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日本文化のルーツにせまる!陵山里古墳群は昨年7月、百済歴史遺跡区としてユネスコ世界文化遺産に登載。

2016-09-21 | 日朝韓友好親善のために
扶余陵山里古墳群で百済王陵級と推定される墓を発掘

登録 : 2016.09.20 22:24 修正 : 2016.09.21 06:24


記録にのみ残っていた古墳4基と新たな古墳3基を確認 
6~7世紀、百済王陵古墳の築造法あらわる


露出した8号墳の石室部分と封墳。石室部分と入口を塞いだ衍門の姿が鮮明な形で出土した=韓国伝統文化大考古学研究所提供//ハンギョレ新聞社

 百済の古都である忠清南道扶余(プヨ)の陵山里(ヌンサンリ)古墳群(史跡14号)西側の丘から日帝強制占領期間(日本の植民地時代)の記録のみが残っていた百済時代の王陵級古墳の実体が大量に出土した。

 文化財庁と扶余郡は、韓国伝統文化大考古学研究所の調査チームが扶余邑陵山里山36-14番地一帯の西古墳群を試掘および発掘調査した結果、日帝強制占領期間の記録にのみ残っていた百済後期の王陵級古墳4基の実体を確認し、存在が知られていなかった古墳3基も新たに追加発掘したと20日発表した。陵山里古墳群は、日帝強制占領期間に日本の学者によって3回にわたり発掘調査が行われたが、解放後に韓国国内の学者が学術発掘調査を行ったのは今回が事実上初めてだ。

 確認された4基の王陵級古墳は、学界で陵山里西古墳群7号墳、8号墳、9号墳、10号墳と呼ばれていた墓だ。これまで正確な墓の位置が把握されていなかったが、試掘調査を通じて各墓に王陵級の封墳囲郭を保護するための護石列の輪郭があらわれ、明確な位置が分かった。この墓は日帝強制占領期間に略式調査されたことが分かっている。1917年日本の学者による発掘調査結果報告書「大正6年度古蹟調査報告・1920)」によれば、陵山里王陵群の西側に王陵に次ぐ古墳4基があるという記録が伝えられている。しかし当時、封墳内を掘りまともな掘削調査が行われたのは、石室平面図が残っている9号墳と人骨と木棺片が出てきた10号墳だけで、この2基を含む西古墳群の墓の正確な位置や分布状況は把握されていなかった。

 調査内容によれば、最も注目される成果は調査団が本格的な発掘調査を行った8号墳と10号墳だ。二つの古墳は直径が15~20メートル程度の横穴式石室墳構造だ。今回の発掘で石室の外部の姿と入口を閉ざした衍門、羨道の仕組みと封墳内部の積まれた断面が鮮明に出土した。

 内部の遺物は盗掘と日帝強制占領期間の発掘によってほとんど消えたと見られる。だが、二つの墓の羨道(古墳入口から遺体を安置した墓室に達する道)を塞いだ石の門(衍門)の外側の床には漆と共に金でメッキされた木棺破片と金銅製の釘などの遺物が少量発見された。特に木棺に使われた木が、高級木材のコウヤマキと確認された点が目を引く。コウヤマキで木棺を作った事例は公州の武寧王陵などの百済王陵でたびたび見られる。今回調査された古墳2基が百済王陵級の古墳であると判断する主な根拠になったとのことが調査団側の説明だ。

 もう一つ特記すべきことは、二つの墓から封墳の形と護石、墓壙、石室など造成当時の原型が最も完全に出土したという事実だ。調査団長のソ・ヒョンスク韓国伝統文化大教授は「遺物は少ないものの、6~7世紀の百済時代王陵級古墳の規模と築造・造成技法を断面を通じて具体的に見せる唯一の遺跡なので考古歴史的な価値は非常に大きい」と評価した。

 百済後期の王家の専用墓地と推定されてきた陵山里古墳群は、日帝強制占領期間に3回(1915年、1917年、1937年)調査が行われ、古墳15基が確認された。その後60年代に封墳を整備して古墳2基が追加で出土し、現在までに計17基の古墳の存在が把握されていた。今回の調査を通じて新たに古墳3基が追加で確認され、位置が不明確だった王陵級古墳の実体まで把握され、陵山里古墳群の領域や性格について学界で活発な議論が起きるものと見られる。陵山里古墳群は昨年7月、百済歴史遺跡区としてユネスコ世界文化遺産に登載された。


8号墳の石室入口を塞いだ衍門。残念ながら内部は盗掘されたと見られる=韓国伝統文化大考古学研究所提供//ハンギョレ新聞社


10号墳の羨道部分と石室内部を塞いだ衍門施設=韓国伝統文化大考古学研究所提供//ハンギョレ新聞社


上空から見た陵山里古墳群。下側に突出した森の中央の黄金色の土が見える部分が8,10号墳の発掘地点だ。森の右側の芝生土の墓が史跡指定された既存の陵山里古墳群。森の左側の白く大きな建物跡は1993年に金銅大香炉が出土した陵寺跡だ=韓国伝統文化大考古学研究所提供//ハンギョレ新聞社


内視鏡で確認した8号墳玄室内. 遺物はほとんど失われていた==韓国伝統文化大考古学研究所提供//ハンギョレ新聞社

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

強制併合の直後の満州・沿海州の抗日運動史料、1919年の北間島領事分館の外務省報告

2016-09-16 | 日朝韓友好親善のために
明東学校を監視した100年前の日帝機密文書発掘

登録 : 2016.08.16 09:04 修正 : 2016.08.16 13:45


金躍淵記念事業会のキム・ジェホン事務総長が公開
1912年の憲兵司令部「在外不良鮮人言動」
強制併合の直後の満州・沿海州の抗日運動史料
1919年の北間島領事分館の外務省報告
尹東柱・宋夢奎の親など明東学校教師として確認

1912年11月、朝鮮駐在憲兵隊司令部で作成した報告書「在外不良鮮人言動」の表紙//ハンギョレ新聞社

 映画「東柱」で、尹東柱(ユンドンジュ)や宋夢奎(ソンモンギュ)が生まれ育った明東村など北間(ブクカンド)と沿海州一帯の韓人共同体を、日帝が朝鮮支配初期から「不良鮮人本拠地」として集中的に監視した事実が確認できる秘密文書が100年ぶりに公開された。

 圭巌・金躍淵(キムヤクヨン)記念事業会のキム・ジェホン事務総長は15日の光復節を迎え、1912年11月に朝鮮駐在憲兵司令部、1919年6月に北間島頭道溝(トゥドグ)の日本領事館分館で、本国外務大臣に送った「機密公信」を発掘しハンギョレに知らせた。

 明治天皇の子で裕仁(ひろひと)の父の嘉仁(よしひと)が王位を継承した大正元年(1912年)11月の朝鮮駐在憲兵司令部の「在外不良鮮人言動」によると、強制併合された朝鮮本土とは違って民族精神教育と独立運動の勢いを衰えていない北間島の韓人たちの活躍ぶりを逆説的に確認できる。

「機密公信21号」の目次。露領(ウラジオストク一帯)、豆満江(北間島)、鴨緑江(西間島)、ハルビンから奉天(瀋陽)方面、米国地方に分け朝鮮人の抗日独立運動の動向を詳細に整理していた//ハンギョレ新聞社

