民の自由を援護することにある」としています。 
第103条 「朝鮮民主主義人民共和国の首府は、ソウル市である。」とあり、どちらも最初から、武力衝突の危機をはらんだ憲法だったとも言えるのです。

조선민주주의 인민공화국 헌법은, 제8장 민족 보위 제 100조로, 「조선민주주의 인민공화국을 보위 하기 위해서 조선인민군을 조직 한다. 조선인민군의 사명은, 조국의 자주권 및 인민의 자유를 원호하는 것에 있다」라고 하고 있습니다.
제103조 「조선민주주의 인민공화국의 수도는, 서울시이다. 」라고 있어, 어느쪽이나 최초부터, 무력 충돌의 위기를 밴 헌법이었다고도 말할 수 있습니다.

このように、2つの国の建国は、日本とアメリカの戦後政治とかかわりがありました。
1950年6月25日、一つの国をめざし朝鮮戦争が始まりました。 ソ連の解体で秘密文書が公開され北朝鮮がソ連・中国の承認を得て、南に武力侵攻したという説が有力視されています。   
 朝鮮戦争開戦2日後の6月27日、米国は、国連の会議を招集し、ソ連欠席のまま、韓国に「国連軍」の参戦を決めさせました。北朝鮮軍は、中国人民(志願)軍をまきこみました。旧ソ連軍は武器を供与しました。国内戦争が国際戦争になりました。

이와 같이, 2개의 나라의 건국은, 일본과 미국의 전후 정치라든지 차이가 있었습니다.
1950년 6월 25일, 하나의 나라를 목표로 해 조선 전쟁이 시작되었습니다. 소련의 해체로 비밀 문서가 공개되어 북한이 소련・중국의 승인을 얻고, 남쪽으로 무력 침공했다고 하는 설이 유력시 되고 있습니다.
조선전쟁 개전 2일 후의 6월 27일, 미국은, 유엔의 회의를 소집해, 소련 결석인 채, 한국에 「국제 연합군」의 참전을 결정하게 했습니다. 북한군은, 중국 인민(지원) 군을 뿌려 넣었습니다. 구소련군은 무기를 공여했습니다. 국내 전쟁이 국제 전쟁이 되었습니다.


 この朝鮮戦争が、日本を大きく変えました。
이 조선 전쟁이, 일본을 크게 바꾸었습니다.

日本では、開戦一ヶ月も経たない50年7月、マッカーサーの命令で警察予備隊7万5000人が創設され、後に憲法違反の自衛隊になりました。当時の在日米軍の肩代わりです。

일본에서는, 개전1개월도 지나지 않는 50년 7월, 막카서의 명령으로 경찰 예비대 7만 5000명이 창설되어 후에 헌법위반의 자위대가 되었습니다. 당시의 주일미군의 인수입니다.

日本は朝鮮戦争に参加したことになっていませんが、国会で朝鮮戦争協力決議を可決し、日本のすべての力を集めて米帝国侵略軍の肩代わりをし、出撃基地、補給基地としての役わりを果たしたのです。日本は「朝鮮戦争特需」で経済は一気に戦前の水準を回復し、軍国主義復活の足がかりを作ったのです。

일본은조선전쟁에 참가한 것이 되어 있지 않습니다만, 국회에서조선전쟁 협력 결의를 가결해, 일본의 모든 힘을 모아 미 제국 침략군의 인수를 해, 출격 기지, 보급 기지로서의 역 와리를 완수했습니다. 일본은 「조선전쟁 특수 수요」로 경제는 단번에 전쟁 전의 수준을 회복해, 군국주의 부활의 발판을 만들었습니다.

このときも1910年以来の反省はなく、再び、北朝鮮・韓国を犠牲にして日本の国づくりが進められたのでした。

이 때도 1910년 이래의 반성은 없고, 다시, 북조선・한국을 희생해 일본의 나라 만들기가 진행되었던 것입니다.   

翌8月には、全労連の解散命令レッドパージ 1万2000人と国民への弾圧が行われ、

다음 8 월에는 全労連의 해산 명령 레드 퍼지 1 만 2000 명으로 국민에 대한 탄압을 해

1951年9月8日、朝鮮戦争のさなか、米国は日本の独立と占領をセットで進め、サンフランシスコ市において「単独講和条約」「旧・日米安保条約」を締結させ、日本を半ば占領し続けることになったのです。

1951 년 9 월 8 일조선전쟁 한창, 미국은 일본의 독립과 점령을 세트로 진행 샌프란시스코시에서 "단독 강화 조약" "구 · 미 · 일 안보 조약 '을 체결하고 일본을 중반 점령 계속 하게 된 것입니다.

韓国では、「朝鮮戦争」休戦協定(53・7・27)の調印2ヵ月後の10月1日、米・韓相互防衛条約調印・米韓安保が結ばれたのです。その後1965年、日韓条約が締結されました。日韓条約は、日・韓軍事同盟でもあります。こうしてアメリカは、冷戦時代のアジア支配体制の、日・米・韓、防共最前線基地を作ったのです。

한국에서는 '조선 전쟁'휴전 협정 (53.7.27)의 체결 2 개월 후 10 월 1 일 미국 · 한국 상호 방위 조약 체결 · 한미 안보가 결합 된 것입니다. 그 후 1965년 일한조약이 체결되었습니다. 일한조약은 일한군사 동맹이기도합니다. 이렇게 미국은 냉전 시대의 아시아 지배 체제의 일 · 미 · 한, 방공 최전선 기지를 만들었습니다.

1953年7月まで戦争は続けられ停戦条約・休戦協定が結ばれましたが60年経った現在まで、韓国でも日本でも米軍による半ば占領状態が続いているのです。今もそこに、戦争の火種が残っているのです。

1953 년 7 월까지 전쟁은 계속 휴전 조약 · 휴전 협정이 체결되었지만 60 년이 지난 현재까지 한국에서도 일본에서도 미군에 의한 중반 점령 상태가 계속되고있는 것입니다. 지금도 거기에 전쟁의 불씨가 남아있는 것입니다.

次は北朝鮮についてですが。私はならず者国家とは思っていません。
다음은 북조선에 대해입니다 만. 나는 불량 국가라고는 생각하지 않습니다.

 現在北朝鮮は、すでに多くの国際機構に参加しています。1991年9月、国際連合に加盟し・国連食糧農業機関、国際民間航空機関、万国郵便連合、国連貿易開発会議、国際電気通信連合国連開発計画、国連教育科学文化機関、世界保健機関、世界知的所有機関、世界気象機関、国際海事機関、赤十字国際委員会・非同盟諸国、アセアン地域フォーラムのメンバーでもあります。

현재 북조선은 이미 많은 국제기구에 참여하고 있습니다. 1991 년 9 월 국제 연합에 가맹 · 유엔 식량 농업기구, 국제 민간 항공기구, 만국 우편 연합, 유엔 무역 개발 회의, 국제 전기 통신 연합 유엔 개발 계획, 유엔 교육 과학 문화기구, 세계 보건기구, 세계 지적 적 소유 기관 세계 기상기구, 국제 해사기구, 국제 적십자위원회 · 비동맹 국가, 아세안 지역 포럼의 멤버이기도합니다.

アメリカが北朝鮮を、「悪の枢軸」と呼び、米国の影響力の強い国々に呼びかけ国際的に軍事圧力と制裁を加えることに対して、北朝鮮は、核兵器を持ってこそ対等に話し合えるのだという立場を強めています。

미국이 북조선을 '악의추축'이라고 미국의 영향력이 강한 국가에 호소 국제적으로 군사 압력과 제재를 가하는 것에 대해 북한은 핵무기를 가져야 대등하게 이야기 할 것 한다는 입장을 강화하고 있습니다.                  

 しかし、この考えは、間違っていると思います。米国や日本の軍国主義復活に利用されていると同時に 核兵器は、使用することを前提に作られるものであり、北東アジアの平和に有害なものです。北東アジアの国々からも北朝鮮の軍事対応は間違いだと抗議の声が出るのは当然です。

그러나이 생각은 틀린 생각합니다. 미국이나 일본의 군국주의 부활에 이용되고있는 때 핵무기 사용하는 것을 전제로 만들어지는 것이며, 동북아 평화에 해로운 것입니다. 동북아 국가도 북조선의 군사 대응은 실수라고 항의의 목소리가 나오는 것은 당연합니다.

私は今、我々が思い出さなければならないのは、日本の第二次世界大戦開戦時の情勢です。日本の開戦理由は、一口に言って国際的な四面楚歌です。それを打開するために開戦で突破口を開こうとしたわけですから、北朝鮮を四面楚歌のような立場におい込んではならないと思うのです。

지금은 우리가 생각해야 할 것은 일본 제 2 차 세계 대전 개전시의 상황입니다. 일본의 개전 이유는 한마디로 말해도 국제 사면 초가입니다. 그것을 타개하기 위해 개전에서 돌파구를 열려고 한 것이기 때문에, 북조선을 사면 초가와 같은 입장에 놓고 말도하지한다고 생각합니다.

