石炭堀から一代で筑豊の炭鉱王に登り詰めた、伊藤伝右衛門の再婚相手が柳原燁子です。
歌人として活躍した柳原燁子の雅号が白蓮です。
信奉した日蓮(日蓮宗)に因んで「白蓮」と号したのですと・・・
顔も姿も嫋やかと表現するしかない、典型的な和風美人です。
薄幸感が漂って見えるのは、オイラの思い込みのせいでしょうか?
50歳の伝右衛門と25歳の白蓮、35歳差で共に二度目の結婚だったそうです。
伯爵令嬢であり、大正天皇のいとこでもある白蓮のために、伝右衛門が用意した居室です。
伝右衛門は白蓮のために、家紋入りの衣桁も誂えました。
さらに屋敷内に、九州で最初の水洗トイレも用意しました。
東南角に位置する白蓮の居間から眺める、伊藤伝右衛門邸の庭です。
何時もこのような丸髷を結っていたのでしょうかね。
庭から望む白蓮の居室は二階部分です。
記念品ショップも開かれています。
10年で離婚に至った、炭鉱王と華族の姫様の結婚は幸せだったのでしょうか?
※人物写真はすべて伊藤伝右衛門邸に飾られた写真のものです。