萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

火曜の晩に昔の仲間と呑む

2007年06月15日 | 酒食・グルメ?


この晩のメンバー、ばんぺいゆ氏、S二郎氏、U川氏というのは、小生が会社の寮にいた時の呑み仲間である。年に1度は集まろうということで参集した。昨年もアジサイの咲くこの季節に熊谷でやった。

小生が寮に住んでいたのは、もう25年ぐらい前になる。丁度、社内報に「インドを走る!」を連載していた時期と重なる。当時は皆20代前半で気力、体力はありあまっていたが、カネはなかった。当然、外の居酒屋だのスナックなぞにはめったに行けず、寮の誰かの部屋に集まって毎晩の如く酒盛りをやっていた。そういう環境下で月に一度「インドを走る!」を自分の旅行記から、社内報用に書き直していたのだが、これに結構苦しんだ。明日が締め切りだ、という日にも容赦なく呑みの誘いが来るわ、ビール持って小生の部屋に押し入ってくるわで、付き合わざるを得ず、酔いを醒ましてから書きはじめ、朝方まで掛かったことも何度かあった。

今、会社に残っているのはS二郎氏と小生のみ。ばんぺいゆ氏とU川氏はそれぞれ自分の道を歩んでいる。今晩の宴会場所は最近小生が通うようになった酒田出身の主人が経営する居酒屋である。

3点盛りの突き出しと旬の山菜のお浸し、鮪の煮物、岩牡蠣、刺身盛合せ、煮物等、美味の肴に舌鼓を打つ。酒も山形の「米鶴」他、口当たりいいのを次々と呑む。話は昔の思い出話やこのブログについてが中心だったように思う。(結構酔ったので会話の中身にはあまり自信がない)皆も満足気に酔っていた。ことのほか味にうるさいばんぺいゆ氏も気にいってくれたようで、毎回ここでやろう、とも言っていた。

酔った勢いでもう一軒。この間ケーキを出してくれた所へ上がる。皆にはこのテーブルでブランデーとケーキを写した、などと話しながら、歌を歌い結構盛り上がった。結局、終電ぎりぎりの時間までいて皆帰る。小生は旧中仙道まで出てタクシーで帰った。(と思う。)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カイツブリの親子発見!そして・・・

2007年06月14日 | 散歩

<カイツブリ一家の水練風景。潜り方を説明する親鳥を真剣な表情で囲む子鳥たち、というふうにも見える>

朝、カイツブリの親子を発見。親鳥2羽と子3羽の5羽家族だ。池の真ん中あたりで仲睦まじく泳いでいる。いままでの3倍ズームのデジカメでは捉えられない距離であるが、今度購入した光学7倍ズーム搭載の新兵器では写す事ができてしまうのだ(ふふふふ)。もぐり方まで教えているようで、小さいのが実際に潜っているシーンも見られた。一家団欒はいいものだ。

そして、今日はなんて運がいい日なのか。ついにカワセミを目撃したのだ。水辺の木立にとまっていた“それ”は最初は正面を見ていた。「小柄な鳥だが、スズメじゃないし」などと漫然と眺めていると、“それ”が横を向いた。特徴のある長い嘴、カラフルな身体。おお、カラスミ、じゃなくてカワセミだ。あわてて、カメラを向けるが間に合わず、木立を飛び去り池の方へすばやく去って行ってしまった。

明日からこの辺りを歩くときは、新兵器を「連写」モードにしておこうと密かに作戦を練ったのだった。



<池の数ヶ所にある看板>

この池にいる鳥ということで紹介されているが、大宮のサポで鳥にもくわしいJan_ardyさんによれば、この内「キンクロハジロ」と「オナガカモ」は冬鳥だそうで今はシベリアに行っているとのことなので除外すると、「バン」「カイツブリ」「カルガモ」「カワセミ」は見たが、いまだ「ゴイサギ」と「コサギ」は見ていない。ホントにいるのかね。

看板表示に「サギ行為」があるなんて言ってるオヤジは誰?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インドを走る!第12話「国境の町」

2007年06月13日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<木に登っているのがM君。下は私。>

