羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

祝、高橋、日本男子フィギュアスケート!!

2010年02月20日 09時07分23秒 | Weblog
 西欧的なあまりに西欧的なフィギュアスケート。
 四回転ジャンプをめぐって‘芸術かスポーツか、スポーツか芸術か’の論争が起きている。聞くところによると、そもそもフィギュアスケートは、‘より速く、より高く、より強く’といったスポーツ・オリンピックの価値観だけではつまらない、と感じたヨーロッパの上流階級の人々が、スケートのなかに芸術的価値観を導入したところから始まった。
 つまりフィギュアスケートは‘スポーツであり芸術でもある’のだ。
 四回転が成功して、芸術的にも素晴らしいいに越したことはない。しかし四回転をしなくても‘よいものはよい’ことが実証された。ライサチェクが首に巻いた蛇が、すべてを物語っている。

 それにしてもはじめから勝負はついている「手足の長さ、面差し、風土や生活様式の歴史に根ざした身のこなし、文化的環境」等々、自分の力ではどうにもならないハンディを抱えながら、日本人の力をまとめて結晶させた高橋大輔の演技は素晴らしかった。浴衣を着てしまう、逆に武将を演じるのでもない、日本的表現に固執しなかったことがよかった。
 音楽「道」にあらわされているのは、普遍的な人間の心に深く織り込まれた‘情’だった。手足が短かろうが、鼻が低かろうが、体が硬かろうが、四回転でこけようが、それら諸々の条件を越えて今を生きる自分を演じきるのにもっとも似合う選曲だったのだろう。背負ったことから逃げなかったところにミューズが微笑んだのだ。

 そして織田にはチャップリンはベターの選択だった。しかし所詮チャップリンは他人なのだ。「自分自身であれ」と信長の鉄槌が紐の切断を促したに違いない。しかしスケーターの命までは奪わなかった。などと想像たくましくしている。次回はベストな選択が見つかることを祈っている。会場の熱い拍手はテレビの画像音声からも伝わってきた。
 
 四年後、次は次。新しく創造していく、それ以外に道はない。
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