八月も残すところ僅かとなりました。
夏を惜しむように鳴く蝉に、祭り太皷の音が聞こえてきます。
私の産土様は、東京・新宿十二社にある熊の神社。浴衣に着替えて、山車を引いたことを思い出します。夕方になると、近くの広場で盆踊りが始まります。いつも一番乗り、最後まで踊り続ける子供だったなぁ~と、記憶にしっかり残っている夏祭りでした。
当時は日本舞踊を習っていて、まわりの大人たちが「操ちゃんの盆踊は、どっか違うね」とほめられることが嬉しくて、眠気もとんで何時までも踊り続けたものでした。
踊るうちにある境地に入っていきます。音が遠くなり、目に映るものもぼんやりして、気が遠くなるようでありながら、踊る自分の意識だけが鮮明になってゆきます。
そういえば、東横ホールで地方さんを背に「藤娘」を踊ったときも似たような感覚に浸っていました。舞台は大きいほうが気持ちいい。
一度その味を知ってしまうと、ダンサーや役者を辞められなくなる媚薬のような快感を、幼くして知ってしまった私。
ま、日本舞踊は理由があってやめさせられましたが。
今となっては、盆踊りとともに、いい思い出。
「踊る阿呆に見る阿呆、どうせ阿保なら踊らにゃ損損」
阿波踊りの季節です。
実現こそしませんでしたが、「野口体操連をつくってみたいな」と、阿波踊りがお好きな野口先生でしたっけ。
夏を惜しむように鳴く蝉に、祭り太皷の音が聞こえてきます。
私の産土様は、東京・新宿十二社にある熊の神社。浴衣に着替えて、山車を引いたことを思い出します。夕方になると、近くの広場で盆踊りが始まります。いつも一番乗り、最後まで踊り続ける子供だったなぁ~と、記憶にしっかり残っている夏祭りでした。
当時は日本舞踊を習っていて、まわりの大人たちが「操ちゃんの盆踊は、どっか違うね」とほめられることが嬉しくて、眠気もとんで何時までも踊り続けたものでした。
踊るうちにある境地に入っていきます。音が遠くなり、目に映るものもぼんやりして、気が遠くなるようでありながら、踊る自分の意識だけが鮮明になってゆきます。
そういえば、東横ホールで地方さんを背に「藤娘」を踊ったときも似たような感覚に浸っていました。舞台は大きいほうが気持ちいい。
一度その味を知ってしまうと、ダンサーや役者を辞められなくなる媚薬のような快感を、幼くして知ってしまった私。
ま、日本舞踊は理由があってやめさせられましたが。
今となっては、盆踊りとともに、いい思い出。
「踊る阿呆に見る阿呆、どうせ阿保なら踊らにゃ損損」
阿波踊りの季節です。
実現こそしませんでしたが、「野口体操連をつくってみたいな」と、阿波踊りがお好きな野口先生でしたっけ。