※「インドを走る!」について

  故郷を離れてはるばる千里
 なんで想いがとどこうぞ
  遠きあの空つくづく眺め
 男泣きする宵もある

 ご存知!?東海林太郎の歌っていた「国境の町」の二番の歌詞である。望郷の想いをいかんともし難い旅人が、故郷の方角の空を眺め、ついには男泣きをしてしまう感傷的な詩である。旅というのは確かに感傷的になり易い精神状態にあると思う。旅の孤独と言うものが、仕事や人付き合いやその他諸々の世俗により閉ざされていた“感受性”を引き出し、その土地の風に当ててくれる。そして、旅人はその風にまったく従順になる。

 我々もまた、一行の旅人として望郷の念止み難く、男泣きしたことは無いかも知れぬが、日本の常の生活より、感傷的に物事を見ていたことには変わりが無いのである。

*****************************

 E君の病気の為五日間程、ゴラクプールに足止めになっていたが、彼の病気も回復してきた。彼は翌日バスでネパール国境へ向かうことにして、私とM君の二人だけでネパールとの国境へ向けて車輪を進めることにした。

 この日の我々は、期待で胸をふくらませていた。この一ヶ月間、北インド地方に大きく横たわるヒンドスタン大平原という平地ばかり走り続け、山影ひとつ目にすることが出来なかった。ところが、デリーからこの平原を東進して来て、ここゴラクプールからははっきり北へと進路を取る。今日明日中には、世界の屋根、ヒマラヤの頂が見えるかも知れないのである。これが興奮せずにいられようか。

 胸をはずませながら走っていると、前面にいきなり象が現れる。象の背中には人間がヤリを持って乗っている。人食い人種かと思ったがそうではなく、そのヤリで象を操縦するのだそうだ。しかし、でかい。そして、不思議だ。ごく普通の田舎道に何気なく象が人を乗せて歩いているなどという光景は、日本では木戸銭を払っても見られやしない。

 私はこの時、小学生の頃から抱いていた推測に確信を持ったのである。つまり『印象』という漢字は、その昔印度に行った中国人が、印度の象を見てその大きさや鼻の長さに大いに驚き、中国に帰ってのち、そのような様を『印象』と書き表すに至ったのではないかという推測である。

 田舎道に集落があって、ここらで一息入れようかと思っていると、茶店のオヤジが飛び出して来て、ラッシー(犬の名ではない。ヨーグルトを水で薄め、さらに氷を入れたインドにしては上品で美味しい飲物)を飲んで行けと勧めるので、その店に入る。

 たちまち村人が集まる。店のオヤジを中心に好奇の眼で我々を見ながらヒンディ語で騒いでいる。店のオヤジは、陽気な人の多いインド人の中でもさらに、陽気な性格らしく、始終笑っている。そのうち「インディアンマジック」と叫んで立ち上がる。何事が始まるのかと思って見ていると、傍らにいた彼の5、6歳になる息子の顔をいきなり無造作に力強く鷲づかみにする。息子はあまりの痛さに、ギャッと叫んで大声で泣き始めた。これが“マジック”なのだそうだ。息子には悪いが、我々がその滑稽さに笑っていると、店のオヤジ、調子に乗ってその子に何度も同じ事をするので、その子はとうとう泣きながら逃げてしまった。
 
 お返しに私が「ジャパニーズマジック」と称して、例の百円ライターによる火吹きの芸をやったら、彼らは「おおっ」というどよめきとともに真顔になり、ヒンディ語でなにやら火を吹く原理について話し合っていたようだ。

 そこを出て北へ北へと向かっているとM君が叫んだ。

 「山だ!」
 「ナニ!?ワッ!ほんとだ。」

ついに山影が姿を現す。苦節一ヶ月。日本の美しい山々に別れを告げてからこの日まで山影すら見られなかった。来る日も来る日も平地を走り続け、ある時は腹をこわして力が入らず、また、ある時は熱を発して倒れながらも、ゴキブリのように復活してはペダルをこいできた。その苦労があの山影を見ることで報われた気がするのである。見れば、何の変哲もない山影である。白い頂が見えるわけでもない。川越辺りから見る秩父連峰と大差は無いのであるが、それでもやはり感慨無量なのである。


