先週、ある人と紀伊国屋本店のエレベーターのたもとで待ち合わせをした。
すこし早めに着いたので、新刊本の売り場を物色していた。
そこで手に入れたのが『小説 永井荷風』小島政二郎著 鳥影社であった。
昨日、夕方になって少しだけ本を開く気が起こって、手に取ったのがこの本だ。
ゆっくり丁寧に読むこと30分。
体調のせいか、それ以上読み続ける気力が失せはじめていたその時。
「アラッ」
左手で本を持ち、右手は添えながらページをめくることに主に使っていた。
カバーに触れている左手に、気持ちのよい触感を得た。
すべすべと滑らかで少し冷たい。
思わず読み進めることを止めてしみじみと装丁を眺め、今度は改めて右手でカバーの紙の表面を繰り返して撫でてみた。
ちょっとだけ強めに、あるいは薄紙に触れるようにかすかに柔らかく、指先だけで、掌全体で、その時に思いつくありったけの触れ方で味わってみた。
目を開けたまま、目を閉じたまま、目を半眼にして、紙の繊維の一本一本を感じ取るかのように。繰り返していた。似た感覚を記憶の中に探っていると
「この感じは、柿右衛門だ」
‘乳白手(にごしで)’の素地に、上絵の色絵付けされたあの感じだ!
磁肌の滑らかな風合いから受ける冷たいけれどたおやかさが、このカバーの紙に触れた手に共通感覚として伝わってくる。
「それならば……」
少し離れたところ置いてあるほかの本を次々に手に取ってみた。
まず、一冊目。
『耳を啓くー音楽は魂のかたちをしている…』佐藤聰明著 装丁:杉浦康平 春秋社 は、どうだろうか。
先日、杉浦氏の最高のパートナーである加賀谷さんからいただいた本。
この本全体が杉浦世界の見事な表出作品で、音楽が聞こえるほど、惚れ惚れするもの。
カバーの肌合いは細かいシボが指紋の間に微妙な‘乾き’感を伝えてくる。
これまでの二冊は上製の本であるだけに、中の紙の風合いもまたカバーと揃っている。
もう一冊目。
これは、光沢があって触ると自分の指先から僅かに出ている汗の感覚が伝わる。少しジトッとした生の触感である。
書名は『部下の仕事はなぜ遅いのか』日垣隆著 三笠書房である。
この中でも多くを発言されている弁護士の近藤早利さんから贈られた。
この本のカバーは、かなりしっかり強く触れても大丈夫という荒々しさがある。
最後に自分の本。
『マッサージから始める野口体操』のカバーに触れてみた。
これは『小説 永井荷風』の極美の滑らかさと『耳を啓く』の華麗でありながら少しザラつきのある枯淡の風合いの中間だった。
滑らかさと指紋を吸い付けるような紙繊維の細やかさが微妙な風合いを醸しだしている。
面白い体験をしてしまった。
感覚とは比較することでしかうまれない。
そのものの特徴を感じ取るには、いくつかを比較してみるしか方法はない。
「装丁家は、迷うだろうなぁ~」
本の内容と自分の思いをどこかで折り合いをつけていくに違いない。
ドキッとしたのは、自分の本のカバーの風合いを表面を掠めるように優しく撫でて確かめながら、何とはなしに首筋の皮膚に触ってみたときのこと。
まったく似ている。
皮膚の方が少し滑らかで柔らかかったが、大差はない。
この装丁家は、私の文章から、首筋の肌合いを感じ取ったのだろうか……、妄想と幻想が交錯した瞬間。
恐れ入った。
それから四冊の本のカバーを、繰り返し触ってみた。
超滑らかな荷風本は、野村美枝子という女性の装丁家の手になるようだ。
「そうか、そういった感じ方の基準で触ると、これは女の肌のさまざまな触感かもしれない」
おっと、危ない。
水銀は上がっていかないが、やっぱり、私、炎症のせいで、少し、発熱しているのだろうか……。
