10年以上前、あることでお世話になった方にお礼を言いたくて、九州旅行の途次に福岡県飯塚市に立ち寄った。
筑豊地方の実業家、伊藤伝右衛門旧宅である。
まるで大名屋敷の如き立派な門構えの屋敷である。
屋敷は、上半分は白漆喰の塗り込め壁、下半分は板張りの堂々たる塀に囲まれている。
門を潜った前庭は白砂青松、中央に巨大な蘇鉄が植えられている。
純和風の外観からは想像出来ぬ応接間。
重厚な洋風設えで、中央には暖炉も切られている。
板廊下に洋風の棚が設えてあるが、衝立は和風の図柄が施されている。
和洋折衷、明治維新後の文明開化とはこういうものか?
芝生を敷き詰めた広大な池泉回遊庭園。
九州筑豊の大炭鉱王に相応しい、豪快な植生が際立つ。
軒端には巨石を加工した優美な手水も配してある。
駕籠置きかと思えるような巨大な敷石。
廊下の天井は特徴的な板張りで、歩いて楽しい。
板張りを工夫することで、天井の中央が下がって見える。
同じ天井を逆側から仰ぎ見れこの通り。
あらら…不思議、こちらは中央が高く見えるのだ。
目の錯覚を利用した、大工のいたずら心が垣間見える。
床の間と違い棚が一体に造られているのは珍しい。
奥側の明り取りも風流且、実用的で違和感がない。
子供の時に父親は病の床に伏し、母親は早死にして大変苦労した伝右衛門。
丁稚奉公から始まって素掘りの石炭堀を経て、巨大な富を築いた炭鉱王の大邸宅。
外見は和風の建物を複雑に組み合わせた、優美な趣となっている。