 地続きの国境と言うものを持たぬ国で生まれた身であるので「国境」という言葉に一種のロマンを感じる。映画・テレビや小説などから想像する「国境」とは、

(多数の兵士が肩からマシンガンを提げ、怪しき奴は一人も見逃さぬという眼であたりを警戒している。そして、検問所で身元を調べる兵士は、見回りの兵士よりも一層陰険で厳しい目つきをしており「疑わしきはこれを捕らえる」という信念で凝り固まっている。検問所付近には戦車の2~3台ぐらいは常に待機している。また、国境沿いにはずうっと高圧電流が流れている鉄線のバリケードが築かれており、触っただけでオダブツとなる。運良くそのバリケードを乗り越えたとしても、物見櫓で見張っている兵士にたちまち見つかり、けたたましくサイレンを鳴らされ、サーチライトを浴びる。「まぶしい!」と思った時にはマシンガンの餌食さ。)

 と、まぁ、かくの如き緊張感ではち切れんばかりの空気が漂っていると思っていたのであるが、インド・ネパールの国境は実にのんびりとしたものである。地元のインド人やネパール人は国境を顔パスで通れ、インド側のラッシーの方が美味いという事であれば、ネパール人は気軽にインド側の茶店に行ける。

 外国人旅行者の取り調べも簡単で、数枚の書類にサインをしてパスポートを見せるだけ。ネパール側の検問所長などは我々に「売るものを持っているなら私に売ってくれ。そのデジタル時計はいくらだ。」などと密輸の促進をする始末。

 厳重なチェックも無ければ、多数の兵士もいない。戦車だの高圧電流鉄線などは夢のまた夢である。いささか拍子抜けした次第であるが、インドもネパールも今は平和なのだな、と思うと安心した心持になった。

 この晩はネパール側の国境の町バイラワの最も国境に近いホテルに泊る。ついに、ネパールに来たという興奮の為か、なかなか寝つけない。故郷離れてはるばる千里、想う事はただただ、日本食を食いたい。これにつきる。

                            つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桑田真澄メジャーデビュー!

2007年06月12日 | 野球


パイレーツ桑田がメジャーデビューした。巨人に入団した頃から見ている者としては感動的な出来事だ。しかも、小生が唯一行ったことのあるMLBの球場「ヤンキーススタジアム」が舞台である。当然相手は松井やジーター、Aロッドがいるヤンキース。野球の神様が最高の舞台を整えてくれた。

5回裏、パイレーツが6-8とリードされている場面で桑田登場。ヤンキース打線は7番からの下位打線。メジャー初めての打者は昨年松井が長期欠場時に活躍したカブレーラ。記念すべき初球は141kmのストレート。結局カブレーラはセンターフライ。8番カイロ、9番ニエベスをそれぞれ、サードゴロ、ショートゴロで打ち取り3アウト。まずは無難な滑り出し。

6回はヤンキース上位打線が相手。1番デーモンをライトフライに仕留め1アウト。2番ジータを得意のカーブで空振りを取るシーンは圧巻。ジータはいい当たりのショートライナー。これで2アウト。3番アブレイユを四球で歩かせ、MLB最高のサード、年棒33億円といわれるAロッドに回る。桑田の初球は外角スライダー。Aロッドはこれを一振りでライトスタンドへもって行く。非常に悔しそうな表情をする桑田であったが、力の差をまざまざと見せつけられたのではないか。

続く松井との巨人OB対決は四球を選んだ松井に軍配。6番カノーはショートフライに打ち取って3アウト。ということで7番から6番までヤンキースの9人全員と当たって、2回、2失点、被安打1(本塁打)、与四球2という内容でマウンドを降りた。試合後のインタビューで桑田は満足気であった。「プロ入り20年でこんなうれしいことが待っているとは。初安打がAロッドのホームランなんて。とにかくうれしいです。」と言っていた。

また、対戦した松井も「ヤンキーススタジアムで桑田さんと対決したのは大きな思い出になる」とコメントしていた。

もう少し、メジャーのバッターに慣れてくれば、クレバーな桑田のことであるから、いいピッチングが出来るようになるだろう。この前、ヤンキースに復帰したクレメンスは44歳。昨日、松坂に投げ勝ったR.ジョンソンは43歳。桑田はまだ38歳である。クレメンスやジョンソンと桑田では、血の滴る分厚いステーキと鯛の刺身ぐらいの差があるが、やりようによっては活躍できる。メジャーの奴等にワサビの辛さを教えてやって欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休日の晩餐「イタリアントリコロール鍋」

2007年06月11日 | 酒食・グルメ?


