11/19日、午後義兄の49日法要で名古屋に向かう束の間の時間、大垣城に立ち寄る。
表御門は、多聞櫓か?と思わせる様なめずらしい造り。
野面積みの低い石垣だが、場内の地面(ぢづら)が高いので、水門が設けてある。
地元の有力者:大垣氏の居城と云う事から、大垣城と呼ばれるようになった。
江戸時代の縄張りを見る限り、堂々たる城郭である。
石垣作りには苦労したようで、あり合わせの石を無造作に積み上げている。
下から2段目の石垣に横線が入っているが、明治29年の大洪水でここまで水に浸かったとある。
大垣の町中が水没した未曾有の大被害。輪中ならではの災害である
この塀の支えは何と呼ぶのだろう。凝った作りになっている。
狭間が多く造られていて形も〇☐△と多彩だが、鉄砲を指し込むと視界が遮られ実用にならないのでは…
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