さすがに銀行取引や投資信託購入をネットでする気にはならないが、音楽は殆どiTunesから、本は時々アマゾンから購入している。そのほかJRスイカで買い物や食事をすることもある。神田の三省堂も日本橋・お茶の水丸善も新宿の紀伊國屋書店も、スイカで本が買える。とても便利でついつい使ってしまう。更にタクシーも支払いができるし、乗り物以外にも使える店が増えている実感がある。
さて、本日(2月24日)の日経新聞朝刊「世界16億人ネットパワー 下 消費者争奪 規模で圧倒 新たな寡占に警戒も」を読んで驚いた。
《 ネット経済圏の広がりは「通貨」のイメージも変えかねない。電子マネー「Edy(エディ)」の運営会社、ビットワレットを買収した楽天。三木谷浩史社長は「(中国)など年内進出予定の10カ国でも)できるだけ早くエディが使えるようにする」と意気込む 》
もしこのことが実現すれば「ドル、ユーロ、エディの時代が来る」(三木谷氏)と続いている。この動きに金融庁が神経を尖らせているのだという。更に、エディに楽天ポイントが連携するとポイントが“疑似通貨”の性格を帯びる、とある。
自分の経験に照らしてみると、買い物はできるだけポイントがたまるところでするし、スイカが使えるところでは使ってしまう。一度、お得感を味わうと刷り込み現象がおこるし、財布を出さないですむだけでなく財布を忘れたときでも支払いができた経験をしただけでも便利さに引きずられてしまう。
しかし、「ドル、ユーロ、エディ」と記事上に並んでいると、その現実味を感じるだけに、目眩がしそうだ。通貨は国の威信と信用にかかわる根幹。そこに楽天という歴史も浅い一民間企業が(疑似)通貨を持つ時代が来るかもしれないとは、考えてもみなかった。正直なところ天地がひっくり返るような驚きを覚えた。
驚いてばかりいないで、発想の転換をしなければ生きられない時代になったことを突きつけられた感じがしている。
それは「ある日突然のこと」に思えても、自分の行動の細かな変化の重なりを思いおこせば、不思議はない。
超産業革命、超情報革命、超経済革命、超通貨革命がすでに始まったということか!?
「人はどこに行こうとしているのか」。
唐突ではあるけれど、現在進行形の冬季オリンピックでは、日本人がロシアから、フランス人がイタリアから、米国で育った日本人がアメリカから出場して、国境はすでに越えられ、オリンピックで国を背負う意味が曖昧になっている。
どこまでついていけるのか、覚束ないことだ。
さて、本日(2月24日)の日経新聞朝刊「世界16億人ネットパワー 下 消費者争奪 規模で圧倒 新たな寡占に警戒も」を読んで驚いた。
《 ネット経済圏の広がりは「通貨」のイメージも変えかねない。電子マネー「Edy(エディ)」の運営会社、ビットワレットを買収した楽天。三木谷浩史社長は「(中国)など年内進出予定の10カ国でも)できるだけ早くエディが使えるようにする」と意気込む 》
もしこのことが実現すれば「ドル、ユーロ、エディの時代が来る」(三木谷氏)と続いている。この動きに金融庁が神経を尖らせているのだという。更に、エディに楽天ポイントが連携するとポイントが“疑似通貨”の性格を帯びる、とある。
自分の経験に照らしてみると、買い物はできるだけポイントがたまるところでするし、スイカが使えるところでは使ってしまう。一度、お得感を味わうと刷り込み現象がおこるし、財布を出さないですむだけでなく財布を忘れたときでも支払いができた経験をしただけでも便利さに引きずられてしまう。
しかし、「ドル、ユーロ、エディ」と記事上に並んでいると、その現実味を感じるだけに、目眩がしそうだ。通貨は国の威信と信用にかかわる根幹。そこに楽天という歴史も浅い一民間企業が(疑似)通貨を持つ時代が来るかもしれないとは、考えてもみなかった。正直なところ天地がひっくり返るような驚きを覚えた。
驚いてばかりいないで、発想の転換をしなければ生きられない時代になったことを突きつけられた感じがしている。
それは「ある日突然のこと」に思えても、自分の行動の細かな変化の重なりを思いおこせば、不思議はない。
超産業革命、超情報革命、超経済革命、超通貨革命がすでに始まったということか!?
「人はどこに行こうとしているのか」。
唐突ではあるけれど、現在進行形の冬季オリンピックでは、日本人がロシアから、フランス人がイタリアから、米国で育った日本人がアメリカから出場して、国境はすでに越えられ、オリンピックで国を背負う意味が曖昧になっている。
どこまでついていけるのか、覚束ないことだ。
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