最後に、今後のアジアの平和に向けての私の考えですが
마지막으로, 향후 아시아의 평화를 향한 나의 생각이지만          

私たちは、北朝鮮に対して核開発の中止を求めること。アメリカやロシア、中国にも核廃絶を要求します。日本政府と米国政府にも「制裁や軍事対応ではなく」日朝平壌宣言で確認されている方向に沿って、日本と北朝鮮が国交正常化への話し合いを進め、6カ国協議を通して朝鮮・韓半島の非核化を実現し、

우리는 북조선에 대해 핵 개발 중지를 요구한다. 미국과 러시아, 중국에도 핵 폐기를 요구합니다. 일본 정부와 미국 정부에도 "제재 나 군사 대응이 아닌 '일조평양 선언에서 확인 된 방향에 따라 일본과 북조선이 국교 정상화에 대화를 진행하고 6 자 회담을 통해 조선 · 한반도 의 비핵화를 실현하고

国際機関と各国との関係を平和的に発展させ、38度休戦ラインを平和ラインにかえることです。アジアにおける米国や日本・韓国の反動支配を許さないことが、南北の平和はもとより、アジアの平和に貢献できる道であると確信しています。

국제기구와 각국과의 관계를 평화적으로 발전시켜 38도 휴전선을 평화 선으로 바꾸는 것입니다. 아시아에서 미국과 일본 · 한국의 반동 지배를 허락하지 않는 것이 남북 평화는 물론, 아시아 평화에 기여할 수있는 길이라고 확신합니다.

さらに、日・朝・韓・中の国民のなかに友好運動を活発にし、安倍首相や橋下大阪市長の誤った発言や行動、間違った歴史認識、「在特会」のヘイトスピーチを許さない国民の力を作らなければならないと思います。
日朝協会はそのためにがんばる決意を申し上げ、最初の発言とします。

또한 일 · 조 · 한 · 중 국민 속에 친절 운동을 활발하게하고 아베 총리와 하시모토 오사카 시장의 잘못된 발언이나 행동, 잘못된 역사 인식 '재특 회'의 혐오 연설을 허락하지 않는 국민 힘을 만들어야한다고 생각합니다.
일조 협회는이를 위해 노력하는 결의를 말씀 첫 발언합니다.


2013年7・25日東京都台東区民会館でシンポジウム。日朝協会大橋第一発言 (役員会了承したもの)

2013-09-08 | 投稿
4、2013年7・25日東京都台東区民会館でシンポジウム

2013년 7・25일   도쿄도 타이토구민회관에서 심포지엄



「朝鮮戦争休戦協定60周年記念・東アジアの平和を求めるシンポジウム」がひらかれ、パネラーとして出席した大橋満は最初に次のような発言をしました。       
「조선 전쟁 휴전 협정 60주년 기념・동아시아의 평화를 요구하는 심포지엄」이 열어져 패널리스트로서 출석한 오오하시 미츠루는 최초로 다음과 같은 발언을 했습니다.


私は、日朝協会代表理事の大橋満です。 

나는, 일조협회 대표이사 오오하시 미츠루입니다.            

安陪首相は、本日からアジアを訪問しています。

아배수상은, 오늘부터 아시아를 방문하고 있습니다.

自民党が進めるアジア外交について多くの懸念が出されております。朝鮮との間にある拉致・核・ミサイル・国交正常化、韓国との間では、慰安婦問題、竹島問題など解決しなければならない多くの問題があります。私はこれらの諸問題を解決するためには「歴史認識の一致」「明治以降の歴史について評価の一致」がなければ、正しくすすめられないのではないかと思うのです。

자민당이 진행하는 아시아 외교에 대해 많은 염려가 나와 있습니다. 조선과의 사이에 있는 납치・핵・미사일・국교 정상화, 한국과의 사이로는, 위안부 문제, 타케시마 문제 등 해결해야 할 많은 문제가 있습니다. 나는 이러한 여러 문제를 해결하기 위해서는 「역사 인식의 일치」 「메이지 이후의 역사에 대해 평가의 일치」가 없으면, 올바르게 권유 당하지 않는 것이 아닐까 생각합니다.

本日のシンポジウムの意味を深く理解するために、1910年の韓国「併合」が、有効だったか、無効なのか という問題について私の考えを申し上げます。

오늘의 심포지엄의 의미를 깊게 이해하기 위해서, 1910년의 한국 「병합」이, 유효했던인가, 무효인가라고 하는 문제에 대해 나의 생각을 말씀드립니다. 

自民党や維新の会は、当時結ばれた条約文があり、1965年6月22日に結ばれた「日韓基本条約」の中で、1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は「もはや無効」であることが確認される。とあることから、
この「もはや」という意味を、1965年までは有効だった。が 1965年以後は無効になったので、併合にかんする5つの条約は「有効だ」という考えです。他にも当時の国際法に照らしても有効だと言う議論がありますが

자민당이나 유신의 회는, 당시 연결된 조약문이 있어, 1965년 6월 22일에 연결된 「일한 기본 조약」 중(안)에서, 1910년 8월 22일 이전에 대일본 제국과 대한제국과의 사이에 체결된 모든 조약 및 협정은 「이미 무효」인 것이 확인된다. 어떤 일로부터,
이 「이미」라고 하는 의미를, 1965년까지는 유효했다. 하지만 1965년 이후는 무효가 되었으므로, 병합에 관 하는 5개의 조약은 「유효하다」라고 하는 생각입니다. 그 밖에도 당시의 국제법에 비추어도 유효하다고 말하는 논의가 있습니다만

私は、「併合」に至る経過や、結ばれた条約の法律上の手続き問題、現存する条約文について調べてみると、「もはや」の言葉の意味を論争して、かってな解釈をこじ付けるのではなく、また帝国主義列強側の有効論にもとづく押付けではなく、次の理由により韓国「併合」は、「無効」であると思うのです。

나는, 「병합」에 이르는 경과나, 연결된 조약의 법률상의 수속 문제, 현존 하는 조약문에 대해 조사해 보면, 「이미」의 말의 의미를 논쟁하고, 제멋대로인 해석을 비집어 틀어 붙이는 것이 아니라, 또 제국주의 열강측의 유효론에 의거하는 오시츠케케가 아니고, 다음의 이유에 의해 한국 「병합」은, 「무효」이다고 생각합니다.

その第一の理由は、軍隊を出して戒厳令をしき、暴力的におしつけたもので「無効」だということです。これは当時の国際法上も無効です。

그 제일의 이유는, 군대를 내고 계엄령을 깔아, 폭력적으로 꽉 누른 것으로 「무효」라고 하는 것입니다. 이것은 당시의 국제법상도 무효입니다.

1876年、日本と李氏朝鮮の間には、日朝修好条約がありました。日清戦争は(1894・7~1895・3)で日露戦争は、(1904・2・8~1905・9・5)ですが、日露戦争途中の
1904年大韓帝国を相手に1904年2月23日に「①、の議定書」 同年8月に②、の第一次日韓協約が結ばれ、日露戦争終了後すぐに「③、の1905年11月17日の第二次日韓協約」が結ばれました。
日本帝国政府は、反対する王を追放して、無理やり新王をつくり「④、1907年7月24日の第3次日韓協約」を結ばせ、この4つの協約をとうして、  

1876년, 일본과 이씨 조선의 사이에는, 일조수호 조약이 있었습니다. 일청전쟁은(1894・7~1895・3)으로 일러 전쟁은, (1904・2・8~1905・9・5)입니다만, 일러전쟁 도중의
1904년 대한제국을 상대에게 1904년 2월 23일에 「①, 의 의정서」동년 8월에②, 의 제1차 일한 협약이 연결되어 일러전쟁 종료후 곧바로 「③, 의 1905년 11월 17일의 제2차 일한 협약」이 연결되었습니다.
일본 제국 정부는, 반대하는 왕을 추방하고, 억지로 신왕을 만들어 「④, 1907년 7월 24일의 제3차 일한 협약」을 맺게 해 이 4개의 협약을 던지고,

日本が韓国の主権を無理やり剥奪して、実質的な支配権を握り、韓国での軍事行動の自由を獲得し、日本が推薦する者を韓国の財政・外交の顧問としました。
さらに1910年6月、韓国の警察事務の一切を日本政府に委託させて警察権を奪い、同年8月1日には韓国軍隊の解体を強行しました。そうして、ソウルに日本帝国軍隊を出兵させ、戒厳令をしき、親日派大臣に韓国「併合」条約を押しつけたのでした。
どの専門家も、暴力的に併合をすすめたという点は一致しております。

일본이 한국의 주권을 억지로 박탈하고, 실질적인 지배권을 잡아, 한국에서의 군사 행동의 자유를 획득해, 일본이 추천하는 사람을 한국의 재정・외교의 고문으로 했습니다.
게다가 1910년 6월, 한국의 경찰 사무의 모두를 일본 정부에 위탁시키고 경찰권을 빼앗아, 동년 8월 1일에는 한국군대의 해체를 강행했습니다. 그렇게 해서, 서울에 일본 제국 군대를 출병시켜, 계엄령을 깔아, 친일파 대신에 한국 「병합」조약을 억눌렀던 것입니다.
어느 전문가도, 폭력적으로 병합을 진행시켰다고 하는 점은 일치하고 있습니다.

第二の理由は、「公文書偽造で無効だ」と言う事です。
19世紀末から20世紀当初の国際情勢の下でも、「条約なき占領」は、国際法違反という考えでしたから、日本政府は、諸外国から国際法違反の占領だという批判を受けないように、先ほど言った4つの協約と五つ目の併合「条約」文を日本側が一方的に用意をしたのでした。

제2의 이유는, 「공문서 위조로 무효다」라고 하는 일입니다.
19 세기말에서 20 세기 당초의 국제 정세아래에서도, 「조약없는 점령」은, 국제법 위반이라고 할 생각이었기 때문에, 일본 정부는, 여러 나라로부터 국제법 위반의 점령이라고 하는 비판을 받지 않게, 방금전 말한 4개의 협약과 5섯째의 병합 「조약」문을 일본측이 일방적으로 준비를 했던 것입니다.

