第72代白河天皇、第74代鳥羽天皇などが譲位後、法皇となられて院政を引いたのが鳥羽離宮と言われる場所です。
白河天皇陵から南西に2キロほどの位置に城南宮はありました。
天皇陵の鳥居は判で押した如く神明鳥居ですが、柱が内向きに転んだ明神鳥居は何故か新鮮に見えます。
石で作られた、西の鳥居を潜ってお参りしました。
参道に立つ灯篭の火袋には、紋と思われる標付の蓋がかぶせられていました。
城南宮は鳥羽離宮の裏鬼門に位置しており、離宮の鎮守社であったと記されています。
院御所と言われますが、鎮守の社は城南宮と名付けられており、政争に明け暮れていた時代を彷彿とさせる場所でした。
社の正面にある、城南鳥居は朱塗りの木製鳥居です。
転びのある柱、笠木・島木の形状から明神鳥居と思われますが、貫が柱の内に留まったままで抜けておらず、額を掲げるための額束もありません。
島木の中央にもこのマークが掲げられていました。
これは神社の神紋で、太陽、月、星を現わしているそうです。
御祭神は国常立神、八千矛神、息長帯日売神となっています。
この世に最初に現れた国常立神(くにのとこたち)、八千矛神(やちほこ)=大国主神、息長帯日売神(おきながたらしひめ)=神功皇后が祀られる神社はめずらしいと思います。
通常は千木や鰹木が飾られる位置に、神紋が描かれた鬼瓦状の焼き物が置かれているのも特徴的です。
拝殿、幣殿、本殿が縦一列に配されており、よく観察すると本殿に棟持柱もない独特な形をしています。