 北間島キリスト教民族運動史が専門のソ・グェンイル韓神大教授(国史学科)は「文書の目次を見ただけで、露領(ウラジオストク一帯)、図們江(北間島)、鴨緑江(西間島)、ハルビン~奉天(瀋陽)方面、米国地方まで網羅されており、当時、朝鮮本土以外に広まっていた韓人共同体の国権回復と抗日闘争運動の様相を広範囲かつ総体的に表している」と史料価値を高く評価した。例えば、日付別に整理された文書には、浦潮(沿海州)で韓人らが真っ先に定着したゲチョン里で朝鮮人70人余りが決死隊を組織し、日本帝国の朝鮮侵奪を糾弾する檄文5千枚を配布して日本人に投石をしたという「報告」がされている。また、韓人学校で演説会を開き、異国の地で不幸にも病死した李儁(イジュン)烈士の妻や家族を助けると話され、安重根(アンジュングン)義士の殉国1周忌を迎え、義士の家族を助けるとする演説会が開かれたという記録もある。

1919年6月、北間島頭道溝の日本領事館分館から本国外務大臣内田康哉に送った「機密公信21号」//ハンギョレ新聞社

 ソ教授は「米国で結成された大韓人国民会議の安昌浩(アンチャンホ)、鄭在寬(チョンジェグァン)らがロシア領に来て黄公達(ファンゴンダル)や崔寬屹(チェグァンフル)らと会ってキリスト教信者中心の国権回復運動を議論する内容などは、キリスト教と独立運動の関係を究明するうえで貴重な手がかりとみられる」とキリスト教民族運動史の観点から新たなアプローチが必要かもしれないと指摘した。

 また他の文書は、1919年6月に日本の頭道溝領事館分館の主任・諏訪光瓊が外務大臣子爵の内田康哉に送ったもので、「朝鮮独立運動ニ関スル情報送付件、本件ニ関スル情報中ノ重ナルモノ別紙写ノ通リ一括御参考迄ニ差進矣間御査閲相成度」と書かれている。さらにこの公信の写本には、鈴木領事と木島主任に先に送付したと明らかにしている。

在外不良鮮人言動に載る1919年現在の明東学校職員名簿。詩人尹東柱の父ユン・ヨンソクは会計と教師、宋夢奎の父ソン・チャンヒも教師と記されている//ハンギョレ新聞社

 この文書には特に明東村にあった明東学校の初期の教師陣と第1~5回の主要卒業生のリストと動向を具体的に明らかにしている。1919年の明東中学校の現役職員のリストを見ると、校長・金躍淵、校監・崔ジェ鶴(チェジェハク)、学監・朴景チョル(パクキョンチョル)、総務・朴光ソプ(パクグァンソプ)、会計・尹永錫(ユンヨンソク)、教師にキム・ヨンオン、朴・景チョル、崔ジェ鶴、イ・ギュシク、ヨ・ボンガプ、ヨ・ボンウン、チェ・シンハク、ユン・ヨンソク、ソンチャンヒ、ラ・ホンなどとなっている。また「明洞イエス協学校同窓録」という題名で第1~5回小学校と中学校卒業生の一部の名前はもちろん、年齢、出身地、卒業後の活動まで一目瞭然に整理されている。

 キム・ジェホン事務総長は「これまで初期の明東学校の教師と生徒名簿は、生存者らの口述や証言に依存して部分的に把握されていたにすぎなかったが、日帝の監視記録のおかげで正確に確認できるようになった」と説明した。

 たとえば詩人の尹東柱の父ユン・ヨンソクと文益煥(ムンイクファン)牧師の父ムン・ジェリンが中学校の第2回卒業同期だと明らかになっており、ユン・ヨンソクは卒業後に会計として学校で勤務しており、ムン・ジェリンは北京留学をしたという事実が分かる。また、宋夢奎の父ソン・チャンヒをはじめ、イ・ドンフィの娘イ・ウィスンも女学校教師の名簿に載っている。今までイ・ボンウンとされていた「東亜日報」記者出身教師はウ・ボンウンであることが確認された。

 ソ・グェンイル教授は「卒業生の出身地を見ると、北間島4県の和竜県、延吉県、琿春県、汪清県地域だけでなく、国内の咸境北道鍾城、会寧、穏城、羅南、吉州、慶興、慶源、清津と忠清南道舒川からも留学にきており、ロシア領の秋風、水靑、海参威地域の出身もいる」と明東学校が当時の先進教育機関として早くから名声と信望を得ていたことが分かると語った。また、日帝の文書はムン・ジェリンをはじめ、キム・ソククァン、ムン・ソンリン、キム・ジョンフンなど北京留学生らが戻ってきて北間島地域の民族教育運動と青年運動の先頭に立った事実も確認される。

 明東村は漢学者の金躍淵先生が1899年に咸鏡北道会寧からムン・ビョンギュ、キム・ハギュ、ナム・ジョンギュなど4家門142人とともに豆満江を渡って北間島和竜県ジシン郷に開拓した村だ。1908年に明洞書塾として発足した明洞学校は、翌年に明東中学校となり、1911年に明東女子学校が増設され、25年間で1200人の人材を輩出して間島独立運動の拠点になった。

明東村の設立者、金躍淵先生のひ孫に当たるキム・ジェホン圭巌記念事業会事務総長//ハンギョレ新聞社

 金躍淵先生のひ孫にあたるキム氏は、航空業界に従事したため30年間、米国、カナダ、日本など世界各国を回りながら明東村だけでなく北間島や沿海州付近の韓国人独立運動資料を収集してきた。これをもとに記念事業会は報勲処とともに満州抗日運動資料集20冊の編纂作業を進めている。

キム氏は「編纂作業のために植民地支配下の陸海空軍のマイクロフィルム文書などを確保する過程で、今回の外務省秘密文書を発掘した」と話した。

キム・ギョンエ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

軍隊や警察、自警団によって罪もない朝鮮人6000人以上、中国人700人以上が虐殺されました。

2016-09-02 | 日朝韓友好親善のために
関東大震災 朝鮮人犠牲者を追悼
過去の過ち、忘れぬ誓い




(写真)金順子(キム・スンジャ)さんの追悼の舞=1日、東京都墨田区

 関東大震災93周年朝鮮人犠牲者追悼式典が1日、東京都墨田区で開かれました。主催は、9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼実行委員会。約200人が参加しました。

 関東大震災のとき、「朝鮮人が井戸に毒を流した」などの流言が発生。軍隊や警察、自警団によって罪もない朝鮮人6000人以上、中国人700人以上が虐殺されました。式典は、犠牲者の追悼と、アジアの平和と安定に寄与することを願い、毎年9月1日に開催されています。

 日朝協会東京都連合会の吉田博徳会長は開会あいさつで、「関東大震災時に発生した虐殺事件は、歴史研究によって確定されている事実である。この事件を永久に忘れないために、二度と起こさないために活動を続けてきた」と話しました。

 日本共産党の、あぜ上三和子都議も参加しました。「過去の歴史と正面から向き合い、過去の過ちを認めて反省し、未来への教訓としていく。その国際公約ともいえる日本国憲法を守り、生かしていくことこそ現在の日本に強く求められていると考える」と追悼の辞を述べました。

 式典に参加した女性(30)=東京都新宿区=は「関東大震災のことは知っていても、虐殺のことを多くの国民が知らない。もっと多くの人に広めていく必要がある。過去の歴史事実を認めてほしい」と話していました。

防衛大臣の稲田朋美氏:この方 に重要な日本の防衛問題を任せてよいものかと大変心配。

2016-09-01 | 日朝韓友好親善のために
「8月24日(水)午前、日朝協会・石橋会長と宮垣事務局長が、外務省アジア大洋州局・北東アジア課の北朝鮮担当事務官・徳屋友基子さんとお会いし別掲の要請書を渡し、親しく懇談しました。懇談の中では、北朝鮮とのパイプを太くしていくことが大切、との認識で一致しました。」

