鳥取市東部の国府近くにある池田家の墓所を訪ねる。
駐車場と休憩所もきれいに整備されており、保存会の皆さんの尽力に頭が下がる思い。
きれいに除草されたアプローチの先に、家紋入りの幕が下がった門がある。
池田家は源を名乗っているが、なぜか家紋は平家ゆかりの揚羽蝶紋”、何故だろう?
門を潜るとすぐ墓所の案内図があるが、何故か隠すように簡単な池田家の系図が掛けられている。
だがこれはいらぬお世話だろう。
続いて墓石の配置図と鳥取藩池田家11代殿様の名前が明示されている。
元禄6年から明治維新まで続いた、因幡・伯耆二州32万石の大名だ。
墓所内の通路は、凝灰岩?を切込接ぎ状に加工して、隙間なく敷き詰めている。
敬意を表して、初代の藩祖:光仲公からお参りする。
備前岡山藩池田家の光政公の弟にあたる。
儒教を信奉した池田家なので、立派な亀趺墓である。
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