当時から国際条約を締結するには、決まった形式がありました。正式条約は、国交を結ぶときや、国の主権にかかわること。二つ目の略式条約は、国交のあと、行政的なものを決めるときでした。

당시부터 국제 조약을 체결하려면 , 정해진 형식이 있었습니다. 정식 조약은, 국교를 묶을 때나, 나라의 주권과 관계되는 것. 둘째의 약식 조약은, 국교뒤, 행정적인 것을 결정할 때였습니다.

李氏朝鮮を相手に結ばれた「日朝修交条約」は、正式どおり、韓国の法的手続きもクリアして作成されて結ばれました。
①は、王の代役で交渉する人に対する王の委任状です。御名御璽が必要です。これはあります。 
②は、条約文です。これには委任された人のサインと印鑑が必要です。これもあります。  
③は、両国皇帝の名で批准書をつくり両国が交換します。「勅諭」・国民に知らせる公文書です。この公文書にも御名御璽が必要です。 すべてあります。

이씨 조선을 상대에게 연결된 「일조수호 조약」은, 정식 대로, 한국의 법적 수속도 클리어 해 작성되어서 연결되었습니다.
① 는, 왕의 대역으로 교섭하는 사람에 대한 왕의 위임장입니다. 어명 옥새가 필요합니다. 이것은 있습니다.
② 는, 조약문입니다. 이것에는 위임된 사람의 싸인과 인감이 필요합니다. 이것도 있습니다.
③ 는, 양국 황제의 이름으로 비준서를 만들어 양국이 교환합니다. 「천황이 내린 가르침」・국민에게 알리는 공문서입니다. 이 공문서에도 어명 옥새가 필요합니다. 모두 있습니다.

先にのべた4つの関連文書が正式な形式を整えた条約だったとすれば、条約による半ば占領状態だと言い逃れができるかもしれませんが、残されている4つの協約文は、国政上の重大問題であるにもかかわらず、「略式」で作成されており、必要なところに「御名御璽」がないという「不備なもの」です。さらに韓国の法的手続きを経ていません。

먼저 말한 4개의 관련 문서가 정식적이다 형식을 정돈한 조약이었다고 하면, 조약에 의한 반점령 상태라고 발뺌을 할 수 있을지도 모릅니다만, 남아 있는 4개의 협약문은, 국정상의 중대 문제인 것에도 불구하고, 「약식」에서 작성되고 있어 필요한 곳에 「어명 옥새」가 없다고 하는 「불비한 것」입니다. 한층 더 한국의 법적 수속을 거치고 있지 않습니다. 

なぜ不備なものになったのか調べると、韓国皇帝が条約に反対していたからです。日本側が一方的に作成した「捏造文書」と言えるものなのです。現在式に言えば「公文書偽造」で、これは明らかに無効です。韓国の法律にもとづく手続きが行われていなかった証拠でもあります。「協議」されたと言う人もいますが、軍隊を背景に有無を言わせないもので「協議」などといえる内容ではありませんでした。

왜 불비한 것이 되었는지 조사하면, 한국 황제가 조약에 반대하고 있었기 때문에입니다. 일본측이 일방적으로 작성한 「날조 문서」라고 할 수 있는 것입니다. 현재식에 말하면 「공문서 위조」로, 이것은 분명하게 무효입니다. 한국의 법률에 의거하는 수속을 하지 않았던 증거이기도 합니다. 「협의」되었다고 하는 사람도 있습니다만, 군대를 배경으로 유무를 말하게 하지 않는 것으로 「협의」등이라고 할 수 있는 내용이 아니었습니다.

具体的に見てみます
①、の議定書は、略式です。批准書も王印もありません。
②、も略式で題名がない。日韓協約とあとで呼ぶようになったのです。
委任状がない、王印がない。韓国語がない。英文がある。後で条約と題名を加えた。
③、(保護条約と呼ばれているもの)略式・題名がない。
批准書も王印もない。韓国語がない。しかし英文がある。条約と題名がある。後で加えた。
④、略式で7項目の約束をしたと言うメモのようなもので批准書も王印もありません。

구체적으로 보겠습니다
① , 의 의정서는, 약식입니다. 비준서도 왕인도 없습니다.
② , 도 약식에서 제목이 없다. 일한 협약과 나중에 부르게 되었습니다.
위임장이 없는, 왕인이 없다. 한국어가 없다. 영문이 있다. 다음에 조약과 제목을 더했다.
③ , (보호 조약으로 불리고 있는 것) 약식・제목이 없다.
비준서도 왕인도 없다. 한국어가 없다. 그러나 영문이 있다. 조약과 제목이 있다. 다음에 더했다.
④ , 약식에서 7항목의 약속을 했다고 말하는 메모와 같은 것으로 비준서도 왕인도 없습니다. 

五つ目の一番肝心な「併合」条約は、日本側は正式条約にしようとしましたが

다섯째의 제일 중요한 「병합」조약은, 일본측은 정식 조약으로 하려고 했습니다만

①、委任状は王のサインと印鑑が押されています。
②、の条文と担当者のサインと印があります。
③、ところが両国皇帝の名でつくる批准書に韓国皇帝の「御名御璽」がないのです。
皇帝純宗が、韓国「併合」に反対し、条文作成に応じず日本側が御璽に変わる印鑑を押し文書を偽造し条約を締結する現場に持ち込んできたからです。

① , 위임장은 왕의 싸인과 인감이 밀리고 있습니다.
② , 의 조문과 담당자의 싸인과 표가 있습니다.
③ , 그런데 양국 황제의 이름으로 만드는 비준서에 한국 황제의 「어명 옥새」가 없습니다.
황제순종이, 한국 「병합」에 반대해, 조문 작성에 응하지 않고 일본측이 옥새로 바뀌는 인감을 눌러 문서를 위조해 조약을 체결하는 현장에 반입해 왔기 때문에입니다.

だから私の結論としては、韓国「併合」条約は、戒厳令の下で、韓国皇帝が反対し、当時の条約形式も満たさず御名御璽がなく、特に韓国の法手続きが欠落しており、非合法文書で「無効」としか言いようのないものです。(資料1)以上が2つ目の理由です。

그러니까 나의 결론으로서는, 한국 「병합」조약은, 계엄령아래에서, 한국 황제가 반대해, 당시의 조약 형식도 채우지 않고 어명 옥새가 없고, 특히 한국의 법수속이 결핍 있어, 비합법 문서로 「무효」라고 밖에 표현이 없는 것입니다. (자료 1) 이상이 2번째의 이유입니다.

さらに、その証拠を裏付けるもう一つの証拠として、(資料2)皇帝純宗の遺言があります。当時の実態から、韓国内では発表できず、7月になって米国のサンフランシスコで暮らしていた韓国人たちの新聞「新韓民報」に発表されました。資料を見てください

게다가 그 증거를 증명하는 또 하나의 증거로 하고, (자료 2) 황제순종의 유언이 있습니다. 당시의 실태로부터, 한국내에서는 발표하지 못하고, 7월이 되어 미국의 샌프란시스코에서 살고 있던 한국인들의 신문 「 신한민보」에 발표되었습니다. 자료를 봐 주세요

遺言・ 過ぎし日の併合認准は、強隣(日本)が、逆臣の群れ(李 完用など親日派大臣)とともに勝手になし 勝手に宣布したものであり、すべて私がなしたことではないのだ。ひたすら私を幽閉し、私を脅迫し、私をして明白に話をできないようにさせたのであり、私がしたのではないということを明白に知らしめれば意的の所為、併合認准と譲国の詔勅はおのずと破棄に帰してしまうだろう。  とあります。

유언・지나 해 날의 병합인준은, 강린(일본)이, 역신의 무리(이완용 등 친일파 대신)와 함께 마음대로 이루어 마음대로 선포한 것이어, 모두 내가 이룬 것은 아닌 것이다. 오로지 나를 유폐 해, 나를 협박해, 나를 해 명백하게 이야기를 할 수 없게 시킨 것이어, 내가 한 것은 아니다고 하는 것을 명백하게 알리게 하면 의적의 소위, 병합인준과 양국의 조칙은 저절로 파기하러 돌아가 버릴 것이다. (와)과 있습니다.     

さらに付け加えておきたいことは、歴史学者の本には出てこない最近の韓国大法廷の判決です。読んでみると「有効論」の論拠を論破して「併合」は無効であるとの理論的到達点にたって、「日韓基本条約で個人請求権はないとしている日本側の主張をもしりぞけ、金額を示して個人賠償をすべきであると「判決」を下しています。最高裁判所の判決ですから、今後大きな影響を持ってきます。

한층 더 덧붙여 두고 싶은 것은, 역사학자의 책에는 나오지 않는 최근의 한국 대법정의 판결입니다. 읽어 보면 「유효론」의 논거를 논파해 「병합」은 무효이다라는 이론적 도달점에 끊고, 「일한 기본 조약으로 개인 청구권은 없다고 하고 있는 일본측의 주장도 배척하고 금액을 나타내 개인 배상을 해야 한다라고 「판결」을 내리고 있습니다. 최고재판소의 판결이기 때문에, 향후 큰 영향을 가져옵니다.