                                                      2016年8月24日
内閣総理大臣 安倍晋三 殿
                                                      日朝協会会長
                                                      石橋正夫

新内閣の発足にあたり
北東アジアの平和構築を推進するための要請書


 8月3日、第3次安倍内閣(第2次 改造)が成立しました。

日朝協会は、安倍内閣が進めてこられた今日までの東アジア外交をふり返りながら、新しい各大臣の経歴を見させていただき、近隣諸国と友好親善を進められ

るのか大変心配しています。

この間日本では、国民的な反対運動を押し切って安保法制=戦争法が施行されました。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、38度線の休戦ラインを平和ラ

インにするために、アメリカは話し合いに応じてほしいと繰り返し「ミサイル」発射や核実験の予告が行われ、解決の道筋が混沌としています。韓国では、中

国やロシアなどの大きな反対にもかかわらず、アメリカの執拗な圧力によってTHAAD(弾道弾迎撃ミサイルシステム)の配備が強行されました。

このような中で新内閣は北東アジアの平和構築を推進するために軍事優先ではなく、どのようなイニシャティヴを発揮するのか国民は関心を持ってみていま

す。中国からは新内閣・閣僚に対して大きな危惧の念が伝えられています。

その中でも特に防衛大臣の稲田朋美氏は、衆議院議員になって以来、終戦の日(8月15日)とサンフランシスコ講和条約発効の日(4月28日)に、昨年まで毎

年、靖国神社を参拝し、また、全世界の核兵器廃絶の世論に背を向け、「日本独自の核保有を、単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき」と述

べていることは、近隣諸国への配慮に欠ける態度であり「非核三原則」の国是にも反する考えは閣僚としての資質にもとる言動だと指摘され、国内でもこの方

に重要な日本の防衛問題を任せてよいものかと大変心配されています。

私たち日朝協会は、1910年「韓国併合」から1945年8月敗戦に至る日本の朝鮮植民地支配・アジア太平洋地域への侵略戦争への責任を踏まえ必要な賠償などの

事項の解決と日朝国交正常化、拉致問題の「解決」、六者協議(6カ国協議)の再開など、北東アジアの平和構築を推進するために、貴殿及び新内閣が、近隣

諸国から信頼される積極的な施策を講じられることを心から要請します。


植民地時代を経て、日本社会に根を下ろして生きてきた朝鮮人の多数は、そのまま日本に居残ることに。

2016-08-13 | 日朝韓友好親善のために
[書評]100年の歴史で“主体”となる在日朝鮮人

登録 : 2016.08.12 08:27 修正 : 2016.08.12 08:31


『在日朝鮮人ー歴史、その先の歴史』 
水野直樹・文京洙著、ハン・スンドン訳/三千里
大阪の焼肉屋でのプロレスラーの力道山(右から3人目)。17歳で日本に渡り1950年に日本国籍を取得した力道山は、戦後、日本経済復興期に日本人の英雄として象徴的な存在となった=在日韓人歴史資料館提供//ハンギョレ新聞社
19世紀以降の在日朝鮮人史
近現代史の専門家が再照明

1945年まで強制徴用67万人
解放後は同化しなければ排除

被害者としてより主体として注目
「反動状況正すため執筆」

 日本帝国主義に敗戦となった1945年8月時点、日本には200万~210万人ほどの朝鮮人が住んでいたものと推定される。ほとんどが朝鮮に帰る考えでいたが、うまく状況は進まなかった。朝鮮半島はすでに米ソの覇権争いの舞台となり、左右分裂など混乱がピークに達していた。在日朝鮮人に対する米国占領軍(GHQ)の政策は「計画送還」、ただ単に「帰還を奨励し援助するのがすべて」だった。それさえも帰還者が持参できるお金は1000円、動産は250ポンドに制限された。その結果、計画送還を通じた帰還者は8万3000人余りに止まった。植民地時代を経て、日本社会に根を下ろして生きてきた朝鮮人の多数は、そのまま日本に居残ることになった。

『在日朝鮮人ー歴史、その先の歴史』水野直樹・文京洙著、ハン・スンドン訳/三千里//ハンギョレ新聞社

 近現代史専門家の水野直樹・元京都大教授と文京洙(ムンギョンス)立命館大教授の共著となる『在日朝鮮人』は、在日朝鮮人の歴史を総体的かつ簡潔に記述した本だ。在日朝鮮人を「明治時代以来、朝鮮半島から日本に渡り、一定期間居住することになった人たち」とみれば、その歴史は100年以上になる。

 明治維新後に土木工事などが増え、朝鮮人労働者らが日本に渡り始め、1910年の韓日強制併合以降はその規模が大きく増えた。植民地経済の崩壊が主な背景だった。彼らは日本で主にきつくて、汚くて、危険な労働を引き受け、集団居住して朝鮮人のアイデンティティを維持した。同じ「帝国臣民」だが、日帝当局は日本人の戸籍と朝鮮人の戸籍を分離して管理した。「特高警察」の監視対象に「朝鮮人として排日思想を持つ者」が含まれるなど、朝鮮人は常に監視と警戒の対象だった。日帝当局は「協和会」を作り朝鮮人の日常生活を統制し、朝鮮語を使うことができないようにするなど日本化を強制した。戦時中は強制徴用や強制労働で在日朝鮮人の規模は急増した。1945年まで動員を通じて日本に来た朝鮮人は67万人程度と推定される。サハリン(1万6000人)、南洋群島(6000人)にも強制動員された。彼らは炭鉱、鉱山など危険な労働現場に閉じ込められ、職場を移すことも、家族に送金することもできなかった。

日帝の強制動員で炭坑に入る前に精神訓話を聞いている朝鮮人労働者たち=三千里提供//ハンギョレ新聞社

 解放直後は、在日朝鮮人が経ねばならない重要な歴史的ターニングポイントの一つだった。計画送還が終わった1946年12月、占領軍は「日本に引き続き居住する在日朝鮮人は日本の全ての国内法や規則に従わなければならない」と明らかにした。在日朝鮮人を法形式上の「日本国民」として、日本の司法的統制下にあると規定したのである。しかし、日本政府は1945年に選挙法を改正し、日本の戸籍を持たない旧植民地出身者の参政権を停止させた。1947年5月に制定された「外国人登録令」は在日朝鮮人を強制退去すらできる外国人管理対象に含ませた。朝鮮戦争最中の1952年4月には、法務省民事局「通達」の形で、旧植民地出身者の日本国籍を一律的に剥奪すると発表した。これに対し著者らは「参政権停止と外登令制定は戦後の新たな国民形成過程で『国民』の意義を縮小し、在日朝鮮人を民主主義や人権といった価値が及ばない死角地帯に追い出した」と指摘する。日本社会で生きていても、日本社会に完全に同化できないと外国人として差別と排除を経験しなければならない矛盾する体制ができあがる。この同化主義は、「在日韓国人は日本人に同化する運命」(1964~66年外務部長官の李東元)と表現した政府の「棄民政策」(在日同胞を捨てる政策)と対を成す。

日本の敗戦後の1945年10月、府中刑務所から出獄して歓迎を受ける金天海(左)。この時、大物の日本人共産主義者らが一緒に釈放されるが、出迎えに現れた700人余りはほとんど朝鮮人だった=在日韓人歴史資料館提供//ハンギョレ新聞社

