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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

手触り

2008年04月11日 14時21分33秒 | Weblog
 大学の授業で、講義の場合は、ほとんどパワーポイントを使っておられる先生が多い。
 学生は一生懸命話を聞いて、自分でノートをとる必要が少なくなってきた。
 したがって眠くなる。解ったつもりにはなれるが、身につかないみたいだ、というのが大方の先生の思いだ。

「やはり、自分で手を動かしながら、大事なところを自分の判断で書き取る事がいいみたいですね」
 アナログ情報の中から、要点を聞き取り、抜書きする行為は、学生とて手仕事のうちだった。

 いまやデジタルが世界を席巻している。マニュアル化された指導が多くなってきている。
 時代に逆行するわけではないが、問題は多々あると日々感じているのだが。

 さて、昨日の象彦の手箱も手触りは抜群だ。滑らかでありながら、編みこまれた竹細工の凹凸が、滑り止めの働きをしている。持ったものが落ちないという安心感は、快感のひとつである。
 そして今日の写真は、新刊本だが、このカバー紙も手触りがよい。掴んだ感じに安定感がある。それは紙の材質による。
 編集者曰く「光沢紙を使うと、持ったときのしっとり感が失われるし、ピカピカした感じでは、内容と合わないと感じましたから」
 本の楽しみは手に持ったときの肌触りや厚さや重さといったモノとしての‘存在感’の基礎になる感性も大切な要素であることは間違いない。

 話を最初に戻すと、ボールペンの書き心地、HB鉛筆の書き心地、今では少数派の万年筆の書き心地、それぞれに紙との相性もあって、筆記時の手触り感も含めて、内容が身につくのが人間が学ぶということなのだ。
 世の中‘五感ブーム’である。まず、講義を聴くとき学生の手仕事を奪ってしまってはいけないと思うようになった。
 わかり易いということと、本当に身につくということは、相容れにくいことなのかもしれない。

 最近の東京では桜が散る頃に、授業が本格化する。
 そのころは気候も良くなって、眠気君とも仲良くなるんですよね!
 手触りからは話がずいぶんとはずれてしまった。
コメント (3)
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