このような新しい国際的な状況も踏まえて 歴史認識の一致をさせなければならないと思うのです。
以上が、韓国「併合」条約は無効だという私の考えです。

이러한 새로운 국제적인 상황도 밟아 역사 인식의 일치를 시키지 않으면 안 된다고 생각합니다.
이상이, 한국 「병합」조약은 무효라고 하는 나의 생각입니다.



今、韓国で日本共産党が・・・

2013-09-05 | 投稿
『いま、日本共産党』韓国語版序文
『지금, 일본 공산당』한국어판서문

志位 和夫
시이 가즈오


4、以下を掲載します。4, 이하를 게재합니다.

(4)

 私は、2006年9月に、日本共産党党首として初めての訪韓をおこない、韓国政界のリーダーの方々や、歴史学者、学生のみなさんと懇談する機会を もつことができました。その全体を通じて痛感させられたのは、35年間の日本帝国主義による植民地支配の傷痕、それへの怒りが、いまなお韓国国民のなかに 強く残っていることでした。植民地支配によって、自らの国がなくなってしまったことへの痛みの深さは、独特のものがあると、強く感じました。

나는, 2006년9월에, 일본 공산당 당수로서 처음의 방한을 하고, 한국 정계의 리더의 여러분(여기저기)나, 역사학자, 학생의 여러분과 간담하는 기회를 가질 수 있었습니다. 그 전체를 통해서 통감시켜진 것은, 35년간의 일본 제국 주의에 의한 식민지지배의 상흔, 그것에의 분노가, 지금도 한국 국민의 안에 강하게 남아있는 것이었습니다. 식민지지배에 의해, 자기의 나라가 없어져버린 것에의 아픔의 깊이는, 독특한 것이다라고, 강하게 느꼈습니다.

 そして、その痛苦の歴史的時期に、日本共産党が、韓国・朝鮮の愛国者に連帯し、植民地支配に反対してたたかった歴史をもつ党であることを話しますと、私たちと韓国のみなさんとの気持ちがいっぺんに通いあうという体験を何度も経験しました。

그리고, 그 고난의 역사적 시기에, 일본 공산당이, 한국·조선의 애국자에게 연대하고, 식민지지배에 반대해서 싸운 역사를 가지는 당인 것을 이야기한다고, 우리들과 한국의 여러분과의 기분이 한번에 서로 통한다라고 하는 체험을 몇번이나 경험했습니다.

 歴史は決してつくりかえることはできません。しかし、誠実に向き合うことはできます。歴史に誠実に向き合い、誤りを真摯(しんし)に認め、清算を おこなう。そうしてこそ初めて、将来の世代にわたって、日本と韓国の両国間、両国民間の心通う友情を築くことができるというのが、私たちの確信です。

역사는 결코 새로 만들 수는 없습니다. 그러나, 성실하게 마주 향할 수는 있습니다. 역사에 성실하게 마주 향하고, 잘못을 신지 에 인정하고, 청산을 한다. 그렇게 해서야말로 처음으로, 장래의 세대에 걸쳐, 일본과 한국의 양국간, 양국민간의 마음 다니는 우정을 쌓을 수 있다고 하는 것이, 우리들의 확신입니다.

(5)

 そのためには、歴史をゆがめる逆流を許さないことはもちろんですが、過去の歴史への根本的な清算は避けて通ることができないと、私たちは考えます。

그 것을 위하여는, 역사를 뒤틀리게 하는 역류를 용서하지 않는 것은 물론입니다만, 과거의 역사에의 근본적인 청산은 피해서 지날 수 없으면, 우리들은 생각합니다.

 日本軍「慰安婦」問題の解決は、被害者の方々の年齢を考えても、緊急の課題です。その解決のためには、日本政府としてこの植民地犯罪について謝罪 と賠償をおこなうことが不可欠です。韓国政府は、元日本軍「慰安婦」被害者の賠償請求権に関して、1965年の日韓請求権協定にもとづく両国政府間の協議 を繰り返し日本政府に求めています。しかし、日本政府は、「請求権の問題は解決済み」として、協議に応じる姿勢を示していません。

일본군 「위안부」문제의 해결은, 피해자의 여러분(여기저기)의 연령을 생각해도, 긴급한 과제입니다. 그 해결을 위해서는, 일본정부로서 이 식민지범죄에 대해서 사죄와 배상을 하는 것이 불가결합니다. 한국 정부는, 본래 일본군 「위안부」피해자의 배상 청구권에 관해서, 1965년의 일한 청구권협정에 근거하는 양국정부간의 협의를 되풀이해 일본정부에 요구하고 있습니다. 그러나, 일본정부는, 「청구권의 문제는 해결완료」로서, 협의에 응하는 자세를 보이고 있지 않습니다.

 しかし、同協定の第3条1項は、協定の解釈及び実施に関する両国間の紛争がある場合には、「まず、外交上の経路を通じて解決するものとする」とし ています。日本軍「慰安婦」問題が、被害者の告発によって明らかとなり、政治問題化したのは1990年以降のことであり、「解決済み」との日本側の主張は 成り立ちません。日本政府は、日韓請求権協定第3条の規定にしたがい、韓国政府との協議に早急かつ誠実に応じるべきだというのが、私たちの主張です。

그러나, 동(同)협정의 제3조 1항은, 협정의 해석 및 실시에 관한 양국간의 분쟁이 있을 경우에는, 「우선, 외교상의 경로를 통해서 해결하는 것으로 한다」라고 하고 있습니다. 일본군 「위안부」문제가, 피해자의 고발에 의해 명확하다가 되고, 정치문제화 밑의는 1990년이후이며, 「해결완료」와의 일본측의 주장은 성립하지 않습니다. 일본정부는, 일한 청구권협정 제3조의 규정에 따르고, 한국 정부와의 협의에 재빠를지 つ성실에 응해야 한다고 하는 것이, 우리들의 주장입니다.

 私は、さらに、日本の政界の中に存在する植民地支配への無反省の根源として、1965年に締結された日韓基本条約の問題点をあげなければなりません。この条約にいたる交渉過程でも、条約の中でも、日本は、1910年の「韓国併合」について、それが不法なものと認めていません。しかし、「韓国併合」 に至る歴史の全過程は、日本が、武力による威嚇と武力の行使によって、植民地支配に反対する韓国人民のたたかいを血の海に沈め、「併合」を強行したことを 示しています。2年後、2015年は、日韓基本条約締結50年を迎えますが、この機会に、日本は「韓国併合」について「不法・不当」なものだったことを、 きっぱりと認めるべきだというのが、私たちの立場です。

나는, 게다가, 일본의 정계 안(속)에 존재하는 식민지지배에의 무반성의 근원으로서, 1965년에 체결된 한일기본조약의 문제점을 제시하지 않으면 안됩니다. 이 조약에 이르는 교섭 과정이라도, 조약 안(속)에서도, 일본은, 1910년의 「한국 병합」에 대해서, 그것이 불법인 것으로 인정하고 있지 않습니다. 그러나, 「한국 병합」에 이르는 역사의 전과정은, 일본이, 무력에 의한 위협과 무력의 행사에 의해, 식민지지배에 반대하는 한국 인민의 싸움을 피바다에 가라앉히고, 「병합」을 강행한 것을 나타내고 있습니다. 2년후, 2015년은, 한일기본조약체결 50년을 맞이합니다만, 이 기회에, 일본은 「한국 병합」에 대해서 「불법·부당」な것이었단것을, 단호히 인정해야 한다고 하는 것이, 우리들의 입장입니다.

 日韓両国の間には、解決が求められる紛争問題も存在します。日本が過去の植民地支配に対して誠実な態度をとり、その根本的清算をはかることは、両 国間に存在する懸案課題を解決するうえでも、冷静な話し合いの土台をつくることになるでしょう。私は、そのために力をつくす決意を申し上げるものです。

일한 양국의 사이에는, 해결이 요구되는 분쟁 문제도 존재합니다. 일본이 과거의 식민지지배에 대하여 성실한 태도를 취하고, 그 근본적청산을 재는 것은, 양국간에 존재하는 현안과제를 해결하는 동시에서도, 냉정한 상담의 기초를 만들게 될 것입니다. 나는, 그 때문에 힘을 다하는 결의를 말씀 드리는 것입니다.

(6)

 最後に、私は、日本の植民地支配について、今日的視点から、さらに三つの点をのべなければなりません。

 최후에, 나는, 일본의 식민지지배에 대해서, 오늘 시점에서, 더욱 세개의 점을 뻗치지 않으면 안됩니다.

 第一は、なぜ朝鮮半島が南北に分断されたのか、という問題です。そこには、さまざまな歴史的な要因があります。南北の分断を固定化したのは、 1950年から53年までの朝鮮戦争でした。しかし、南北分断の出発点となったのは、日本の敗戦にともなう、米ソによる北緯38度線を境にした分割占領で した。韓国・朝鮮の人々は、日本の敗戦を「光復」として喜びました。しかし、朝鮮半島は、敗戦国の植民地として終戦を迎えることになりました。このことが 南北分断へとつながったことは、まぎれもない事実です。

제1는, 왜 한반도(朝鮮半島)가 남북에 분단된 것인가,라고 하는 문제입니다. 거기에는, 각양각색인 역사적인 요인이 있습니다. 남북의 분단을 고정화한 것은, 1950년부터 53년까지의 조선 전쟁이었습니다. 그러나, 남북분단의 출발점이 된 것은, 일본의 패전에 따르는, 미소에 의한 북위 38도 선을 경계로 한 분할 점령이었습니다. 한국·조선의 사람들은, 일본의 패전을 「빛 후쿠(復)」라고 기뻐했습니다. 그러나, 한반도(朝鮮半島)는, 패전국의 식민지로서 종전을 맞이하게 되었습니다. 이 것이 남북분단에 연결된 것은, 틀림없는 사실입니다.