 しかし、100年の歴史の中で在日朝鮮人が常に外部の不可抗力に巻き込まれてこなかったわけではない。彼らが主体的に行った活動に注目したのは、この本の最も大きな特徴だ。日帝強制占領期にも朝鮮人は自分らの権益を守るための戦いに常に積極的で、終戦後に在日本朝鮮人連盟(朝連)を作り日本共産党と連帯し、政治的主体として浮上した。朝連最高顧問だった金天海は日本共産党中央委員の7人に含まる。ただ、世界的冷戦と南北が分断された祖国の現実の中で、国民と民族を絶対基準にした在日朝鮮人運動も分裂と葛藤を経験するしかなかった。

 著者はこの中で起きた新しい変化にも注目した。1970年に19歳の青年が在日朝鮮人という理由で自分の採用を取り消した日立を相手取り訴訟を起こした。在日朝鮮人に対する差別を露呈したこの戦いを応援したのは、国籍や民族を掲げる既存の政治組織ではなく、いわゆる市民運動の勢力だった。朝鮮人集団居住地域が多い川崎では地方公務員の国籍を制限する条項を撤廃するなど、在日朝鮮人関連問題を「住民」または「市民」の観点で見ようとする動きが現れ、それが全国に広がった。日本社会が多民族社会へと変化しながら、在日朝鮮人運動でも過去の南北イデオロギーや日本居住の履歴などから脱し、「日本社会での参加や責任を自覚して地域の住民と共生・共存する原則」が新たに作られているという。

1949年9月、日本の武装警察隊が在日本朝鮮人連盟(朝連)中央総本部を取り囲んでいる。終戦後に米国占領軍と日本当局は在日朝鮮人の政治的動きを極度に警戒し、1949年9月に朝連を解体させた=三千里提供//ハンギョレ新聞社

 問題は最悪の状況に進んでいる韓日関係だ。競争するように右傾化する両国の政権は「国家を超えた新たな東アジア」からますます遠ざかろうとしている。インターネットでは民族感情をあからさまにしたた差別的発言が蔓延り、ついに街で「殺せ」と叫ぶ声まで出ている。著者は「最近の反動とまでいえるこのような状況は、日本社会が在日朝鮮人を理解し認識する水準がどれほど薄っぺらなものか教えてくれる」。これを正すためこの本を書いたと明らかにした。在日朝鮮人についてどれほど知っているのか自問することになる。

チェ・ウォンヒョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

浮島丸が沈没して71年、今年も現場である舞鶴・下佐波賀の殉難者像前で8月24日の11時から・・

2016-07-29 | 日朝韓友好親善のために
戦後71年、祐天寺の朝鮮人遺骨を返還せよ/李一満
強制連行被害者遺族の入国阻む日本政府


1945年8月22日、青森の下北半島大湊港から数千名の朝鮮人を乗せ釜山港に向けて出港した浮島丸(4730トン、定員:841名)が、24日17時20分ごろ舞鶴湾に入り下佐波賀の300m沖で沈没した。

浮島丸が沈没して71年、今年も現場である舞鶴・下佐波賀の殉難者像前で8月24日の正午から、犠牲者の遺骨がある東京・祐天寺では、同日午後6時から「第28回朝鮮人戦争犠牲者追悼会」が開かれる。
   
強制連行被害者遺族の金元鏡さん(平壌で)
「浮島丸事件」に高い関心

昨年末に解散した韓国の「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会」が受け付けた、遺骨に関する真相調査申請は7件だった。6件については報告書を出したが、浮島丸沈没事件は報告書を出せなかった。活動結果報告書は①日本政府の資料の信頼性が疑われるが、正確な乗船者数と死亡者数は分らない、②爆発原因も、決定的な根拠がない現時点では結論を出せない、と結んでいる(59ページ)。

沈没して71年、浮島丸の針路変更の理由と沈没原因、乗船者数と死亡者数は今もって闇の中である。

針路変更の理由の一つは飲料水の補給、今一つは米占領軍が「8月24日午後6時以降は大型(100トン以上)船舶の日本領海航行禁止令を出した」というもの。

沈没原因も、米軍が敷設した機雷に触れて爆発・沈没したという触雷説と日本海軍部による自爆説の2説があるが、触雷説は説得力に欠ける。

それは①機雷に触れたのであれば、爆発音が鳴り水柱が立ち上がる。爆発音が3回鳴ったが水柱は立ち上がらなかった、②機雷に触れたのであれば、船の外側から内側に穴が開くが、穴は外側に空いていた、からである。

舞鶴湾に入るとき海軍の軍人たちがボートに乗って逃げるのを見た、船が湾に入るとき「掃海完了」という信号を受けて入港した、大量の弾薬とコードが船底に積まれていた、という証言もある。

浮島丸事件は朝鮮新報が1965年9月24日に報道したのを皮切りに、NHKが77年8月13日にドキュメンタリー「爆沈」(45分)を、浮島丸殉難者追慕銅像の除幕式(78年8月24日)を挟んで96年8月にはKBSがドキュメンタリー「浮島丸事件」を放映した。裁判は京都地方裁判所に提訴(92年8月25日)後、第1審(京都地裁)は部分勝訴、第2審(大阪高裁)は敗訴、第3審(最高裁)は完全敗訴した。95年8月には「浮島丸爆沈事件50周年平壌国際討論会」が、2015年8月には「浮島丸爆沈事件70周年平壌討論会」が開かれた。

映画は日本で「エイジアン ブルー」が、朝鮮で「生ける霊魂たち」が、南ではミュ―ジカル「浮島丸爆沈事件」が上演され、歌曲・演劇・マンガも多数ある。
勝手に靖国神社に合祀

東京朝鮮人強制連行真相調査団(以下、東京真相調査団)は、結成当初から祐天寺の遺骨問題について深い関心を払ってきた。

2004年12月11日、日本では解放後初となる南北合同追悼会を祐天寺で、12日には「祐天寺の遺骨から、平和と人権を考える」をテーマに、シンポジウムを日本教育会館で開いた。
  
 祐天寺の写真は、日朝協会提供

翌13日、入国できなかった金勇虎氏と金元鏡氏の委任状を持って厚労省に行き金(山)龍均氏と金(城)正表氏の関係書類を受け取った。金(山)龍均氏は旧日本海軍・軍属として連行され1944年9月19日にタラワ島で、金(城)正表氏は旧日本陸軍・軍属として連行され44年12月31日にセレベス島で死亡、と書かれていた。遺骨欄は「無」と記載されていた。一昨日、祐天寺で見た「遺骨のようなもの」は遺骨でもなんでもなかったのである。

もっと驚いたのは「靖国神社 (昭和)34.7.31 合祀手続 済」という丸いゴム印と、「34.10.17 靖国神社 合祀 済」と書かれた金(山)龍均氏の書類である。(注:昭和34年=1959年)

日本政府は名簿と書類を作成・保管しながらも半世紀以上、朝鮮に引き渡さなかったばかりか遺族にも遺骨が祐天寺にあることを知らせなかったのである。遺族に知らせず遺族の承諾もなしに勝手に靖国神社に合祀! 天をも恐れぬ所業である。

金勇虎氏のオモニは生前、夫の帰国を固く信じ祭祀をしなかったという。金勇虎氏は祐天寺でアボジの「遺骨のようなもの」すら確認できず、「アボジの遺骨を自分の墓に入れてほしい」と言ったオモニの遺言も果たせず、靖国神社に合祀されたアボジの名を外せないまま、2010年12月、ハン(恨)多い73歳の生涯を閉じられた。現在、靖国神社には2万1千181名の朝鮮人が「創氏名」で合祀されている。

