羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

動き出すメタボ市場!?

2008年04月03日 08時32分35秒 | Weblog
 4月から始まった「特定検診・特定保健指導」に関連して、ニュースや新聞がにぎやかである。
 言われていることは、ことごとく実際は‘難しい’という一言に尽きるようだ。
 今日の日経新聞朝刊「ゼミナール」-動き出すメタ市場④ーを読むと、具体的な数字を挙げて、医師の参加が難しいという話が載っていた。
 つまり、特定保健指導に医師の役割が大きいのだが、時間の確保や収益の点から現実には問題がありすぎるという指摘だった。

 なんでも特定保健指導では、個別の行動目標などを設定する初回の個人面接には普通でも二十分以上を要するという。重症な人の場合はそれ以上の手間と時間がかかる見込みだ。
 長期にわたる支援、個別面接、集団指導等々、国の想定では一人当たりの費用は最大二万円で、多くの医師がこの‘特定保健指導’に参加するのは考えにくいと書かれている。

 何も考えないで見切り発車して、振り回されるだけのような気がする。
 一方で健康市場は、このときとばかりに躍起になって、宣伝をかけてくる。
 人生の幸せの大部分は健康によって支えられていることは確か。
 だから特定検診や特定保健指導の前に、個々人が自分の暮らしの方向性を、見つめなおおすことの方が先決かと思うけれど、今さら暮らしぶりを変えようもないことが目に見えてしまう。
 ましてや生きてきた時間に比例して増え続ける‘しがらみ’は絶ちようもなく、実際には、人様のご指導のもと行動目標など立てられて、それに準じて暮らせるわけもない。

 健康シンドローム、健康強迫症を増やして、よっぽど不健康な心向きになりはしないかと、老婆心が頭をもたげる。
 タバコがいけない、食べすぎもいけない、飲み過ぎだっていけない、夜更かしはいけない、仕事のしすぎはいけない……誰だってわかっているのよ。いけないといわれると余計にやりたくなるのが人間の習い性かも。
 しかし、もとは、脳が覚えてしまったことをリセットするのは、難しいということ。人間はコンピューターではないのだから。
 
 なかでもいちばん難しいのは運動不足解消で、毎日かならず運動する習慣をもつことだ。これだって、強制されると反抗心が昂ぶる人だっているわけで。
 
「健康になれるのだったら死んでもいい」という名言を、あっちこっちで聞くようになった昨今である。
 かくいう私の新刊本にも、この名言が……。 
コメント
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