その意味では、現在なお朝鮮半島が南北に分断されている歴史的な淵源(えんげん)をたどりますと、 それは日本の植民地支配と無縁とはいえないと思います。南北の統一は、もとより韓国・朝鮮人民自身の手によって自主的に解決されるべき問題です。同時に、 南北が分断された歴史的経過にてらしても、平和的統一が実現するような国際的環境をつくるうえで、日本はその重要な責任の一端を担っていると、私は考える ものです。

그 의미에서는, 현재 여전히 한반도(朝鮮半島)가 남북에 분단되고 있는 역사적인 연원 (얻지 않는다 げ)을 더듬어 간다고, 그것은 일본의 식민지지배와 무연이라고는 말할 수 없다고 생각합니다. 남북의 통일은, 물론 한국·조선 인민자신의 손에 의해 자주적으로 해결되어야 할 문제입니다. 동시에, 남북이 분단된 역사적 경과에 비추어도, 평화적 통일이 실현하는 것 같은 국제적 환경을 만드는 동시에서, 일본은 그 중요한 책임의 일단을 짊어지고 있으면, 나는 생각하는 것입니다.

 第二は、なぜ韓国で軍事独裁政権が1987年まで続いたのか、という問題です。これにもさまざまな歴史的な要因がありますから、一言で言うわけに はいきません。ただ私は、姜萬吉(カン・マンギル)高麗大学名誉教授がその著書『韓国現代史』のなかでのべているつぎの指摘は、重く受け止めなければなら ないと考えています。

제2는, 왜 한국에서 군사독재 정권이 1987년까지 계속된 것인가,라고 하는 문제입니다. 이것에도 각양각색인 역사적인 요인이 있을 테니까, 한마디로 말할 수는 있지 않습니다. 단지 나는, 강만길(캔·맨 길)고려(高麗)대학명예교수가 그 저서 『한국 현대사』의 안에서 진술하고 있는 다음의 지적은, 무겁게 받아들이지 않으면 안된다고 생각하고 있습니다.

 「植民地であった三五年間は、我が国がまさに専制主義体制を清算し民主主義的政治体制を形成していかなければならない時期であったが、植民支配に よって民主主義的な政治訓練を積むことがまったくできなかったのである。……

「식민지이었던 35년간은, 우리나라가 정말로 전제주의체제를 청산해 민주주의적 정치체제를 형성해 가지 않으면 안되는 시기이었지만, 식민 지배에 의해 민주주의적인 정치훈련을 쌓는 것이 완전히 할 수 없었던 것이다. ……

日本の韓半島に対する植民支配が残した最大の政治的被害は、近代社会に入った 韓半島の住民から民主主義的な政治体験を積む機会を完全に剥奪(はくだつ)することで、解放後の韓半島に国民主権主義の政治形態を定着させるうえで大きな 打撃を与え、韓半島が南北に分断される素地を作った点にあると言えるだろう」

일본의 한 반도에 대한 식민 지배가 남긴 최대의 정치적 피해는, 근대 사회에 들어간 한 반도의 주민에게서 민주주의적인 정치체험을 쌓는 기회를 완전히 박탈 (은 관つ) 하는 것으로, 해방후의 한 반도에 국민주권주의의 정치형태를 정착시키는 동시에서 큰 타격을 주고, 한 반도가 남북에 분단되는 토대(바탕)을 만든 점에 있다고 말할 수 있을 것이다」

 その通りだと思います。そういう視野にたって、韓国の戦後の歴史をとらえなければならないと、私は考えるものです。

그 대로라고 생각합니다. 그러한 시야에 있고, 한국의 전후의 역사를 포착하지 않으면 안되면, 나는 생각하는 것입니다.

 第三は、21世紀の国際政治の到達点から植民地支配の問題をとらえるということです。日本の一部に存在する植民地支配合理化論のなかに、「韓国併合は不法・不当というが、当時の列強はそれぞれが植民地をもっていたではないか」という議論があります。

제3는, 21세기의 국제정치의 도달 점에서 식민지지배의 문제를 포착한다라고 하는 것은 한다. 일본의 일부에 존재하는 식민지지배 합리화론의 안에, 「한국 병합은 불법·부당이라고 하지만, 당시의 열강은 각각이 식민지를 가지고 있었지 않은가」라고 하는 논의가 있습니다.

 しかし21世紀に入って、過去にさかのぼって植民地支配への責任を問う動きが国際政治のなかに生まれていることは、重要なことです。2001年 8~9月に南アフリカのダーバンでおこなわれた国連を中心とした「ダーバン会議」では、そこで採択された「宣言」のなかで、植民地主義について、それが起 きたところは「どこであれ、いつであれ」――地球上のどこであれ、また過去にさかのぼって、「非難」されるべきものだということが、確認されています。
「他の国も植民地をもっていたのだから、日本も許される」という合理化論は、21世紀の世界にあっては許されないものだと、考えるものです。

그러나 21세기에 들어가고, 과거로 거슬러 올라가서 식민지지배에의 책임을 묻는 움직임이 국제정치의 안에 태어나고 있는 것은, 중요한 것입니다. 2001년 8∼9월에 남아프리카의 더반에서 해진 유엔을 중심으로 한 「더반 회의」에서는, 거기에서 채택된 「선언」의 안에서, 식민지주의에 대해서, 그것이 일어난 바는 「어디이어라, 언제이어라」―― 지구상의 어디이어라,또 과거로 거슬러 올라가고, 「비난」되어야 할 것이라고 하는 것이, 확인되고 있습니다. 「다른 나라도 식민지를 가지고 있었던 것이기 때문에, 일본도 용서된다」라고 하는 합리화론은, 21세기의 세계에 있어서는 용서되지 않는 것이라고, 생각하는 것입니다.

 よく「未来志向の日韓関係」という言葉が使われます。先々までの未来にわたる日韓両国、両国民の友情は、過去に誠実に向き合うことによって、初めて可能になる。そのことを深くかみしめて、努力をかさねたいと決意しています。

자주(잘) 「미래지향의 일한 관계」라고 하는 말이 사용됩니다. 먼 장래까지의 미래에 걸치는 일한 양국, 양쪽국민의 우정은, 과거에 성실하게 마주 향하는 것에 의해, 처음으로 가능해진다. 그 것을 깊게 음미하고, 노력을 거듭하고 싶다고 결의하고 있습니다.

 2013年3月6日  

 東京にて 志位 和夫
도쿄(東京)에서


韓国で日本共産党が・・・

2013-09-05 | 投稿
『いま、日本共産党』韓国語版序文
『지금, 일본 공산당』한국어판서문
志位 和夫
시이 가즈오



 日本共産党の志位和夫委員長が、著書『日本共産党とはどんな党か』の韓国語版『いま、日本共産党』に新たに書き下ろした序文を紹介します。

 일본 공산당의 시이(志位) 가즈오(和夫) 위원장이, 저서 『일본 공산당과는 어떤 당인가』의 한국어판 『지금, 일본 공산당』에 새로 쓴 서문을 소개합니다.


(写真)出版された志位和夫委員長の著書『日本共産党とはどんな党か』の韓国語版

(사진)출판된 시이(志位) 가즈오(和夫) 위원장의 저서 『일본 공산당과는 어떤 당인가』의 한국어판

(写真)西大門刑務所歴史館の朴慶穆館長(左端)の案内で刑務所跡を見学する(右へ)、笠井亮国際局次長、志位和夫委員長、緒方靖夫副委員長=2006年9月5日、ソウル市

(사진)서대문(西大門) 형무소역사관의 朴慶穆관장(좌단)의 안내로 형무소자국을 견학한다 (오른쪽에), 가사이(笠井) 료(亮) 국제국 차장, 시이(志位) 가즈오(和夫) 위원장, 오가타(方) 야스오(靖夫) 부위원장=2006년9월5일, 서울시

韓国の読者のみなさんへ
 本書は、日本共産党はどんな党か、どんな日本をめざしているのかについて、さまざまな機会に私が語ったものを収録したものです。このたび、韓国語版が出版の運びになったことを、たいへんうれしく思います。出版のために尽力してくださった、すべての方々に心からの感謝を申し上げます。

한국의 독자의 여러분에게 본서는, 일본 공산당은 어떤 당인가, 어떤 일본을 목표로 하고 있는 것일지에 대해서, 각양각색인 기회에 내가 함께 이야기 한 것을 수록한 것입니다. 이번에, 한국어판이 출판의 운반으로 되어진 것을, 대단히 기쁘게 생각합니다. 출판을 위해서 힘써 주신, 모든 여러분(여기저기)에게 마음속으로부터의 감사를 말씀 드립니다.        


(1)
 「日本共産党」といっても、韓国の方々には、いったいどんな党か、なじみのない方が多いと思います。そこで、まず、簡単に、私たちの自己紹介をさせていただきます。

「일본 공산당」이라고 말해도, 한국의 여러분(여기저기)에게는, 도대체(일체) 어떤 당인가, 낯선 분이 많다고 생각합니다. 거기에서, 우선, 간단히, 우리들의 자기 소개를 해 드립니다.