普段はめったにテレビを見ない小生であるが、日曜の夜だけは見る。19時からの日テレ「ザ!鉄腕ダッシュ!」。20時からはNHK大河ドラマ。22時からはTBS「ウルルン滞在記」。この三本が基本であるが、巨人戦がある時はそちらを見る。また、大河ドラマは年初の頃は真剣に見るが、つまらなくなると見なくなる。今年の「風林火山」は2月ぐらいから見ていない。ダッシュ村とウルルンは家にいれば必見だ。

もちろん呑みながら観る。ゆっくり呑んでも長持ちする酒のアテが必要であるが、何度も席を立たなければならないものはNGだ。また、作るのが面倒なのもだめ。不味いのは論外。ということで、数年来工夫を重ねて(といってもたいしたことは無いが)辿りついたのが写真の鍋である。材料はホウレン草、絹豆腐、トマト、豚バラ肉の4種類を大根おろしとポン酢で食す。常夜鍋の変種であるが小生は「イタリアン トリコロール鍋」と名づけた。(ホウレン草の緑、豆腐の白、トマトの赤がイタリアの三色旗を表している)

作り方はきわめて簡単。材料を大きめに切ってテーブルに並べておく。鍋に水を張って酒を適当に入れ火にかける。沸騰してきたら肉、トマト、豆腐、ホウレン草の順にいれ、火が通ったら大根おろしに「ゆずポン」をかけたのと一緒に食べる。お好みで適宜、ラー油か胡椒をかけると味が引き立つ。

これをつっつきながら、ビール⇒冷酒⇒熱燗⇒泡盛(ロック)の順番で呑む。途中、物足りなくなったら、餃子かワンタンを入れる。これが、また結構うまい。

時と場合によるが、呑みすぎて、ウルルンまで持たないこともある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クレメンス、NY復帰戦、勝利で飾る!

2007年06月10日 | 野球

今日は会社の野球チームの練習試合があったが、あいにくの雨で中止となった。おかげで、NHKBSでクレメンスのヤンキース復帰戦をじっくり見ることができた。44歳になるのにストレートは150キロ台、スピリットボールの切れもよく、6イニングを108球で投げきり、7奪三振、被安打5、2四球、失点3の成績で終え、自らの復帰戦を勝利で飾った。これで通算349勝(歴代8位)。奪三振は4611個(歴代2位)。現役選手では共に1位。

3点は取られたものの投球内容は安心して見ていられた。特にスピリットボールの切れがよく、若い選手の多いパイレーツは戸惑っていたようだ。クレメンスの貫録勝ちといったところか。攻撃陣もクレメンスの復帰に気合が入ったようで、いいところで集中打が出て、加点していった。結果的には9-3。松井も犠牲フライによる打点をあげた。



クレメンス加入が首位レッドソックスとの10.5ゲーム差を引っくり返すきっかけになって欲しい。不振であったアブレーユ、カノーあたりの調子も良くなったし、リベラも復調してきた。クレメンスが入ることで先発陣も重みを増した。これでボストン追撃体制は整った。今日の試合は反撃の狼煙。これからが楽しみだ。


大宮アルディージャは昨日、柏と0-0の引き分け。浦和、川崎、柏など上位陣との対戦があったにもかかわらず1勝4分、5戦負けなしということで、評価する向きもあるが、なんだかすっきりしない。次節新潟戦はホームだし、ぜひ勝点3をゲットして本当に強くなったところを見せて欲しい。たのむよ。次節の駒場は19時からだし絶対応援に行ける、はず。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甘党?辛党?両党使い。

2007年06月09日 | 酒食・グルメ?


酒を好んで呑む人間は全て“辛党”かというと必ずしもそうではないだろう。現に小生は呑んだ後に甘いものに手を出すクセがある。何かで読んだか聞いたのだが、酔うと食べたくなるラーメンも身体が糖分を欲しているからそう思うらしい。呑んだ後にアイスクリームを食べたくなるのも、同じ理由のようだ。

今日は夕方友人と大宮の「ちゃんこ若」(横綱若乃花の店)で食事をした。蒸し暑かったが、そこは商売。夏用鍋と称して大根おろしをフンダンに入れた「雪鍋」というのを用意している。その鍋料理とお造り盛り合わせ、手羽から揚げなどをたのんで、「灘誉」というのを熱燗にしてもらって呑む。