08年1月現在、祐天寺には1125体の遺骨があったが、4回(08年1月~10年5月)にかけて無縁仏219体を含む423体が南に返還された。16年7月現在、祐天寺にある700体の朝鮮人遺骨中、425体(61%)は朝鮮出身者、275体(39%)は南の浮島丸事件関係者である。北出身者425体中5体は浮島丸事件、4体がB・C級「戦犯」刑死者である。

    
    祐天寺の写真は、日朝協会提供

(注:朝鮮人B・C級「戦犯」は148名、刑死者は23名。泰緬鉄道第5分所の監視員時代が罪に問われ1947年2月25日、シンガポールのチャンギ刑務所で絞首刑(26歳)に処された趙文相(平原守矩)氏は黄海道開城出身である。内海愛子「金はなぜ処刑されたのか」-朝鮮人B・C級戦犯の軌跡-朝日新聞出版 08.10.25 6ページ・202~204ページ)。
過去の清算急ぐべき

東京真相調査団の今年の最重要課題は、アボジ(金正表:創氏名・金城正表)の遺骨がある祐天寺に、朝鮮の金元鏡氏(74)を含む遺族たちを招請することである。

遺骨問題は日本の朝鮮侵略と植民地支配の直接的産物である。祐天寺に遺骨がある朝鮮の遺族たちの日本入国は、ただの一人も叶っていない。日本政府の不作為は明々白々である。

祐天寺の遺骨と遺族問題は次の5点に尽きる。

日本政府は即刻、無条件で、すべての名簿と関係書類を朝鮮側に引き渡し、遺族調査を依頼し、加害国としての「遺骨返還」義務を果たすべきである。
日本政府は判明した遺族を訪ねてゆきDNA鑑定は言うまでもなく、その間の事情を説明、謝罪したうえで、遺骨を直接遺族に手渡し、補償もすべきである。
遺族が望むなら日本政府の負担で一日も早く招請し、遺族が遺骨と対面できるようにすべきである。
下佐波賀沖のヘドロの底に沈んでいる浮島丸事件犠牲者たちの遺骨を、すべて引き上げるべきである。(注:スクラップ目的で船体を引揚げ、50年は103体、54年は300余体の遺骨を収集した)
タラワ島とセレベス島を含む戦跡地現地調査と遺骨収集に共和国の遺族と関係機関を参加させるべきである。

遺骨にも人格がある。歴史は否定も修正もできないし、侵略と植民地支配には時効がない。祐天寺の遺骨は語らぬが、日本と日本人の国家モラルとプライドを問うている。日本は過去をきれいに清算することによってのみ、「国際社会で名誉ある地位を」(日本国憲法・前文)占めることができる。

「I SAW YOU. I KNOW YOU」日本の過去清算を求める国際連帯協議会 ピョンヤン・ソウル大会会場のポスター標語から。

(東京真相調査団事務局長)

ぜひ、ご参加ください!日朝友好親善のために

2016-07-09 | 日朝韓友好親善のために
〈みんなの広場〉
各地イベント案内・朝鮮新報より


最終更新2016.7.8


埼玉

★黄敬楽リサイタル~笑いとチャンダンの50年~

7月20日(水)、18時30分~(18時開場)、彩の国さいたま芸術劇場大ホール(JR「与野本町」駅西口徒歩7分)。朝鮮語の話術や民族の味(興)を後世に伝えるための舞台。恨五百年、ホルロアリラン、チャンゴ弾き語りなど。入場券=5000円(全席自由)。問い合わせ=実行委(TEL090-3317-1914)。
東京

★西東京子育て支援チャリティー公演「劇団石ひとり芝居『在日バイタルチェック』」

7月15日(金)、19時~(18時30分開場)、立川市女性総合センター1階アイムホール(JR「立川」駅北口徒歩7分)。女性同盟西東京による子育て支援チャリティー行事。チケット代=2000円(高校、大学生1000円、中学、高学年500円、低学年以下入場不可)。7月16日(土、11時30分~、西東京第1初中)には朝鮮学校生徒、学齢前幼児向けの劇団石ひとり芝居も開催(無料)。問い合わせ=事務局(TEL042-542-2566)。


★民族楽器重奏団「民楽」創立25周年記念公演

7月31日(日)、19時~(18時30分開場)、よみうり大手町ホールメインホール(都営三田線「大手町」駅C3出口徒歩1分)。1990年に康明姫氏により結成された在日コリアンの民族音楽集団による公演。洋琴独奏「アリラン」、伽耶琴二重奏「サルプリ」、合奏「豊年の喜び」など。入場料=3200円(前売り2800円、中学、高校生1500円)。問い合わせ=実行委(TEL080-3124-9806)。

★Paranse「Koreanブライダルフェア」

8月6日(土)、ヒルトン東京・菊の間(東京メトロ丸ノ内線「西新宿」駅徒歩2分)。1部:11時開場、11時30分食事、12時30分ショー、入場料=1000円(前売り)。2部:13時30分開場、14時30分ショー、無料。問い合わせ=パランセ(TEL03-3226-1110)。

★東京芸術座公演「KYOKAI心の38度線」

8月18日(木)~22日(月)、14時~、19時~(開場は30分前、初日は19時、最終日は14時のみ)、東京芸術劇場・シアターウエスト(JR「池袋」駅徒歩2分)。ヘイトスピーチを解消して互いが理解し合える社会実現のために、偏見や差別に立ち向かう在日コリアン牧師の話。チケット代(全席指定)=5500円(大学・専門学生、障がい者4000円、高校生以下3500円、団体〔10人以上〕5000円、夜間〔一般のみ〕4500円、前売り券は各500円割引き)。問い合わせ=東京芸術座(TEL03-3997-4341、FAX03-3904-0151)。
愛知

★東春初級創立70周年記念大祝典

9月25日(日)、14時30分~19時30分(14時開場)、東春初級。1部記念式典(14時30分~)、2部記念公演(15時15分~)、3部記念祝祭(16時30分~)、コリアングルメ屋台や大抽選会など。無料。問い合わせ=実行委(TEL0568-81-3035)。
三重

★四日市初中創立70周年記念祝祭

9月18日(日)、11時~(10時30分受付)、四日市初中。記念式典や在学生、卒業生、同胞による公演、その他にも様々なイベントが行われる。無料。問い合わせ=実行委(TEL059-331-6429)。
大阪

★ワンコリア大阪囲碁大会in2016

7月10日(日)、10時~17時30分(9時30分受付)、アルプス江坂囲碁センター(大阪市営御堂筋線「江坂」駅徒歩5分)。ハンディ戦(スイス方式)、一人四局打ち、名人戦はオール互先、時計使用。参加資格=大阪府(もしくは近畿)在住の同胞、在日コリアンと友好的な日本市民。参加費=2000円(弁当、ドリンク、懇親会費、参加賞を含む。女性、学生、子ども無料)。問い合わせ=事務局(宋TEL090-5677-1196)。

★2016年度「同胞無料法律相談」の日

7月23日(土)、9月24日(土)、11月19日(土)、時間はすべて13時~16時、大阪朝鮮会館。今年の特徴は相談内容に応じて弁護士だけではなく、司法書士、行政書士、税理士、社会保険労務士、介護福祉士などが対応。相談員はすべて同胞有資格者。相談日の3日前まで申し込み必要。問い合わせ=在日本朝鮮人大阪人権協会(TEL06-6717-5381、FAX06-6717-5382)。
福岡

★九州中高創立60周年記念祝典

10月23日(日)、10時~、九州中高。1部記念祝典、2部記念公演、3部連合同窓会と祝賀パーティー。問い合わせ=実行委(TEL093-691-4431、FAX093-691-4441)。