 歴史……日本共産党が創立されたのは1922年7月で、今年で91年となります。日本の政党の中でもっとも長い歴史をもつ政党ですが、私たちが誇 りとしているのは、戦前(1945年の日本の敗戦前)、戦後と、同じ名前で活動している政党は、日本では日本共産党しかないということです。

역사……일본 공산당이 창립된 것은 1922년7월로, 올해로 91년이 됩니다. 일본의 정당 안(속)에서 가장 긴 역사를 가지는 정당입니다만, 우리들이 자랑이라고 하고 있는 것은, 전전 (1945년의 일본의 패전전), 전후와, 같은 이름으로 활동하고 있는 정당은, 일본에서는 일본 공산당밖에 없다라고 하는 것은 한다.

 戦前、天皇絶対の専制政治のもとで過酷な迫害を受けながら、侵略戦争と植民地支配に反対し、国民主権の日本の旗を掲げ、不屈にたたかった政党は日本共産党だけでした。

전전, 천황절대의 전제정치의 밑에서 가혹한 박해를 받으면서, 침략전쟁과 식민지지배에 반대하고, 국민주권의 일본의 기를 걸고, 불굴하게 싸운 정당은 일본 공산당만이었습니다.

戦前の時代に、侵略戦争を推進した諸党は、日本の敗戦後、世間に顔向けができず、名前を変えて再出発せざるを得ませんでしたが、私たちにはそうした必要はありませんでした。私たちが、日本共産党という名前を91年にわたって掲げ続けていることは、反戦平和と国民主権の不屈のたたかいと 結びついたものです。

전전의 시대에, 침략전쟁을 추진한 제당은, 일본의 패전후, 세상에 대할 낯이 할 수 없고, 이름을 바꾸어서 재출발하지 않을 수 없었습니다만, 우리들에게는 그러한 필요는 없었습니다. 우리들이, 일본 공산당이라고 하는 이름을 91년에 걸쳐 계속해서 내걸고 있는 것은, 반전평화와 국민주권이 불굴한 싸움과 결부된 것입니다.

 綱領……私たちは、共産党ですから、人類は、資本主義という利潤第一主義の体制をのりこえて、未来社会(社会主義・共産主義社会)に発展するという展望をもっています。

 강령……우리들은, 공산당이기 때문에, 인류는, 자본 주의라고 하는 이윤제1주의의 체제를 극복하고, 미래사회(사회 주의·공산주의사회)에 발전한다고 하는 전망을 가지고 있습니다.

同時に、この変革は一足とびにできるものではありません。社会は、国民多数の合意にもとづいて、一歩一歩、階段をのぼるように段階 的に発展するというのが、私たちの立場です。日本共産党の綱領では、こうした立場から、日本の当面する変革の課題を、つぎのように明記しています。

동시에, 이 변혁은 한 켤례 소리개에게 할 수 있는 것이 아닙니다. 사회는, 국민다수의 합의에 근거하고, 한걸음 한걸음, 계단을 오르게 단계적으로 발전한다고 하는 것이, 우리들의 입장입니다. 일본 공산당의 강령에서는, 이러한 입장부터, 일본의 당면하는 변혁의 과제를, 다음과 같이 명기하고 있습니다.

 「現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政 治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革である」

「현재, 일본 사회가 필요로 하고 있는 변혁은, 사회 주의 혁명이 아니고, 이상한 대미종속과 대기업·재계가 횡포한 지배의 타파――일본의 참된 독립의 확보와 정치·경제·사회가 민주주의적인 개혁의 실현을 내용으로 하는 민주주의혁명이다. 그것들은, 자본 주의의 범위내에서 가능한 민주적 개혁이다」

 草の根……日本共産党の国会での現在の議席は、衆議院議員が8名(定数480)、参議院議員が11名(定数242)であり、直近の国政選挙での得票 数は515.4万票、得票率は9・68%となっています。国会での力を大きく伸ばすことは、私たちの最大課題の一つです。

풀의 뿌리……일본 공산당의 국회에서의 현재의 의석은, 중의원의원이 8명 (상수480), 참의원의원이 11명 (상수242)이며, 직접 근의 국정선거에서의 득표수는 515.4만표, 득표율은 9·68%이 되고 있습니다. 국회에서의 힘을 크게 확대하는 것은, 우리들의 최대과제의 하나입니다.

同時に、私たちは、国民に根を張った草の根の党という点では、他党の追随を許さないものがあります。日本共産党は、全国に31万8千人の党員、職場、地域、学園あわせて2万を超える党支 部、2700人を超える地方議員をもち、全国津々浦々で国民の利益をまもって日夜活動しています。동시에, 우리들은,

국민에게 뿌리를 뻗은 풀의 뿌리의 당이라고 하는 점에서는, 기타당의 추종을 용서하지 않는 것이 있습니다. 일본 공산당은, 전국에 31만8000명의 당원, 직장, 지역, 학원 맞추어 2만을 넘는 당지부, 2700명을 뛰어넘는 지방의원을 가지고, 전국방방곡곡에서 국민의 이익을 지켜서 늘 활동하고 있습니다.

わが党は、約130万人の「しんぶん赤旗」(日本共産党 の中央機関紙・日刊紙と日曜版があります)読者をもっています。企業・団体献金も、国からの政党助成金も受け取らず、すべて財政は国民に依拠してまかなっています。草の根で国民に根を張って活動しているという点では、日本の政党のなかで、最も進んだ党――政党일본 공산당의らしい政党が日本共産党です。

일본 공산당의, 약130만명의 「시은부은赤旗」 (일본 공산당의 중앙기관지·일간지와 일요판이 있습니다) 독자를 가지고 있습니다. 기업·단체헌금도, 나라에서의 정당조성금도 받지 않고, 모두 재정은 국민에게 의거해서 조달하고 있습니다. 풀의 뿌리로 국민에게 뿌리를 뻗어서 활동하고 있다라고 하는 점에서는, 일본의 정당의 안에서, 가장 나아간 당――정당인 듯한 정당이 일본 공산당입니다.

 自主独立……「共産党」というと、崩壊した旧ソ連の共産党などを連想する方もいるかもしれません。

자주독립…… 「공산당」이라고 하면, 붕괴된 구 소련의 공산당등을 연상하는 분도 있을지도 모르겠습니다.

しかし、日本共産党は、日本の党と運動の進路は、自らの頭で決め、どんな大国であっても外国の指図は受けないという自主独立の立場をつらぬいてきました。
그러나, 일본 공산당은, 일본의 당과 운동의 진로는, 자기의 머리로 정하고, 어떤 대국에서도 외국의 지시는 호평을 받지 않는다라고 하는 자주독립의 입장을 관철해 왔습니다.

1960年代に、当時のソ連共産党や中国・毛 沢東派から、「自分たちのいいなりになれ」という激しい干渉攻撃がくわえられたときにも、私たちは、自主独立の立場からそれをきっぱりと拒否し、打ち破り ました。

1960년대에, 당시의 소련 공산당이나 중국·毛 沢東파에서, 「자기들이 좋은 나름이어라」라고 하는 심한 간섭 공격을 가할 수 있었을 때에도, 우리들은, 자주독립의 입장부터 그것을 단호히 거부하고, 타파했습니다.

ソ連がおこなったチェコスロバキア侵略(1968年)、アフガニスタン侵略(1979年)に対して、日本共産党は「社会主義と縁もゆかりもない暴 挙」ときびしく批判し、ソ連と激しい論争をおこないました。

소련이 한 체코슬로바키아 침략(1968년), 아프가니스탄 침략(1979년)에 대하여, 일본 공산당은 「사회 주의와 아무런 관계도 없는 폭동」이라고 엄격하게 비판하고, 소련과 심한 논쟁을 했습니다.

1991年にソ連共産党が崩壊したさいには、「世界に覇権主義の害悪をもたらした党が崩壊した ことを歓迎する」という声明を発表しました。
1991년에 소련 공산당이 붕괴되었을 때에는, 「세계에 패권주의의 해악을 초래한 당이 붕괴된 것을 환영한다」라고 하는 성명을 발표했습니다.

 日本共産党は、崩壊したソ連の党などとは根本的に違う党です。私たちは、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてを受けつぎ、将来にわたって豊かに発展させるという立場を確固として貫きます。

일본 공산당은, 붕괴된 소련의 당등과는 근본적으로 다르는 당입니다. 우리들은, 민주주의와 자유의 성과를 비롯해, 자본 주의 시대의 값진 성과의 모두를 계승하고, 장래에 걸쳐 풍부에 발전시킨다라고 하는 입장을 확고하게 관철합니다.

崩壊したソ連で横行したような、「社会主義」の名で人民を抑圧し、他国への侵略 をおこなうなどの暴圧は、決して再現させません。議会で国民の多数の支持を得ることによって平和的・民主的に社会発展の道を切り開く――多数者革命をすす めるということが、私たちの立場です。

붕괴된 소련에서 횡행한은 것 같은, 「사회 주의」의 이름으로 인민을 억압하고, 타국에의 침략을 하는등의 폭압은, 결코 재현시키지 않습니다. 의회에서 국민의 다수의 지지를 얻는 것에 의해 평화적·민주적으로 사회발전의 길을 절개한다―― 다수자 혁명을 진척시킨다고 하는 것이, 우리들의 입장입니다.

(2)
 本書が日本で出版されたのは、2007年1月であり、小泉内閣から、第1次安倍内閣までの時期を対象にしています。

 본서가 일본에서 출판된 것은, 2007년1월이며, 고이즈미(小泉) 내각에서, 제1차 아베(安倍) 내각까지의 시기를 대상으로 하고 있습니다.

