羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

初めての物語-9-

2005年08月16日 08時36分06秒 | Weblog
 昨晩の天候は凄かった。びしょぬれの私でした。 

 さて、「車」の話にもどしましょう。
 私たちは、「車は、アクセルとブレーキがあって初めて車だ」という当たり前のことを忘れていることを気付かされたのは、最近のことでした。
 そのこと驚きをある友人に話しました。すると真顔で
「そうなんですよ」と答えてくれた。
「日本の車はね、ブレーキが、欧州車に比べて、見劣りするんですよね」
 感慨深げの表情に、何かがあると、そのとき直感しました。
 五木氏の最近のエッセーでは、BMW車を例に、こんな表現をしています。
「ブレーキを踏むと、一瞬襟首をつかまれて、その後はビロードの上を走って止まる」と。
 助手席に乗っていて、ブレーキの踏み方が上手いドライバーとは結婚してもいい、という逸話を聞いたことがあるけれど、確かに人間性と技術があらわれるのは、ブレーキの踏み方かもしれない。
 しばしばハンドルを持つと、ガラッと人格が変わる人に出遭った経験は、今の日本人ならかなりの数いるのではないのでしょうか。
 幼友達の一人が結婚を決めた相手と、はじめてドライブにいったとき、追い越されたことに腹をたてて、一気にアクセルを踏み込み猛然と追い越しにかかった。その時の恐ろしさを素直に受け止めて、結婚を踏みとどまっておけばよかったのに、ゴーサインを出してしまった。
 後悔先に立たず。ほんの僅かな不安を救い上げなかったのです。
「あんなに優しい人だから、まぁいいか」
 と不安な思いをかき消してしまったらしい。
 ところが、そのかき消した不安が現実のものとなりました。
 結婚して、数年後に、自動車事故で夫をなくしてしまったのです。
 
 さて、日本車はブレーキ機能において、欧州車に劣っているかどうかの真偽は、定かではありません。しかし、ごく普通の一般人が、馬車に乗る、馬に乗るというを経験なしに、人力から一気にエンジンをつんだ自動車に移行した近代日本に、問題はなかったのかと、疑問が頭を掠めます。自動車は騎馬民族の乗り物では?
 手綱さばきのよしあしが、安全をもたらすか、危険をよぶのか。それは、単に技術の問題だけでなく、技術を支えるもっと大本のところに、何かがありそうです。
「ブレーキのない車は自動車とはいえない」という当たり前のテーマを、最近の五木氏のお書きになる著作から、随所に読むことができます。
 つづく。
コメント (1)
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