・各地の裁判日程

・広島「無償化」裁判第12回口頭弁論

7月13日(水)、13時30分~、広島地裁(JR「広島」駅南口徒歩19分、JR「新白島」駅徒歩15分)。

・大阪補助金裁判第20回口頭弁論

8月9日(火)、11時~、大阪地裁(京阪電鉄「なにわ橋」駅徒歩5分、京阪本線「大江橋」駅徒歩7分)。

・東京「無償化」裁判第11回口頭弁論

8月31日(水)、11時~、東京地裁(東京メトロ日比谷線「霞ヶ関」駅A1出口徒歩1分、東京メトロ有楽町線「桜田門」駅5番出口徒歩3分)。

・愛知「無償化」裁判第18回口頭弁論

9月12日(月)、14時~、名古屋地裁(市営地下鉄名城線「市役所」駅徒歩10分、市営地下鉄鶴舞線「丸の内」駅徒歩10分)。

・広島「無償化」裁判結審

9月14日(水)、13時30分~、広島地裁(JR「広島」駅南口徒歩19分、JR「新白島」駅徒歩15[]分)。

・九州「無償化」裁判第9回口頭弁論

9月29日(木)、14時00分~、福岡地裁小倉支部(JR「南小倉」駅徒歩15分、JR「西小倉」駅徒歩20分)。
・金剛山歌劇団2016公演「미래에로(明日に向かって)」上演スケジュール(上半期)

【京都】7月22日(金)、13時30分~、19時~(いずれも30分前開場)、ロームシアター京都(京都市営地下鉄東西線「東山」駅1番出口徒歩10分、京阪本線「神宮丸太町」駅2番出口徒歩13分)。

※チケット代などの問い合わせは、事務局(03-6657-5440)、または各地域の総聯本部、支部まで。
・「6.15連続講座~新たな統一時代を目指して~」

10月2日(日)までの5回講座。留学同東京と西東京が共催。参加費=500円。問い合わせ=留学同中央(TEL03-6272-6607、FAX03-6272-6601、Eメール=rht@ryuhaktong.org)。

【第3回】8月6日(土)、15時~16時45分(15分前受付)、YMCAアジア青少年センター・会議室304、305(JR「水道橋」駅東口徒歩5分)。文泰勝・朝大助教による講演「今日の朝鮮半島情勢をどう見るか」、学生のアピール。

【第4回】9月9日(金)、18時30分(15分前受付)~19時45分、北とぴあ・第1研修室(JR「王子」駅徒歩2分)。康宗憲・韓国問題研究所代表による講演「死刑台から教壇へ―自身の半生を振り返って」、学生のアピール。

【第5回】10月2日(日)、午後、場所未定。「新たな統一時代を目指して」と題して、統一について学生たちが議論する特別企画。
・公益財団法人朝鮮人奨学会2016年度奨学生募集について

応募資格

①日本の大学(短期大学も含む)の正規課程(通信課程は除く)に在籍している韓国人・朝鮮人学生のうち、2016年4月に入学した学部1年生。

※韓国人・朝鮮人学生とは、特別永住者証明書・在留カード〈または外国人登録証明書〉の国籍表示が韓国もしくは朝鮮である者。本国からの留学生を含む。

②成績が優良で学費の支弁が困難な者(高校3年次の成績評価値が5段階で原則として3.2以上であること)。

③2016年4月1日現在、満30歳未満の者。

④他の奨学金を受給していない者。ただし、貸与奨学金、本会奨学金と同額未満の給与奨学金、学内奨学金は受給していても応募できる。

⑤2016年度本会奨学金に採用された大学生(学部生・大学院生)の兄弟姉妹がいない者。

※大学2学年以上および大学院生(募集期間2016/4/1~5/2)の選考結果は7月5日までに通知予定。

奨学金金額と募集人数

奨学金金額:月額25,000円

募集人数:60名

※本会の奨学金は給付制であり、返還の義務はない。

給付期間

奨学金の給付期間は1年間(2016年4月~2017年3月)である。

※学部生の最長受給年限は4年間である。毎年応募の必要あり。

募集期間

2016年7月5日(火)~8月1日(月)(8/1消印有効)

応募方法

募集期間内(消印有効)に、本会あてに応募書類を一括して特定記録で郵送すること。

応募書類

①大学奨学生願書(大学1年生用)

②在学証明書

③学業成績証明書(高校3年次の成績がわかるもの)

④推薦書

⑤特別永住者証明書・在留カード〈または外国人登録証明書〉のコピー

⑥収入等に関する調査書

⑦返信用封筒

⑧応募書類チェックシート

選考と結果

書類審査と必要により面接審査を行う。面接審査を行う場合は別途通知する。

最終選考結果は9月中旬までに大学と応募者本人に文書で通知する。※募集要項・応募書類は本会ホームページからダウンロード可

問い合わせ=朝鮮奨学会(TEL03-3343-5757、ホームページhttp://www.korean-s-f.or.jp)

(朝鮮新報)
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請牒状

韓国観光公社はカフェ内に各種資料を置き、最新の韓国旅行情報を提供する計画だ。

2016-06-22 | 日朝韓友好親善のために
日本人観光客がまた韓国へ…観光公社が日本現地セール
2016年06月22日08時01分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

16日、大阪最大の繁華街、梅田駅周辺のカフェ。午後6時が過ぎると、退勤した会社員が一人、二人とカフェに集まってきた。簡単な食事とコーヒーや酒類が楽しめるこのカフェの今月の限定メニューはフュージョン韓国料理。プルコギピザやキムチパスタなど日本人の好みに合わせた韓国料理メニューは韓国観光公社日本地域本部が開発に参加した。

店内には韓国広報動画や韓国の音楽が流れ、日本語で書かれた韓国観光パンフレットが壁を埋めている。カフェを訪れた女性(48)は「MERS以降、韓国旅行をためらっていたが、ここで最新の旅行情報に接してまた行ってみたいと思った」と語った。

昨年韓国を訪問した日本人観光客の数は前年比19.4%減の183万8000人だった。円安とMERSの影響が大きかった。韓日間の外交葛藤が深まった2013年から日本人観光客は減少傾向に転じた。

マイナス曲線を描いていた訪問客数がまた増え始めたのは今年2月。1カ月間に14万4493人が韓国を訪問し、前年同月比1.3%増加した。その後、3月(2.5%)と4月(11.9%)にもプラス曲線を描いた。韓国観光公社側は今年韓国を訪問する日本人観光客が2014年水準(228万人)に回復すると予想した。

こうした機会を逃さないため、日本で韓国を知ってもらうための多彩な行事が開かれている。韓国観光公社は日本「トラベルカフェ」と提携し、6月の1カ月間、韓国旅行をテーマにした「みんコリ(みんなのコリア旅行)カフェ」を運営中だ。トラベルカフェは旅行をテーマに東京・大阪・名古屋など全国に25店舗を運営するカフェチェーン。韓国観光公社はカフェ内に各種資料を置き、最新の韓国旅行情報を提供する計画だ。

支店別に特定地域を集中的に広報する行事も実施する。大阪江坂店は22-25日に「大邱(テグ)ウィーク」を開く。カフェ内で大邱市関連の広報映像を上映し、観光情報パンフレットを置く。続いて27-30日には大阪梅田店で「ソウルウィーク」が開かれる。29日には旅行業界を対象にソウル観光懇談会を実施する。このほか、インターネットホームページ、ソーシャルネットワークサービス(SNS)と連係して多彩なイベントを開く計画だ。

