羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

草鞋

2006年04月28日 14時44分23秒 | Weblog
 今朝、何気なくつけたテレビで、「柳田国男」のことを放送していた。
 途中から見はじめて、また途中で電話が入ってしまって、最後まで見られなかった。
 しかし、番組の中の話、「旅をするときの草鞋」のことに、目も耳も吸い寄せられた。
 柳田は、言う。
 草鞋を履いて道を歩くと、土の感触・石の感触・草の感触がビンビンと伝わってくるという。そしてもっと大事なことは、水溜りを歩いてしまったとき、水が草鞋に沁み込んで、足に伝わってくる感触があって、旅が旅として成立する。
 靴の暮らしではまったく感じることができない触感である。
「野口先生の子供のころ、やっぱり履物は草鞋だ!」
 はじめてそのことを想った。

 野良仕事、蚕の世話、蚕の餌となる桑の葉とりといった労働も、学校へいく道々も、遊びも、弟や妹の子守など。
 大地を感じとる履物としての草鞋感触が、野口体操の大本にしっかり根付いているに違いない。

 野口先生の発想は大胆で自由で突飛でもあった。
 しかし、常に地に足が着いているという印象を受けていた。足元をすくわれる危うさは感じられなかった。

「家の庭土を洗ってみたの」
 野口先生のその一言からはじまった「世界の砂」との楽しい語らいもあった。
 ある日、水で庭土を洗って乾して、乾いた土を双眼実体顕微鏡で覗いて見た先生は、有機物が洗い流されて砂状になったかつての庭土のなかに輝く鉱物質の粒を発見した。
 教室の生徒たちから、旅の土産にもらった砂を片っ端から双眼実体顕微鏡で見ることにした。
「肉眼の世界をほんの少しだけ拡大しただけなのに、世界各地の砂が多様な表情を見せてくれるんです」
 
 ある日、その美しさを先生から教えられ、感動した私は、我が家に遊びに来る建具屋さんに双眼実体顕微鏡のなかの砂を見せた。
「きれいだね、写真に撮ってみよう」
 写真好きの建具屋さんは、さっそく段取りをつけて家にやってきた。
「そばに寄らないでね。しめっきりにするから。息だって控えなきゃ」
 小さな丸いケースを作って、砂をそのなかに一皮並べにして接写撮影を試みていた。
「とにかく、ちょっとした風でも、飛んじゃうんだから」
 四苦八苦の結果に、出来上がった写真をご覧になった先生は、ものすごく驚かれたのだった。

 それがきっかけで、佐治嘉隆さんが砂の写真撮影に挑戦された。
 そして出来上がったのがポストカード「砂のアラベスクー1-」だった。
 そして、しばらくしてから「砂のアラベスクー2-」のポストカードもつくったのだった。
 
 このポストカードは、野口先生のご自宅の土からはじまって、水洗いした野口庭の砂へ。それが東京都の南鳥島や日本各地の砂へとつながり、アメリカやヨーロッパ、アフリカ、アジア、最後は南極までというよに世界各地の砂の写真・ポストカードになっていった。

「南極は大陸だったのね」
 大人でも忘れていたことを思い出させる「ガーネット」を含む昭和基地の砂に、驚きの声をあげる人も多い。

 さて、言いたかったことは、野口先生の発想は、常に自分の足元から始まって、足元に必ず還ってくるということだ。
 それが野口体操全体の「重心」だと思っている。
 そのことを「柳田の草鞋の感触」の話で、改めて確認した。

 柳田が育ったは明治維新の時代。
 当然のこととして、鎮守の森、狐ツキ、神隠しなど、否定され隠されていく。柳田が、そうした日本の民俗・風習・アニミズム・村人の信仰を研究していく真情が語られた番組だった。
 
 野口先生が「甲骨文字」に突き動かされた原動力に、幼い日々、先生が体験された村の暮らしや、「草鞋の感触」が、砂のポストカードのはじめに「野口庭の土」からはじめることに拘られた思いの素だったのではないだろうか。
 柳田国男の体験野口先生の体験には、重なるものがある。
 念のため、「草鞋」は「わらじ」と読みます。
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