病の幻惑にしばし陶然とした暮れ方。
すこし早めに着いたので、新刊本の売り場を物色していた。
そこで手に入れたのが『小説 永井荷風』小島政二郎著 鳥影社であった。
昨日、夕方になって少しだけ本を開く気が起こって、手に取ったのがこの本だ。
ゆっくり丁寧に読むこと30分。
体調のせいか、それ以上読み続ける気力が失せはじめていたその時。
「アラッ」
左手で本を持ち、右手は添えながらページをめくることに主に使っていた。
カバーに触れている左手に、気持ちのよい触感を得た。
すべすべと滑らかで少し冷たい。
思わず読み進めることを止めてしみじみと装丁を眺め、今度は改めて右手でカバーの紙の表面を繰り返して撫でてみた。
ちょっとだけ強めに、あるいは薄紙に触れるようにかすかに柔らかく、指先だけで、掌全体で、その時に思いつくありったけの触れ方で味わってみた。
目を開けたまま、目を閉じたまま、目を半眼にして、紙の繊維の一本一本を感じ取るかのように。繰り返していた。似た感覚を記憶の中に探っていると
「この感じは、柿右衛門だ」
‘乳白手(にごしで)’の素地に、上絵の色絵付けされたあの感じだ!
磁肌の滑らかな風合いから受ける冷たいけれどたおやかさが、このカバーの紙に触れた手に共通感覚として伝わってくる。
「それならば……」
少し離れたところ置いてあるほかの本を次々に手に取ってみた。
まず、一冊目。
『耳を啓くー音楽は魂のかたちをしている…』佐藤聰明著 装丁:杉浦康平 春秋社 は、どうだろうか。
先日、杉浦氏の最高のパートナーである加賀谷さんからいただいた本。
この本全体が杉浦世界の見事な表出作品で、音楽が聞こえるほど、惚れ惚れするもの。
カバーの肌合いは細かいシボが指紋の間に微妙な‘乾き’感を伝えてくる。
これまでの二冊は上製の本であるだけに、中の紙の風合いもまたカバーと揃っている。
もう一冊目。
これは、光沢があって触ると自分の指先から僅かに出ている汗の感覚が伝わる。少しジトッとした生の触感である。
書名は『部下の仕事はなぜ遅いのか』日垣隆著 三笠書房である。
この中でも多くを発言されている弁護士の近藤早利さんから贈られた。
この本のカバーは、かなりしっかり強く触れても大丈夫という荒々しさがある。
最後に自分の本。
『マッサージから始める野口体操』のカバーに触れてみた。
これは『小説 永井荷風』の極美の滑らかさと『耳を啓く』の華麗でありながら少しザラつきのある枯淡の風合いの中間だった。
滑らかさと指紋を吸い付けるような紙繊維の細やかさが微妙な風合いを醸しだしている。
面白い体験をしてしまった。
感覚とは比較することでしかうまれない。
そのものの特徴を感じ取るには、いくつかを比較してみるしか方法はない。
「装丁家は、迷うだろうなぁ~」
本の内容と自分の思いをどこかで折り合いをつけていくに違いない。
ドキッとしたのは、自分の本のカバーの風合いを表面を掠めるように優しく撫でて確かめながら、何とはなしに首筋の皮膚に触ってみたときのこと。
まったく似ている。
皮膚の方が少し滑らかで柔らかかったが、大差はない。
この装丁家は、私の文章から、首筋の肌合いを感じ取ったのだろうか……、妄想と幻想が交錯した瞬間。
恐れ入った。
それから四冊の本のカバーを、繰り返し触ってみた。
超滑らかな荷風本は、野村美枝子という女性の装丁家の手になるようだ。
「そうか、そういった感じ方の基準で触ると、これは女の肌のさまざまな触感かもしれない」
おっと、危ない。
水銀は上がっていかないが、やっぱり、私、炎症のせいで、少し、発熱しているのだろうか……。
病の幻惑にしばし陶然とした暮れ方。