羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

トライアングル・錫杖と辺境文化論

2010年02月23日 18時54分49秒 | Weblog
 久しぶりに友人から電話をもらった。その会話の中で聞いた「シャクジョウキョウ」と言う言葉、きっとこの「錫杖経」と言う文字を書くのではないか、と予想した。
 そういえば『シルクロードと世界の楽器』のなかにこの文字があったことを思い出した。 それは第八章 打楽器類のページだ。トライアングルとシンバルは西アジアで誕生し、ヨーロッパに伝えられた。古代のトライアングルは、三角形の鉄棒に多数の小型の輪を通したもので振って鳴らすと書かれている。実はこの古代式トライアングルは、わが国の僧たちによって愛用されている錫杖の頭部と同様の構造らしい。突く、または振るとチャリンと鳴る。そういえばどこかで見て聞いたことがある。
 
 この‘錫杖’の起源についてもう一つの仮説が考えられるという。
 錫杖が仏具である以上、インドで生まれた可能性も捨てがたい、という。すると錫杖こそが原型で、西アジアに伝えられて金輪つきトライアングルに換わった可能性も考えられる。 この仮説から錫杖とトライアングルは兄弟である、と坪内榮夫氏は結論付ける。
 
 話は続く。
 古代の楽器はすべて信仰と結びついている。中国で仏教が栄えた唐の時代には、新興のイスラム教に追われて、西アジアからゾロアスター教、マニ教、景教といった多数の宗派の宗教家たちが唐に亡命してきた。(景教碑文の研究などもある)シンバルもこうした経緯から唐に伝えられたのではないか。これを唐の仏教僧が、円形やハート型に変えて修行に使用する杖の頭部につけた可能性を示唆している。
 
 日本に目を転じると、正倉院にも錫杖が伝えられて楽器扱いされているところからの推測でもある。因みに、エジプト方面の古いキリスト教会では、今も古代式トライアングルに似たガラガラを使用している例があるという。古代の景教徒が唐に古代式トライアングルを宗教器具としてシルクロードを通り、アジアに伝えた可能性を裏付ける、と著者は書いていく。
 
 こうして時間を紐解いていくと人の営みの奥深さが、物として明かされる面白しろさにちょっと酔えますね。物を見るベクトルを時間的・空間的に換えてみると、日本文化のしぶとい底が現代に甦って更に深さを垣間見させてもらえる訳だ。
 錫杖も『日本辺境論』の物としての証。日本文化はマージナルだ、と開き直るのは実に小気味いい!
 
コメント (2)
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