伏見桃山御陵のある場所は、豊臣秀吉の桃山城址に位置しているのです。
「関ヶ原の戦い」以前のお城と言えば、山の上に築かれるのが定石です。
炎熱の京の都で、山の頂にある明治天皇陵を訪ねるのは、相応の覚悟が必要です。
JR桃山駅で背中に冷却スプレーを吹きかけ、首には冷たいタオルを巻いて歩き始めました。
駅の方に教えていただいた道を黙々と歩いていきました。
この先に明治天皇陵に続く、230段の石段が待っているのだと思い込んでいました。
やがて車止めの案内があり、砂利を敷き詰めた参詣道に入ります。
誰の目にも止まる場所にはっきりと、明樹天皇陵・昭憲皇太后陵の標識がありました。
此処には判り易い案内板が設置されています。
オイラは左下側の道を進んで来たので、そのまま真っ直ぐ参道を進めば明治天皇御陵前に行くことが出来ます。
心配していた230段の石段は、二股を右手の車道沿い進んだ先にありました。
迷うことなく石段を避けた参詣道を選びました。
鬱蒼とした樹木に覆われた参詣道は、日差しが遮られて快適です。
荘厳な趣の砂利道ですが意外と歩き難く、真っすぐにつけられた(自然についた)細いラインを辿って前に進みます。
20分程で(感覚で)宮内庁桃山陵墓監区事務所に着きました。
土曜の休日でしたが、入り口のインターフォンで「御陵印を戴けますか?」と来意を告げると、「どうぞ!」と快く受け容れてくださいました。
冷房の効いている?(涼しく感じた)建屋内でしたが、わざわざ扇風機を回して涼風を送ってくださいました。
机上に置いた複雑な模様のある袋はオイラの御陵印入れです。
桃山陵墓監区内で管理されている、歴代天皇の御陵印です。
朱肉を付けながら慎重に、御陵印帳に押印していきます。
明治天皇陵は、橿原神宮にある神武天皇陵に次ぐ壮大な陵墓でした。
木製の神明鳥居が三本連なり、鳥居脇にはそれぞれに玉垣が巡らされています。
国歌君が代にも謡われた「さざれ石」で囲われた。下方上円墳がはっきりと確認出来ました。
京言葉を話し、四季を問わず「肋骨式軍服」を日常着用されていたと言われる明治天皇です。
遺骨は京都の桃山に埋葬せよと遺言されておられたようですが、望み通り桃山の地に眠っておられます。
14歳で即位され61歳で崩御された明治天皇、全国各地に行在所が残ることで分かる通り、質実剛健最も庶民を気遣った天皇と言えるのだはないでしょうか?
周囲の荘厳な雰囲気と、陵墓に正対する230段の石段がその懿徳を表しています。
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