鍋はポン酢か生卵を出汁と醤油で溶いたつけ汁で食す。上品で美味。ボリュームも結構ある。一時間半かけて飲み食いした後、雑炊のようなお茶漬けというのをいただくともう胃袋は限界。久々に腹いっぱい食べた。さすがは相撲取りを太らす「ちゃんこ料理」だ、と感心した次第。

「もう食えねえ。腹ごなしに行きつけのスナックで蛮声を張り上げてから帰ろう。」と言うことになり、いつもの店に上がる。入るなりママが「ちょうど、いいところに来たね。もらいもののケーキを切ってあげるわ。」といって、ブランデーと一緒に出して来たのが上の写真である。こういうのには目が無い。“もう食えねえ”はずがすんなり入る。撮影してから5分後には小生の腹の中に納まってしまう。写真はケーキにとっては最後の姿、ご親族には遺影となった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「6666」オーメンだぁ。

2007年06月08日 | 日々の記録


6日の夜、長野から大宮までの新幹線指定席の切符が“6”尽くめ。6月6日で6号車6番の席であったので嬉しくなって、ついパシャッ!惜しむらくは料金が6060円だったら最高だったネ。

だからどうってことはないのだが、これも何かの縁。「偶然」を面白がる心の余裕を大事にしたい、と思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

善光寺参り再び

2007年06月07日 | 散歩


5日は社用で長野駅前のホテルに泊る。3月に長野に泊った折にも、善光寺散歩を実施したが、今回も6時に起きて、善光寺参りをしてきた。小林一茶の出身が信州のためか、お寺に行くまでの歩道や善光寺裏の城山公園などに彼の句碑がある。

   春風や 牛に引かれて 善光寺

   開帳に逢ふや 雀も親子連 
      
などの句が刻まれている。

7時前に着く。3月の時もそうであったが、山門は修復工事中で見られないので、迫力のある仁王門をカメラに収める。調べると、この仁王門は1891年に火災で焼失。その後、1918年(大正7)に再建され、仁王像は高村光雲とその弟子が彫った傑作だそうだ。迫力ある憤怒の形相が印象的である。

本堂に行って、お賽銭を百円入れて、日々安穏に過ごさせて戴いていることへのお礼と、これからもよろしくという願をかける。



仲見世通りを戻るとツバメのまだ幼鳥に近いのが軒下に一羽いた。巣から落ちて迷子になったのだろうか。近寄っても逃げない所をみると、余程人間に馴れているのか、飛べないのか。あるいは具合が悪いのかもしれない。かまっている暇はないので心残りではあるが通り過ぎる。

 雛ツバメ 負けるな 萬蔵ここにあり

というところか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インドを走る!第11話 「大和撫子」

2007年06月06日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<大きな木の下で休憩>

※「インドを走る!」について

 三月二十二日。日本を出てから丁度一ヶ月。我々一行はまさに、ようやくといった感じで北インドのゴラクプールに辿り着いた。ゴラクプールからネパール国境までは自転車でも一日で行ける距離である。食中毒を起こした日から数えてこの日は五日目にあたる。ラクノーからは約三百キロメートル離れた地点である。宿泊はたまには良い所に泊まろうということで二ツ星のちょっとしたホテルに泊る。レストランにはインド料理をはじめ西洋、中華と多彩なメニューがあり、しかもどれをとってもうまい。宿泊料は素泊まりで一泊三人で五十五ルピー。約千五百円である。
 
 翌日は休息日。皆んな疲れが出たのか外に出る気力なし。庭に出て自転車を見ると、前輪のスポークが一本折れている。いやいや修理していると、タクシーが二台乗りつけて来て、中から日本人が降りてくる。中年の夫婦に若い娘二人。ここ一ヶ月、色黒の彫りの深いインドの女性しか見ていなかったので、色白のあっさりした顔立ちの我が国の大和撫子はなんとも新鮮に見える。彼女たち近づいて来て曰く、

 「世界一周ですか?」
 「い、いや、インドとネパールだけだよ。」
 「へぇー。すばらしいわね。」
 「いやなに・・・。」
 「股裂けない?」
 「・・・・・・。」