 本書では、自民党政治には世界の他の資本主義国にはない、“三つの異常な特質”があることをさまざまな角度から明らかにし、どうやってこの異常から抜け出すかについて、日本共産党の立場をのべています。“三つの異常な特質”とは――、

본서에서는, 자민당 정치에는 세계의 다른 자본 주의국에는 없는, “세개가 이상한 특질”이 있는 것을 각양각색인 각도로부터 밝히고, 어떻게 이 이상으로부터 빠져 나갈지에 대해서, 일본 공산당의 입장을 진술하고 있습니다. “세개가 이상한 특질”과는――,

 ――過去の侵略戦争を正当化する異常。

 ―― 과거의 침략전쟁을 정당화하는 이상.

 ――アメリカいいなり政治の異常。

 ―― 미국 말하는대로 정치의 이상.

 ――極端な大企業中心主義の異常。

 ―― 극단적인 대기업중심주의의 이상.

 本書の出版後、日本の政治は、2009年の衆議院選挙で民主党政権への「政権交代」がおこりました。しかし、民主党政権は、「政治を変えてほし い」という国民の願いをことごとく裏切って、自民党とうり二つの政権となり、2012年の衆議院選挙では自民党が政権に復帰し、第2次安倍内閣が発足する という展開となりました。

본서의 출판후, 일본의 정치는, 2009년의 중의원선거로 민주당 정권에의 「정권교대」가 일어났습니다. 그러나, 민주당 정권은, 「정치를 바꾸어주었으면 싶다」라고 하는 국민의 바람을 모조리 배반하고, 자민당으로 팔아 둘의 정권이 되고, 2012년의 중의원선거에서는 자민당이 정권에 복귀하고, 제2차 아베(安倍) 내각이 발족한다고 하는 전개가 되었습니다.

しかし、本書で分析した、日本の政治の異常な特質、その打開の展望については、今日の日本政治にもほとんどそのままあてはまります。

그러나, 본서로 분석한, 일본의 정치가 이상한 특질, 그 타개의 전망에 대해서는, 오늘 일본 정치에도 대부분 그대로 맞습니다.

 異常なアメリカいいなり政治を続けてきた結果、 在日米軍基地の矛盾がいよいよ深刻となり、とりわけ基地が集中している沖縄では、保守から革新までの超党派の島ぐるみの意思として、米軍の新基地建設計画 に反対するなど、矛盾が沸騰しています。

이상한 미국 말하는대로 정치를 계속해 온 결과, 재일 미군 기지의 모순이 드디어 심각이 되고, 특히 기지가 집중하고 있는 오키나와(沖繩)에서는, 보수로부터 혁신까지의 초당파의 섬전체의 의사로서, 미군의 새기지건설 계획에 반대하는등, 모순이 비등하고 있습니다.

 いま世界でもアジアでも、日本の情勢を全体として「右傾化の危機」と見る論調が多く見られます。これは一面では、間違いのない事実です。戦争放棄 と軍備保持禁止を定めた日本国憲法9条の改定をはじめ、日本のいっそうの右傾化、軍事大国化の危険が存在することは重大であり、私たちは、この危険に強い 警鐘を鳴らしています。

지금 세계에서도 아시아에서도, 일본의 정세를 전체로서 「오른쪽으로 기욺화의 위기」라고 보는 논조가 많이 보여집니다. 이것은 일면에서는, 틀림이 없는 사실입니다. 전쟁 포기와 군비보유 금지를 결정지은 일본국헌법 9조의 변경을 비롯해, 일본의 한층의 오른쪽으로 기욺화, 군사대국화의 위험이 존재하는 것은 중대해서, 우리들은, 이 위험에 강한 경종을 울리고 있습니다.

憲法9条改定問題は、たんに日本の国内問題ではありません。この条項は、アジア太平洋への侵略戦争の反省を踏まえ、日本は二度と再 び侵略国とならず、世界平和の先駆けとなるという、“国際公約”にほかなりません。この宝を守ることは、日本国民の世界とアジアに対する重大な責任でもあ ります。憲法改悪の動きを阻止し、憲法9条を守り生かす国民多数派をつくるために全力をあげる決意です。

헌법 9조 변경 문제는, 단지 일본의 국내 문제가 아닙니다. 이 조항은, 아시아태평양에의 침략전쟁의 반성을 근거로 하고, 일본은 두번 다시 침략국으로 안되고, 세계평화의 먼저 달려듦이 된다고 하는, “국제공약”에 이외든지 조숙하지 않는다. 이 보물을 지키는 것은, 일본 국민의 세계와 아시아에 대한 중대한 책임입니다. 헌법개악의 움직임을 저지하고, 헌법 9조를 지켜 살리는 국민다수파를 만들기 위해서 전력을 올리는 결의입니다.

 TPP(環太平洋連携協定)によって日本農業、日本経済の自主性が根こそぎ奪わ れる危機のもとで、これまで保守といわれていた人々と私たちとの広大な共同が広がっています。国会の中では、憲法改定派が多数ですが、日本国民の中では様 相は異なっています。どの世論調査を見ても、日本国民の過半数は憲法9条改定に反対の意思を表明しています。

TPP(환태평양 제휴 협정)에 의해 일본 농업, 일본경제의 자주성이 몽땅 빼앗기는 위기의 밑에서, 지금까지 보수라고 말해지고 있었던 사람들과 우리들과의 광대한 공동이 뻗쳐 있습니다. 국회 안(속)에서는, 헌법변경파가 다수입니다만, 일본 국민 안(속)에서는 양상은 다르고 있습니다. 어느 여론 조사를 보아도, 일본 국민의 과반수는 헌법 9조 변경에 반대인 의사를 표명하고 있습니다.

 古い自民党型政治が、あらゆる分野で行き詰まるもとで、日本の前途には重大な危険とともに、大いなる希望もあります。危機と希望が交錯する歴史的 岐路にたちいたっているのが、いまの日本の現状なのです。日本の政治をアジアや世界から歓迎される方向に転換させるために、日本共産党の果たすべき役割は 大きいと、私たちは考えています。

낡은 자민당형 정치가, 모든 분야에서 막히나와로, 일본의 전도에는 중대한 위험과 함께, 대단한 희망도 있습니다. 위기라고 희망이 교착하는 역사적 기로에 이르고 있는 것이, 지금의 일본의 현상입니다. 일본의 정치를 아시아나 세계에서 환영받는 방향에 전환시키기 위해서, 일본 공산당이 다해야 할 역할은 크면, 우리들은 생각하고 있습니다.

(3)

 本書が特徴づけた“三つの異常な特質”のうち、日韓関係に直接かかわってくる問題が、「過去の侵略戦争を正当化する異常」です。

본서가 특징づ자리수 “세개가 이상한 특질” 가운데, 일한 관계에 직접 영향을 미치는 문제는, 「과거의 침략전쟁을 정당화하는 이상」입니다.

 日本の政界では、繰り返し、「過去の日本の戦争は正しい戦争だった」「植民地支配といっても、良い面もあった」などという、侵略戦争・植民地支配 肯定論が問題になります。

일본의 정계에서는, 되풀이하고, 「과거 일본이 진척시킨 전쟁은 옳은 전쟁이었다」 「식민지지배라고 해도, 좋은 면도 있었다」등이라고 하는, 침략전쟁·식민지지배 긍정론이 문제가 됩니다.

これは第2次世界大戦で同じ侵略国であった、ドイツなどではまったく考えられないことです。なぜこんなことが繰り返されるのか。 それは、韓国のみなさんから見て、理解しがたい問題だと思います。

이것은 제2차 세계대전으로 같은 침략국이었던, 독일등에서는 완전히 생각될 수 없는 것입니다. 왜 이런 것이 되풀이되는 것인가? 그것은, 한국의 여러분에게서 보아서, 이해하기 어려운 문제라고 생각합니다.

 その根は、日本の敗戦後の再出発の過程にあります。日本の敗戦の直後には、侵略戦争をすすめた勢力が、戦争犯罪人として訴追され、あるいは公職追 放とされました。ところが、侵略戦争を推進した指導勢力のうち、戦犯として裁かれたのはごく一握りの人々で、多くはまもなく「復権」し、日本の政治の中枢 を握ることになりました。

그 뿌리는, 일본의 패전후의 재출발의 과정에 있습니다. 일본의 패전의 직후에는, 침략전쟁을 진척시킨 세력이, 전쟁범죄인으로서 소추되어,혹은 공직추방으로 여겨졌습니다. 그런데, 침략전쟁을 추진한 지도 세력 가운데, 전범으로서 재판된 것은 지극히 한 줌의 사람들로, 대부분은 머지않아 「권리를 회복」하고, 일본의 정치의 중추를 쥐게 되었습니다.

そして、そうした勢力は、戦後、長らく政権を握り続けている自由民主党(あるいはその流れの分岐である民主党や日本維新の会な ど)のなかに、脈々と受け継がれることとなりました。

그리고, 그러한 세력은, 전후, 오랫동안 정권을 계속해서 쥐고 있는 자유민주당 (혹은 그 흐름의 분기인 민주당이나 일본 유신의 모임등)의 안에, 면면히 계승되어지는 것이 되었습니다.

 靖国神社の参拝問題、歴史をゆがめる教科書問題、過去の戦争や植民地支配を賛美する数々の暴言――これらが今日も続いている歴史的背景には、右にのべたような事情があることを指摘しなければなりません。

야스쿠니신사(靖國神社)의 참배 문제, 역사를 뒤틀리게 하는 교과서문제, 과거의 전쟁이나 식민지지배를 찬미하는 수많은 폭언――이들이 오늘도 계속되고 있는 역사적 배경으로는, 먼저 이야기한 것 같은 사정이 있는 것을 지적하지 않으면 안됩니다.