イ・ビョンチャン韓国観光公社大阪支社長は「訪韓日本人のほとんどが個別観光客(FIT)である点を勘案し、20-30代の若者がよく利用するカフェで韓国観光広報行事をすることになった」とし「今年に入って韓国を訪れる日本人観光客がまた増え始めたのを契機に、積極的に韓国を広報していきたい」と述べた。

話し合いのテーブルにつき、平和的な解決に向けて努力することである。事務局長談話

2016-03-19 | 日朝韓友好親善のために
談話                              2016年3月16日
北朝鮮は、更なる核実験、「ミサイル」発射を自制せよ
米韓は、過去最大規模の合同軍事演習を中止せよ
議長国・中国が提唱する6カ国協議など話し合いの場で解決せよ

日朝協会事務局長 宮垣光雄


 現在、米韓の合同軍事演習「フォールイーグル」が、過去最大規模で実行されている。これには、「斬首作戦」が含まれ、これまでを超えたきわめて挑発的な「演習」である。北朝鮮はこれに反発して、1月の4回目となる核実験、2月の「ロケット」発射に続いて、更なる核実験と「ミサイル」発射を計画していると報じられている。これらは、日朝協会が先に発表した会長・代表理事声明で指摘したように、北東アジアの軍事的緊張をエスカレートさせるものに他ならない。ここに改めて、これらすべてを、即刻、中止することを求めるものである。
 今なすべきは、6カ国協議の議長国・中国が提唱するように、6カ国ないし、5カ国または当該の4カ国の枠組みでも、話し合いのテーブルにつき、平和的な解決に向けて努力することである。当該の朝米、南北間の非軍事的な話し合いが期待されていることを各国政府は銘記すべきである。

駐韓日本大使館の鈴木秀生・総括公使をソウル世宗路の外交部庁舎に呼んで抗議した。

2016-03-19 | 日朝韓友好親善のために
安倍首相の思惑通り…高校生が「独島は日本の領土」と習うことに

登録 : 2016.03.18 23:02 修正 : 2016.03.19 07:29

高校社会教科書、検定通過 
35種のうち27種に記述 
日本の文部科学省による検定を通過した高校教科書に載せられた地図で、独島が日本領土に区分されている=東京/連合ニュース

小中校に続き歴史わい曲の“完結版” 
「慰安婦」は強制性をぼかす

 来年から日本の高校生が「独島(トクト)は日本の固有領土だ。韓国が不法占拠している」との内容を含む教科書で勉強することになった。日本政府は2014年に小学校、2015年には中学校教科書にこう記述された教科書を検定通過させたが、今年の高校用教科書検定で教科書右傾化に向けた安倍政権の政策が一段落することになった。

 日本の文部科学省は18日、教科用図書検定調査審議会を開き、来年から高校1~2年生が習うことになる教科書に対する検定結果を確定して発表した。

 独島に関連する記述は、今回検定を申し込んだ35種の歴史、社会、地理など社会科科目のうち27種(77.1%)に含まれた。 すべての教科書に「独島が日本の固有領土」という表現が含まれたわけではないが、生徒たちは歴史、社会、地理の教科をそれぞれ異なる出版社の教科書を取り換えながら習うので、事実上、日本のすべての高校生が「独島は日本の領土」と書かれた教科書で勉強することになった。 これに較べて2012年に検定を通過した教科書では、39種のうち半分程度の21種(53.8%)に関連記述が含まれていた。

 日本の教科書に独島関連記述が含まれたのは、安倍晋三首相の就任後、2014年1月に学習指導要領解説書を改定し「固有の領土である北方領土(千島列島南端の4島)、独島に関し未解決の問題が残っていることを理解させる」などの内容を含ませたためだ。 日本政府はそれまではロシアとの間に領土問題がある北方領土だけを教科書に記述することにしてきたが、2012年8月の李明博(イミョンバク)前大統領の独島訪問を契機に独島も含めるよう記述方針を変えた。

 日本軍「慰安婦」や朝鮮人強制動員問題に対する記述は削除されていないが、多くの教科書で不十分な水準に留まった。 4年前には「慰安婦として連れて行かれた」(東京書籍)、「慰安婦施設で仕事をするよう強要された女性」(山川出版)など慰安婦制度の強制性を明確に認識できる表現が使われていたが、今年は「慰安婦として前線に送られた女性たちもいた」(東京書籍)のように日本政府の責任と慰安婦制度の強制性を曖昧にする表現に大きく変えられた。 実教出版など一部の進歩的出版社の教科書では、他の出版社に較べて慰安婦に関する記述が相当部分残った。

 韓国政府は外交部のチョ・ジュンヒョク報道官名義の声明を通じて「韓国固有の領土である独島に対する不当な主張を含めて歪曲された歴史観を盛り込んだ高等学校教科書を再び検定通過させたことに対し強く慨嘆し、即刻是正を要求する」と明らかにした。 しかし、日本軍「慰安婦」問題と関連した教科書叙述に対してはいかなる反応も明らかにしなかった。 この日午後、韓国外交部のチョン・ビョンウォン東北アジア局長は、駐韓日本大使館の鈴木秀生・総括公使をソウル世宗路の外交部庁舎に呼んで抗議した。

東京/キル・ユンヒョン特派員、キム・ジンチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

安倍政権が検定基準を変更し、歴史叙述を求め、韓日の間に不必要な軋轢を引き起こしている。

2016-03-19 | 日朝韓友好親善のために
日本の歴史教科書で「竹島は島根県の管轄」と明記...「強制併合は義兵が原因」と歪曲

登録 : 2016.03.19 00:52 修正 : 2016.03.19 07:27


来年から使われる高校教科書で
18日午前、ソウル鍾路区明倫洞にある「アジア平和と歴史教育連帯」の会議室で開かれた「日本の高校歴史歪曲教科書の検定通過」に対する記者会見で、アジア平和と歴史教育連帯のソ・ジュンソク常任共同代表(左から2番目)が冒頭発言を行っている。前には現在の日本の高校で使われている歴史・世界史教科書が並べられている/聯合ニュース

 

 来年から日本の高校1~2年生が学ぶ検定教科書で、独島(日本名・竹島)を日本の行政単位と表現し、日帝(日本帝国主義)の強制併合は義兵運動のためと記述されることが分かった。安倍政権が検定基準を変更し、このような歴史叙述を求めることで、韓日の間に不必要な軋轢を引き起こしていると批判する声があがっている。

 「アジア平和と歴史教育連帯」(以下、アジア歴史連帯)は18日午前、ソウル鍾路区の事務所で記者会見を開き、18日の日本の文部科学省による検定の通過が確定した高校教科書42種の分析結果を発表した。延世大学歴史文化学科のワン・ヒョンジョン教授など、アジア歴史連帯で活動する教授7人が分析を行った。

 分析結果、安倍政権が2014年1月に改訂し、今回初めて適用された中高校用「学習指導要領解説書」に合わせ、日本の独島領有権の主張を強化した記述が大幅に増えたことが分かった。以前の教科書よりも独島関連の記述が、ページ割り当てを基準に多いものでは4倍以上増えたが、特にすべての「地図」の教科書で独島を島根県管轄と表記し、「竹島(隠岐の島町)」と呼ばれる行政名称を使用している。