 馬鹿を言っては困る。日本女性と見て大和撫子を想像していた私に『股裂けない?』は無いヨ。はしたなき日本女性なり。

 ナデシコ達、我々の隣の部屋に泊る。シャワー室が隣り合わせで上から覗こうと思えば覗ける窓があって、これを発見したのは私だがM君に言うと、M君疲れている筈の身体にムチ打ってさっそくシャワー室を占有する。あいにくナデシコ達はシャワーを浴びた後とみえて、彼の数度にわたる試みも失敗に終る。

 日本にてはこれを「デバカメ」というがインドにも面白い神話がある。ヒンドゥー教の人気者の神であるシバの息子ガネーシュは、女人の風呂を覗き、シバの怒りに触れ首を刎ねられてしまう。それではあんまりだというので、たまたま通りかかったゾウの首を切り、ガネーシュの胴体に着けたという。だからガネーシュ神の頭はゾウなのだそうだ。

<ガネーシュ神>

 翌日起きるとE君調子悪し。出発を一日延期する。暇が出来たので日本の友人たちへの手紙やみやげを郵便局まで行って送る。帰ってくると、EM両君ベッドで惰眠を貪っている。私も軽く昼食をとってから寝る。気持ちよし。夕方起きて、レストランで旅行記などを書いていると、M君が息を弾ませてやってきて語るには、今しがたナデシコ達が帰ってきてシャワーを浴びたという。彼、ついにインドに来てゾウになりし。

 「おまえもみればよかったのに。」

と言うが終ってから来てそれは無いヨ。

 夜、ベッドに転がって考える事も無くうつらうつらしていると、ブザーが鳴る。EM両君寝ているので私が出るとナデシコ達である。インスタント味噌汁と「小梅ちゃん」のアメを一袋ずつくれる。親切な日本女性なり。トランプか花札を持っているかと聞かれ、無いと答える。

 (チキショー。持っていれば一緒に遊べたかもしれない。)

『作るか!?』と半ば本気で考えた時、自分で自分が可笑しくなった。E君が風邪で今日は発てなかったと言うと心配してくれる。M君、話し声に起き出したのか、ベッドからしきりに「ありがとうございます」を連発している。数分前の味噌汁と小梅ちゃんに対する礼か、はたまた数時間前の裸身に対する礼かは定かでない。

 夜中E君、ゲーッ、ゲーッしながら起き出す。明日もまた発てまい。E君の風邪は私やM君のそれとは違い、治るのに時間がかかりそうだ。私やM君の場合は突然高熱を発しはしたが、次の日には熱も引いて回復するという山の天気のようなものだったが、E君のは今まで耐えに耐えていたものがここへ来て一挙に崩れたという感じがして、なにか痛々しいのである。

 インドという異国の圧力が我々自身が感じている以上に強力にのし掛かっている。ゆっくりと休んでいるようで、結構精神的に騒いでいるとでもいうのか、何かそんな感じがあって、この一ヶ月かなりの疲れが溜まったようだ。

 E君の場合、その疲労の蓄積がここに来てついに出たという感じなのである。彼自身も、もうこれだけ走れれば十分でやれるだけやったような気がするなどと弱気なことを言う。病身にては何かと弱気になるものだが、E君もその例であってほしい。

 夜半、雷と雨少々。インドに夏来たる。

                          つづく


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無念!大宮市野球公式トーナメント戦一回戦敗退

2007年06月05日 | 野球

<守っている方が我がチーム>

この日はリリーフとしてベンチスタート。先発は左腕のK。市内のトーナメント戦であり、相手の強さもわからない。しかし、ユニホームの着方や体型、歩き方、会話やしぐさ、キャッチボールなどを見れば大体のレベルは見当がつくものだ。今日の相手は我々と同じかちょっと“上”とみた。後はどんな投手か、で勝てそうかどうかがわかる。投手は右投げの技巧派。打順が1番。これはさすがに草野球でも珍しい。体力に自信があるのか、継投策でいく気か。

先行はわがチーム。技巧派投手に簡単に3者凡退で打ち取られる。一回裏、相手の攻撃。先頭打者(相手の投手)をサードゴロに打ち取るが、サード暴投。無死二塁。二番が手堅く送りバンドで一死三塁。三番は鋭い当たりのセンターライナー。かろうじて捕球するも、タッチアップで1点取られる。続く4番は強烈なセンター前ヒット。ワンバンドした打球が目測誤ったセンターの頭を越す。ランニングホームランとなって2点目を取られる。