 同時に、韓国の読者のみなさんに知っていただきたいことがあります。それはこうした歴史をゆがめる逆流に対して、日本国民のなかにも強い理性的批 判の声が存在するということです。

동시에, 한국의 독자의 여러분이 알아 주셨으면 싶은 것이 있습니다. 그것은 이러한 역사를 뒤틀리게 하는 역류에 대하여, 일본 국민의 안에도 강한 이성적 비판의 목소리가 존재한다라고 하는 것은 한다.

そして、日本共産党が、戦前の暗黒の時代に、命がけで侵略戦争と植民地支配に反対してたたかった党として、日本国民のな かに存在する理性の声とスクラムを組んで、歴史の逆流を許さないたたかいの先頭にたっているということです。

그리고, 일본 공산당이, 전전이 암흑한 시대에, 목숨을 걸어서 침략전쟁과 식민지지배에 반대해서 싸운 당으로서, 일본 국민의 안에 존재하는 이성의 목소리와 스크럼(scrum)을 짜고, 역사의 역류를 용서하지 않는 싸움의 선두에 서고 있는 것입니다.

4、以下は前のページに掲載しています。 4, 이하는 앞의 페이지에 게재하고 있습니다.

日朝協会東京都連合会の吉田博徳会長が、挨拶しました。

2013-09-02 | 投稿
「朝鮮人虐殺の歴史 伝えたい」
関東大震災90年で追悼式典 東京・墨田

真実広め平和に尽力




 10万人以上の死者・行方不明者を出した1923年9月1日の関東大震災。直後の混乱の中、天皇制政府と反動勢力が「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言を広め、警察や軍隊、民衆らでつくる自警団などの手で罪のない朝鮮人、中国人が虐殺され、さらには青年・労働運動家も殺された亀戸事件も起きました。

 震災から90周年を迎えた1日、東京都墨田区の横網町公園内にある追悼碑の前で式典が行われました。韓国無形文化財の舞踊家、金順子さんが「鎮魂の舞」を披露しました。

 開会のあいさつに立った日朝協会東京都連合会の吉田博徳会長は、改憲を狙う安倍内閣の動向に触れながら「90年前の事件は、いまと無関係ではない。真実を広く伝え、北東アジアの平和に尽力したい」と語りました。

 朝鮮総連東京都本部の任京周・国際部長は「碑を建立し、守ってきてくださった方々に感謝します」と話しました。高校授業料無償化制度から朝鮮学校を除外している問題や、民族排外主義を助長するヘイトスピーチが行われていることをあげ、「民族差別、人権蹂躙(じゅうりん)が続いています。生き証人が亡くなっていくなかで、意図的に歴史を歪曲(わいきょく)する動きがある」と日本政府を批判しました。

 日本共産党の畔上三和子都議は、東京都教育委員会が都立高校の副読本で虐殺事件にかかわる記述を「虐殺」から「命を奪われた」と変更したことについて、「加害の事実を消し去り、ゆがんだ歴史認識を広げようという動きは看過できない」と述べました。

 初めて参加した中野区在住の女性(38)は「碑の建立に尽力した方の話を聞き、大事に守っていかなくてはと思いました。歴史の真実を学び、自分のこととして考えていきたい」と語りました。

第2次大戦中、国家が組織的に性奴隷制度をつくったのは、大日本帝国とナチス・ドイツ

2013-08-23 | 投稿
橋下氏、開き直り書簡  「慰安婦」 米市議会の非難決議に



 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は22日、日本軍「慰安婦」をめぐる自らの発言について米サンフランシスコ市議会が6月に採択した非難決議が「“誤報”による誤解や事実誤認に基づいている」などとして同市議会に撤回を求める公開書簡を送ったことを明らかにしました。

 橋下氏は、市役所での会見で「世界では戦地・紛争地における女性への人権蹂躙(じゅうりん)行為はいまだおさまる気配はない。これは(こうした問題が)日本だけの問題ではなく世界各国に共通する問題だという認識が乏しいからだ。世界各国が日本だけの問題として誇張した非難をしていくことは世界のためにならない」などと発言しました。

 第2次大戦中、国家が組織的に性奴隷制度をつくったのは、大日本帝国とナチス・ドイツしかありません。橋下氏の発言は、戦時性暴力を根絶していくためにこそ世界が「慰安婦」問題の未解決を問題にしている現状からも目をそらすものです。

清水寺・2008年度から18年度にかけて境内の建造物9棟を修理する。

2013-08-22 | 投稿

清水の舞台、足元をリフォーム 「根継」作業公開



 京都市東山区の清水寺で22日、修理を進めている本堂(国宝)の「清水の舞台」で、腐食した柱の部材を交換する「根継(ねつぎ)」作業が公開された。対象となる柱9本に手が入るのは本堂の再建以来約380年ぶりで、9月中にも交換を終える。

 足場が組まれた舞台の下では現在、9本のうち2本目の柱の修理が進んでいる。根元の傷んだ部分は約60センチ分切り取られて宙に浮いている状態で、担当者はこの日、補足する新しいケヤキ部材に、継ぐための穴を開ける作業に取り組んでいた。

 1633年再建の「清水の舞台」を支える柱は78本ある。明治30年代に大規模な修理があり、多くの柱の根継や交換を行った。今回はその際に交換していないもののうち、状態の悪い柱を直す。

 清水寺では、京都府教育委員会が2008年度から18年度にかけて境内の建造物9棟を修理する。「柱の根継を終えたら、舞台下に地盤補強の杭(くい)を打ち込む作業にとりかかりたい」(文化財保護課)としている。

どうなるエジプト!全斗煥大統領当時の韓国に にているのでは?

2013-08-20 | 投稿
全国民が政治参加を  エジプト国防相 “同胞団含む”



 【カイロ=小泉大介】

 エジプトで治安部隊とモルシ前大統領の復職を求めるイスラム主義組織・ムスリム同胞団との激しい衝突が続くなか、軍トップのシシ国防相(第1副首相兼任)は18日、同胞団を含む全国民が今後の政治プロセスに加わるよう訴えました。同日には緊急閣議も招集されて今後の治安対策について協議が行われており、今後の状況改善につながるか注目されます。

 シシ国防相はテレビ放映された演説で、「われわれは国家の破壊に直面するなかで沈黙を守ることはない」と述べ、あらためて暴力に訴える同胞団員は徹底して鎮圧する姿勢を示しました。同時に、「すべての国民に機会はある」とし、一般の同胞団員の政治参加を求める立場も表明しました。

 ロイター通信によると、18日の閣議ではエルディン副首相が、14日に発令された非常事態令を早期に解除し、全国民の政治参加を保証する対策を行うよう求めたもようです。前日にはベブラウィ首相が同胞団に対する解散命令の実施を提案するなど閣内には強硬論もあり、協議は4時間に及びました。

 また、ファハミ外相は18日の会見で、「治安上の困難にもかかわらず、エジプトは民主主義に向けた平和的な道を歩みつづける」と述べるとともに、軍によるモルシ前大統領解任(7月3日)をもたらした6月30日の大規模デモ以降の衝突に関する調査委員会を政府として設置する意向を示しました。

 一方、ムスリム同胞団は18日、全土で大規模なデモを実施する予定でしたが、首都カイロでは一部のデモが「安全上の理由」により急きょ取りやめとなりました。治安当局の強硬姿勢や国民のなかでの反同胞団世論の高まりを前に、同団が態度を軟化させ始めている可能性もあります。

 エジプトでは治安当局がムスリム同胞団のカイロでの座り込みを強制排除(14日)して以降、18日までの衝突による死者は治安部隊70人を含む830人に達しています。

中国・韓国・朝鮮・ベトナム・アジア諸国のことをよくしり、アジアの平和に尽くすことが大切!

2013-08-03 | 投稿
ベトナム政治局員と志位委員長が会談



日本共産党の志位和夫委員長は2日、越日友好議員連盟会長として来日中のベトナム共産党のトー・フイ・ルア政治局員・組織委員長の訪問を受け、党本部で会談しました。

 ルア氏は、「参院選での躍進をお祝いします」とのグエン・フー・チョン書記長からのあいさつを伝え、「日本国民の党への信頼の表れだと思います。次の選挙ではいっそうの前進を」と述べました。

 同氏は、両党関係が多面的に発展していると喜びながら、市場経済を通じ社会主義をめざすベトナムのドイモイに触れ、「発達した資本主義国で活動する日本共産党との交流は重要です」と述べました。

 志位氏は、参院選についてのチョン書記長の祝辞に感謝するとともに、「この勝利を一過性のものとせず、持続的な前進につなげるのが新しい課題です」と表明。両党の協力・交流が、核兵器廃絶など平和の分野をはじめ、さらに発展するよう希望すると語りました。また、ドイモイについて、資本主義の害悪にも適切に対応しながら成功を収めるよう願っていると述べました。

 懇談には山下芳生書記局長代行、小池晃副委員長の両参院議員、笠井亮衆院議員、紙智子参院議員、田川実書記局員、ベトナム側からブイ・バン・ナム・ニンビン省党書記、チャン・バン・トゥイ・バクニン省党書記、グエン・バン・フック国会経済委員会副委員長、ドアン・スアン・フン駐日大使らが同席しました。