羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

初めての物語ー3-

2005年08月10日 09時19分56秒 | Weblog
「初めての物語ー2-」で、1970年・昭和45年の出来事を取り上げました。戦後が少しずつ遠のくのを感じます。

では「夜の世界」に話を戻しましょう。
主人公は妻を、あの手この手でくたびれさせ、睡眠薬まで飲ませて、寝かしつけます。妻が寝入ったことを確かめて、それでも音をたてないように家を出て、自宅から離れたところに駐車してある中古の外車に乗り込みます。運転席に腰掛け、ハンドルを握れば、もう夜の世界は、自分ひとりのもの。誰にも邪魔されずに過すことができます。エンジンをかける、「今日の調子は上々!」。愛車との一通りの挨拶を済ませます。スピードを一気にあげて、車は快調に走り出します。
いつしか京浜国道に乗り入れて、車との交渉はもっと深まります。この快感を五木氏は、みごとに描ききっています。
若き日の氏は、かなりのスピード狂であったのか? 克明に緻密に繊細にそして精細に、時々刻々変化する微妙な車との関係を描き出します。読者は、助手席に乗って、運転者としての主人公と道路と車が一体になっていく恍惚とした世界に誘導されます。この描写は圧巻の一言です。

思い出の扉を開けてみると、70年代、外車は憧れでした。
因みに、私の実父は、軍隊でトラックの運転を習い、満州ではトラック部隊に所属し、戦後、非常に早い時期に運転免許を取った人でした。
「サメズに免許を取りに行く」
という言葉は、格好のいい響きを持っていた時代です。でも幼かった私には、「サメズ」と「車の免許」が何となく似合わないなぁ、と感じてしまった。「鮫」の「洲」でしょ。なんかおかしさがこみ上げます。当時、シボレーで父は免許を取ったとか。日本の戦後の車事情が見えてきます。父は、20年代の終わりに、この「夜の世界」の主人公のように、中古の外車を手に入れ、それから国産車は、日産・ダットサンからはじまって、80歳で亡くなる数年前は、最後の車としてクーパー・ミニをこよなく愛していました。
このように戦後日本は、車の歴史を抜きには語れません。
父もまた、主人公同様、たった一人で愛車に乗って、山梨へ出かけることが楽しみでした。誰も乗せない一人のドライブ。ドライブという言葉の軽さが似つかわしくないドライブです。そんなとき、父がハンドルを握ると、そこには戦争という影が、ぴったりとくっついていたのに違いありません。

さて、「夜の世界」の主人公は、妻に車を持っていることを知られないために苦心惨憺しています。この小説に描かれた「ある夜のドライブ」も、交通事故に遭遇しても見てみぬふりをして通り過します。
この描写によって、そうか!と隠されたもうひとつの物語が腑に落ちたものでした。「夜の世界」は作家の過去の経験を描いたに違いない。この短編の深さが、底なしの沼となって顕れてしまった。どうしよう。ドギマギする自分。
この続きは、また明日。
コメント (1)
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