三回表に1点返し一点差とするが、4回裏に1点取られ、尚も一死一、三塁のピンチ。打順は一番に回る。この局面でリリーフを命じられる。小生の持ち味は制球力。球種はストレート、カーブ、シュートの3種。草野球でシュートを投げる投手はあまりいない。右打者なら詰らせてサードゴロに打ち取ったり、外角から内に入れて見逃しの三振を狙う。左打者なら外に逃げる球として決め球に使える。とても便利な変化球である。

マウンドに立つと風向きは投手にとって追い風。
(ストーレート主体でカーブでカウントを取り、シュートで打ち取るか。)
基本的戦術を練る。打者は1番。敵の先発投手でもある。好打者とみて間違いない。一三塁なので一塁走者は盗塁の可能性大。牽制球を投げる。これで引っかかることがたまにある。初球はストレートで入る。外角低目に決まって1ストライク。この間に、一塁走者は二塁へ盗塁。キャッチャー送球せず。二球目はカーブ。タイミングをうまく外せた。相手は完全に打ち損じたが、これがふらふらとセカンドの頭を越してヒットになってしまう。こういう打球は悔しい。1点取られる。尚も一死、一三塁のピンチが続くが、二番をピッチャーフライ。三番をサードフライに打ちとって後続を断つ。

5回、6回にもエラーがらみで1点づつ取られ、最終回7回表の時点では1-6。攻撃は下位打線からだし、もうだめだと誰もが思っていたが、野球というのは面白い。下位からチャンスをつくり、二点取って3-6とし二番手投手を引き摺り下ろし、尚も二死二塁三塁。ここで我がチームの一番バッターがレフト前にヒットを放ち、二点差で小生に打順が回ってきた。一塁走者は初球盗塁したので二塁三塁。一打同点のチャンスである。

こういう時は好球必打で積極的に行かないと後悔する。初球は力のあるストレート。これは一塁走者が盗塁したので見逃す。二球目はタイミングを外すカーブできたが、うまくあわせられた。打球はセンターよりの左中間に飛んだ。一瞬、ヒットかと思ったが、打球は伸びすぎてセンターに取られてしまう。

ゲームセット。4-6で負けた。ベンチスタートではあったが、投打に小生に活躍の場があったにもかかわらず、一歩及ばず結果が出せなかった。運がなかったとも言えるが、運を呼び込む“気力”がもうひとつだったと思う。気力は野球に対する思いから発する。素振りや走りこみなど、野球のためにどれだけ準備したかが、試合当日にあらわれる。今回はそれが足りなかった、と言わざるを得ない。

ま、一方的な試合と思ったが、最終回は楽しめたのでよしとするか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日は野球漬け

2007年06月04日 | 日々の記録
昨日の日曜日は一日野球がらみで過ごした。朝方はヤンキース対レッドソックス戦をテレビ観戦。九時には大宮の野球チームの公式戦があったのでそそくさと用意して出かける。

野球に限らず自転車の旅や山行でもそうなのだが、前もって準備しておく、ということができない性格なのでいつも間際になってあわてる。前の晩にキチンと準備しておいたらどんなに楽だろう、といつも思うのだがそれができない。生れつきの性分と思ってなかばあきらめている。

試合は4対6で負けた。詳細は明日にでも報告するつもり。

帰って来てテレビをつけるとマリナーズの試合をやっていた。イチローの連続試合安打記録は25でストップ。ジョー・ディマジオの56試合連続安打という記録はとんでもない記録だと改めて思う。

食い物と焼酎を買って来て今度は巨人戦のテレビ観戦。近ごろは休みの日は昼間にやる。いいことだと思う。早めに呑みだして夜には出来上がってしまうのが難ではあるが。

4対1で巨人勝つ。今年は行けそうだね。

本日六月四日は若い友人の22歳の誕生日パーティに出席のため、携帯から記事を送ることにした。22歳ならめでたいわな。今年50になるが、めでたくもなんともない。ここまで無事に生きてこられたことには感謝しているが。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ついにデジカメ「カシオV7」購入

2007年06月03日 | 日々の記録


前から欲しかった光学ズーム7倍のカシオのEXILIM7Vが近所のノジマで29800円で売り出していたので衝動的に買ってしまう。昨日、大宮西口のビッグカメラでは48800円の値札がついていたやつだ。19000円の差である。こんなに小売価格の差があるなんて。感激した反面、こういうものは何軒か見て回らないと迂闊に買えん、と痛感した。