安倍政権発足後3年間で小中高の教科書に 
誤った領土観、歴史認識の記述が完了 

独島、地方行政単位に既成事実化 
関連記述も最大4倍以上増加し 

1909年7月、すでに韓日併合決定したにもかかわらず 
安重根の暗殺を併合理由として記述

 韓国(大韓帝国)の義兵運動などが日本の強制併合原因であるかのように記述したのも問題と指摘されている。東京書籍や第一学習など、ほとんどの『日本史A・B』と『世界史』教科書は、「高宗皇帝のハーグ密使事件と安重根の伊藤博文殺害事件、義兵運動に対応して、日本の韓国併合が行われた」というふうに記述したことが分かった。実際には、安重根事件(1909年10月26日)以前の1909年7月6日、すでに併合が決定された状態だった。アジアの歴史連帯は「日本が武力を前面に出して韓国を植民地にしようという目的を持っていたのではなく、韓国の対応が原因で、やむを得ず植民地にせざるを得なかったという論調で記述した」と指摘し「日本の強制併合の過程を一部歪曲して記述した」と話した。

 その他に日本政府は、三一運動当時、「朝鮮総督府が軍隊を動員して運動を厳しく鎮圧し、7500人の死傷者が出た」(実教出版『日本史A』)、関東大震災当時、「警察と自警団が6000人以上の朝鮮人を殺害した」という記述を、「通説的見解がない」との理由で「多くの朝鮮人が殺された」というふうに改めさせた。結局、出版社側は、三一運動当時の犠牲者の数をめぐる所説を脚注に併記する妥協を余儀なくされた。

 アジア歴史連帯は「安倍政権の教育政策は、教科書検定基準の変更と学習指導要領解説書を修正し、ほぼすべての教科書が政府公式の立場に沿って記述するようにした」とした上で、「これはアジア諸国と関連する近現代史を取り上げる際、国際的な理解と協調の見地から必要な配慮をするという1982年の『近隣諸国条項』にも反する」と批判した。

 アジア歴史連帯のアン・ビョンウ常任共同代表(韓神大学教授)は、「近いうちにシンポジウムを開催し、より細かい分析を行う予定であり、日本社会に教科書の改善を要求する作業を多方面から展開していく」と明らかにした。アジア歴史連帯は韓中日3カ国の市民社会が一緒に作る第三回目の歴史共同教材作業を今年中に開始し、3カ国の政府に提出する歴史教科書執筆勧告も作成する計画だ。

チョン・ジョンユン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

日本の「戦犯」企業を相手に起こした3件の損害賠償請求訴訟が、大法院で審議が先延ばしになっている。

2016-03-18 | 日朝韓友好親善のために
「韓日条約で個人請求権は消滅しない」とした韓国最高裁、再上告審を2年先延ばし

登録 : 2016.03.17 09:19 修正 : 2016.03.17 17:05


     
3件審議中…被害者は7人死亡
憲法裁判所が韓日請求権協定に関連する憲法訴願を却下した2015年12月23日午後、日帝強制徴用被害家族たちがソウル鍾路区斎洞の憲法裁判所前で、憲法裁の決定について記者会見を開いている=キム・ ソングァン記者//ハンギョレ新聞社
 大法院(最高裁判所)が「韓日請求権協定で個人請求権まで消滅していない」と判決を下してから2年が過ぎても、日本企業の賠償責任に対する判断を下さず、問題になっている。

 16日、法曹界の話を総合すると、日帝(日本帝国主義)強制占領期の強制徴用被害者が日本の「戦犯」企業を相手に起こした3件の損害賠償請求訴訟が、大法院で審議が先延ばしになっている。故ヨ・ウンテク氏ら強制労働者4人と故イ・ビョンモク氏ら5人が、それぞれ新日鉄住金と三菱重工業を相手に起こした損害賠償請求訴訟の再上告審は、2年7カ月間、大法院で止まったままだ。ヤン・クムドク氏など勤労挺身隊被害者5人が三菱重工業を相手に起こした訴訟の上告審も大法院で審理中だ。

 2012年5月、大法院1部(主審、キム・ヌンファン大法院判事)は「1965年の韓日請求権協定が締結されても個人の請求権は消滅しない」と強制徴用被害者が日本企業を相手に起こした損害賠償請求訴訟で、被害者勝訴の判決を下した。その後、破棄差戻し審を担当したソウル高裁と釜山(プサン)高裁で、日本企業に被害者たちへ1億ウォンの賠償を命じる判決が出された。しかし日本企業が不服として再上告し、主審判事が指定された後も、長いもので1年9カ月間、判断が出されずにいる。大法院が判断を先送りにしている間、被害者は相次いで亡くなっている。

 1億ウォンの賠償という知らせに喜んだヨ氏とともに訴訟を起こしたシン・チョンス氏は、大法院判決を待つ2013~2014年に亡くなった。三菱重工業を相手にした訴訟の場合、イ・ビョンモク氏など被害者5人がすべて亡くなっている。昨年4月には大韓弁護士協会が「韓日国交正常化50周年及び光復70周年を迎え早期の判決を求める」という意見書を裁判所に伝えた。

 大法院が個人請求権を認めた4年前の判例を覆すのではないかという懸念もある。昨年12月、憲法裁判所が韓日請求権協定の条項は違憲審判の対象でないと判断したことで、こうした懸念はさらに高まっている。ジャン・ワンイク弁護士は「大法院の判例により日本企業らの賠償責任を認めた下級審の判決が出たが、大法院がむしろ最終責任を先送りしている」と批判した。これについて大法院関係者は「検討すべきことが多い。苦心して判決を下すだろう」と明らかにした。

ヒョン・ソウン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

「歴史は事実を正確に記述することが重要で、理念に基づいて歴史を書かなくてはならない」

2016-03-15 | 日朝韓友好親善のために
<人生と追憶>
「天皇は百済の子孫」明らかにした日本古代史研究の第1人者、死去

2016年03月15日09時37分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]




百済と日本の皇室の血縁関係など韓日古代史の研究に一生を捧げた「日本古代史研究の第1人者」である京都大名誉教授の上田正昭氏が13日、亡くなった。89歳。1927年に兵庫県に生まれた上田氏は太平洋戦争中は学徒兵に動員された。東京の造船所で空襲によって友人を失った後、「天皇制とは何か」に対して深く苦悶した。京都のある神社の神職(祭事や事務などを担当する神社の責任者)を引き受けることになったのを契機に、國學院大学で天皇制の成立過程など古代史を研究し始めた。

上田氏は日本の建国神話が韓国の檀君神話の影響を受けていると主張した。「歴史は事実を正確に記述することが重要で、理念に基づいて歴史を書かなくてはならない」として日本の教科書に独島(ドクト、日本名・竹島)領有権の主張を記述することにも反対した。上田氏はまた、韓半島(朝鮮半島)から渡ってきた人々を指す「帰化人」という表現が「日本中心的だ」と指摘しながら、「渡来人」という表現を定着させるのに貢献した。

百済と日本の皇室の血縁を研究するなど、ゆがめられた韓日古代交流史の真実も暴いたという評価を受けている。2001年、明仁天皇が「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じます」と述べたことはあるが、これはすでに1965年上田氏が研究していた内容だった。このため、右翼から「国賊は京大を去れ」などの嫌がらせの手紙を受け取ることもあった。

上田氏は、江戸時代に朝鮮通信使と日本の民衆が交流して友好関係を育んだことについても注目した。朝鮮通信使研究を通じて日本の偏狭なナショナリズムを克服するために努力した。1950年に京都大学を卒業後、71年に同校教養部教授に就任し、91~97年には大阪女子大学学長を務めた。88年には在日僑胞1世の鄭詔文(チョン・ジョムン)氏が日本国内の韓国文化財を収集して京都につくった高麗美術館の館長にも就任した。

『古代の日本と朝鮮』(86年)、『古代の道教と朝鮮文化』(89年)など多数の著書を残し、2009年には韓国政府から修交勲章崇禮章を受章した。