クーパー・ミニについて投稿をいただきました。
日本車に比べて、なかなかに我がまま娘であるのは、今も昔もかわらないようですね。父の車はマニュアルで、結構ハンドルが重かった。車高も低かったので、道路のちょっとした凸凹をよく拾ってくれました。ドライバーには愛車でも、助手席の乗り心地は今ひとつって感じ! それでもイギリスです。古きよきスタイルを変えずに、エコ車のはしりとしてかたくなに守り続けていたことに、多くのファンは愛情を注ぐのでした。モデルチェンジがされてから、少し大きめになったのかな?
いずれにしても助手席に誰も乗せたくない男の心情も、同感する人がいてくれて、天国の父も今頃「そうだ! フムフム」と喜んでいるのでは、と思います。
投稿ありがとう。
では、五木氏の「夜の世界」へ、戻りましょう。
この短編のほかにも車を登場させる小説がこの時代に書かれています。若き日の氏が求めていたもの・描いていたものは、「スピード」でした。アクセルを踏み込む、もっと踏み込む、思い切りスピードに酔ってドライバーは、カーチェースを展開したり、時に事故ったり、挙句は死んでしまう主人公まで描いています。
この「夜の世界」の主人公は、ごく平凡な日常に帰っていくのですが、ほんとうは何を望んでいるのか、いくらでも想像が膨らみます。
ただひとついえることは、敗戦後の日本の大多数の人にとって、車は、ヨーロッパの貴族社会が生み出した馬車の歴史よりも、豊かなアメリカを生きることでもあったのかもしれません。
ただし、五木氏にとっての「車」には、特フルスピードで逃げ切る感覚は、パスポートを持たない難民としての体験が、その内側にべったりとはりついているのでは? という気がしてならないのです。
では、また明日。
日本車に比べて、なかなかに我がまま娘であるのは、今も昔もかわらないようですね。父の車はマニュアルで、結構ハンドルが重かった。車高も低かったので、道路のちょっとした凸凹をよく拾ってくれました。ドライバーには愛車でも、助手席の乗り心地は今ひとつって感じ! それでもイギリスです。古きよきスタイルを変えずに、エコ車のはしりとしてかたくなに守り続けていたことに、多くのファンは愛情を注ぐのでした。モデルチェンジがされてから、少し大きめになったのかな?
いずれにしても助手席に誰も乗せたくない男の心情も、同感する人がいてくれて、天国の父も今頃「そうだ! フムフム」と喜んでいるのでは、と思います。
投稿ありがとう。
では、五木氏の「夜の世界」へ、戻りましょう。
この短編のほかにも車を登場させる小説がこの時代に書かれています。若き日の氏が求めていたもの・描いていたものは、「スピード」でした。アクセルを踏み込む、もっと踏み込む、思い切りスピードに酔ってドライバーは、カーチェースを展開したり、時に事故ったり、挙句は死んでしまう主人公まで描いています。
この「夜の世界」の主人公は、ごく平凡な日常に帰っていくのですが、ほんとうは何を望んでいるのか、いくらでも想像が膨らみます。
ただひとついえることは、敗戦後の日本の大多数の人にとって、車は、ヨーロッパの貴族社会が生み出した馬車の歴史よりも、豊かなアメリカを生きることでもあったのかもしれません。
ただし、五木氏にとっての「車」には、特フルスピードで逃げ切る感覚は、パスポートを持たない難民としての体験が、その内側にべったりとはりついているのでは? という気がしてならないのです。
では、また明日。