さっそく、カメラ片手に大宮公園を散歩して試し撮りをしてきた。明日からはこいつが、小生の相棒となる。光学7倍なので今まで涙を飲んでいた鳥達の赤裸々な生活を写せる様になるかも。あまり期待しないでお待ちください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花鳥風月を考える

2007年06月02日 | 散歩

<熊野川の河原>

西行に関連した本を読んでいると「花鳥風月に遊ぶ」「花鳥風月を愛でる」など“花鳥風月”という言葉が歌びとの基本であるかのように随所に出てくる。辞書を引くと
「①自然の美しい風景。(―を友とする)②自然を相手に詩・絵画などをつくる風雅な遊び。風流。」とある。

積極的に公園などを散歩するようになって気がついたのであるが、“自然の美しい風景”に接してまず一番最初に感性を刺激するのは、色とりどりの花であり、それを支える木々の緑である。花は季節毎に次から次へと咲いては散る。

丁度二月中旬頃から散歩し始めたのだが最初は可憐な紅白の梅の花、それからモクレンの白い花、そして桜。その後も、チューリップ、パンジー、黄菖蒲と続き、今、アジサイが花を開き出している。短い間の栄枯盛衰が花にはあり、それがもののあはれを誘う。花に比べれば木々の緑の変化は緩やかである。

花の次に感性を刺激するのが“鳥”である。このブログでも取り上げたが、カイツブリや鴨、ヒヨドリ、写真には納められなかったが、ウグイス、シジュウカラ、ツバメなどの動きやさえずりが感性をくすぐる。興味を持たざるを得ない対象だ。また、鳥の場合はその飛翔による“自由さ”が人間にないものとして、歌びと達の羨望の的になっていたのではないか、と思う。

“花”“鳥”が感性を刺激するのはなんとなく解ったのであるが、なぜ次が“風”なのか。目に見えない風が三番目にあるのが、正直言ってよくわからなかった。確かに風は香りを運び、雲をなびかせ、浪を立てる。春風は花を散らし、秋風は紅葉を散らす。常に自然の中に“動き”をつけるのは風の役目である。しかし、それだけでは自然の中の脇役に過ぎず、主役とはなりえないのではないか、と思っていたのである。

先日の「熊野詣の旅」の途中、自転車を降りて、熊野川の河原に下りてみた。疲れた身体を休めながら、川の流れの行く方向をぼんやり眺めたり、囲まれた山の新緑に感嘆したりしていると、ふゎっとした、なんともいえぬ心地よさを覚えた。強くもなく、弱くもない初夏の風が上流の方から吹いていたのだ。そうか、これが“風”か、と漠然とではあるが体感できた。自然の中で感じる“風”の心地よさを歌びとたちは重要視したのではないか。その風が自然に「動き」を与え、目を楽しませてくれ、それを歌にしたり、絵に表現できた時に“風流”という言葉が生まれたのかもしれない。

上流の山間から一羽の鴨が風に乗って勢いよく熊野川の上空を一直線に飛んでいく。その鴨はまことに気分よさそうに下流の山あいに消えて行った。



“月”。これはむずかしい。現代のように夜も明るい時代ではなかなか感性を刺激する場面に出くわす機会は少ない。真っ暗な闇がないと月の神秘性やありがたさはわからないと思う。また、太陰暦での生活習慣と月との関係は無視できないだろう。

満月の晩に山でも登ってみるか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新宿にカンヅメ

2007年06月01日 | 日々の記録

<新宿NSビルの吹き抜けに巨大な水車じかけの時計があった>

今日から六月。早いもので、ブログをはじめてから四か月経った。2月26日からは毎日なにがしかを書いている。ここまで来ると意地でも続けたくなる。

本日はあいにく、一日新宿で会議。年に2回の弊社にとっては意義ある会議。新宿のNSビルの会議室を借りて行った。夜も会議メンバーで会食である。早めに帰宅して記事をアップしようかと思ったが、酒が入ってしまうとどうなるかわからない。とりあえず、携帯から記事を送ることにした。


携帯から記事を送っておいてよかった。昨晩は3時間におよぶ宴会の後、同僚達と池袋のスナックへ。なんだかんだ朦朧として家に辿り着いたのは午前1時半でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする